第二十六話 知りすぎた女
シャルロットがセシリアを呼び出す3日前_____
皇太子宮の一室は、昼だというのに薄暗かった。
重たいカーテンが閉め切られ、空気は淀み、薬と血の匂いが微かに残っている。
静かだった。
あまりにも静かで、その部屋だけ世界から切り離されているようだった。
シャルロットはベッドの端へ座っていた。
痩せ細った身体。
色を失った金髪。
虚ろな青い瞳。
もう何日まともに眠れていないのか、本人にもわからない。
扉が開く音がした。
ぎぃ、と重たい音。
シャルロットの肩が小さく震える。
入ってきたのは皇太子だった。
まるで空気の悪さにも、部屋の異様さにも気づいていないみたいに、真っ直ぐシャルロットの前まで歩いてくる。
靴音だけが、静かな部屋へ響いた。
そして、皇太子は、ずい、とシャルロットへ顔を近づけた。
「先日の話を覚えているか?」
低い声。
シャルロットは答えない。
反応すら薄い。
その様子を見て、皇太子の口元が歪んだ。
「……セシリアを殺せと言ったことを覚えているか、と聞いているのだ」
冷たい声。
シャルロットの睫毛が小さく震える。
だが、それでも返事はなかった。
次の瞬間。
皇太子の手が伸びる。
髪の隙間から見える耳を、乱暴に掴み上げた。
「っ……!」
鋭い痛み。
シャルロットの身体がびくりと跳ねる。
「返事は?」
「……ぅ、……」
声にならない。
皇太子はその様子を見て、愉快そうに笑った。
「随分大人しくなったな、シャルロット」
耳を掴んだまま、さらに顔を寄せる。
「今から計画を伝えるぞ。一言も聞き漏らすな」
シャルロットはぼんやりと皇太子を見上げる。
逃げられない。
逆らえない。
そのことを、もう身体が覚えてしまっていた。
皇太子は淡々と話し始める。
シッティン家領地の山小屋。
黒い馬車。
セシリアへの手紙。
人気のない山。
ナイフ。
刺し殺せ。
失敗は許さない。
その言葉が、ゆっくりシャルロットの頭へ沈んでいく。
まるで泥みたいに。
「……できません」
掠れた声が漏れた。
皇太子は一瞬黙る。
「なんだ?」
「わた、し……そんな……」
人を殺すなんて。
言葉は最後まで出なかった。
皇太子は静かに笑う。
「今さら善人ぶるな」
その一言で、シャルロットの呼吸が止まった。
「お前はもう十分汚れている」
逃げ場のない声。
「ルカスを裏切り、セシリアを陥れ、散々醜く足掻いてきた」
耳元で囁かれる。
「今さら何を怖がる?」
シャルロットの瞳が揺れる。
違う。
違う。
そんなつもりじゃなかった。
ただ。
少しだけ。
助けてほしかっただけなのに。
でも。
もう誰も、そんな言葉を信じてくれない。
皇太子はシャルロットの顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「失敗するなよ」
青白い顔へ、冷たい笑みが落ちた。
「次は本当に壊す」
その言葉に、シャルロットは小さく震えた。
もう、十分壊れているのに。
それでも皇太子は、まだ壊し足りないらしかった。
その後。
皇太子は別室へ移動していた。
豪奢な部屋。
先程までの淀んだ空気とは違い、香の匂いが漂っている。
側近が静かに頭を下げた。
「殿下」
皇太子は窓辺へ立ちながら、
退屈そうに口を開く。
「シャルロット・シッティンを始末する」
側近の表情は変わらない。
「山小屋へ暗殺者を送り込め」
淡々とした命令。
「セシリアの暗殺が成功しようが失敗しようが、シャルロットは殺し切るんだ」
皇太子は薄く笑った。
「あいつは知りすぎた」
その笑みは、ぞっとするほど冷たかった。
まるで、壊れた玩具を捨てる時みたいに。
側近は静かに頭を垂れる。
「……承知しました」
皇太子は満足そうに目を細めた。
誰も、シャルロットが生き残る未来なんて、考えていなかった。




