契約結婚と言い張る公爵と金貨にしか目がない聖女
冤罪で追放された聖女……不憫だと思う。
その聖女を婚約者にした……幸運だったなと思う。
グランヴェリス帝国、皇太子レグラスは頭痛の種を抱えている。
ブルネットに紺色の目、端正な顔は惚れ惚れする美丈夫だが、その精悍な顔の眉間にくっきりとしわが刻まれている。
理由はメソニア公国からの客だ。
その追放された聖女を婚約者にした公太子が、かれこれ一か月間も居座っているのである。名目は寄付のお願い。ようするにお金目的だ。
「やあ、レグラス!!」
亜麻色のくせ毛、人懐こい仔犬のような垂れ目。顔かたちは整っているのに、どうしてもぶん殴りたい衝動に駆られる。
「……メソニア公国の公太子。私は君に名前を呼ぶことを許可していない」
レグラスがリオネルを睨む。
為政者としての厳かな雰囲気を纏わせた彼の迫力はさながら猛獣だ。側近たちは青ざめる。
さすがのリオネルも顔をひきつらせた。
しかし、逃げない。めげない。諦めない。
「や、やだなあ。そんな顔で凄まないでくれよ。僕と君の仲じゃないか」
「私と君は赤の他人だが?」
「ほら、僕の婚約者って聖女だろ? 君のご先祖の英雄アルヴァンと、聖女セルフィアは兄妹だったんだ。聖女の伴侶の僕も兄弟みたいなもんだろ?」
さも当然とばかりにリオネルが言い張る。
ボキ。
持っていたペンをレグラスはへし折った。不可抗力だ。これで今月76本目だ。
優秀な側近が代わりのペンを持ってきた。
以前使っていた高級品ではなく、一束いくらの量産品だ。壊してしまうからこれくらいでちょうどいい。鍛えすぎた己の握力をちょっと恨んだ。
レグラスの頭痛の種というのはコレのことだ。
このメソニア公国の公太子はこともあろうに、聖女を連れてきているのだ。
冤罪で追放された聖女のうわさは各国に伝わっている。
そして、この男の婚約者こそが追放された哀れな本物……だそうだ。
証拠となる聖石を持っていたため、各国も、そしてグランヴェリスの社交界もすっかり信じてしまっている。だから追い出すわけにもいかない。
聖女の力は絶大だ。
恩を売っておくべきだというのが帝国側の事情だ。
しかし、レグラスだけはこれが偽証だと知っている。
なぜなら、レグラスの従兄弟、美貌の公爵ルファス・ドラヴェンハートこそが、本物の聖女を娶ったからだ。
表向きは『カナル』と呼ばれる流浪の民の歌姫を娶ったことになっているが、それは追放された聖女の仮の姿。
この件は秘匿されているため、社交界では美貌の公爵がカナルの魔女に惑わされたと噂されている。
レグラスとしてはさっさと噂を打ち消したいが、肝心の聖女に名誉を回復する気がなく、ルファスも『契約結婚』と言いつつ聖女にぞっこんで、彼女の素性を公表することにはいい顔をしない。
『契約結婚なら別にいいだろ』
『あいつを守るのも契約に含まれている。聖女と知られれば狙われるからな』
『ほう……契約結婚でそこまでするのか、お前は」
いいからもう、正直になれよ。好きなんだろ。と半ばでかかった言葉を飲み込む。
『契約は契約だからな』
真面目な顔で返すルファスに俺は苦笑する。
『……矢面に立つのは俺なんだがな』
『それは……すまない』
神妙な顔で俺に頭を下げるルファスをみると一肌ぐらい脱ぎたくなる。若くして公爵になったあいつは、常に仏頂面で感情をなくしたようだったが、歌姫のおかげで表情も豊かになった。
なんだかんだ、ルファスは弟みたいなものなので、兄貴として守ってやらなければと思ってしまう。そのため、本物を公表せずに偽聖女の対応をレグラスが引き受けている。
そう、レグラスが弟と思えるのはルファスだけ。
断じて、この間抜けではない。
レグラスはリオネルを睨んだ。
しかし、堪えない。
「僕を弟と思ってくださって結構ですよ!」
