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格闘家

作者: こめ

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 都会の一等地。この辺りの地価は、かなりのもの。

 そこに立派な建物があった。広い敷地の二階建て。ガラス張りの出入り口上部には厳めしい木の看板が掲げられている。某格闘技団体の本部。

 いわゆる総合格闘技とでもいうのか。この団体では目潰し、金的攻撃、噛みつき、それ以外の全てをルールで認めている。

 むろん格闘技といえどスポーツには違いない。殺傷能力を有する道具の使用も反則にはなった。

 が、この団体の選手らにとっては鍛え上げられた肉体が凶器そのもの。

 試合中に命を落としてしまった者は、一人や二人どころじゃない。大怪我を負った者に至っては、数えきれぬ。

 そんな過激さが受けたのだろう。この格闘技団体は創設して間もなくに世間の注目を集めた。

 代わり映えのしない日常において、刺激に飢えた人々は会場へと足を運ぶ。連日の満員盛況。チケットを手に入れることも、容易ではない。

 テレビの放送も決まり、高い視聴率を叩き出す。画面上で繰り広げられる闘い。流血。

 一部の人たちにとっては好ましくないことでも、それは真剣勝負の結果であり、人気を支える土台となっている。

 スポンサーもいっさい文句はつけてこない。局にとっての冠番組。

 しかし、その人気にもいずれ陰りは見え始める。

 刺激に慣れてくる人々。次々に現れてくる商売敵の新団体。当たり前のことといえよう。盛者も、必衰なのだ。

 団体本部の一室では社長のK氏が黒皮張りの椅子に座って、白髪頭を抱えていた。

「さて、どうしたものか。今はまだよい。だがこのままでは、はやくに経営が成り立たなくなるかもしれぬ。まだまだ終わるわけにはいかない。すぐに手を打つ必要が、ある」

 そのためには、とK氏は考える。もっと試合内容を過激にするか。武器の使用も認めて。

 いや、それではスポーツと呼べない。殺し合いになってしまう。真剣勝負では。

 やはり世間の注目を集める対戦カードが、いちばんだ。誰がよいかな。リングに上げる者は。世の人々がその闘いを見たいと思う者は。

「ふぅぅぅ」と、溜め息がもれる。

 そんな人物など、ひとりも頭に浮かんでこない。有名な格闘家はみな、出尽くした感があるのだ。

 K氏は立ち上がった。気分転換に、散歩でもするのがよかろう。

 ドアを開ける。――と、そこには男がいた。

 三十代の半ばくらいか。青白い顔に、痩せた体。背も、低い。

 オドオドと室内を見回す。

「なんだね、君は」K氏はいぶかしげにきく。

「雇ってもらいたいのです」男は見上げて答える。

「なら人事部の方を当たってみなさい。ここではなく。社員の募集は、してないと思うが」

「いえ。そういうことでは、ないのです」

「からかっているのか。君がそう言ったのだ。雇ってもらいたい、と。ワシは暇ではない。重大な問題を抱えておる。時間の無駄になるのなら、帰ってもらおう」K氏は顔をしかめ、廊下の奥に向かって顎をしゃくった。

