1
――乱世と呼ばれる、戦が絶えぬ国の話
この地には黒霧と呼ばれる瘴気に覆われた土地があり、その黒霧に耐性の強い魔獣と獣、共通の言語を話す獣族と人族が住んでいた
狩られる側の獣族と人族は安全な地を求め戦い、結束する。その中心に勇将がおり、皆を纏めることでそれぞれ国を築く
国主と呼ばれる一族に仕える大名、付随する武家、足軽。僧侶、商人、町人、農民。生活は階層ごとに分けられ、最底辺、畜生にも劣ると蔑まれるのが忍である
『白紙で読めなかったでしょ、ちょっと手違いで、え?もう読んじゃってた?読めたの?……これ、忍のお話しなんだけど』
突如現れた人物は読めたのかと顔を覗き込む。
『え?忍は語らず、残さずだって?ああ、まぁそうなんだけど』
考え込むように呟く声は続ける。
『どれだけ忍が必死に痕を消しても、この帳場じゃ全部記録されるんだよ。んー、興味あるみたいだし。読めたんなら関係者?なのか?……まぁいっか。じゃ、続きをどうぞ』
――天井隅にいつの間にか張られた蜘蛛の巣が冷気に微震え、蝋燭の灯りを静かに光をうつす薄暗い室内。
「……やはり武田は長くはもちませぬ。織田が猛攻をかけるとのこと」
灯りが静かに揺らぐ。静かに現れた真田源次郎信繁に仕える忍装束の男は、上役への報告を終えると再び姿を消す。
「だよねぇ。うちの長屋でも「負け戦」なんて噂が流れてる」
若夫婦と偽り長屋に潜む、真田忍の長・佐助は広げられた地図を見ながら近隣の戦は周知の事実と告げた。
「先代より武田へ仕えし重鎮方も多くは離反済みと」
現在真田家の家臣とし武田陣へ出向いている才蔵が、地図の上から味方に見立てた小石を取り除いて行く。
「旦那んとこは真田の外れだけんど、此処とこっちだろ?それと……」
自分達の主・源次郎の屋敷は真田領の端の山側。それを確認し、間諜として敵方・織田に属している鎌之助が黒い石を地図に置く。
「これじゃあアンタ……折角真田に戻ったってぇのに難儀だねぇ」
源次郎は真田家当主・昌幸の次男。真田家は武田家に与し先の大戦で武田家当主・勝頼の承認で真田へ復姓し家督を継いだ。
それもあるのか真田に離反の動きはない。直接主の屋敷に被害がなければ良いと佐助は更新された地図を見る。
「俺達の主は武田じゃねぇから、そっちがどーなろーと別に構わねぇんだけど、」
言葉を切り、佐助はコンと音をたて、城に見立て地図上に置いた木片を弾いた。
「ここ、落としちまおうと思うんだけど」
「落とすったってアンタ、ここは武田の出城だろ? 旦那の家が従ってるとこに、なんで戦吹っ掛けに出張るんだい?」
鎌之助が呆れた声を出す。才蔵は木片を元に戻し、その裏手に指を置いた。
「城の裏手、森一帯は我が主の領地。この城の普請に国を越えて民を集めているは確かか」
城の裏手の森を抜ければ、山沿いに忍達の主の領地が続く。才蔵の確認に佐助は頷いた。
「そ。俺も城の外側の溝を掘らされててさ。今日は強制連行されたし、結構余裕は無ぇみてぇ」
冬の間、仕事のない民にとって城普請は大事な臨時収入源。慣れが出た頃、堀増築と称して“抜け穴”を掘らされ、終わり次第関わった者を屠る計画があると佐助は続けた。
「我が主の民が殺されるとなれば……損失ってこったろ?」
「抜け穴掘るんなら腕に覚えがある熟練だろ?そりゃ居なくなりゃ痛手だろぉねぇ」
鎌之助は天井から糸を垂らし手元に降りてきた蜘蛛を指先に乗せながら言葉を続ける。
「織田は弱った武田一本で斬り込み回っちゃいるが、この城は他の要所から随分離れてるからねぇ。行くのはまだ先みてぇだよ」
鎌之助は筆を取ると織田軍の進路を地図に記し始めた。
「織田が来ぬとなれば進軍に見せかけるのは難しい……抜け道完成までの猶予は?」
「無ぇ。既に勘づいた奴が消されてるみてぇだけど」
「なれば早急に、……内乱か」
才蔵の呟きに佐助は頷く。そして鎌之助の書き込みに目を細めた。
「なぁ、これ……我が主狙いじゃねぇ? この道」
拠点でもなんでもない、どちらかといえば制圧後に余力があれば抑える程度の主の屋敷に何故?と佐助は怪訝な顔を鎌之助に向ける。
「そりゃ別口で旦那んとこの宝をねらってんだぁよ。掠め取るのに戦は好機だろ?」
「……宝ねぇ」
佐助の目が細くなる。才蔵は眉を寄せ、余計なことをと鎌之助を見た。
「手に掛けられる前に我が主の民を奪還する。手筈は内乱と見せる、で良いな」
才蔵は淡々と指示を述べ、鎌之助は佐助の表情にニタリと笑う。
「そんじゃあ、城壊して民の奪還。それと、我が主んとこにお越しいただいたのは、黒霧にでもご案内しよっかね」
