表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 木々


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/33

結付

[登場人物]

富野瑛亮(15)中学三年生

「瑛亮……何があったの?」

母は心配そうに問いかけた。

「別に。少し言い合いになっただけ。父さんの本音知れてよかったから、いいよ。」

本音だった。自責するよりも、クラスメイトに詰められるよりも、父の放った言葉は重かったが、ずっと心のどこかで感じていた疑問が解消された解放感のが強く、「よかった」と思えた。

「え?」

「俺は大丈夫だから。」

腑に落ちていなさそうな母から離れ、部屋の隅に落ちているサッカーボールを拾って部屋を出た。階段を下り、玄関の隅にそっとボールを置く。母と入れ違いで部屋へ戻り、その間を隔てるように扉を閉めた。

それから両親とは距離を置くようになって、母と二人で囲んでいた夕食も、部屋で一人で食べるようになった。母は変わらず毎日夕食を作っては、部屋の外で声をかけてから、その場へ置いてくれていた。言い合う両親の声は未だ続いており、タイミングを間違えるとその内容が聞こえてきた。自分が行動しなければ状況は変わらないのに、できる限り聞かないように過ごしているのは、常に逃げているみたいで、ばつが悪かった。

ベッドに腰掛け、肌身離さず持ち続けている引き出しの鍵を見て、考える。というよりは心の中で、葛西に話をしている感覚だった。葛西はこういう時、何と言うだろう。どんな話をするだろう。自分はこんなふうになってやっと、父から愛されていないことを知った。葛西は、これをどう思うのか。そんな話をしてみたかった。

葛西の誕生日に会ったあの優しいおじさんは、葛西のことを愛していたように見えたのに、葛西とは仲良くなれなかったと後悔していた。葛西はそれを知っていたのだろうか。それとも、何か葛西なりの考えがあって、距離を置いていたのだろうか。

ベッドから立ち上がり、机の引き出しの鍵穴に鍵を挿した。引き出しは軽く開いて、何も入っていないみたいだった。中に入ったオレンジ色のリップクリームを手に取り、キャップを開け、中身を丁寧に繰り出す。

「葛西。俺、葛西を過去にするわけじゃないから、安心して。絶対、置いてかないから。」

そうつぶやいて、リップクリームを唇に塗る。軽く一つ溜め息をついてから、中身を戻してキャップ閉め、元あった場所へ置いた。ゆっくりと引き出しを閉め、鍵をかける。

部屋を出たところで、母と目が合った。母は驚いた顔でこちらを見ていた。

「あれ……。どうしたの。」

母はおぼんの上に今日の夕食を乗せて、階段を上がってきたところだった。久々に顔を合わせた母に、なぜか少しだけ小っ恥ずかしさを感じて、頭の後ろを掻いた。

「あー……あのさ。今日は、下で食べようかなって。」

「えっ。そう……分かった。」

母は踵を返して階段を下りた。少しタイミングをずらして、一階へ下りる。母はダイニングテーブルにおぼんを置いて、テーブルへ皿を並べ直そうとしていた。

「あ。全然、それそのままでいいから。」

「あ、そう?じゃあ、このままにするけど。」

母はそう言って、向かい側に座った。

「あのさ。」

「何?」

「毎日、ありがとう。ごはん。」

母は目を丸くして、すぐに頬を緩めた。

「え?……そんな。こんなの、お母さんにとって当たり前のことだから。いいよ。」

「……うん。」

数日ぶりに、母とテーブルを囲んで食事をとった。まだ食べることを楽しむ余裕は無くて、ただ食べ物を口へ運ぶ作業に変わりなかったが、部屋で一人よりはまだいい気がした。その後、母から話しかけられることは無く、話し始めるのに躊躇した。それでも、どうにか決めたことを口に出す。

「あのさ……。俺、高校行くよ。」

母は箸を止めて、こちらを見る。

自分が勝手に決めたせいで、取り戻せなくなったこの現状には後悔していた。だからせめて、母は巻き込みたくなかった。

「……行けそうなの?」

「分かんないけど。頑張れば、たぶん。」

母がもらってきた高校のパンフレットの中に、家から一番近くて、徒歩でも通える距離の私立高校があった。偏差値はさほど高くなく、近所では「名前を書けば誰でも入れる」なんて言われている学校だった。母から勧められたこともあり、他の資料も見ないでそこに決めた。母の希望に応えられたら、それでじゅうぶんだった。

受験勉強を始めようと、ベッドの下から問題集を取り出す。受験を決めたはいいが、正直机に向かうまでが大変で、ただ嫌で後回しにしていたころとは比にならなかった。得意科目と自負していた数学でさえ、文章で書かれた問題文を理解するのに時間がかかる。今までできたことが、簡単にはできなくなっている現実が、心に重くのしかかり、苦しくなっては机を離れる。復習に手一杯なせいで、二学期の範囲は一つも手につかなかった。そうしているうちに月日が過ぎる。試験対策は万全とは言えないまま、入試当日を迎えた。

前日の夜も勉強時間は合計で三時間程度と少なかった。夜も眠れず、うとうととした時間まで合わせれば睡眠時間は四時間程度。天気も昨晩から崩れ、この地域には珍しく積もるほどの雪が降った。お世辞にも、コンディションがいいとは言えない状況が重なった。

朝起きてすぐ、部屋に掛けられた制服のポケットへ、引き出しの鍵を入れた。葛西を置いていかないと約束したから、当日持っていくことだけは高校を決めるより先に決めていた。母は早朝から慌ただしくしていて、どこか現実味の無い自分の方が、落ち着いて朝食をとっているくらいだった。玄関で母に忘れ物は無いか確認されて、受験票や筆記用具などを一通り出して見せた。そして最後に、すでに温まったカイロを渡され、ポケットへしまった。

「行ってきます。」

「行ってらっしゃい。気を付けてね。」

玄関を開けると、昨日降り続いた雪が氷になって地面を覆っていた。道端と日の当たらない場所には、特に雪が残っていた。歩いている足元はグレーのシャーベット状になって、気を抜けば滑って転びそうだった。時間に余裕を持って出たこともあって、普段の半分くらいの速度で歩いた。学校まではそう遠くない。住宅街を抜けて大通りに出ると、歩道の中心はほとんど雪が溶けていて、歩きやすくなった。ポケットに手を入れると、カイロで温かくなった鍵が右手に触れる。それだけで一人ではない気がして、緊張感が和らいだ。カイロで両手を温めながら歩いていると、遂に高校が目の前に見えてくる。鼓動が少し速くなったが、葛西との繋がりを持っているおかげで、この程度に収まっていた。校門を目前にしたところで、もう一度ポケットへ右手を入れた。指先には、何も当たらなかった。

全身から一気に血の気が引いた。その場に立ち止まり、慌ててポケットの中をくまなく探すが、鍵は無い。左のポケットからカイロを取り出し、右と同じように探しても鍵は無かった。ほかの受験生は、自分を抜かして学校の中へ入っていく。呼吸がおかしくなりそうだった。

[次回更新]1月13日 火曜日 23時予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