 男はK氏から目をそらさずに続ける。

「社長さん、ですよね」

「そうだ。だから、何だというのだ。君の相手をしている暇はないと」

「格闘家として、つまりはここの選手として雇ってください。専属契約を」

「なんと」K氏は目を丸くした。

 少しばかりのけ反った拍子にドアへ背を打ちつけ、尻餅をついてしまう。

 ガタンと外でも何やら物音がする。K氏の驚きが、伝わったかのよう。

 口角を吊り上げ愛想笑いを浮かべる男。

 どこからどう見ても格闘技をやっている感じはしない。自分でも勝てそうだとKは思う。素人の老人でさえも。

「お願いします、社長。ぜったい損はさせません」男は海老腰となって揉み手まで始める。

 うだつの上がらぬ行商人といった形容が、ピッタリ。

「本気、なのか」

「そりゃあ、もちろん。でなきゃここまできませんよ。私だって暇な人間じゃ、ありません」

「うむ……」

 しょうじき胡散臭いこと、この上ない。しかし今は藁にもすがり付きたい気持ちなのだ。万が一の可能性も、捨ててはおけぬ。

「自信はあるのかね」

「あります。勝つことに関しては、絶対の」

「念のためにきいておくが、分かってはいるのだろうな。ここがどういうところなのか」

「ええ。テレビでもやっていますし。その他、いろいろ情報も集めました。最近は少し低調気味だということも。危機感を持っておられるのでは。お力になれると、思いますよ」

「たしかにワシの抱えている問題とは、それなのだが……」K氏はもう一度じっくりと男を観察する。

 やはり、ダメだ。見た目だけではない。強者の雰囲気も皆無。これほど格闘技と縁のなさそうな人物もめずらしかろう。

「何をためらっているのですか。人気回復には、ヒーローの存在なくしてはあり得ません。人々はヒーローを求めているのです。では、その条件とは何でしょう。勝つことではありませんか。負けてばかりではヒーローと呼ばれません。むろん、あまりにも勝ち過ぎていてはツマらなくもなるでしょう。観ている側は。その場合、八百長を呑んだってかまいません。わざと負けたりもします。本意ではないのですが。力の差があり過ぎるから、しかたありません」

 言うことが、どんどん大きくなっていく。これが本当なら、たいしたものだ。

 選手としてリングに上がれば、闘うこととなる。たちまち実力が明らかとなる。口だけでは勝てぬ。それくらいは、分かっているはず。頭がおかしくないかぎり。

「すまぬが手を貸してはくれないか。尻餅をついた拍子に腰が抜けてしまったようだ。歳は取りたくない。詳しい話は、それから聞こう」K氏は両腕を男に向かって差し上げた。

 男はその両の腕を取る。うんうん唸りながら引っ張るも、K氏はぜんぜん動かない。

 ついには息切れを起こして床にペタンと伸びてしまう。顔色が先程よりも青白い。

 K氏はドアノブをつかんで立ち上がり、男を見おろす。「帰ってくれ」

 いくら何でも、これはヒドい。体力のないことおびただしい。

 頭のおかしな人物だったのだ。K氏はそう断を下した。格闘家のわけが、ない。

「ちょと待って下さい。私ではないのです」K氏の蔑むような眼差しを受けて、男は慌てる。「私はマネージャー。専属の選手として雇ってほしいのは、別の人物なのです」

「なんだと」

 その時、廊下の奥から響いてくる足音。男はそこを指差した。

「彼なのです」

 見ると、ひとりの男が歩いてくる。年齢は20代の後半くらいか。明らかにマネージャー氏よりは若い。

 しかし、とくべつ鍛えているふうには見えぬ。一般的な成人男性といったところ。

 身長も平均的。高くも、低くもない。

「どうもどうも。あなたが社長さんですね」男は馴れなれしい笑顔を浮かべ、近寄ってきた。

「いかにも」K氏はやや憮然として答える。

「風格がおありだ。威厳のようなものが。遠くからでもひと目でそれと分かりました。よろしくお願いします」男は無理ヤリK氏と握手を交わす。

「君なのだな。我が団体の選手になりたい者は」K氏は問う。

「そうです。お聞き及びでしたか」男は床のマネージャー氏を不思議そうに見やった。「ところで、なぜ彼はそこに伸びているのですか。私がトイレへ行っている間に、何か粗相でも」

「いや。そういうわけでは、ない」K氏は首を横にふる。

「何かをしでかしたわけではない。なら、ひと安心。わはははは」男は笑い出す。

 本人は豪傑笑いのつもりなのだろう。はたからは能天気なバカ笑いにしか見えぬが。

 K氏はその隙に男を値踏みする。

 やはり、近くで確かめてみても肉体的にはダメ。マネージャー氏よりはマシといった程度。服を脱がなくとも分かる。半袖から伸びる腕の具合などで。

 本格的に格闘技をやってきた者の筋肉では、ない。そこら中にいっぱいいる。

 耳や鼻などの変形もなし。まったく。ボクシングや柔道を長く続けていればそうなるものなのだが。

 拳もキレイ過ぎる。実戦どころか、練習すらマトモにやってきたかのかどうかも怪しい。

 雰囲気もサッパリ。この男がリングに上がって勝つ姿は想像できぬ。死んでしまうのではないか。真剣にやり合えば。

「おや。どうかなされましたか」今の今まで笑い続けていた男も、ようやくK氏の懐疑的な表情に気がついた。

「いや。何でもない」

「何でもない。そうですか。わははは」何がおかしいのか、ふたたび笑い出した。

 鈍感、この上ない。自らが低い評価をされているというのに。

 相手の心も読めぬのなら格闘家失格。攻撃を受けまくることだろう。察する能力が欠如している。

「ところで君のやっている格闘技とは、どのようなものなのだね」とりあえずK氏はきいてみた。

「まず、この拳を使います。この拳で、相手を叩きのめします」

「ほう。ボクシングかね」

「いえ。違います」右手と左手を交互に前へ突き出していた男は、つづいてクルリと回し蹴りの動作を決めた。「蹴りも重要です。なんせ足の力は手の三倍。これを喰らったら、ひとたまりもありません。蹴り技を習得するのは、当然でしょう」