ふふんと堂々といってのけるリオネルに殺意が湧く。
「伝説は大切にすべきだが、それは実力が伴っていればの話だ。もう一度言う。礼儀を守れ」
レグラスがそう冷たく言い放つが、リオネルは理解しない。
そして、その同類がもう一人いた。
桃色の長い髪をサイドで束ねた可憐な少女だ。可愛くないこともないが、行動と言動が気に障る。
「きゃあ。レグラス様ですかぁ! とてもかっこいい方ですね!!」
(誰だお前は)
レグラスのこめかみがピクピク動いた。顔が引きつる。
側近たちは青ざめた。
「彼女が聖女のライラです。辛くて暗い過去を持っているんですが、そんなそぶりすら見せない健気な子なんですよ!!」
自慢気にリオネルが言う。
「うふふーリオネル様ったら~。言ったでしょ。私、いじめられてもリオネル様の愛があるからへっちゃらだって」
ライラはクネクネと身体を揺らしながらリオネルにしなだれかかる。リオネルはそんなライラを抱きしめ、「大丈夫。僕がついてる!」と自分に酔っている。
レグラスは頭痛を通り越してめまいまでした。
ペンどころか机ごと壊しそうだ。
宮殿の備品なのに。
レグラスは大きく深呼吸をする。
息を吸ってはいて、よし。落ち着いた。
俺はまだ耐えられる。
「話は分かったからさっさと部屋に戻れ」
しっしと追い払う仕草をしたが、リオネルとライラはへこたれない。
その根性だけは素直にすごいと思う。
「レグラス殿下。聖女の伝説を覚えていますか? 聖女セルフィアは歌で魔を鎮めるんです!!」
知ってる。
だからこそ、各国はこぞって聖女を欲しがるんだ。
レグラスは何度目かのため息をつく。
ルファスが娶った女性……シャロンは、レグラスの要請に従って魔を鎮め、何度もこの国を救ってくれた。
『一回につき、金貨一枚ね』
そう笑う彼女は聖女というには、いささか野趣あふれる。
『ルファスから金にうるさいと聞いていたが、それでいいのか? 君が望むならドレスでも宝石でも用意するが』
『興味ないからいいわ。私は金貨が大好きなの。金貨以外は受け取らないから』
『ふむ、君の働きは金貨百枚の価値はあるな』
『よしてよ。見返りが大きすぎると逆に怖いわ、金貨一枚が妥当よ』
『……わかった。交渉成立だな』
『ええ、これからもご贔屓に。それじゃあね、金づるの皇太子さん』
最後の言葉に脱力したが、ルファスも最初は金づるの公爵さんと呼ばれていたそうなので、権力に臆しない姿勢もルファスが気に入った理由のひとつなんだろう。
それに、彼女に金づる扱いされても不快ではない。
彼女は強欲でないからだ。
シャロンは確かに金を要求するが、貴族の令嬢のドレス一枚にも満たない金額で満足する。
魔を退治するために傭兵を雇う金額を考えれば金貨二枚などはした金だ。
わかっているはずなのに、彼女は金貨一枚だけを要求する。そして、幸せそうに金貨を抱き締めるのだ。
思い出してレグラスは思わず小さく笑う。
「あ、やっぱり食いつきましたね!」
ちゃらんぽらんな声が響く。
リオネルだ。
一気に現実に引き戻された。
「ライラの声は貴重なんですよ!! なんたって聖女ですからね。今宵、殿下のパーティでライラが聖女の歌を歌います。特別にねっ!」
ウィンクするリオネルの顔に苛立ちを覚えたのはレグラスだけではなかった。側近たちも口の端をピクピクさせている。
「……今宵のパーティにお前は呼んでない」
どこから聞きつけたんだと、レグラスはリオネルを睨む。
「ライラの歌があれば盛り上がりますって!! なにしろ聖女の歌ですからね!!」
自信満々に言うリオネルに、レグラスの堪忍袋はもう限界だった。
「ほう。ならばここで歌ってもらおうか。俺を感動させたら考えてやる」
レグラスが紺色の目でリオネルたちをじっと見た。
口元は優し気な笑みを浮かべている。
