第29話 灰田愛・の・支配者
「……天羽先輩」
チラ、と横目でサクラを見る風。
サクラはじっと立っているだけで、プールの時のように拘束されていたりはしないようだった。
内心ホッとして視線を戻す。
後ろ髪の長いオールバック。
太い腕を取り巻くように黒いタトゥー。
左腕の金時計。
相変わらずの出で立ちを確認し――そこで風は目を見張った。
(……この男、なんでこんなに汗をかいてるの?)
「紀澄風。レピア・ソプラノカラー。双璧そろい踏みってとこか。けどな、お前達が束になってかかろうが俺には勝てねぇぞ」
「この状況でまだ言ってやがんのか……!」
「裏切りモンがエラそうにしゃべんなよ。斑鳩」
「あなたが『裏』と通じる人間であることなど、承知の上で今日まで戦ってきました。あなたがなぜここまで食い下がるのかは分かりませんが、一般生徒の学校生活のためこちらも譲れません。だから最後にもう一度――このまま降伏してはくれませんか?」
「こっちのセリフだ。痛い目見ないうちに降伏しろ。さっさと領地全部明け渡せ。そうすりゃまだ、命だけは助けてやるよ」
「……こんだけ追い詰められといてそれ? どっからくんのその自信」
しびれを切らし、挑発的にレピアが言う。
無反応の天羽に風が続ける。
「……降伏しないというなら、仕方ありません。受けて立ちます。かかってきてください、天羽先輩」
「…………」
風が半歩引き、両手を下げたままに戦闘態勢を取る。
他の風紀メンバーに緊張が走る。
しかし、天羽は動かないままだった。
風が目を細める。
(……しかけてこないの?)
「最後の警告だ。もう諦めろ。死にたくなかったらな」
「……? ですから――」
「『死にたくなかったら』って言ってんだぞ俺はッッ!!!」
『!』
その声でなく、その声を発する天羽の様子を、風達はいぶかしむ。
「死ぬんだぞ。病院送りじゃすまねんだぞ! 今退かなかったらお前らは殺されるんだぞッ!! 肉一つ残らねえって言ってんだぞ!!」
(……こいつ、)
「笠木の比じゃねえぞ。お前らはこの先ッ、人並みの生活も送れないほどボロクソにされちまうって言ってんだぞ!!」
(まさか……ビビってんの……?)
肩の力を抜いていいものかどうか、戸惑うレピア。
天羽は生徒会会長。
この戦いの最後を飾る、生徒会側のラスボスだ。
それなのに――
「お前らだけじゃねえぞ! お前らの家族も、大切なヤツも!! 全部皆殺しだッ!! それでも俺とやろうってのか!!」
「その通りです。私が皆の家族も守ってみせます。紀澄家の力をすべて使って」
――このあまりの手ごたえの無さは、なんだ。
「どいつもこいつも一撃――」
「もういいってそれ。いいからかかってき――「俺と戦ったら終わるんだぞお前らッッ!!!」
「ッ……!?」
――もはや上滑りしている恫喝を打ち消すつもりで、凄みのある声で口を開いたレピア。
しかし天羽は、それすらも上回る大声で――大きな感情で、レピア達に脅しをかける。
「お前達だけじゃねえッ!!! お前らの家族も――この灰田愛も! 跡形も残らねえって言ってんだぞ!!」
「……お前マジ何、」
「あ……天羽先輩?」
天羽の様子が――その怯え方が尋常でないことに、もう誰しもが気付いていた。
目の前で大粒の汗――冷や汗を流し、もはや誰も聞いていない脅しを繰り返すだけの天羽を見て、灰田愛の生徒の恐怖と尊敬の的であった生徒会長天羽のイメージが音を立てて崩れ落ちていく。
(一体何が、天羽先輩をここまで――)
「――――なあ。ホラ。見てくれよ。灰田愛はまだ俺のっ……いや、あんたの支配下にあるぜ。こいつらみんな、はは。ビビっちまってやがる」
「……あんたホント、頭大丈夫?」
(――『何が』って。そんなもの決まってる)
「だから安――安心してくれよ。あんたはまだ灰田愛の支配者、だからあんたの目的は間違いなく達成できるだろ???? なあ、だから――だからお願いだッッッッ、」
(天羽先輩の他に、生徒会派の人間は――――この場にたった一人しかいない!)
