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日暮れ前。才蔵は武田の者と共に、最終物資を運び出城へ入った。
「此方にて織田を迎え撃つべく、と追加をお運び申した。それでは此れにて」
荷車を押して来た使者が、挨拶もそこそこに踵を返す様子に城詰めの者たちは首を傾げ、互いに顔を見合わせた。
才蔵はおどおどと視線を彷徨わせる家臣の一人を見つけると、帰る振りをしながら静かに近づく。
「これは真田の」
「此処は捨て城。既に逃げ道の先は埋め立てられておりました」
「っ…つ、つまり我らは囮として死ね、と……」
見知った才蔵の言葉に、男は声を潜めてガタガタと震える。才蔵は肯定も否定もせず、ただ男を見詰めた。
夜。才蔵は城内に身を潜め、印を結ぶ。室内に突如霧が蠢き、蝋燭の炎が揺れる。
「もう駄目だ。やはり我らは見捨てられたのだ」
室内では昼間、才蔵から声を掛けられた男の落胆振りを数人の男達が励ますよう取り囲んでいた。
「そのようなことはない。現実を見よ。今日も荷は届いたであろう?」
「だが…」
「ならば荷を確認いたそう」
不安を抱く男達は、君主を見限る勇気もなく、荷車に群がる。蝋燭の灯りが揺れる廊下の曲がり角で声を掛け合い、城内に残る半数ほどが荷車の回りを囲む。
「これは…」
「なんと……」
敷き藁を剥ぐと、灯りに照らされたのは食料でも火薬でもなく、藁の束だった。男達は絶望に蒼褪め、その場に膝から崩れ落ち、室内に重苦しい悲愴感が漂った。
「後で火でも点ける用だったりしてー?」
「っ、何者だっ……?!」
「すすす、がたを見せろっ」
この雰囲気に沿わない軽口にどよめく男達。見せろと言われればと男の影から佐助はスイと姿を現す。
「あん時は、どーも。……で、アンタだろ?我が主の陰口言い回ってたの」
「お、おお前は死に損ないの忍っ」
男の声に軽く会釈する佐助は額の傷を見せた。その傷に心当たりがある男が蒼褪める。佐助はわざと口を塞がずに男の喉を切った。
「これで陰口も言えなくなった、っと」
佐助はとどめを刺さず、崩れ落ち痙攣する男を一瞥する。
「ひ、ひぃぃ……ち、血が」
「く、曲者っ!曲者だーっ謀反、グ」
その場にへたり込む者、逃げ出す者で騒然とする城内に才蔵は眉間に皺を寄せた。遠くで「謀反だ」と叫ぶ声に佐助は肩を竦める。
「謀反など、我が主にそぐわぬ」
男の背に突き刺さった棒手裏剣を引き抜いた才蔵は不名誉な言葉だと、溜め息混じりに呟いた。
「ちょいと一つ、いー?」
「ひ、ひぃぃ!ど、どこから?!」
闇に溶けた佐助は、廊下を走りながら叫ぶ男の影から姿を現し薄く笑む。突然の声に、男は顔面蒼白で刀を振り回した。
「どこって、そりゃあ忍だし?どっからでも?」
「くっ、来るなっ!来るなーっ!」
驚いた男は腰を抜かしながら後退り、佐助はヘラヘラと笑いながらゆっくり歩き、廊下の隅へ追い詰められた男の前に屈む。
「あのさぁ?我が主は謀反なんざ絶対しない、まぁーっ直ぐな御仁なの。ま、あの世があったら語っといてよ」
話しながら血飛沫を腕で拭った佐助は、笑みを崩すことなく目を見開いたままの男の口から手を離した。
「さぁてっと」
城内を見渡した佐助は才蔵一人で十分と判断すると、町人の姿に変えて捕らわれた振りで長屋の顔見知りと合流し、城から抜け出した。
翌日。夜が白む頃、無事に戻った佐助達は長屋の前で待つ女房達に出迎えられ、それぞれの家へ。
「帰宅早々女房倒れさせたってのに、仕事かい?」
