第36話 せめて・涙の・恵みを
夢生の右目のガーゼが、飛ぶ。
「むーッ!!!」
「むーく――」
「ッ……!!」
「やめてええぇぇえ……ダメダメなのダメよお願いキレイにさせて……死なせて……!!!」
「落ち着いてください霧洩――先輩ッ!」
ケガを負った体内で練ったわずかな練気で腹部の痛みを鈍らせ走り、銃を落とさせて半狂乱のサクラを組み伏せる風。
夢生は右目を押さえ、うつむいている。
「むーくんっ、大丈夫!?」
「だ……大丈夫。右目の横をかすめただけみたいッ……」
「目は!?」
「大丈夫――ちゃんと見える。ハハ……銃でなんて初めて撃たれたけど、結構痛いんだね……!」
「――むーくん。スカートの左側のポケットにハンカチ入ってるから、使って」
「え……えぇえええ、取れってこと?!?」
「頭から血が出てるってことなんだよ、軽く考えないで! 早くとってっ」
「は、はいっっ」
夢生が風のスカートのポケットにドギマギと手を入れ、取り出したハンカチを申し訳なさそうに右目の横に当てる。
その様子にレピアは大きく呼吸した後、壁を支えによろよろと立ち上がった。
戦いは終わったのだ。
「離して……離してぇ……ごめんなさい……!」
「……霧洩先輩、一体どうされたんですか?」
戦っているときでさえ冷静さと鋭さを失わなかった霧洩サクラ。
そんな彼女が今、まるで赤子のように号泣し続けている。
風の声は、サクラにはまだ届かないようだった。
地面を見つめ、うわごとのように誰かに謝り続ける。
「ごめんなさいごめんなさい……ごめんなさい……!」
「……気絶させた方が早いやつでしょ。もう」
「私は風紀委員長なの。どんな人でも、灰田愛の生徒が困ってるなら助けたい」
「んなこと言ってる場合? アタシらこいつにガチで殺されかけたんだよ? 退学に決まってんでしょこんなの。つか裏? とかいう所で処分されるまであるくない? こういうのって――」
「わかってるんですわかってるんです……ハキダメが似合うのはほんとは私だってわかってるんです……!」
「! 霧洩先――」
「私は汚い子だから……ホントの自分が嫌で嫌で嫌で逃げて逃げて逃げてるだけで……!」
「!」
「だからキレイになりたいって立派な祓魔師になって悪魔を滅して滅して滅して滅して滅すればキレイにな私になれるってでもそうやって逃げてにげて逃げてるだけなんですだってどうしようもないんですどんなにキレイになっても私の手は顔は体は父さんの父さんの母さんの父さんの母さんの父さんの白いのと傷跡とでずっと汚れてて穢れてて血が止まらなくて」
「――霧洩先輩……」
「私は汚いまま穢れたままキレイになんてなれない向き合えない嫌だ向き合えないよ向き合っても何もないよ何も何も何もないどうすればいいのぉ……教えて……教えてよ……殺さなきゃ……殺さないとキレイでいられないのっ……誰か……誰か……!!」
「――――」
〝調べたところによるとお前、家族も親戚もいないんだろ〟
――夢生の胸が、ずきりと痛む。
これはケガではない。
これは欠落だ。
ぽっかりと抜け落ちて、一生埋まることのない、真っ黒な穴。
「――霧洩先輩、」
その形が、少しだけ――――雛神夢生と霧洩サクラは、似ている気がして。
そこから湧いてくるのは、
「キレイになんて。なれるわけなかったとも思いません?」
虚無と絶望と――身勝手で切なる、怒り。
〝――悪くないっ、〟
「――、」
「……むーくん?」
「……むー……?」
「僕も、生まれた時には親に捨てられてたんです。赤ちゃんの頃から養護施設で育って、霧洩先輩はえっと……本家の人達に育てられて。それで……形だけは、人間としてまともに育てられて。なんかちょっと似てるなって。だから…………少しだけ分かるな、って」
「…………」
〝俺は悪くないッ!!〟
「誰かが、止めてくれればよかったんですよ。こんなこと言っちゃうと、人に頼ってばかりでって怒る人も、いると思うんですけど。でも、人間なんて誰かに教えられないと生まれてから生き残ることも出来ないワケじゃないですか。……普通に生きるだけなら、まだしも。いきなり大きな穴を背負わされた状態で、まともに生きろなんて。理不尽だと思いません?」
〝悪いのはお前だよ。この悪魔〟
(――ああ。もう止まらない。思い出が)
「……雛神、」
「ッ苦しいって言いたかったですよね。教えてって、助けてって、どうすればいいんだって言いたかったですよね。普通の人は言えるんですよ。聞いてくれる人がいるんですよ。止めてくれて叱ってくれて、そういう人がいるんですよ。神様が与えてくれるんですよ。でも……僕らには与えられなかった。誰も僕らのっ、」
〝消えろ。悪魔〟
〝うちの子に近付かないでッ!〟
〝お前地元の高校来んな〟
「僕らの話なんか、誰も聞いてくれなかったッ……!」
――いつか流れるはずだった涙が、今更になって頬を伝う。
今目の当たりにして初めて、あの時の自分がどんな境遇にあったかを思い知る。
あまりにもあまりな、神の仕打ちを怒る。
――あるいはそれは、悪魔に下された罰なのか。
「……だから泣いていいんですよっ。もっとっ、」
「――」
「もっと泣き叫んだって――そのくらい、少しは許されるはずでしょう?」