「もう俺を痛めつけないでくれえええええええええッッッッッ!!!!!!!!!!」
「――――使えない、人」
――――黒い少女が、つぶやき。
突如天羽は背中をそらし、左腕のタトゥーを押さえ――この世のものとは思えないほどの野太い悲鳴を、あげはじめた。
『ッ!!?』
「やめなさいッ!!」
風が叫ぶ。
しかし天羽の悲鳴がそれをかき消す。
天羽は左腕と背中から煙を上げながら絶叫し尽くし――――やがて気絶。
白目を剥き、無残に失禁しながら、コンクリートの床へうつ伏せに倒れ伏した。
『――――……』
「すん、すん……ああ。密室、だから。よくわかるわ」
「っ……!?」
目を閉じ、鼻をひくつかせた霧洩サクラが、開けた目でレピアを見た。
「やっぱり、くさいのは。あなただったのね」
「な、クサ――って!?」
「かぎわけるの、時間がかかるんですよ。でも、ようやく確信が持てました」
つぶやくようなささやくような、辛うじて聞き取れる声でサクラ。
風がすべてを悟った顔で、油断なく霧洩サクラを、見た。
「……あなただったんですね。生徒会の――灰田愛の本当の支配者は」
『なっ……!!?』
「な、何言ってんの地味子――この変態ネクラ女が、生徒会のトップだって言うワケ!?」
「いけないわ。紀澄さん。この大事な時に……灰田愛から『負』を、追い出すなんて」
「…………フ?」
「でも、今はいいの。それよりも、大事なことが……ソプラノ、カラーさん」
「へっ、アタシ――」
「あなたは……何者なのかしら?」
「――――――」
――レピアが、息を、飲む。
風が眉をひそめ、目を細める。
レピアはサクラの質問の意図を――その背後にある事実を、直感的につかみ取った。
(こいつ……アタシが人間じゃないことに気付いてる……!!?)
「あなたは何者? 目的は、何かしら」
「……お前には関係ないッ」
「れ……レピアちゃん?」
「…………」
話の流れが読めない斑鳩。
風も無論同じであったが――すぐに目的を思い出し、疑問を一旦思考の外へと追い出した。
「……頭が誰であろうと同じことです、霧洩先輩。私達に降伏し、学校を明け渡してください。そして一緒に、普通の学生生活を送りましょう」
「地味子、ちょい待――」
「〝私の剣を天より賜る〟」
――――――ゾッとする妖しさを帯びたその声に、部屋の空気が一変する。
ずるぅ……と、サクラの胸元から、金色の十字架が引きずり出される。
「〝それは我が裁きのために滅び尽くす、〟」
十字架が、サクラの胸に弾む。
「〝悪魔の上に下る。〟」
それを誰もが、視認した瞬間――――サクラはすでにレピアの前にいた。
「――――――、 は?」
左手に握った、十字架が。
レピアの口に、押し付けられる。
風は、
「〝主の裁きを――〟」
「なんてことをッッ!!!」
否――紀澄は、サクラの正体に気付き、飛びかかり。
轟音。
『ッッ――――!!!?』
吹き抜ける風。
肩を突かれよろける斑鳩。
「…………あ?」
あっけにとられたレピアが、ゆっくりと背後を振り返り。
開いていた部屋の出入り口に体を強打し、更に廊下の遥か中ほどまで蹴り飛ばされ――――いまだ起き上がれずにいる紀澄風を、認めた。
「〝――天より代行す〟」
「ア゛ッ……かは、ぁッ……」
「――――――」
視線を正面に戻すレピア。
そこでは足をまっすぐ垂直に伸ばしたサクラが、スカートの下に履いているハイレグカットの真っ黒なボディスーツを、ゆっくりとスカートの中に隠すようにその足を下ろして、いた。
「〝主に従い、身を慎み、目を覚ます霊が内より我が血を清め、悪魔に立ち向かう。〟」
「レピアその人を止めてッッ!!!!」
「ッ――!!!」
正体など解らない。
事情など欠片も飲み込めない。
だがしかし、レピアはその身に、これまでの人生で最大の「ヤバさ」を感じ取り――――一も二もなく音も無く、片手の銃で霧洩サクラへ打ちかかった。
その一撃が、
「〝正義の敵、吠えたけ食いつくす獅子、罪を犯すもの、真理に立たぬ者――〟」
サクラの手元で巨大化――彼女たちの背丈を追い越すほどになった十字架によって、防がれる。
『ッ!!!?』
「うぉわああああああッ!!?――なァッッ、」
「〝あらゆる偽りと不正に満ちた者達を――〟」
サクラの側で、十字架が、バクンと開き。
中から――――一振りの両刃の剣が、取り出される。
(――――――オイ、)
「〝我が剣で貫き、地を打ち、息に殺す〟」
「ウッソでしょマジ冗談じゃないわよッ!!!!?」
まっすぐ首筋に奔った、剣光を。
レピア・ソプラノカラーはその銃身で受け止め、鍔競り合った。
「ぐぅううぅうッ!!?」
「〝終わりは不義の上にあり。怒りは我が内にあり。忌むべきあらゆる悪に死を〟」
「〝永久の火に、焼かれよ〟」
サクラが足で、コンクリートの床を砕き割り。
レピアに押し勝ち、吹き飛ばす。
「きゃあああああああああ――――ッ!!!?」
配線だらけの廊下を転がり、転がり、何とか体勢を立て直しながら――レピアが風の横まで吹き飛ぶ。
「斑鳩先輩ッッ!!! みんなを連れて逃げてッ!!!!」
「な――オイ紀澄ッ」
「早くッッ!!!!!」
「く、痛った――ッ!?」
パラパラ、と床に落ちるもの。
それはレピアの銃を飾っていた、きらびやかなビーズ。
レピアの銃は、サクラの一撃にくっきりと傷をつけられていた。
(………化け物…………!!!!!)
「祓魔師、霧洩サクラ」
霧洩サクラが、手で十字を切り。
「すべての『魔』を、祓いし者です」
黒い髪と眼鏡の奥で、小さく微笑んだ。