「休んじまった分おっつかねぇと」
隣人の滝に嫌味を言われながらも、嫁を預かってもらい家に戻った佐助は、先に招き入れていた侍姿の才蔵に湯呑みを差し出す。
「次は、上杉……織田……もしくは徳川かねぇ?まぁ、俺らが決めることじゃねぇけど」
「いずれにせよ、先に動く者が勝つ」
才蔵が広げた地図を指でなぞる。信濃・甲斐・美濃、そして京へ続く街道。その一本一本が血の道に変わっていた。
「鎌之助は引き続き織田方だっけ?」
「足止め……若しくは攪乱だが」
「アイツ一人でやれんのかねぇ」
佐助の問いに才蔵は、事前に必ず報告するよう念を押した文を送ったことを思い出し、頷いた。
同じ頃、織田信長の命により滅亡寸前の武田領を掃討する軍勢が列を成し、敵地へ進む。鎌之助も男姿で槍を持ち、二本差しの甲冑姿で滝川一益の陣に加わっていた。
「次は信濃だとよ」
「このまま留まらねぇのかよ」
「滝川様の力量あらばよ」
進むも退くも滝川と称される程、攻守両面で優れた実力を持つ男の元で刀を振るえることは誉れと話す男達を横目に鎌之助はその場に仰向ける。
「忠義なんざ、死んだら終いじゃあねぇか」
焚火に照らされた鎌之助は、甲冑姿の兵達を横目に、静かに目を細める。織田は武田を滅ぼした後、信濃へ進む算段を立てていた。次に狩られるは真田だ。
「悲観すんじゃねぇ。滝川様に着いてきゃ安泰だ」
呟きを拾ったのか同じく甲冑に身を包んだ男が鎌之助を振り向く。
「そんなもんかね」
「そんな不安ならお前も飲めよ」
酒を勧める男をやんわり断った鎌之助は焚火が眩しいと、腕を枕に横向きになり目を閉じた。
夜更け。身を起こした鎌之助は寝そべる兵達を跨ぎながら、火番に聞かれれば「小便」と返答し歩き続ける。
「築城したってぇ主が弱きゃあ…脆いもんだねぇ」
昨年建てられた城。その周辺の防御の要であった支城が次々に陥落する中、真田は主家・武田が風前の灯と知りつつも、最後の忠義を貫いていた。
「けんど、まぁ旦那は首をくれるってぇんだから、奪われちゃ面白くねぇしな」
陣を離れた鎌之助は、木の枝に座り暫く遠くの城を眺めた後で、周辺の火薬壺や敵を確認する。
風、三方より吹き荒れし
鎌之助がその場を去ると、蜘蛛が糸を切り、風に舞った。
武田が新府城に自ら火を放ったのは早朝。それを合図と織田勢力は次々と攻めいった。
「燃え盛る火に血の臭いたぁ……地獄ってぇなぁこんなんなのかねぇ」
悲鳴を上げ逃げ惑う無抵抗の民。目を見開いたまま地に伏す老女の下には赤黒い血溜まり。泣き叫ぶ声。
「変わった野郎だなぁ。そんなことより早く行かねぇと、何も残らねぇぞ?」
鎌之助の呟きに兵達は笑いながら戦利品をと略奪を行い進軍した。
「まだ此方にも人が居たぞー」
燃え盛る村から飛び出し、刀で面白半分に追い立てられる人影と続く笑い声。鎌之助は溜息を漏らしつつ後に続き、略奪する先々で火薬壺の残数を確かめた。
「振る舞い酒が来たぞー」
「もっと生きてる女ぁ居なかったのか?」
夜。織田陣営は勝鬨に酔い、乱れた酒盛りは遅くまで続く。鎌之助は静かに酔い潰れた兵の口を押さえ喉を裂き、地図を奪うと次の集団へ移動した。
「あぁもぅ何だってぇ……数が多いのかねぇ」
夜は冷たい風が頬を打つ。鎌之助は未だ燃える城を振り返り、信濃への符牒を送った。
風、全て無にし北へ
「ほぉれごらんな。綺麗だろぉ?炎にゃ敵も味方も無ぇのさね」
深夜、炎に包まれた織田の陣営。逃げ惑う兵の中、鎌之助は甲冑を脱ぎ捨て楽し気に鎌を振るう。血飛沫が月光に映え、花弁のように散った。