そして、側近たちはぶるぶると体を震わせた。
これはレグラスが本気で怒ったときの顔なのだ。しかし、鈍感なライラとリオネルは嬉しそうな顔で張り切る。
ライラはいそいそと前に進み出た。
そして、中央に躍り出て声の限りに歌った。
下手だった。
むしろ、俺が歌った方がうまい。
リオネルは感激して涙を流し、やかましいほど拍手をしている。痘痕も靨というやつだろう。
どうして、この女にほれたのか心底謎だ。同類相憐れむというやつか。真相はなんでもいい。
……早く帰れ。
怒鳴るのも疲れたレグラスはハアとため息をついた。
■
宮殿の一角。
賓客に用意された部屋がそこにある。
リオネルとライラは豪華な部屋で昼の疲れを癒していた。
眠そうなリオネルとは違い、ライラはずっと興奮しっぱなしである。
「さすが帝国よねえ!! あちこち豪華できれいだわあ!! それにご令嬢たちが着ているドレス、メソニア公国と華やかさが全然違うわ!! ねえ、リオネル様。わたしにもアルネ真珠をあしらったドレスを作って!!」
「ええ~またなの? それより宝石をあしらった剣を作ろうよ! ジャギー貝の紫で染めた服にロデン金属の地金の剣……。僕にとっても似合うと思うんだよね!」
リオネルは帝国貴族たちが身に着けていた装飾品を思い出して言う。
「そんなものよりもドレスよ!!」
ライラは食い下がった。
しかし、リオネルは引き下がらない。
国庫はほとんどカラなので二つとも作れないということだけはわかっていた。
「いや、剣だ!!」
「ドレス!!」
「剣!!」
「いやー!! リオネル様なんて大っ嫌い!! レグラス様に言いつけてやるんだから!!」
ライラはわあわあ叫んで部屋を飛び出した。
そして、向かったのはレグラスのいる皇子宮だ。
無礼な客だが、聖女を追い返すわけにもいかず、侍女たちは丁重にもてなした。
しかし、これがまずかった。
ライラは単純なのだ。
『こんなにも親切にしてくれるなんて、もしかしてレグラス様はわたしのことを好きになったんじゃないかしら?』
『リオネル様よりもレグラス様の方がカッコいいし、お金持ちだし……、私も好きになっちゃったら……しょうがないよね』
『うふふー。グランヴェリス帝国の皇太子妃……。いい響きだわ』
にまっとライラは笑う。
ゾクっ!!
同時刻、執務室でレグラスは謎の悪寒に襲われていた。
「どうかされましたか?」
「いや、悪寒がしてな」
「それは大変です。温かい飲み物でもお持ちしましょうか?」
「ああ、頼む」
「あと、報告が一つ。メソニア公国の聖女様ですが、ご指示通り客室に案内しております」
「まあ、しかたない。帰れと言ってもどうせ聞かないだろうしな。菓子でもお茶でも与えてそこに閉じ込めておけ」
レグラスは相手をする気はない。
面倒だったので侍女侍従に丸投げしただけだ。
ライラがおかしな妄想をしているとは知らず、『早く帰ってくれ』と思いながら、公務に励んでいた。
いずれ、飽きてリオネルのところに戻るだろうと期待して。
しかし、ライラは根性があった。
朝な夕なへたくそな歌を歌って騒音をまき散らす。リオネルに引き取りを命じても、「ライラが勝手にやっているだけです。それよりも、寄付はどうなっていますか?」と話が通じない。
「もう限界だ……!!」
レグラスは頭を抱える。
「いっそのこと、失態でもやらかしてくれればそれを理由に詰められるんだがな」
レグラスは何度目かのため息をついた。
そして、そんなときにやってきたのが、一人の少女だ。
「あら、お兄様。それでしたら、エラミーにお任せくださいません?」
レグラスの妹。エラミーだ。
ブルネットの髪はレグラスとおそろいだが、目元はくりっとして、小さな顔とあいまって可憐な美少女である。ただし、見た目だけは。
