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  作者: 木々


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呵責

[登場人物]

富野瑛亮(15)中学三年生

静まり返った廊下を歩いていた。それぞれの教室から授業をする声が聞こえても、自分はここではない、どこか違うところに居るような感覚がずっとしていた。

教室の前で、扉を開けようとする手が止まる。よく見れば、その手はまだ震えていた。そんな自分が情けなくて、溜め息が出た。こんなところにずっと居たってどうにもならない。自分を奮い立たせて、扉を開けた。

教壇にいた国語の教師が、こちらを見る。授業に遅刻したことを怒られると思って身構えた。教師は顔を見るなり目を丸くして、視線を合わせてくる。体が反射的に強ばった。

「顔色悪いけど、具合でも悪い?」

「……いや、だ、大丈夫です。」

「そう。じゃあ、早く席に座って。教科書は56ページです。具合が悪くなったら、早めに言うように。」

「はい。」

クラスメイト全員の視線を受けながら、自分の席に座った。心臓はいつもより速く鼓動している。教科書を開き、ノートを横に置く。それだけのことをしただけなのに、心拍数が上がっていく。

普通に息をするだけじゃ、上手く空気を吸えなくて、二回に一回くらいは大きく息を吸い込んでいた。いつも何気なく座っていた自分の席が、とてつもなく落ち着かなかった。体のどこにも異常は無いのに、骨にヒビが入った時みたいな冷や汗が額に滲む。ただ座っているだけで、人前に立つ時のような緊張感が、体を縛り付ける。体の異常さと原因不明の緊張感、得体の知れない恐怖で今にも叫び出しそうだった。

近くの席でヒソヒソと話す声が聞こえて、両手で耳を塞いだ。開いたノートの上に、粒になった汗が落ちる。その瞬間はそう思った。でもそれは、汗ではなく、涙の粒だった。訳が分からなかった。自分の体が自分のものではないような気がして、とても気持ちが悪かった。

教師が席の近くまで寄って来て、慌ててシャーペンを手に取る。

「富野くん。今日はもう、帰りなさい。」

「いや……。大丈夫です。」

教師は小さく溜め息をつく。

「今の君は、どう見たって普通じゃない。」

「……。」

普通じゃないと言われたのが、衝撃だった。

普通じゃないとはどういう意味なのか、そう訊きたくても、言葉が上手く出てこなかった。殺人犯が罪を隠蔽しているようにでも見えたのだろうか。それならいっそ、全員の前で断罪して欲しいくらいだった。でも当然、そう言うだけの勇気もない。

教師に言われるがまま、震える手で荷物を鞄にしまって、教室を出る。クラスメイトに見られていると思うと、体が強ばって歩きづらかった。

校舎を出てすぐ、右側に視線を奪われる。この部分を囲っていたブルーシートは、先週には撤去された。一歩進んで、屋上を見上げる。真昼間の眩しい日差しに、目を細めた。

葛西は、どうして死んだのだろうか。どうしてこの場所で、どうして始業式の朝だったのか。死を選ぶくらい、自分と会うのが苦痛だったのだろうか。

目線を地面に向けた。なんの痕跡も無く、綺麗なコンクリートだった。鞄を投げ出して、その場に膝を付き、地面に手を触れた。

「葛西、ごめん。俺、何も考えてなかった。」

罪悪感は、日に日に増していた。長谷川に問い詰められる前から、確実に罪悪感は自分の中に存在していた。意図的に向き合うのを避けて、見ないようにしていただけだった。そういう意味では、長谷川が言った「ずるい」という言葉は正しい。この期に及んで、まだ自分の保身ばかり考えている。

ちゃんと分かっていた。分かっていながら、葛西との関係を続けた。葛西のことを、一人の人間として見ていなかった。自分の性欲を満たすために、葛西のことを利用した。自分のことしか考えない、最低な人間だ。

翌日、朝食を食べられないほど何度も吐き気に襲われて、やっと家を出られたのは昼前だった。ここまでの遅刻は初めてだった。誰も歩いていない通学路を歩くのは、不思議な感じがした。

校門の前で強い風が吹いて、大きく木が揺れた。あの日、葛西が座っていた木陰。そこから見られているような気がして、急いで校舎の中へ入った。階段を駆け上がり、教室へ急ぐ。

再び、扉の前で体が硬直した。教室の中から授業をする声がして、目の前が揺れる。吐き気を催し、トイレへ駆け込んだ。胃を底から押し上げられても、胃の中はもう空だった。腹の底にくっついた罪悪感を、無理やりに外へ出そうとしているようだった。このままトイレに居ても、休み時間になったら、誰かと鉢合わせてしまうかもしれない。

逃げるようにトイレを出て、保健室へ向かった。去年、足を怪我した時以来だった。

「どうしましたか?」

保健室の先生は、優しい口調で言った。

「あ……えっと、朝から、なんか気持ち悪くて。」

「じゃあ、そこに学年とクラスと名前、記入しておいてください。」

「はい。」

入ってすぐの机上に置かれた用紙に、言われた通り記入した。先生はそれを確認すると、少しだけ表情が険しくなった。その表情を見て、「ああ、もうばれているんだ」と思った。

長谷川の話はきっとあの後すぐに広がって、生徒の間でも教師の間でも、自分は葛西を死に追いやった人間だと認識されているのだ。額に汗が滲んだ。

「あの……すみません。もう、治ったので、大丈夫です。」

保健室から出ようと、扉のほうを向いた。

ここから逃げたって、自分の居ていい場所なんて無いのに、一刻も早くここから出たかった。頭の中から「また逃げるのか」と聞こえた。罪からは逃れられないことが、痛いほど分かり始めていた。

「待って。富野くん、他に体の不調は?」

「無いです。もう大丈夫です。」

「最近、強いストレスを感じていない?」

芯を突かれた気がして、その場の時が止まったようだった。

「心の整理がつかなくて、とても不安になっているんじゃない?自分でも分からないうちに、ストレスを抱えてしまうことはあるから。」

返す言葉が、すぐに出てこなかった。鞄を持つ手にぎゅっと力が入る。

「もし、教室に入れないのなら、ここに通ってもいいんですよ。」

「……そんな特別扱い、俺にして、いいんですか?」

先生は、優しく微笑んだ。

「無理のない範囲で、学校に来てくれたらいいですよ。」

「葛西は、もう通うことすらできないのに。」

先生は、困った顔をしていた。

自分でも、意外な返答だった。それだけ、葛西に対する罪悪感が、自分でも把握できないほど大きくなっていた。

[次回更新]12月16日 火曜日 23時予定

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