「ではキックボクシングとか空手とか」K氏は解せぬ様子で目をパチクリさせる。

「早合点なさらないで下さい。打撃だけでは、まだ不十分。寝技を忘れてはいけません。いくら打撃が優れていても、倒されて何も出来ないようじゃ、不完全な格闘技。そういわざるを得ないでしょう」

「ならば君がやっているのは総合格闘技、といっていいのだな」

「それ以上です」

「なに」

「頭突きもあります。目潰しや、金的攻撃も。あとは噛みつきと、それからえぇっと」男は指折り数える。

 K氏は、泡を食った。「ちょっと待ちなさい。そんな格闘技が、あるものか。まるで喧嘩ではないか」

「実際に、あるのです。私が作りました」

「君が作っただと」とたんにK氏は唖然とした。

「ええ、そうです。あらゆる格闘技に対応できるよう。だから、さまざまな要素を取り入れました。武器の使用も。まぁ、私は対戦でつかったりはしませんが。急所攻撃なども。出来ることと、やることとは別なのです。パンチとキック、あとはほんの少しの寝技だけで勝てます。私は」

「うむ。分かった」K氏は目を閉じて頷く。「ところで君の作ったその格闘技、他に誰かやっているのかね。弟子というか、門下生というか」

「そんなもの、いませんよ。私ひとりです」

「やはり、そうか。帰ってくれたまえ」K氏は男の背中を押す。

 またこの手合いか、と頭を振る。半年程前にきた奴は通信教育で空手を習い、自らを最強と思い込んでいる妄想狂だった。この類いの者は、たまにやってくる。

 実戦を積んでいないからこそ生まれる自信なのだろう。闘えば分かるはずなのに。自らの力を。

 時間の無駄であった。

「話を聞いて下さい」男は首を後ろにねじ曲げ、訴えてくる。

「今、聞いたではないか。不合格」ピシャリとK氏。

「いや、まだ私の経歴の半分も話していない。これからなのです。セールスポイントは」

 男は地団駄を踏む。ガタンと、先程きいたような物音がする。

「社長であるワシがじきじきに面接をした結果じゃ。もうよい。何の不満がある。警察を呼ぶぞ」

 その言葉に男はビクリと反応した。

「待って下さい。いくらなんでも、それには勝てない。国家権力には。私が無敗の男でも。400戦、負けなしでも」

「400戦負けなしじゃと」今度はK氏が反応を示す。男の背を押す動作が止まった。一瞬の硬直。

「ええ。そうですとも」男は皺伸ばしにシャツの裾を掴んでパンパンと二度三度引っ張った。威儀を正してK氏に向き直る。不敵な笑みが浮かぶ。「これを最初に伝えておくべきでした」

「今まで誰とも闘ったことがないから無敗なのではなく、400戦もしてそうだというのかね」

「疑いたくなるのも、しかたありませんね。しかし、これは事実なのです。私はこれまで数多の真剣勝負をしてきました。その相手は空手家、柔道家、ボクサー、キックボクサー、レスリング選手、総合格闘家、あとは中国拳法だの合気道だの、およそ考えつくかぎりの格闘家です。そのすべてに勝利しました。ただの一度も負けることなく」

「まさか」K氏の言葉が喉の奥でかすれ途切れる。

 男はシャツを脱ぐ。

「剣道家とやり合ったこともあります。その時は負けそうになった相手がヤケを起こし、まさに真剣を持ち出してきました。サヤから刀を抜こうとした瞬間、飛びかかったのですが少し遅れてしまいました。そして、このザマです」

 男は切り傷のある横腹を見せた。

「その闘いも、勝ったというのか。武器を持った相手に、徒手空拳で」

「もちろんです。油断さえなければ、たとえ初めから真剣と対峙してても余裕でしたでしょう。この時点で300勝以上はしてましたからね。天狗になっていたのかもしれません。今となっては後悔しています。この傷を負うことはなかったのだ、と」