単軍ならば屋敷に居る者で足りるだろうに仕事を増やすなと才蔵は内心思うも、佐助の纏う気に言葉を飲み込む。
「そんじゃ武田側に居る才蔵と、織田に潜ってるアタシが裏切るわけだ。黒霧で裏切り……上手いこと言うねぇ長」
「ほんとだ、綺麗にまとまったな」
才蔵の代わりに口を開いた鎌之助の軽口に笑い返す佐助。才蔵は眉間の皺を深めると、覆面からは静かに重い息が漏れた。
その夜。真田領の外れ。
北から甲斐へ直接向かわず山沿いに進む数百の兵達は、霧が濃くなる山道に不安気に様子を伺う。
「こんな霧が濃けりゃ……足許も覚束無ぇな」
霧が徐々に濃くなるにつれ兵達の歩幅は小さくなる。
「な、なんだ!?毒か!?」
「違う……っ、霧だ!」
「霧?黒霧か?魔物か!?撤退だ―!」
胸まで立ち上る霧が、あっという間に兵の視界を奪った。視界の消えた前線で、兵達は互いにぶつかりながら叫び、恐怖に取り憑かれる。
「ひ、ひぃっ……」
叫び声が雪の山道に反響する。足を滑らせ、仲間の上に倒れる者。霧の中で方向を失い、斜面を転げ落ちる者。兵は逃げ惑い、互いの悲鳴に包まれ絶望の渦に巻き込まれた。
「落ち着け!列を乱すなっ!」
「……霧一つで壊滅ってわけにゃいかねぇか」
少し離れた北側の山道。少し離れた枝の上で巧みに霧を操る才蔵と、下の道で立て直しかけた隊列を見ていた佐助は静かに得物を構える。
「そんじゃあ次は俺の出番っと」
佐助は霧の隙間から見える列の数ヵ所に棒手裏剣を打つ。
「ギャー」
「痛でえーっ!」
白い雪は血で赤く染まり、叫ぶ兵の声が混乱の中で仲間とぶつかり、倒れる音と雪に落ちる血の音と入り混じる。
「ぎゃあぁっ! くそ、助けてくれぇっ!」
恐怖に身を震わせ、霧に覆われた斜面から落下する者。木の枝に引っかかり、かろうじて命を繋ぐ者。雪に転がる血の匂いが、逃げ惑う者の恐怖心を増幅させる。
「……やり過ぎだ」
佐助は才蔵の言葉を無視し棒手裏剣を打ち続け、わざと急所を外し動ける様な軽い痛みを加える。混乱と恐怖を煽る佐助の様子に、才蔵は溜息を漏らした。
「そ? 我が主の宝狙ったんだから、そりゃあ死ぬ程悔いてもらわねぇと」
逃げ惑う兵士たちの悲鳴が黒霧の中で反響する中、佐助はヘラリと笑う。後続は前の混乱に巻き込まれ、人を押し退け踏み潰し逃げる者も出始めた。
「逃がすのかい?」
「んなわきゃねぇだろ?全員ごあんなーい」
少し離れた枝に屈んでいた鎌之助の問いに生かす積りはない佐助が薄く笑うと、鎌之助は肩に担いでいた大鎌を振り上げ楽しそうに落下した。
「なんだ?!獣っ」
「ぎゃあああー」
見回していた首が勢い良く飛び上がった。月光に赤く煌めく刃が、霧の中で悲鳴を斬り裂く。
「ひ、ひぃぃぃっ!殺されるーっ!」
鎌の刃は弧を描き、血が月光にきらめく。血の臭いと叫び声に森の奥から獣が呻く。収束の大変さを考える才蔵の眉間の皺が更に深まり、長く息が漏れた。
「……ちっとやり過ぎかも。鎌ーっ、そろそろ撤退しねぇとお前まで喰われるぞー」
佐助は集まりすぎた気配に眉を下げると、才蔵に訂正し鎌之助に声をかけた。
「ん?おい、なんか黒霧近くねぇ?」
絶叫が止み、代わりに響く獣の咀嚼音に混じって微かな違和感に佐助は才蔵を見る。
頷いた才蔵は静かに全体の動きを監視する。逃げ場を失った兵の絶望、腹を満たし次の獲物を求める獣と、更なる強い瘴気を纏う魔獣に追い立てられる獣の戸惑い。
《来るぞ》
「うわぁぁぁ! なんだこりゃああっ!」
「獣の大群だーっ魔じゅぐああぁぁぁ」
《ありゃあ……やっぱやり過ぎたみてぇ》
才蔵の落ち着いた忍言葉に続くようなしたの絶叫。佐助はカリカリと指先で頬をかき、状況に乾いた笑いを発した。
「見らば分かる」
声と共に漏れた才蔵の溜息に、佐助は苦無を取り出すと軽く枝を蹴った。才蔵は両目を瞑り、更なる混乱を招く前にと顔を覆う布を外し黒霧の這い出る山へ跳んだ。
空が白む。血に染まった山道の霧が徐々に退く。佐助は苦無を振り血を払い、眩しさに目を細めた。
「獣は苦手だねぇ」
柄の長い大鎌では俊敏な獣は仕留めにくいと鎌之助は溜息を漏らす。
「ならば自重しろ」
無駄に獣を寄せたのはお前だと才蔵の声は冷たい。
「まぁ黒霧が近ぇし、そのうち魔物が喰ってくれんだろ?ってことで討伐完了。そんじゃ俺、お先ぃ」
朽ちた肉片を前にヘラりと笑みを浮かべた佐助は、日が昇りきる前に長屋へ戻るべく血を洗うからと二人に片手を軽く上げ闇に溶けた。
誤字修正いたしました。ありがとうございます




