第1話:前世の記憶と、冷め切った未来
「……おい、ローザ。今度の学園祭だが、俺は生徒会の手伝いに回ることになった。当日のエスコートは、他の誰かに頼んでくれ」
瀟洒なサロンのソファで、紅茶のカップを傾けながら吐き出された言葉。
私——伯爵令嬢ローザ・ヴァルハイトの婚約者である、ヴァルト公爵家の長男、レオン・ヴァルトは、私と目を合わせようともせずにそう告げた。
「……承知いたしました、レオン様。では、そのように手配いたしますわ」
私が一切の感情を挟まず、静かに微笑んで深々と頭を下げると、レオンは少し意外そうな顔をした。
以前の私なら、「そんな、学園祭のエスコートは婚約者の務めのはずですわ!」と泣きつき、彼を引き留めようとしたかもしれない。しかし、今の私にとって彼の言葉は、予定通りの日程表を確認する程度の意味しか持たなかった。
なぜなら、私は一か月前、熱病で倒れた際に——前世の記憶を取り戻したからだ。
(ああ、本当にテンプレ通りの展開ね……)
私は自分の部屋に戻り、優雅にデスクの引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、前世の記憶を頼りに書き殴った、この世界の「真実」が記されている。
この世界は、私が前世でプレイしていた乙女ゲーム『聖なる学園の乙女たち』の世界そのものだった。
光の聖女の力を持つ平民出身の可憐な「ヒロイン」が、名門学園に入学し、生徒会に所属する5人の最高峰の攻略対象たちと恋に落ちていく、絵に描いたような学園ラブコメディ。
そして、目の前で身勝手な理由により私との約束を破ったレオンは、その5人の攻略対象のうちの一人——「ツンデレ騎士候補生」だ。
では、私は誰なのか?
悪役令嬢? いいえ、違う。
ヒロインをいじめて最後に処刑されたり流刑されたりする、派手な悪役令嬢ですらない。
私は——「ヒロインにうつつを抜かす攻略対象に捨てられる、哀れなモブ婚約者A」。
ゲームの設定上、レオンはヒロインの天真爛漫さと「聖女の力」に魅了され、婚約者である私を徹底的に放置し、冷遇する。そして物語のクライマックスである卒業パーティの場で、ヒロインを腕に抱きながら、大勢の生徒の前で私に「婚約破棄」を突きつけるのだ。
『ローザ! お前のように嫉妬深く、心貧しい女はヴァルト家の妻に相応しくない! 私はこの真実の愛を選ぶ!』
……そんなセリフを吐かれて、婚約破棄される未来が確定している。
さらにタチが悪いのは、この国の貴族社会のシステムだ。
女の側から男(しかも身分の高い公爵家)に婚約破棄を申し出ることは許されない。もし私が今「婚約を解消してください」などと言えば、我がヴァルハイト伯爵家は「無礼者」として潰されるか、私が家から追い出されて路頭に迷うことになる。
だからといって、黙って婚約破棄を待っていれば、「婚約者に捨てられ、実家の名誉を傷つけた出来損ないの娘」として、両親から勘当され、追放される未来が目に見えている。
(……笑わせないでちょうだい)
私は羊皮紙を折りたたみ、冷ややかな微笑を浮かべた。
誰がそんな理不尽なシナリオに甘んじてやるものか。
誰が男の身勝手な恋の踏み台になってやるものか。
私には、前世の現代日本で培った「経営学」と「マーケティング」の知識がある。
そして何より、この世界にはない新しいアイデアと、莫大な富を生み出すノウハウがあるのだ。
彼らが脳天気に学園で「恋のイベント」とやらに興じている間に、私は私の未来を買い取るための「莫大な資産」を作る。
婚約破棄されるその日までに、私はこの国の経済の根幹を握り、彼らが二度と私に手を出せない高みへと登り詰めてやるのだ。
「ローザ様、隣国のサンジュセル王国からの行商人が、例の商談の件でお見えです」
侍女のミュリンが、ドアをノックして恭しく告げる。
「ええ、すぐに行くわ。……ふふ、今日が私たちの『事業拡大』の記念すべき第一歩ね」
私は優雅にドレスの裾を翻し、部屋を出た。
その時の私はまだ知らなかった。
私がこの国で密かに張り巡らせた経済の網と、婚約者に裏切られながらも健気に(と周囲には見えている)振る舞う私の姿を——
隣国から留学してきていたあの御方が、ずっと静かに、熱い眼差しで見つめ続けていたということを。




