夏休み
[登場人物]
富野瑛亮(15)中学三年生
葛西愁吾(14)中学三年生
夏休みに入ったら、途端にやる気を削がれていた。
テレビを見て漫画を読んでゲームをしているうちに、すぐ八月が来て、そのくらいにやっと近所の塾で夏期講習に通い始めた。想像の三倍くらいの課題が塾から与えられて、やっと受験生らしい夏休みになった。そのおかげか、模試の結果も、一学期の成績に比べれば格段に良くなった。
同時に、部活も約一年の間、一度も行かないまま引退になった。今思えば、周りよりも早く受験勉強に集中できたのかもしれない。でも、それをしなかった。いかに自分が無駄な時間を過ごしたかと後悔した。
世間はお盆休みに入り、ニュース番組では帰省ラッシュの話題や、家族連れが空港でインタビューを受けて、海外旅行へ行くだの言っている映像が流れるのを、ぼうっと眺めた。
両親の仕事の都合で、毎年お盆休みは世間とずれている。いつも、誕生日のくらいにじいちゃんの家に行って、墓参りをして、川で釣りをして、花火をして、じいちゃんとばあちゃんが用意してくれる誕生日ケーキのろうそくを吹き消す。それがほとんど恒例行事だった。それも段々と恥ずかしいような気がしていた頃、父親の職場でトラブルがあって、今年は誕生日の翌日から九月最初の土曜までの間に田舎へ帰る予定になった。
誕生日にこっちにいるのも珍しい、と思ったのと同時に、何をすればいいか見当もつかないことに気付いた。その時にふと思い出したのが、葛西の言葉だった。塾の課題に追われて、忘れられた存在を思い出したのもあって、誕生日当日、本当に言われた通り学校の校門へ向かった。
葛西は校門の横に覆い茂る木の木陰で、校名の書かれた壁の縁の上に腰掛けて、また本を読みながらそこで待っていた。
足元に落ちた小枝を踏む。ぱりっという乾いた音を聞いて、葛西がこちらに目をやった。
「富野くん!」
大きな木の影の下で、彼の顔がパッと輝いたように見えた。
「あ。本当、たまたまだから!たまたま、今日空いたの。本当はじいちゃん家行ってる予定だったけど。ずれたから。」
学校以外で、と言っても、学校から一歩外に出た場所で葛西と会うことに、なんとなく照れくささを感じた。何度も同じ言葉を繰り返して、予定を合わせて来たのではないことを強調した。
「そっか。」
葛西は飛び降りるようにそこから地面へと降りて、ズボンについた砂の粒を手で払い落とし、思い出したように「そうそう」と言いながら、小さな薄い箱を取り出して渡して来た。
「誕生日おめでとう。これ、あげる。」
「ああ。サンキュー。」
葛西から受け取ったプレゼントは軽く、どこかの店のラッピングが丁寧に施されていた。
「開けて。富野くんのこと考えて選んだ。」
言われるがまま、ラッピングの包装紙を剥がし、厚紙のような箱を開ける。中身に手が触れ、それが伸縮性を含んだ布製品だと理解しながら、外へ出してみる。
「……何これ。」
「何って、パンツだけど。前に見た富野くんのパンツ、ダサかったから。」
溜め息をついた。これまでの彼の行動、全てに呆れた。その後は、どうしてだか笑いが込み上げて来た。
「絶妙にキモい。」
「言うと思った!」
葛西はなぜか嬉しそうに笑う。こいつなんかに会いに、わざわざ夏休みに中学まで来た自分にも呆れて、ひとりしきり笑った。
「まぁ、いいや。それより、頼み事あんだけど。」
「何?」
何かを察した葛西の目から、笑みが消える。
瞬間、空気が変わって、途端に言い出しづらくなる。
「いや、あの……葛西は夏休みの宿題、終わった?」
「うん。」
葛西とは目も合わせないで、少しだけ緊張しながら唾を飲む。
「俺、まだでさ、その……見せてほしいんだけど。」
「なんだ。いいよ。」
「えっ。」
表情も変えないまま、葛西はあっさりと承諾した。あまりの快諾に、頼んだこちらのほうが驚いたくらいだった。
「でも、今持ってないから。ついてきて。」
葛西は校舎の壁に沿って歩き始めた。
返事をしてから、彼の後についていって、見慣れない道を十五分くらい歩いた。
葛西は歩みを止め、目の前の低い門扉を開けて中へ入る。
瓦屋根の二階建ての一軒家で、門扉を入ってすぐ右隣に松の木が茂っている。家にベランダは無く、縁側の前に物干し竿があった。
葛西は引き戸を、がらがらと開けて、首だけを家の中へ突っ込んで中を見てから、振り返る。
「ごめん。暑いけど、ここで待っててくれる?すぐに取ってくるから。」
「おう。」
葛西は「すぐ戻ってくる」と言い残して、家の中へ入って行った。
庭の松の木の隣には、花壇のようにレンガで囲われた場所があった。そこに花は無く、雑草が好き放題に生えて、転がったプラスチック製のジョウロは日に焼けて側面が割れ落ちていた。
この辺りには、昔からある家が多いことは知っていたけれど、葛西がその一軒に住んでいるとは、全く思わなかった。というのも、葛西の風貌とこの家とが、自分の中で相容れなかった。どうしてなのかは、自分でもよく分からなかった。
がらがらと音を立てて開いた引き戸の奥から、葛西がトートバッグを持って出てくる。
「今日、うちで勉強するのは無理なんだけど。富野くんの家、行く?」
「いや、うちも無理。」
「そう。じゃあ、とりあえず大通り出ようか。」
「うん。」
葛西の行動や言葉は、いつも淡々としている。何を言っても動じないし、肯定するのも皮肉を言うのも、ほとんど同じテンションだ。
彼の後について、住宅街を過ぎて大通りに出る。ここまで来れば、なんとなく道が分かってくる。
前を歩いていた葛西が、こちらを振り返る。
「図書館とファミレス、どっちがいい?」
「あー、喉乾いたから、ファミレス。」
「分かった。」
真夏の歩道をただ歩くのは暑くて、こうなることを予想していれば自転車で来たのに、と考えていた。いや、そもそも、中学まで行くのにも自転車を使えば良かったのだ。
うちの中学は、ずいぶんと昔に生徒が自転車で通学中に事故に遭って、その数年後には自転車通学が禁止になった。それを馬鹿正直に守って、いや、浅はかな自分の考えでは、中学へ向かう手段に自転車を使うことすら、そもそも選択肢に無かった。
そんな後悔をしている間に、見慣れたファミレスの外観が、道の先に見えていた。
[次回更新]11月25日 火曜日 23時予定




