投影
[登場人物]
富野瑛亮(15)中学三年生
起きたときには部屋は真っ暗で、気を失うように眠ったせいか、今が何日の何時かも分からなかった。しかし、よく考えれば気にしたって自分に何かあるわけでもなく、電気もつけないで暗い部屋の天井をずっと見ていた。扉をノックする音のあと、扉が開く。廊下の明かりの中に母が立っていた。
「ごはん、食べれる?」
「うん。」
光が射して、教科書の散らばった床が見える。あれはまだ今朝の話なのだろう。気まずく思いながら体を起こし、夕食が準備された食卓へ向かう。今日もまた品数は多く、左から順に皿を空にしていくように食べ物を口へ運んだ。その間、母は一言も話さなかった。
それから数日が過ぎたころだった。朝方にやっと眠れたのに、二時間もしないうちに部屋の扉が開いた。ノックはされなかったような気がした。
「瑛亮、公園に散歩行こう。」
久々に聞く父の声だった。唐突すぎる誘いにイラッとして、ベッドの中で寝たふりを続けた。父親は足音を立てて部屋の中へ入って来る。一歩近づくたびに苛々は増して、父の顔を睨んだ。
「休みの日でも生活リズムはちゃんとしたほうがいい。ほら、起きろ。」
掛け布団を剥がされ、冬の冷たい空気が全身に触れる。急激な冷えにストレスを感じ、父の何も考えない無神経さに腹が立った。父はそれだけに留まらず、ずっと閉めきっていたカーテンを開けていた。眩しく部屋に入った日差しが目を刺して、避けるように不快な気分で体を起こす。
「今日は朝からいい天気だから、公園でサッカーしよう。こういう習慣続けてたら、そんなショックなんかすぐ治るんだよ。」
父は小脇にサッカーボールを抱えていた。それは、ゴミ袋にまとめて捨てたはずのボールだった。奥歯がぎりっと音を立て、苛々が怒りに変わった。
「それ、なんで持ってんの。」
「これか?玄関にあったんだよ。あっそうだ、瑛亮。去年の誕生日におじいちゃんに買ってもらったスパイク、新品のまま捨ててあったらしいじゃないか。ったく、せっかくもらったのに。部活で使わなかったのか?」
父は少し笑いながら話す。まるで小馬鹿にされているようで、発される言葉もいちいち気に障った。
「サッカーなんてとっくに飽きた。」
「えー?サッカー選手になりたいって言ってただろ。もう夢を諦めたのか?」
この人はいつの話をしているんだ。父の頭の中で自分は、何歳から時を止めているのだろうと思うと、呆れて言葉も出なかった。そんな非現実的な夢を掲げていたのは小学校低学年のころだけだった。小四くらいのとき、通っていたクラブチームには同い年なのに遥かに自分よりもセンスが良くて努力も惜しまない奴が何人もいて、自分はこうはなれないことに気づいた。だから部活レベルで頑張った。レベルを下げれば、自分はできると勘違いできたから。所詮その程度だった。
父はまだ話を続けた。
「二学期も普通に学校通ってたら推薦だって取れたかもしれないのに。もったいないなぁ。」
休みの日にわざわざ部屋まで尋ねてきた理由がやっと分かった。父はこの話をしたかったのだ。高校をどうするか訊くのに、こんなに回りくどくて薄ら寒い誘いをしなければこの人は実の息子と話せないのだ。
「それ話したかったの?」
「えっ?高校、どこ行くか決めたのか?皆はもうとっくに決めてる時期だぞ。クラス、いやぁ、学年で瑛亮だけじゃないのか?決めてないのは。」
白々しい反応と、相手を小馬鹿にするような話し方が癖になって染み付いているのが気に食わなかった。
「高校行かないからいい。」
「何言ってるんだ。高校くらい皆行くんだよ、普通は。」
父と会話をするたびに溜まるこの怒りを発散させる方法が分からなくて、力任せに頭を掻いた。
「皆とか、普通とか、何なの?なんで周りと一緒じゃなきゃいけないの?」
「それが人として普通だからだ。何も深く考えることなんてない。普通のことなんだよ。それに、まだお前は中学生なんだから、親の言うことは黙って聞いておけ。」
こんなところで合点がいった。無神経で、回りくどくて、何も考えていない。この人のDNAを、自分は受け継いでいる。だからあの時、自然と何も考えないで行動してしまった。そのせいで、葛西は。過去の自分を否定し改めるには、この人の生き方も否定しなければ。
「……都合のいいときだけ、親って言うんだ。」
「なんだって?」
「本当は、俺に興味なんて無いんでしょ。」
「何?そんなことあるわけないだろ。」
父はまた、小馬鹿にするように笑っていた。
「俺にサッカー習わせたのだって、自分が叶えられなかった夢なすりつけてきただけだろ。自分だって諦めてるくせに。そういうとこにしか俺に興味ないくせに。」
「何言ってんだ。ちゃんとお前のこと考えてるに決まってるだろ。高校のことだってこうやって相談に乗ろうとして……。」
「俺が学校行ってないことにも気づかなかったのに?知ったら知ったで、母さんのせいにしたのに?俺のことなんて、母さん一人でどうにかできると思ってるんでしょ。ずっと見てたのは母さんだけだもんな。子供の世話するのなんか面倒、俺は知らないし関係ないとか思ってんだろ。」
「瑛亮!」
父は声を荒げた。
「でも見られ方は自分に影響するから、俺にでかい夢背負わせて、それが無理ならせめて普通でいろって言う。父さんは自分が良ければそれでいいから、何にも考えずに母さんのこと妊娠させて、その後は全部任せて。ちゃんと考えて生きてないから、今だって父親になれてないじゃん!」
バチンという音が鼓膜に響いて頬に痛みが走った。
「瑛亮!親に向かってなんだその言い方は!父さんと母さんが居なかったら、お前は生まれても来れなかったんだぞ!」
「じゃあ居なくてよかった!俺なんか居たって、邪魔なだけだったじゃん!なんで必要ないのに作ったの?皆やってるから?それが普通だから?」
「自分の弱さを親のせいにするな!お前が弱いせいでこうなったんだ!こっちもそれの被害者だって分かってんのか!」
叩かれた頬はじんじんと痛みを残していたが、それよりも、父から向けられる言葉のほうが鋭く突き刺さっている感じがした。
「分かってるよ!何にも考えないせいで取り返しのつかないことになったって。今だって、こんなふうになるはずじゃなかったとか思ってんだろ!」
痛みに耐えながら発した言葉に、変な感じがしたのは、自分に向かって言っているような気がしたからだった。
母が心配そうな顔で部屋を覗いたのとほぼ同時に、父がまた腕を振り上げる。痛みを憶えた体は、反射的に目を逸らして構えていた。
「何してるの!やめて、お父さん!瑛亮が可哀想!」
母が駆け寄って、父から庇うように自分を抱き寄せた。
「こいつはもう言葉で言って分からないんだからこうするしかないだろ!お前は俺じゃなくて瑛亮の味方か?高校の説得を俺に頼んだのはお前だろ!」
味方って何だよ、と思った。その後で、やっぱり母に頼まれて来たのだと知って、なぜだか落胆した。
「でも暴力はやめて!……もういいから。お父さんは下行ってて。」
父はサッカーボールを床へ投げつけ、部屋を出て行った。ボールは部屋の中を跳ねて本棚へ当たって部屋の隅へ転がった。
[次回更新]1月9日 金曜日 23時予定




