古傷
[登場人物]
富野瑛亮(18)高校三年生
三家蒼太(19)高校四年生
二年が経った。自分と薫は三年生になって、三家先輩や流樹先輩たちは四年生になった。この学校は四年間で必要単位を取得するひとが大半だった。それでも、中には三年間で単位を取得して卒業するひともいて、玲那先輩はそれで今年の三月に卒業し、今は美容師を目指して専門学校に通っている。流樹先輩は生徒会長になっていて、国立大を目指しているそうだった。三家先輩は、四年生になってから積極的に学校へ来ていたが、薫はその逆で、あと一年もあれば余裕で残りの単位を取得できるらしく、最近は顔を合わせることが少なくなっていた。
それから、後輩ができた。自分が二年になったとき、三家先輩の弟の良樹くんが入学して、三年になったときには、その弟の逸樹くんが入学した。二人とも目元の雰囲気が三家先輩によく似ていたけれど、控えめで大人しく、性格は三家先輩とは真逆だったのが印象的だった。自分が一年のとき、先輩方によくしてもらったように、後輩の良樹くんと逸樹くんには、授業で顔を合わせるたび積極的に挨拶をした。そのたびに、二人は笑顔を見せてくれた。
学校以外のことで言えば、自分の家の最寄り駅から二駅行ったところにある小さな町工場で、アルバイトを続けている。一年の冬から始めて、今でちょうど三年目。仕事内容は指示された作業をひたすらやるのが基本で、その指示以外には人との関わりが無いなかでやれるのが、自分にはとても合っていた。工場の社長さんも優しいひとで、学生のアルバイトでこんなに長く続けてくれた子はなかなかいない、と喜んでくれる。社員さんが言うには、重い荷物を運んだりする重労働や、軍手をしていても染み込んでくる油で、手が汚れるのを嫌がる若いひとが多いらしかった。自分はそんなことが気にならないほど、この環境に心底満足していた。単調な作業をしているだけで、助かったと感謝され、働いた時間の分だけ給料がもらえる。それだけでもありがたいのに、体力がついてきたのか、いつも夏の終わりに体調を崩すのも、段々と軽く済むようになっていた。
その日、三家先輩と同じ授業を受けたあと、いつものようにコンビニでカップ麺とおにぎりを買って、二人で昼食をとった。
「最近バイトどう?」
三家先輩はカップ麺を食べながら、そう訊いた。
「続けてます。力仕事も多いですけど、おかげで体力ついてきました。」
「そっかー、頑張ってんなー。」
先輩は自分のことでもないのに、嬉しそうに笑う。
「先輩がおじいさんの喫茶店を手伝ってみないかって言ってくれたからです。それがきっかけで、バイトを始めてみようって思えたので。」
「俺は声かけただけだよ。」
「先輩は、高校入ってすぐからバイト始めたんですか?」
「あー、俺?俺はー……中二からやってる。アルバイトっていうか、まぁ、新聞配達だけど。」
先輩は困った顔で笑ってから、珍しく答えづらそうに言った。
「えっ。中二からですか?すごいですね。」
「すごくないよ。うちが貧乏だっただけ。」
先輩はおにぎりを一口で半分くらいかじって、話を続ける。
「うちの家訓さ、自分のことは自分でやるっていうのなんだけど。それって身の回りのことだけじゃなくて、飯も入ってて。親は二人とも朝から晩まで働いてて居ないから、家にいるひとが飯用意すんの。んで、一時期ね、夕飯が兄妹四人で、もやし二袋を調味料で炒めたやつに、ごはん一合を四等分したりとかでさ。俺、妹と弟がお腹空いたって言ってんのが可哀想になっちゃって。何とかしなきゃって、新聞配達始めたんだ。」
「へぇ……すごい。俺には兄弟もいないし、真似できないです。」
今の明るい先輩から、そんな過去は想像できなかった。同時に、その苦労に比べたら、自分はなんて恵まれた環境で、楽に過ごして来てしまったんだろう、と罪悪感を感じた。俯いている自分に、先輩は明るい声で言う。
「意外とさ、弟や妹のためって、自分だけのためより頑張れるんだよ。不思議と。」
「そうなんですか?」
「うん!その頃はもう、一番上の兄貴は一人暮らししてて、二番目の姉ちゃんは高専で寮入ってたからさ。姉ちゃんは学年一位とかのレベルで成績良くて、親が、将来への投資?っていうか。その高専行けば、大手企業入れるのほぼ確実だからって、乗り気で学費を出したんだけど。」
先輩はふうっと一つ息を吐く。俯いたときに一瞬だけ見えた表情は、いつも明るい三家先輩に影を落としていた。
「なんか……良くない言い方するとさ、そのしわ寄せが、俺らに来ちゃったっていうか。姉ちゃんだって、親だって、誰も悪くないことなんて分かってんの。だけどさ、正直俺、あの時期はしんどかった。」
「そう、だったんですね……。」
「俺ひとりだったら、新聞配達すぐ辞めてたよ。俺がやってたのは夕刊でさ、たまに部活帰りのやつとかとすれ違うんだ。それで一回、そいつらに家まで後つけられたんだけど……うちの家、築何十年も経ってて、すげーボロくてさ。それを見たやつがクラスで俺をいじんの。中学生で働かなきゃいけないくらい貧乏で、ボロい家に住んでる三家、略してボロ家ってさ。」
「え……酷いですね。」
先輩は困ったように笑う。その笑顔は、乗り越えた明るさなのか、感情を押し込んで出てきているものなのか、自分には分からなかった。
「うーん、まあね。でも所詮そいつらも中学生で、まだ子供だもんな。しょうがない。俺もそのとき、笑って返しちゃったのが良くなかったんだと思うけど、自然とそれがあだ名になって、馴染んじゃってからは、悪意を持ってそのあだ名で呼ぶやつは、一人も居なかったと思う。それでも俺は、傷ついてた。」
「そうですよね……。」
「俺もさ、自業自得かー、って思ってたよ。でも、なんなんだろうなこの傷ついてる感じ、とも思ってて、流樹に話したらさ、こんな言葉を教えてくれた。りはめより百倍恐ろしいって。」
「りはめ……?」
「そう。いじめより、いじりのほうが恐いんだって。端から見たら、されてる側が嫌がってるのか分からなくて、大人に気づかれにくいから。場合によっては、してる側に、これっぽっちの罪悪感もないことだってあるからさ。」
背中を冷たい刃で刺されたような感覚だった。ひとが傷ついているという事実が表面化していない状況は、自分が葛西にしていたことと重なった。自分はこれっぽっちの罪悪感も無く、葛西が嫌がっているとも気づかないで、顔を合わせるたび、自分は彼を追い詰めていた。心のどこかに密かに灯っていた、葛西は自分のせいで死んだのではないかもしれないという、小さな希望は、その言葉によって綺麗に打ち砕かれた。
[次回更新]3月6日 金曜日 23時予定