「彼の言ってることを信じてあげて下さい」マネージャー氏が加勢する。「彼の作った格闘技を私はこの目で見ました。度肝を抜かれました。圧倒的で、間違いありません。だから私はマネージャーになったのです。彼ならやれる、と。天地神明に誓ってもいい。保証します」

 男は微笑んでマネージャー氏に頷きかける。しゃがんで肩を貸すと、立ち上がらせた。

 ゴホゴホと咳き込むマネージャー。

 K氏は交互に二人の男を見やった。

「しかし、そうは言われても百パーセントに信じることなど、出来ん。半信半疑。いや、疑の方が、大きい。もしその話が本当ならば即契約するのだが。どんな格闘家も敵わない最強の男。それを他の団体に取られては、金の卵を産むニワトリをみすみす人にくれてやるようなものだからな」腕を組み、難しい表情を浮かべる。

「まぁ、いきなりこんなことを言われたら戸惑いもするでしょう。お気持ちは分かります」男はマネージャー氏を壁に寄りかからせた後、K氏の両肩をつかんだ。「だが、嘘だという証拠もない。そうではありませんか」

「そうだ。そうだ」マネージャー氏もあとに続く。

 壁からズルズルと背中をこすってふたたび床に伸びてしまう。いっしゅん白目をむいた。

「話は変わるのだが、そこの彼にマネージャーは務まるのかね。どこか悪いのではないか」呆れはてるK氏。

「彼以外に私のマネージャーはあり得ません。信頼しているのです。一心同体といっても、過言じゃない。給料は、まだ一度も支払っていませんが」

「なら、別にかまわん。ワシのマネージャーではない。勝手にすればよい。ところで」K氏は後ろ手を組んで部屋の中を歩き出す。「君のその体つきなのだが、とても400戦無敗の男には見えん。格闘技をやってるようにすら」

 男はマネージャー氏の上半身を抱き上げながら、答える。

「愚問ですよ。いかにも。じゃあ逆にお訊きしますが、鍛え上げられた肉体は何のためにあるのですか。闘う相手を倒すためでしょう。いくらサンドバッグを叩いたって、重い物を持ち上げたって、負けてしまっては意味がない。ただ筋肉を付けたいだけなら、ボディービルでもやっています。必要な分だけあればいい。格闘技とは、そういうものではありませんか」

 K氏は、ハッとした。なるほど、この男の主張は道理。格闘技とは相手に勝つためのものなのだ。筋肉はその格闘技を極めていく段階で付いていく。体は、変化していく。

 つまりこのような男が400戦もして無敗であるならば、まさに格闘技。技、がかなり優れていることになる。才能も。

 まさか本当に最強の格闘技。最強の格闘家。ーーK氏の顔が緊張にこわばる。

 壁に背をあずける格好で座らされたマネージャー氏が得意気に何度も何度も大きくうなずく。

「では君の作ったその格闘技、他にやってる者が誰もいないのはどういうわけだ。それほどの格闘技なら、みな習いたがるはず」声が震えている。

 ここに至って、ようやく気持ちが半信半疑となったのだ。

 男はニヒルに笑う。

「そんな気など毛頭なかったのです。弟子を取る気も、道場を開く気も。今までは。とにかく自分の作った格闘技を完成させること、それのみに時間を使ってきました。闘いを重ね、無敗を貫き、そして世に出る決心をしたのです。私の名前とこの格闘技を知らしめるため」

「今までそれほどの実績を積んできながら無名だったのが信じられん」K氏は目を見開いたまま首を横に震る。「この世界に通じているワシですら、君のことは知らなんだ。噂にも」

「自分の作った格闘技であり、誰にも指導はしなかった。どこの組織にも所属していない。すなわち、一匹狼。そして闘う時にはつねに一対一でした。ジャマが入らぬよう」

 K氏は膝を叩く。信じる気持ちの方が、勝る。

 なるほど。口外する者が誰もいない。この男が黙っていれば。

 一対一の闘い。誰も見ていない。負けた者は何事もなかったかのように振る舞うだろう。わざわざ自らの戦歴に傷を付けるわけがない。

 怪我はてきとうな言い訳でゴマかせる。事故にあったとでも。周りの人々に。

 K氏はゴクリと唾を飲み込んだ。

「どうか、お願いします」マネージャー氏が土下座する。

「無敗のプライドを捨てましょう。いくら負け知らずの格闘技を作ったところで先立つものがなければ、どうしようもない。道場を建てるどころか、生活さえもままならない。お願いします」男も床へ膝まづき頭を下げた。

