猶予
[登場人物]
富野瑛亮(15)中学三年生
葛西愁吾(14)中学三年生
吉沢花音(14)中学三年生
「ごめん。」
葛西は顔を上げた。目と鼻が赤くなったその顔は、彼に似合わず幼気で、目を逸らしたくなった。
「あ……いや、こっちこそ。ごめん。」
葛西はずっと黙ったまま、鼻をすすっている。だんだん居心地が悪くなって、ぼそぼそと話しを始めた。
「あのさ。さっきの、ごめん。場所、外とか考えずに、自分勝手にしちゃって。」
葛西は涙を拭い、「ふふっ」と笑う。
「富野くんって、ずるいね。」
「え?」
「だって。僕のこと、拒否しないから。いっそ嫌ってくれたら楽なのに。居たいなら居ればいいって、そういう感じ。僕のこと、好きでもなければ、嫌いでもない。富野くんのそういうところ、嫌いだけど、好き。」
返す言葉が、すぐに見つからなかった。葛西の言葉は、時々難しい意味を含んでいる。それでも今は、何か返さないといけないと思った。
「もう。こういうの、辞めない?」
暗がりに見える葛西の顔は、驚いていた。
「えっ。なんで。」
彼の不安げな顔の後ろで、花火が上がった。
「だって、こういうの。なんか、よく分かんないけど、よくない気がする。」
「よく分からないのに、よくないって何?」
「だって、俺らって。」
「辞めなくていい。」
葛西はそう強く言い放った。
反論する言葉に迷っている間に、彼は目つきを鋭くして続けた。
「また同じこと言ったら、僕。吉沢さんに、富野くんとの関係、言っちゃうよ。」
「えっ、それは、嫌だけど。」
「じゃあ。続けて。」
渋々、「うん」と頷く。
「……だけどさ、本当に嫌なときは言ってよ。」
葛西は笑って、「分かった」と言った。結局、彼に逆らうことはできなかった。
「今までさ、俺ばっか、自分勝手で、ごめん。」
「もういいから。さっきも、僕は泣きたくて泣いたんじゃない。僕は、ペルソナを剥がされて、富野くんに本当の僕を見せてしまっただけ。」
「え、どういうこと?」
そう言ってから、もっと他に言える言葉があったんじゃないかと、ハッとした。いつも分からないとすぐ、彼に答えを求めて、自分で考えることをしない。そんな癖も、もう改めなければいけないと思った。
葛西は目線を下へ落としたまま、話し始める。
「僕はずっと、自分が何なのか分からなくて。毎日考えることも、毎日する行動も、話すことも、どれも僕ではない気がしてた。だけど、富野くんを好きになってから、自分が、どこにいるのか少しだけ分かるようになった。」
「うん……。」
分からないのに、分かったふりをした。また途中で邪魔をしたら、何か言われるかもしれない。いや、そうじゃない。分からないことで、葛西を傷付けてしまうと思った。それと同時に、彼の中には何かあるのではないか、と疑った。
「なぁ。お前んちって、どんな感じなの?」
「別に。普通だよ。」
暗がりでも分かるくらい、葛西は貼り付けたような微笑みを浮かべていた。
「じゃあ、休みの日とか何してんの?」
「家か、図書館にいる。」
「本読むの好きじゃないのに?」
「うん。」
さっき、葛西が言った「ペルソナ」というものに包まれた、彼の中にある、深く淀んだもの。どうしてもその正体を知りたくて、分からないなりの質問を続けた。
「ゲームとかしないの?」
「うん。あんまり、やりたいと思ったことない。」
「葛西って、ちょっと変わってるよな。」
葛西はまだ、さっきと同じように微笑んでいる。
「でも。富野くんとなら、なんでもやってみたいけど。」
「……なんで、俺なわけ?」
「うん?」
「いや。なんで、俺のこと好きなの?」
葛西は目を見開いた。表面よりも、一層だけ深く踏み込めたような気がしたのに、彼はそれをかわすみたいに、目を逸らした。
「え。教えてあげない。」
「なんで。」
「初めて、誰かを好きになった。それが、富野くんだっただけ。」
そう言って、笑う葛西の顔が見えて、後から遅れて、花火の打ち上がる音がした。
「そんなことあんの。」
「あるから、今があるんでしょ。」
「いや。まぁ……そっか。」
遠くで打ち上がる花火を背に、葛西は元居た場所へ戻って行く。彼の後に続いて、自然と帰る雰囲気に流される。
「今日は誕生日なのに、一緒に居てくれてありがとう。次は、富野くんが僕の誕生日に何くれるか、楽しみにしてるね。」
「あー……うん。」
誕生日というイベントがそんなに好きなのか、と言いそうになったけれど、煩わしいかと思って、言わなかった。
葛西は川岸に置いた荷物と、残った花火と、ペットボトルに入った燃えかすを抱えて、こちらに大きく手を振った。
「バイバイ、富野くん。」
「おう。」
声だけで返事をした。葛西の影は、階段を駆け上がって、ぽつぽつと光る街灯の下を歩いて行った。
残り数日の夏休みは、あっという間だった。すぐに最後の日曜が来て、深夜までかかって、残り一教科を書き写した。
部屋の扉を叩く音がして、寝ぼけた声で返事をする。気付かないうちに、勉強机に突っ伏せて寝ていたらしい。
「何。」
やっと開けた片目に、書きかけのワークが見える。目の前に置かれた宿題が、途中までしか埋まっていないことに気付いて、目が冴えた。窓の外はもう明るくて、遅刻をしないように母が起こしに来たのだと理解した。
扉が開いて、母が声を掛けた。
「瑛亮。今日の始業式、休みになったって。」
「は?」
「だから、休み。さっき学校からメール来た。」
「えっまじで?」
思わずガッツポーズをして、机上のワークを閉じた。ベッドへ横になり安堵感からか、夕方くらいまで眠った。その後、続きからワークを書き写して、夜には宿題を終わらせた。
登校して真っ先に、葛西が座っていた、校名の上の木陰が目に入る。借りたワークを返さなければいけないのに、顔を合わせるのは少しだけ恥ずかしかった。
学校へ入ってすぐ、校舎の入口の左側が、見慣れないブルーシートに覆われているのが見えた。その前には、見張りのように警備の人が立っている。興味だけ引いて、近寄りがたい雰囲気だった。他の生徒も同様に、その見慣れない光景を気にしながら、皆校舎へ入って行った。
教室の扉を開ける。一斉にクラスメイトがこちらを向いて、各々がすぐに視線を下に戻した。クラスメイトの話し声は、いつもより大きい気がした。
葛西の席はまだ空席で、返すのは帰りでもいいか、とワークの入った鞄を自分の机の上に置いた。座ろうとしたところで、机の前に花音がやって来た。
「エイちゃん……。おはよ。」
めずらしく元気の無い花音が気になった。
「あ。おはよ。」
「聞いた?あの話。」
「ううん。なんも聞いてないけど。」
よく見れば、花音の顔は真っ白で、唇から色が無くなっていた。
「昨日、休みになった理由。」
「え、知らない。なんで。」
「屋上から、人が飛び降りたからだって。それが……葛西くんだって。」
「え?」
花音の声と唇は、微かに震えていた。
[次回更新]12月5日 金曜日 23時予定




