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  作者: 木々


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19/33

内省

[登場人物]

富野瑛亮(15)中学三年生

廊下が少しだけ賑やかになって、休み時間になったのだと思った。少し前に保健の先生は外に出ていて、この場でずっと、何もできることがなく座っているのが落ち着かなかった。

扉が開く音がして、保健の先生と担任教師が一緒に入って来た。遅刻をしたことや、教室へ行かないでここに来たことについて、何か言わなければと思いながら、すぐに言葉が出て来なかった。

「富野、体調はどう?」

先に担任が声を掛けてきた。

「あ……大丈夫です。」

「そうか。少し、話いいかな?」

「あ、はい。」

担任は向かい側の椅子に腰掛け、保健の先生は少し離れたデスクの椅子で様子を見ていた。

「昨日と今日と、体調不良が続いてるみたいだけど。」

「……大丈夫です。」

葛西の話を訊かれるのだろうと、そわそわして視線を下のほうで泳がせた。すぐに返事が返って来ないのが気になって、一瞬だけ視線を上げた。ちらっと見えた担任の顔は、以前よりも眉間の皺が濃く深くなったように見えた。

「無理は、しないようにな。これから冬にかけて、大事な時期になってくるから。」

「はい……。」

「葛西とは、仲が良かったんだよね?」

覚悟していたはずなのに、葛西の名前が出た途端、心臓の鼓動が跳ね上がった。

「いや……別に。す、少し、話すくらいで。」

「どんな話を?」

「どんなって、言われても……憶えてないです。」

今は思い出したくない記憶が、頭の中を巡った。

あの倉庫での出来事。葛西に言われるがまま、重ねた唇。彼の手の温度、黒い瞳の視線、心臓の鼓動。皮肉の言い方、笑い方のくせ。好きじゃないくせに本を読む姿、うそじゃない笑顔、楽しそうに笑う声、大泣きする顔。

彼がこの世に生きていたことを、こんなにも知っている人間が、この世界に何人居るのだろう。記憶の中の葛西を思い出すたびに、胸の辺りがぎゅっと痛んだ。

「葛西は、何かに悩んでいたりした?」

首を横に振った。

本当に分からなかった。あんなに濃い時間を過ごしておきながら、葛西が何を見て、何を考えていたのか、全く分からなかった。最後に会った日、大泣きするほど何かに悩んで、苦しんでいたのかもしれないのに。その原因が、他でもない自分かもしれないことは、(うしな)ってから知った。

「他に、誰と仲良かったか知ってる?」

いつも何も考えずにできる呼吸が、意識していないと止まりそうだった。

あまりにも自分は、葛西のことを考えずに行動し過ぎていた。自己嫌悪と後悔が、高い波になって、自分をなぎ倒していく。水も無い地上で、溺れそうだった。

「本当に……本当に、何も知らないです。何も知らなくて。」

「友達だったんだよね?」

息を吸うのに、喉の奥でひゅうっと音がした。

「……葛西とは、友達でも、なんでもなかった。」

吸っても吸っても、息が出来なかった。この部屋の中に酸素が、まるで無いみたいだった。

視界の端で、保健の先生が立ち上がっているのが見えた。

「先生、これ以上はもう。」

担任は目の前で、眉間に深い皺を寄せていた。保健の先生が側に寄って来て、左手首と背中に手を触れた。

「富野くん、大丈夫?ゆっくり息を吐いて。吐くことを意識して。」

遠くで聞こえる声、目の前の視界は砂嵐が掛かるように、色が無くなっていく。抱えた秘密と罪悪感で、心が、自分が押し潰されていく感覚だけがはっきりとしていた。

目を開けると保健室のベッドに寝かされていて、カーテンの向こうから、薄っすらと母の声がした。カーテンが開いて、すぐに身を起こす。

「ごめん。仕事、あるのに。」

「そんなのいいから。大丈夫?まだ吐き気する?」

母は、心配そうな顔をしていた。こんな顔にさせた自分が、情けないと思った。

「大丈夫。一人で帰れるから。」

「今日は仕事そんなに忙しくないから。一緒に帰ろう。」

「ごめん。」

保健室を出た時、廊下には給食の匂いが漂っていて、学校へ着いてから数時間しか経過していないことに気が付いた。遅刻して来たくせに早退する自分は、一体ここへ何をしに来たのだろう。

校舎を出て、右側に視線を奪われていると、母に急かされた。校門を出てすぐのところに、一台のタクシーが停まっていた。タクシーに乗り、窓から校舎を見ながら漠然と、もうここには戻れない気がしていた。

保健の先生が勧めてくれた方法で学校へ通うことは、自分の中に大きな罪悪感があった。意識せず、口から溢れた言葉が全てだった。葛西ができないことを、自分だけ特別扱いされてまでするのは、とてつもない後ろめたさがあった。

それから、日常生活の行動一つ一つにまで、罪悪感を感じるようになった。食事をしても、風呂に入っても。就寝前は特に感じた。体は疲れて動きたくないのに、頭の中だけは妙に冴えて色んな考えが巡る。終着点は、自分が生きている意味だった。

瞼を閉じて暗闇を見るたび、焦燥感が体を巡って、目を開けると少し安心する。そうしている間に、窓の外は明るくなる。遂に一度も眠らないまま、重たい体を起こす。

扉をノックする音がして、廊下から母に声を掛けられる。

「今日学校、どうする?」

「行けない。」

「そっか。分かった、連絡しておくね。」

行かない選択をすると、少しだけ心が軽くなった。それと同時に、自分は本当に「逃げてやり過ごせばいい」と思っていることを自覚した。葛西を利用するだけ利用して、責任から逃れて、自分だけは安全な場所にいる。最低な人間だ。

罪悪感が生活を取り巻いてから、次第に何をするにも気力が湧かなくなった。初めて、逃げる選択をした日から、一度も家から出ない日が三日続いた。毎朝、母と繰り返していた問答も、四日目には「少しだけ頑張ってみない?」という返事に変わった。

正直、何を頑張ったらいいのか分からなかった。ただ単に学校へ行くのを頑張ったとして、この前みたいに誰かが嫌々、自分に世話を焼かなきゃいけなくなるかもしれない。自分が頑張ることで、誰かに迷惑を掛けるのは、頑張ったと言えるのだろうか。そもそも、こんなにも最低な人間でありながら、今も生きているという事実だけで、頑張り過ぎているくらいなのに。

「頑張るって、何を?俺なんか頑張ったって、何になるの。葛西じゃなくて、俺が死んでたら良かったのにね。そしたら母さんも、毎朝こんなことしなくて済んだのに。」

母の返事は無かった。少し経ってから、階段のほうに向かう、スリッパの足音が聞こえた。

[次回更新]12月19日 金曜日 23時予定

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