調査
[登場人物]
富野瑛亮(15)中学三年生
長谷川舞(15)中学三年生
葛西が居なくなっても、日常は容赦なく過ぎていった。
教室の中は悲しみを纏いながらも、三年の二学期ともなれば、皆、自分のことを最優先に考える。放課後は誰も部活へ行かなくなって、教室で無駄に時間を潰してから帰る理由も無くなった。この中で、自分だけがまだ切り替えられていないような疎外感があった。
朝、教室へ入ろうとした時。ふと、誰も寄り付かない北側の階段へ足を運んだ。階段の手前で、鮮明にあの日の記憶がよみがえってきて、足が止まった。これ以上進むと、繊細に保った心の均衡が崩れる。無理やりに蓋をした感情が溢れそうで、一階の倉庫までは、まったく辿り着けそうになかった。
葛西と過ごしたのは、たったの二、三か月。短くて、とても濃い時間だった。きっと一生忘れることはできないし、もしかしたらこの先ずっと、そのたびに思い出してしまうかもしれない。
その日、ホームルームでクラス全員にA4サイズの茶封筒が配られた。教師は「必ず自宅に帰って開封、記入して月曜日までに提出すること」と言った。しかし、その場で中身を確認する生徒は何人かいた。
中にはA4用紙が三枚入っていて、二枚が生徒用、一枚が保護者用に指定されており、用紙の上部には「いじめに関する調査」と記されていた。
心臓のあたりがひゅっとして、心拍数が上がった。
その調査用紙は、葛西に対するいじめをほぼ既成事実とした上で作成されていた。アンケートの設問には、いじめに分類される行為から、いじめに遭ったことがあるか、それがどの時期で、誰にされたのか。という直接的な文言だった。具体的に名前を出して、気になったことを告発できる欄や、自身の悩みと不調を記述できる欄も設けてあった。
クラスで、葛西に対するいじめがあったのかどうかという話が、あちらこちらで囁かれた。この時から、葛西の死は悲しみを通り越し、原因追及の段階になった。
クラスメイトの誰もが、葛西の死の真相を会話のネタにした。中には、死の真相に持論を展開する人や、撤去されたブルーシートの跡地を見に行く人までいた。
葛西の突然の死は、受験を控えたクラスメイトの息抜きとして、教師の目を盗み、趣味の悪い娯楽の一部になっていった。それが加速した理由には、葛西に仲の良い友達がいなかったことも関係していた。クラスの誰もが、葛西をそこまで身近な存在に感じていなかったのだ。
いじめを苦に自殺した話とか、ブルーシートは落下時に地面が血まみれになったからだとか、勝手な想像が生徒の間で飛び交った。
そんな話を耳にするたび、吐き気がした。
それでも、教室に居れば少しずつ侵食されて、時々想像してしまう。葛西は、人のテストの点数まで、気持ち悪いほど良く記憶していた。彼の頭は、その全ての記憶を、地面へ溢して割れたのだろうか。
日曜日。ようやく家で調査用紙と向き合った。
正直、今の学年も今のクラスも、平和すぎるくらいだった。個人個人で小さな揉め事はあれど、目立って誰かが誰かを無視したり、攻撃をするところなんて見たことがなかった。まして、人当たりの良過ぎるくらいの葛西に、何かする人なんて全く思い浮かばなかった。
「葛西が、嫌がることを、していたとすれば……。」
よぎった考えを払拭するように、軽く頭を振った。いや、違う。あいつは嫌だとは言わなかった。
月曜日。なんてことない日常だった。トイレから出て、教室へ戻ろうと廊下を歩いていると、長谷川が近づいて来た。その目には、光が宿っていなかった。
「富野、アンケートに自分の名前書いた?」
「え。いや。」
「なんで?」
長谷川は人形のように表情を変えないで、小首を傾げた。
「いや、無記名でもいいんじゃないの?」
「富野が、いじめてたんでしょ。」
「は……?」
突然すぎて、理解が追いつかなかった。
「自覚無いの?葛西くんは、自分で死を選んじゃうほどつらかったのに。」
「……意味分かんない。なんで俺?」
「私見たよ。富野が葛西くんと、北階段の前にいるの。」
「えっ……。」
ぞわっと嫌な感覚が体中を巡って、ぶわっと冷たい汗が体の表面を覆った。
長谷川に、見られていた?
「最初は仲いいのかと思ったけど、教室では一度も話すところを見なかった。それに、葛西くんばっかりが富野の様子を気にしてて、その逆は全然無かった。」
長谷川の声が次第に遠くなった。代わりに、体の中から聴こえる心臓の音が大きくなって、呼吸もおかしくなってきた。
長谷川はまだ、話を続けた。
「それって。葛西くんが、富野のこと怖がってたんだって、今になって気付いたの。」
こいつは何を言っているんだ、と思う自分と、潜在的に芽生えていた罪悪感が、腹の底でぐるぐる回っていた。胃を下から圧迫されるような不快感と、おかしくなった呼吸のせいで、その場に立っているのがやっとだった。
こめかみから、汗が伝って床に落ちた。
「……ごめん。」
吐き気を催し、踵を返してトイレへ戻ろうとした。
長谷川は「うわあ」と、廊下に響くくらいの声を上げた。
「やっぱりそうなんだ。富野が、葛西くんを自殺に追いやったんだ。」
生徒が疎らにいた廊下は、その声をきっかけに静まり返った。
心臓はまだ、強く速い心拍で体の中に音を響かせていた。口元を押さえ、トイレの個室へ駆け込んだ。世界を隔てるように鍵を閉めて、腹の底で混ざった感情を吐き出す。両手が震え、体温がすうっと下がっていく感覚がした。長距離を走った後のように、呼吸が上手くできなかった。
その日から、長谷川は顔を合わせるたびに「自白」を求めてくるようになった。
「富野。先生に正直に話して。葛西くんが戻って来るわけじゃないけど、それでも、謝らないで黙ってるのは間違ってる。」
「俺が、何を謝るっていうんだよ。」
理解を示さないと、長谷川は信じられないというような顔をした。
日を追うごとに、長谷川の顔を見るのが億劫になった。クラスメイトのコソコソと話す声までもが、自分に対して言われている気がして、教室の居心地が悪かった。
「富野、まだ正直に話してないの?そうやって、逃げてやり過ごせばいいと思ってるんだ。葛西くんを、死に追いやったのに。ずるいね。」
「……。」
日に何度も言われるから、言葉を返すことさえしなくなると、長谷川は次の手段に移った。
「富野が正直に言わないから、私から先生に言っておいたよ。」
心臓が跳ね上がった。
「……何を。」
「そのままだよ。富野が葛西くんと、北階段にいるところ見たって。」
「えっ。」
目の前が歪むような目眩がした。
その直後、長谷川は葛西の死の真相を調べているクラスメイトの元へ行って、周りにも聞こえる声で同じことを吹聴した。
すぐ一分後には次の授業が始まりそうだったのに、その場に居られなくなって、教室を飛び出した。
クラスの全員が、怖かった。
葛西の死の責任を押し付けられたことより、何より恐れていたのは、階段下の倉庫で葛西と繰り返した、歪な関係性が周知されてしまうのではないか、という恐怖だった。
[次回更新]12月12日 金曜日 23時予定