美男美女の両親から生まれた彼女は、自分が一番可愛いと常日頃豪語しているモンスターでもあった。
レグラスにとって殿堂入りの頭痛の種である。
皇太子宮ですら自分の庭のように出入りをし、苦言を呈してもまったく堪えない。父母に訴えても「エラミーはお前が好きなんだよ」と見当違いの言葉が返ってくる始末だ。
「ね、お兄様。お手伝いさせて?」
コテンと首をかしげる。
皇帝皇后が見たら、「きゃあー可愛い!! 何でも言うこときいてあげる!!」とデロデロになるリーサルウェポンである。
「……帰りなさい」
レグラスの冷徹な声が響く。
しかし、神経がオリハルコン並みの頑丈さでできているエラミーにそんなもんきかない。
「ええ~。お兄様のために言っているのにい」
エラミーのからかうような声に、レグラスはプッツンした。
彼は比較的冷静な人間だが、ライラとリオネルのせいでストレスがたまりにたまっていた。
だんっと机をたたく。
「冗談も休み休み言え!!」
「お前に任せて事態が好転したことはあったか? ただでさえ忙しいのにお前のお守りなどしてられん。頼むから大人しくしてくれ!!」
レグラスは怒鳴った。
「ひ、酷いお兄様!! 悩めるお兄様のためにエラミー頑張ったのに」
ぐすんと涙ぐむが嘘泣きだ。
こんなもんでオリハルコン並みの神経はへこたれない。
そして、レグラスは彼女の言葉に嫌な汗をかく。
「ちょっと待て、頑張った……?」
なぜ過去形なんだ。
レグラスはじっと妹を見た。
「えへへー。エラミー主催の御茶会を開きました!! メインゲストは聖女様と、ルファス兄さまの寵姫でぇーす!」
にこにこと人好きする顔でエラミーは言った。
「お、お茶会だと……?」
「そうですわよー。もともと、ルファス兄さまのご寵姫に興味があったの。いつかお会いしたいと思ってたからちょうどいいと思って」
エラミーは楽しそうに笑う。
「だ、大波乱どころか火薬庫に火種をぶち込むような真似じゃないか!! 帝国の貴族はプライドが高い。カナルの歌姫を相手にどんな無体をするか……!!流浪の民がどれほどの人々から忌み嫌われているかお前は知らないのか!!」
レグラスはエラミーに怒鳴りつける。
土地を持たない彼らは歌と踊り、音楽を奏でてその日の糧を得る。さらに、カナルは伝説で聖女を陥れた存在として今も人々から嫌われているのだ。
「あらやだ兄さま。知っているにきまってるでしょう? だからこそ、お茶会を開くんですってば。うまくいけばメソニア公国の首に鈴をつけられますわよ」
エラミーはくすくすと笑う。我が妹ながら、何を考えているのかさっぱりわからない。昔はまだ可愛げがあったのだが、ソフィエラ王国の聖女が陥れられたと聞いてから、性格ががらりと変わった。
「……カナルの歌姫はルファスが唯一心を許す人間だ。決して傷つけるなよ」
レグラスが念を押すとエラミーは可愛い声で「はぁーい」と返事をした。
■
エラミーは兄が大好きだ。
そしてその兄の親友……ルファスのことも大好きだ。
可愛いエラミーに唯一なびかないルファス。
女性嫌いの彼は、どんな女性も寄せ付けない。
それなのに、ルファスはカナルの歌姫に惑わされてしまった。
絶対に許しておけない。
「きっとルファス様は騙されているのよ。エラミーがちゃんと目を覚ましてあげなきゃ」
エラミーは笑う。
気に入らない聖女と歌姫、二人で潰しあえばいい。無礼を働いたと責め立てて罰を受けさせるのなんて簡単だ。なぜなら、エラミーには皇帝の後ろ盾がある。
エラミーは使者を立て、招待状をドラヴェンハート公爵に届けた。正式な招待ゆえに断るのは非礼に当たる。
だから、必ず来る。エラミーは確信していた。
しかし……そううまくいかなかった。
招待状を受け取ったのはシャロン。流浪の歌姫であり、金貨で雇われた公爵の契約結婚相手だ。
