欠片
夢を見るだけでは終わらなかった。
最近のシャルロットは、起きている時にも過去の欠片を見るようになっていた。
最初は本当に些細なことだった。
朝、洗濯物を干している時に白いシーツが風を受けてふわりと揺れた。
その瞬間。
大きな窓、白いレースのカーテン、陽光の差し込む豪華な部屋。
そんな光景が頭の中をよぎる。
「っ……」
シャルロットは思わず動きを止めた。
けれど次の瞬間には消えてしまう。
まるで幻だったかのように、何も掴めない、何も思い出せない。
ただ胸だけがざわついた。
別の日、町で買い物をしていた時。
年配の女性が娘の髪を整えていた。
その姿を見た瞬間、誰かに髪を梳かれている感覚が蘇る。
柔らかな手。
『お嬢様、とてもお似合いです』
聞き覚えのない声。
それなのに胸の奥が痛むほどに懐かしい。
シャルロットは立ち止まった。
「シャルロット?」
隣を歩いていたクルルが不思議そうに振り返る。
慌てて笑う。
「なんでもないわ」
「そうか?」
「ええ」
平気なふりは得意だった。
なぜだか分からないけれど、昔からそうしてきた気がする。
夢も少しずつ変わっていた。
最初は屋敷しか見えなかった。
使用人しか見えなかったけれど、今は違う。
夢の中で歩ける場所が増えている。
長い廊下、大きな庭園、花の咲き誇る温室、煌びやかな舞踏会場。
見たこともないはずなのに、知っている。
どこを曲がれば何があるのかを、不思議なくらい知っている。
まるで本当に暮らしていたように。
そして、相変わらず誰かを探していた。
夢の中の自分は、いつも誰かを見ている。
誰かを待っている。
誰かに手を伸ばしているけれど、顔だけが見えない。
そこだけが霧に包まれている。
だから余計に苦しかった。
ある夜、夢の中で、自分の手に何かが触れた。
大きな手だった。
温かかった。
その瞬間、胸が苦しくなるほど嬉しかった。
幸せだった。
泣きそうになるほど。
けれど、顔は見えない。
暗い部屋で目が覚める。
冷たい空気で、隣には誰もいない。
シャルロットは毛布を握り締めた。
(誰なの……?)
答えは返ってこない。
昼間はいつものように家事をして、いつものように笑って、いつものようにオーウェンと話す。
「最近元気になったな」
オーウェンはそう言った。
「そうかしら?」
「最初の頃よりずっと明るい」
シャルロットは笑う。
「それは二人のおかげよ」
嘘ではなかった。
本当に感謝している。
ここは温かくて、安心できる場所だ。
だからこそ、怖かった。
もし思い出してしまったら。
自分は何者なのだろう。
どんな人間だったのだろう。
今の自分は消えてしまうのだろうか。
この生活を失うのだろうか。
考えるだけで恐ろしかった。
だからシャルロットは黙っていた。
夢のことも、記憶の欠片のことも、誰にも話さなかった。
クルルにも、オーウェンにも、心配をかけたくない。
そう思ったのも本当だけれどそれ以上に、口にしてしまったら、現実になってしまいそうだった。
少しずつ近づいてくる過去。
少しずつ鮮明になる夢。
そして少しずつ大きくなる不安。
シャルロットは笑って何も変わっていないふりをする。
けれど夜になると、また夢が来るのだろう。
忘れたはずの人生が、ゆっくりと手を伸ばしてくるのだろう。
その気配だけが、日に日に濃くなっていた。




