第三十四話 シャルロット
「まずは体調の確認だな」
そう言ったオーウェンは、シャルロットの顔をしばらく見つめた後、どこか考え込むような表情になった。
そして、
「……その前に、一人呼んでくる」
と言い残して部屋を出ていった。
ぱたん、と扉が閉まる。
再び静かになった部屋で、シャルロットはぼんやりと窓の外を眺めた。
青い空。
揺れる木々。
鳥の鳴き声。
穏やかな朝だった。
不思議と心地いい。
自分が誰なのかも分からないのに、なぜか不安は薄かった。
しばらくすると、廊下の向こうから、どたどたどた、と大きな足音が聞こえてきた。
静かなこの場所には似つかわしくない騒々しさだ。
その音はどんどん近づいてくる。
「お、おい! 走るな!」
オーウェンの呆れた声が聞こえた。
次の瞬間。
勢いよく扉が開いた。
「シャルロット!」
柔らかそうな金髪の青年だった。
少し息を切らせている。
慌てて駆けつけたのだろう、青い瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
その顔には、はっきりと安堵が浮かんでいる。
「よかった……」
青年は数歩近づいてくる。
「本当によかった」
その声は震えていた。
まるで、ずっと心配していた人がようやく目を覚ましたみたいに。
シャルロットは青年を見上げた。
そして、先ほどの言葉を思い出す。
――シャルロット。
その名前。
その響き。
不思議と胸にすとんと落ちた。
「シャルロット……」
小さく呟く。
青年が瞬きをした。
「え?」
「私の名前……シャルロット、なんですね」
部屋が静まり返った。
青年の表情が固まる。
後ろに立っていたオーウェンも眉をひそめた。
シャルロットは首を傾げる。
何か変なことを言っただろうか。
「……えっと」
青年が慎重に口を開く。
「自分の名前、覚えてなかったのか?」
「はい」
素直に頷く。
「さっき目が覚めてから考えていたんですけど……思い出せなくて」
青年とオーウェンが顔を見合わせる。
なんだか空気が変わった気がした。
重くなったというか。
緊張したというか。
シャルロットは少し困ってしまう。
「私、何か変なことを言いましたか?」
「いや」
青年はすぐに首を振った。
だが、その笑顔はどこかぎこちない。
「変じゃない」
そう言ってから、
「変じゃないけど……」
と言葉を濁した。
シャルロットはますます首を傾げる。
するとオーウェンが静かに近づいてきた。
「シャルロット」
「はい」
「じゃあ、自分の家は覚えているか?」
「……」
分からない。
「ご家族は?」
分からない。
「王都は?」
「……たぶん聞いたことはあります」
「年齢は?」
「分かりません」
質問されるたびに答えられない。
だんだん申し訳なくなってくる。
やがてオーウェンは小さく息を吐いた。
青年――クルルも額を押さえている。
「……どうしよう」
クルルが呟いた。
だがその声はどこか安心したようでもあった。
少なくとも、シャルロットは生きている。
目を覚ました。
話もできる。
そう思っているような表情だった。
それだけで十分だったのかもしれない。
シャルロットは二人の様子を見比べる。
どちらも初めて見る顔のはずなのに。
なぜだろう。
怖くなかった。
むしろ、この二人といると安心する。
窓から風が吹き込む。
白いカーテンがふわりと揺れた。
新しい朝の光が部屋を満たしている。
シャルロットはその光を見つめながら、静かに微笑んだ。
まだ何も思い出せない。
けれど、ここから何かが始まる気がした。




