気付き
[登場人物]
富野瑛亮(16)高校一年生
小和瀬薫(16)高校一年生
三家繁里(88)蒼太の祖父
岡本時国(87)
二時間くらい話をしてから、別れ惜しそうに岡本さんはお会計をした。最後に「頻繁には来れないけど、また必ず来る」と何度も言って、杖をつきながら、店を出て行く。マスターは見送りの後、こちらに向かって「悪いねぇ」と言った。
「旧友に会って、どうも懐かしくてね。」
「あの……。戦争って、どんな感じ、でしたか?」
会話を聞いていたときは、踏み入らないでいようと思っていたのに、恐る恐る訊いてしまう。そこには、純粋に「知りたい」気持ちと、自分の考えが「間違っている」と否定され正されて、傷ついた自分もろとも、無くなってしまえばいいという、破滅的な気持ちがあった。
「あんなのは、二度と起こしちゃあいけないものだった。誰も得をしない。命の無駄遣い。」
「……そのころは、本当に誰も、死にたくはなかったんですか?」
マスターは眉の間にしわを寄せて「うーん」と考える。
「そりゃあ、生きていたいひとが多かっただろうが。お国のためなら死んだっていいと、本気で思っていたひとも、いたのかもしれないね。せっかく生きて帰って来られたのに、自ら死ぬのを選んだひともいたらしい。世の中で戦争が終わっても、そのひとの心の中では、いつまでも終わらなかったんだろうな。」
マスターは、自分が想像したような頭ごなしの説教をしなかった。正しい考えには必ず答えがあって、それ以外の考えは、ぜんぶ間違っていると突き放すのが、大人だと勘違いしていた。
「マスターの中で、戦争は終わりましたか?」
「どうだろうなぁ。私は、国のためだと自分を騙して、敵の兵を撃った。人を殺したんだ。彼らには何の罪もない。私は死んでも、嫁と同じ天国へは行けないだろうからなぁ。」
マスターの言葉は、自分に大きな衝撃を与えた。こんなにも温厚で、優しい喫茶店のマスターに、その手で人を殺した過去があることを、受け止めきれなかった。
「ははは。しんみりさせてしまったね。過去にしようにも、自分がこうして生きてる限り、そうはできなくてな。さぁ、もう閉店の時間をとっくに過ぎてる。富野くんも帰りなさい。」
「……はい。」
帰り際、また同じ額の給料をもらってしまって、申し訳なくなった。
マスターは、戦争で殺した相手のことを、ずっと抱えて今も生きている。そして、それはきっと死ぬまで続く。だとすれば自分も同じこと。葛西を、簡単には過去にできないことに安心しながら、同時にそれが、永遠に続く果てしない罪悪感であると確定した。抱えて生きていくことなど、とっくに受け入れたはずなのに、心は重く苦しかった。
夏の暑さもやわらぎ、部屋の窓から見える木の葉には、色が変わってきたのも見える。それらが伝えるのは、葛西の誕生日が近いということ。
「誕生日、何が欲しい?」
引き出しの中に一緒に入った、茶封筒が目に入って、そう言った。もちろん、答えなんて返ってこないから、虚しくなって引き出しを閉める。いつものように鍵をポケットに入れて、家を出た。
久々のスクーリングで少し緊張していたが、薫と顔を合わせたら、そんな緊張はすぐにほぐれた。一緒に授業を受けて、休み時間に気になっていたことを訊く。
「薫って、何のバイトしてるの?」
「飲食店。それがどうかした?」
「うん。今、バイト探してて。」
薫は怪訝な顔をする。
「えっ、どした?瑛亮って、全然物欲無かったじゃん。まさか、僕と会わない間に彼女でもできた?抜け駆け許さないんだけど。」
「いや……できてない。自分に自信ないから、バイトして、社会に出たら少しはよくなるかなって、思ってるだけ。」
薫の表情は安堵に変わる。「ああー」と言って納得しかけるが、再び怪訝な顔をする。
「え、バイト先の出会いを期待してる?抜け駆け許さないよ。」
「……してないよ。俺、そういうのできないから。」
「はぁ?瑛亮ってさ、恋愛に興味無い俺、かっこいい、みたいなゾーン入ってない?全然かっこよくないよ?」
今の薫は、この手の話に敏感になっているのだろうか。薫の「ああ言えばこう言う」モードが加速している。
「そんなことない。……ちゃんと居るよ、好きなひと。」
薫の顔がパッと輝く。その一方で、言ってしまったことを後悔する。ひとに話すのは初めてだった。
「え!誰?僕の知ってるひと?ねぇ、誰にも言わないから僕にだけ教えて。」
大きな瞳を輝かせて、薫はこちらに寄ってくる。逃げられなくなって、腹を括った。
「いや、中学の同級生。……でももう会えない。死んじゃったから。」
「え……。ごめん、なんか。あ……ほんとにごめん。」
戸惑い、申し訳なさそうにする薫を見て、慌てて謝る。
「ごめん。誰かに話すの初めてで、どこまで言っていいのか、分かんなかった。気にしないで。」
薫は首を横に振る。
「でも。さっきみたいに訊かれて、真っ直ぐ好きなひとって言えるの、すごいと思う。」
「そうかな……。過去にしたくないだけだよ、自分が。あのときのまま、変わらないでいたいだけ。」
「そっか……。」
ポケット中で、鍵を握りしめる。どうすれば一番、葛西を思っていることになるのか、そのことが何週間もずっと、頭から離れないでいた。
「でも。変わってる気がする。不可抗力って、感じだけど。バイト探してても、いつも途中でやめちゃう。なんか、俺だけが生きるの続けてて、ごめんって。生きるって、こんなに色んなこと経験しなくちゃいけなくて、どんどん、俺だけが変わってく気がする。」
「変なの。」
薫は、溜め息混じりにそう言った。
「えっ?」
「だって。色んなこと、代わりに経験すればいいのに。だってその子は、今でも瑛亮の心の中にいるんでしょ?僕だったら自分とその子の分で、二倍も三倍もやっちゃおうって思う。見たかったこと、したかったこと、全部、心の中で一緒に見せてあげる。」
「……そっか。」
一緒にいるなんて、考えたことがなかった。葛西は自分のせいで死を選んだ、そう思っていたから、心の中に一緒に生きているなんて、最初から思いもしなかった。自分が生き続けて、葛西が経験できなかったことを、代わりに全部やる。変わってしまうのなら、一緒に成長すればいい。それだけのことだったのだ。
[次回更新]3月3日 火曜日 23時予定