「……アイツ面倒臭くて火ぃ放ったな。才蔵、不機嫌になんだろうなぁ」
甲府各地に火が放たれ、勝頼は天目山へ追い詰められた頃。
風受け滅、追て多分鎌は無事
佐助からの、敵味方共に火に巻かれた事実と追伸に才蔵は深く溜息を吐いた。
風、止む
遅れて届いた鎌之助の符牒に、才蔵は甲冑姿で陣幕の奥に座る源次郎の元へ姿を現す。
「武田が最後の城、落城と」
「さようか」
武田の旗が倒れた。才蔵の言葉に、源次郎は炎の向こうに燃え落ちる山を見つめ、静かに呟いた。
天正十年春。一旦は東に逃げた武田勝頼は、天目山にて自刃。甲斐は織田の手に落ち、信濃の山々にも戦火の煙が漂う。
春の雪が溶ければ、水は赤黒い色から澄んだ色に変わる。遅咲きの梅の花びらが舞い、陽光に映えて紅が水面に鮮やかに色を添える。
「あ、これ見舞いだってよ。俺の嫁さんから」
声と共に締まりの無い顔で現れた佐助が風呂敷包みを才蔵の枕元に置くと、才蔵はゆっくり起き上がる。
「我が主の屋敷は無事。で、真田も存続。上手く行ったってこったよな」
最後まで武田に忠義を尽くした真田領の被害は意外と少なかった。進行していた滝川一益は、そのまま織田方の代官として上野・信濃を支配し、真田家は上田の地を安堵された。
「戦の後の静けさ、かぁ」
源次郎の屋敷奥庭に、ひらひらと桜の花びらが舞う。開け放った襖から外を見ていた佐助は、薄紅を掌で包み呟いた。
そこへ、血の臭いを纏った鎌之助が戻る。
「なぁ、仕事復帰のお祝いってぇのにゃ間に合ったかい?」
「……主催が居ねぇからまだ始まってねぇけど、お前血塗れじゃねぇかよ」
佐助が顔を顰めると、鎌之助は肩を竦めた。
「織田の馴染みに最後の挨拶してきたんだぁよ。アタシャやられっぱなしは嫌いなんでね」
「落としてこい」
折角治りかけた傷口広げて何やってんだよと佐助は眉を下げ、才蔵は溜息混じりに井戸の方を指す。
「そぉいや今度は織田だろぉ?」
「何処に居ようと俺らは我が主と共に、だ」
褌一つ、ほぼ裸体の鎌之助が戻ってくると才蔵は眉間の皺を深め、手近にあった忍衣を言葉と共に投げた。
「お前さぁ。何度も着替える程、衣なんざ無ぇんだから先に拭けって」
濡れた肌に衣を羽織ろうとする鎌之助を見た佐助は、水も血も拭けよと懐の手拭いを同じく投げた。
「なぁ、ほれ…湯上がりの風、アタシにもしとくれぇな」
嫌そうな才蔵に鎌之助はニタリと笑い、女の姿に変わる。
「あーあ。皆が集まる宴も始まるってぇのに、ずぶ濡れの女に酷い仕打ちだよ」
見せつけるような鎌之助の仕草に、才蔵は苛立ちと強風を放った。
「風で水気がぜぇんぶ飛ぶのは便利だけんど、他のもんまで飛んじまわぁね」
「ほら、さっさと肌しまえってば」
乱れた髪を掻き上げ、呑気な鎌之助に佐助は拾った衣を投げ渡す。
「……忍衣着てる限り、どこ行ったって地獄にゃ変わりねぇんかねぇ」
各地の踏み荒らされた土の上には無数の朽ちた肉塊。重なった者達は名を残すこともなく、乱世の中で懸命に生き、消える。
「地獄、か」
足の骨がつくまでは寝床に居るよう告げられている才蔵は、突っ張る皮をそっとさすり光る何かに顔を上げた。
「そんじゃまぁ、宴が終わったら次の地獄を覗きに行くとするかね」
何度払っても紡がれる蜘蛛の糸のように戦は繰り返され、野山は焼かれる。
が、黒ずんでいた山肌は暖かさを増す日差しとともに新緑に覆われていき、新しく芽吹けば獣達は戻り、やはり同じように新たに命を紡ぎ、繰り返す。
佐助の声が春の風に紛れた。