黒い髪を無造作に流し、ゆったりとしたワンピースを着ている。下町にまぎれても違和感ないほど質素だ。
招待状の中身を見て彼女は一蹴した。
「お上品な貴族連中の見世物になれっての? 冗談がきついわ」
その言い方があまりにも彼女らしくてルファスは思わず笑ってしまう。シャロンは金貨に目がないが、仕事は選ぶタイプだ。
「私も同意見だ。レグラスはいい奴だが……妹のエラミーは破天荒なんだ。たまにこうやってふざけることがある。病か何か適当な理由をつけて断っておこう」
「お願いね。あ、この件は片付いたわ」
「早いな」
「金貨二枚ね。特急料金よ」
「アルネ真珠をあしらったドレスはどうだ? 君に似合う」
「今の服で十分よ」
ドレスの方が金貨二枚より高いのに、シャロンは欲しがらない。
それが彼女らしくてルファスは笑うが……シャロンに着て欲しい気持ちは変わらない。
翌日、不可解な顔で彼女は食堂に降りてきた。
「朝起きたら、着替えの服がこれだったわ」
「せっかく買ったからな。着ないともったいない」
「それもそうね」
衣装に無頓着なシャロンは特にこだわることなく、サラダを食べ始めた。
「ところで、デルシー侯爵から晩さん会の招待状が届いた。これは領地の交易にも関わる公式なものだから……」
「仕事なら受けるわ。見世物になるのは御免だけど。金貨三枚で手を打つわ」
「いいだろう。契約成立だ」
ジャギー貝の紫で染めたドレスを用意しよう。最高級のアクセサリーをつけて。
二人の日常はいつも通りすすむ。
一方、断りの手紙を受け取ったエラミーはショックを受けていた。
「断る……って、なんで!? 私は皇女よ? きっと何かの間違いよ」
エラミーは根気よく送り続けたが、ついぞ色よい返事は来なかった。
しかし、エラミーにチャンスが来た。口うるさいレグラスが視察で帝都から離れたのだ。
その隙にエラミーは父の皇帝に泣きついた。
「お父様!! カナルの歌姫に御茶会の招待を送っているのにいつも断られるの!!! お父様の力であの女をここに呼びつけて!!!」
皇帝は可愛いエラミーのために皇帝の権力を使った。乱用だと諫められたが、可愛いエラミーの涙の前に皇帝は抗えなかったのだ。ちなみに、普段は聡明な皇帝で帝国を繁栄させている名君である。親バカ……バカ親なのが欠点だった、
こうして親バカ皇帝のせいで、エラミー主催の御茶会が開催されることになった。
皇宮の一室、薔薇の温室が一望できる広間で皇女エラミーが中央に座り、その両脇には、メインゲストである聖女ライラと、カナルの歌姫シャロンの席が用意されている。二人はまだ着いておらず、壁際に用意された席に侯爵や伯爵位のご令嬢方が座っていった。
「平民出身の聖女はともかくとしてカナルの歌姫がいるなんてゾっとしますわ」
「ええ、本当に。私もあんな下劣な存在と同じ空気を吸うなんて恐ろしくてたまりませんの」
ご令嬢方は眉をひそめた。
そんな中、聖女ライラは緊張した顔でリオネルにエスコートされ入って来た。
(レグラスさまにエスコートして欲しかったのにい……)
と不満げだ。
「ようこそ聖女様。あとは歌姫さまだけね? 誰か呼びに行って」
エラミーが叫ぶ。
ほどなくして、準備が整ったと侍女が言った。敏い令嬢たちは、その侍女の目がうっとりとして、顔がどこか赤くなっているのがわかった。
しかし、ルファスに懸想している令嬢たちは嘲笑を浮かべながら扉を注視した。エラミーとライラも同様だ。
扉が開くとすらりとした長い足が見えた。マーメイドタイプのドレスは体のシルエットがよくわかる。腰まで流れる長くて美しい金髪、しなやかな容貌はまるで一輪の薔薇のように優雅で美しい。
次に目を奪われたのは瞳だ。
夜の猫のように爛々と輝く瞳に吸い込まれそうになる。
「金髪?」