 K氏は机のところへ引き返し、椅子に深々と腰を沈めた。

 真の格闘家、つまり武を極めた者とはこういった感じなのかも知れぬ。頭を下げたまま微動だにしない男を見つめてそう思う。

 自分が強くなることのみを追い求めてきたのなら、とうぜん弟子のような者は取らぬはず。合点がいく。

 また、格闘家としての才能と、経営者としての才能は違う。

 百戦錬磨でありながら剣呑な雰囲気がまったくないのも、はるかな高みへ到達したからだと受け取れなくもない。赤ん坊を相手に本気になる大人は、いない。

「そこのマネージャー氏にもきいたことだが、ここがどういうところなのかは分かっているのだろうな」K氏は社長らしさを必死に取り繕って、しかつめらしい調子で声をかける。

 男は、顔を上げた。

「ええ。もちろん」

「うちは真剣勝負。台本のようなものがあると思ったら、大間違い。それを踏まえたうえでリングに上がる覚悟がある、と」

「真剣勝負だろうが、何だろうが、いっこうにかまいません。ただしそれでは私が勝ち続けることになるでしょう。あまりにも力の差があり過ぎるのです。観ている側からクレームがきても、知りませんよ。ツマらないと。その時は私の責任じゃないので、あしからず」

 マネージャー氏と同じ返答。なんたる自信。もはやこの世に敵なしとでも思っているのか。

 男は立ち上がり、机の前までやってきた。

 その後を、マネージャー氏もおぼつかない足取りで付いてくる。

「では、さっそく契約の方を」男とマネージャー氏が同時に言った。

「うむ。道場へ連絡を入れる」K氏は机上の電話を手に何やら話し込む。

「道場ですってぇ」男とマネージャー氏は怪訝な表情。

「これからテストを受けてもらう。うちの選手と闘ってくれたまえ。期待している。君がその通りの格闘家だということに。400戦無敗の男だということに」K氏は椅子から勢いよく腰を上げた。

 男とマネージャー氏の背中を押して促す。

「何でそんなことをする必要があるのですか」男が口をとがらせた。

「そうです。なぜ、あなたのところの選手と闘わなければならないのですか」マネージャー氏も眉をつり上げて抗議する。

「当たり前ではないか。実力を知るため。その経歴が嘘ではないことを実証してくれたまえ。本当ならば、何の問題もなかろう。うちの選手が潰れたってかまわん。遠慮なくやってくれたまえ」

「イヤです。あなたのところの選手と闘う気はありません」男はツバを飛ばしてわめき散らす。

「だから、うちの選手のことは心配いらないと」

「そういう意味では、ないのです。あなたのところの選手とは、これから先もずっと闘う気はありません。対戦相手は決まった相手。ただ一人」

「なんだと」K氏は目をしばたたく。

「おい」男はマネージャー氏に合図した。「私が400戦無敗であることが信じられないのなら、今すぐやってみせましょう。なぜなら彼こそが」

「そうです私こそが」マネージャー氏も上着を脱いで、そのヤセ細った胸をドンと叩く。「空手家であり柔道家でありボクサーでありキックボクサーでもあり、あとはレスリングや総合格闘技や中国拳法や合気道や剣道や、えっと、とにかくいろいろな格闘技をやっている人物なのです。彼と400戦しました。今はマネージャーもやっています」

 やぁぁぁと、叫んで二人の男は取っ組み合いを始めた。

 またしても外で何やらガタンと聞こえて、続いて道に木材の叩き割れるような音。

 ああ、あれはうちの看板が外れそうな音だったのか。ようやくK氏は気がついた。

 まるで何かの暗示のようだ。もう、うちの団体は落ちぶれるいっぽうに違いない。

 K氏は子供のケンカさながらの闘いを繰り広げる二人の男を横目に溜め息をもらす。

 悄然と……。




【了】

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[一言]  感想依頼で参りました。では早速感想の方へ。  読んでいる途中でオチが読めました。というのも虚弱体質過ぎるマネージャー、長々とした説明とくれば恐らくこのオチだろうなと。伏線もとくに無い/弱…
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