「噂では黒髪って……」
令嬢たちは騒ぐ。
エラミーはその目を知っていた。目元のほくろも……知っていた。
「シャ……シャーロットさま……!!」
エラミーはだんとテーブルを叩き、そしてそのまま弾かれたように席を立った。走って手を伸ばして抱き着く。
「シャーロットさま!! シャーロットさま!!!」
エラミーはわあわあと泣き叫んだ。
その姿に帝国貴族令嬢は目を丸くした。ライラも驚いた顔をしていたが、シャーロットという名前にようやく気付いた。
「あ、あんたっ!! シャーロット!? 国外追放された癖になんでここにいるのよ!!!」
ライラはわなわなと指を震わせて怒鳴る。
「ライラ、彼女を知っているのかい?」
慌てたリオネルが問いただす。
「その女が、私を騙って聖女と称えられていた偽物です!! 私を陥れたんです!!」
ライラの言葉にご令嬢方がざわめくが、エラミーの一喝で場は静かになった。
「うるさいわねっ!! シャーロットさまが人を陥れるわけないでしょうっ!!! シャーロット様を犯罪者扱いするお前こそ諸悪の根源よ!!!」
エラミーがライラを睨みつける。
「な、なによ!! 私はちゃんと聖石を持ってるのよ!! その女は偽物よ!!」
「聖石? それがどうしたっていうの? そんなものが何の証拠になるというの!! 私はね。魔物に襲われたことがあるの。そのとき、助けて下さったのがシャーロットさまよ。お前なんか知らない!!」
エラミーは叫んだ。
「衛兵!! この女を捕まえて投獄して!! 罪状は……不敬罪よ!!」
そしてエラミーは振り返ってシャロン……シャーロットを見た。
「シャーロットさま。ご安心ください!! 私が守りますから!! シャーロットさまの冤罪を晴らして見せますから!!」
「皇女様。私を覚えてくれていてありがとうございます」
シャーロットは穏やかに微笑んだ。
ライラですら見ほれる美しさだ。
「ですが、今の私はドラヴェンハート公爵の配偶者としてここにおります。あちらはメソニア公太子の婚約者なのでしょう? 礼節は守ってくださいませね」
シャーロットの言葉にエラミーは大人しく頷いた。
その時だ。
手をたたく音がした。
戸口に立つレグラスが、誇らしげな顔で拍手をしていた。
「さすが、シャーロット殿。いや、シャロン殿と言った方がいいかな? あのエラミーをここまで大人しくさせるとは」
「お、お兄様? 視察に行っていたんじゃ」
「お前がシャロン殿を強引に宮殿に誘ったと聞いて引き返してきたんだ。どんな狼藉を働くかと気が気ではなかったが……杞憂だったな」
レグラスは穏やかに笑う。
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。シャロン・ドラヴェンハートでございます」
シャロンは優雅にお辞儀をした。
とてもじゃないが、金貨をねだった人間と同一人物とは思えない。完璧な貴族の女性だ。
「レグラスでいい。ルファスの大事な人である君には名前で呼んでもらいたいからな」
「大事な人……睡眠薬の代わりの間違いでは?」
シャロンが言うと、レグラスはあちゃーっと額に手を当てた。
「まったくあいつは……。はあ……ルファスは不器用なだけなんだ。見捨てないでやってくれ」
「ふふ、レグラスさまは、ルファス様を大事に思ってらっしゃるのですね」
くすっと微笑ましそうにシャロンは笑った。温かみのある顔だ。
その笑顔に、レグラスは納得する。
── なるほど。あいつが惚れるはずだ
「弟みたいに思っているんでね。なので、シャロンも遠慮なく私を頼ってくれ。もっとも、あいつが嫉妬するだろうが」
そこで割って入ってきたのがエラミーだ。
「お兄様はもうシャーロット様……いえ、シャロン様に近寄っちゃダメですよ。惚れちゃうかもしれませんから。才女で勤勉で聖女で美女で。お兄様のタイプでしょ」
「……あれは酒の席で絶対にいなさそうな人物像を挙げただけだぞ」
「シャーロット様はそのものじゃないですか」
「まさか実在するとは思わなかったんだ」
レグラスは苦笑する。
その時だ。
「誰が誰に惚れると?」
低い声が戸口から響いた。
振り返れば、ルファスが不機嫌そうな顔で立っている。
「ルファス兄様! お兄様がシャロンさまを好みだと――」
「エラミー」
レグラスは妹の口をふさぐ。
ルファスは無言でシャロンの隣に立つと、その腰を抱き寄せた。
「シャロンは私の契約相手だ」
敵意丸出しの視線に、レグラスはちょっとからかってみたくなった。
「ほう……ずいぶん独占欲が強いな。俺の知っている契約結婚とは意味が違いそうだ」
「契約を守っているだけだ」
「はいはい」
レグラスは肩をすくめた。
なお、腰を抱かれたシャロンは不思議そうな顔でルファスを見る。
「ルファスさま、お仕事は夜までかかるのでは?」
「終わらせてきた」
「……さすが」
シャロンはふわりと笑う。
ルファスは相変わらず無表情だが、レグラスにはわかる。
── あれは……かなり嬉しがっているな。
愛しい妻に褒められて、嬉しくない男などいない。
耳まで真っ赤にして、これでよく契約結婚などと言える。
レグラスはのどを鳴らして笑い、ルファスに思いっきり睨まれるのだった。
■
お茶会が終わり、客が帰った後、 宮殿の一室で、レグラスはエラミーと向かい合って茶を飲んでいた。
「まさかお前が聖女に会っていたなんて知らなかったぞ」
「お忍びで出かけていたのよ。魔物に襲われたのを助けていただいたの」
エラミーの頬が赤くなる。
「まさに天上の歌声だったわ!! あの声を独り占めできるルファス様羨ましい~」
エラミーはクッションに顔をうずめてもだえる。
あのお茶会、シャロンが場を整えて続行した。エラミーの面目を保つためなのだとすぐわかる。令嬢たちは動揺していたが、シャロンが巧みに話題を回したおかげで楽しいお茶会になった。
そして最後に、シャロンはエラミーにせがまれて一曲だけ歌ってくれた。
魔を封じる歌ではなく、寿ぎの歌。
その歌声の美しさに、聖女だと誰もがわかった。聖石など必要ない。
周囲の視線が一斉にライラへ向く。追い詰められたライラは泣き崩れ、ついに聖石を盗んだことも、シャーロットに罪を着せたことも白状した。
後日、リオネルとライラはメソニア公国に送り返された。また、メソニア公国は大きく信用を失った。元凶の二人にはこれから色んな苦難が待っているだろうが、愛する人が隣にいるんだ。どんな苦労も乗り越えられるだろう。
レグラスの頭痛の種はやっと消えた。
もう、ペンを壊すこともない。
愛用していたペンを再び握れる。
レグラスが解放感にひたっていると、エラミーが聞いてきた。
「それにしても、なぜソフィエラ王国はシャロン様を偽物だと断じたのでしょう。あの歌声ならすぐわかるはずなのに」
「それはな、ソフィエラ王国の愚かな王太子があの歌声を独り占めしようとしたからさ。計画が狂ってシャロンは国を離れ、そしてあの国が滅びた。それだけだ」
ルファスならそんなことはしない。
独占欲は強いが、あいつはシャロンの幸せを願っているから。
そして……シャロンも、あいつを憎からず思っている。
俺やエラミーに対しては、美しい貴族令嬢の仮面をつけていたが、ルファスの前では生き生きとした笑顔だ。
「いつまで契約結婚と言い張れるか見物だな」
くっくっく。
レグラスは二人の顔を思い出して笑う。
愛し、愛される幸せそうな二人。
早く気付けよ。
そうしたら、もっと幸せになれるから。
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