第27話 その距離・遠く・近く
(……何だよ。最初の頃は、僕が着替えを見てようがおかまいなしだったじゃないか)
〝雛神君が一番、気兼ねせず話せる相手がいれば――〟
(……一番、気兼ねしない相手)
布団を頭からかぶったまま、うつむいて考え込む夢生。
例えば、そんな間柄の同性同士であれば、世間一般にはその関係を「親友」などと呼び表すのだろう。
では男女では。
そんな間柄の、異性同士のことを――果たして「親しい友」とだけ呼べる人が、一体世間一般にどれくらいいるだろうか。
(レピア・ソプラノカラー)
〝アタシとあんたの仲じゃん〟
(僕と君は……どんな仲?)
シャワーの音が止まる。
ややあって、シャカシャカと髪を洗う音が聞こえてくる。
〝あんたを助けに来た天使、恋のキューピッドちゃんで~す〟
(……レピア・ソプラノカラーは、人間じゃない、天使で、)
〝初対面の相手に何してんのよ。おいメガネ〟
〝ついでだから言うけど、コイツあんたのこと好きだし?〟
(ケンカっぱやくて、自分勝手で。僕を振り回すだけ振り回して――)
〝そのくらい言ってみろっ!〟
〝そこでじっとしてな。むーぅ♡〟
〝言ったっしょ。うちのむーはやるときゃやるって〟
(――それに、僕はたくさん背中を押されて。レピアがいなきゃ、今の僕はありえなくて)
夢生は気付く。
そんなレピアに、自分はまだお礼の一つも言えていない、ということに。
今の日々について、レピアが何を思っているか、ろくに話したことがなかったことに。
風呂の戸が開く。
「!」
「……見ないでね。まだ目ぇあけんな」
「もっ、もちろんっ」
ビクッと体を硬直させる夢生。
衣擦れ、タオルドライ、ドライヤーの音。
冷蔵庫を開ける音がしたのは、もう黙認した。
そんなことより、夢生はもう――レピアと話したくて話したくてたまらなかった。
自分のことなんかより、伝えなければならないことがたくさんあった。
(自分の好き勝手に、レピアを付き合わせてたのは僕だ)
どすん、と背後に誰かが座る音。
べりべり、と何かをはぐような音。
「レピア?――ってうわっ?!」
「ンで起きてんのよ。寝ときなさいよばかむー」
布団の上からつかまれ、ぼすんと枕に頭を叩きつけられる。
夢生が手を払い、布団に仰向けになると――
「は。マジがんぶー。風呂入ったの? ちゃんと」
――まだどこか湿り気の感じられる、ウェーブのかかった金髪。
霧洩サクラに勝るとも劣らない、ボタンがはち切れそうな突き出し方の胸。
どこか哀愁のある、しかしだからこそ絵画のような美しさを持った少女。
カーテンから差し込む陽光の中。
包装を外し、ロリポップキャンディをくわえたレピア・ソプラノカラーが、夢生を見下ろすように座り込んでいた。
「入ってるよ、失礼な……何味? それ」
「これ? 青汁味」
「え?!?!――って、あれ? そういえば、なんで制服? 着替えなかったの?」
「あ……や、これは」
「……やっぱり、シャワー浴びるつもりなんてなかったんじゃ……」
「着替え忘れただけそれ以上その話したらブッ飛ばす!」
「君僕の見舞いにきたんだよね!?」
「そーよだからさっさと具合の話しろし! どーなの体調は、そこまでがんぶーになるほどキツいんでしょ?」
「がんぶーって何……?」
「顔がブスってこと! なんで分かんないのよ」
(分かんないよ……)
「で? 体調」
「あー……実はよくわかんないんだよね、僕も。病院では風邪だろうっていわれたんだけど、それにしては熱が出たりでなかったりして」
「傷がカノウしてるとか、そういうアレじゃないの?」
「うーん、それもないんだよなぁ……ごめんね心配かけて」
「……アタシが心配してるのはっ、アタシがいつ実家に帰れるかってコト! 誰があんたの心配――――もしてるけどっ」
「ごめんね。そうだよね、もう人間の世界――えっと、天下界にきて、一か月になろうとしてるんだっけか。帰りたいよね、早く。僕がさっさと風ちゃんに告白でもして…………いっそフラれでもすれば、帰れるよね」
「ちょっと、何勘違いしてんのよ。アタシがウチに帰れる条件は、あんたが好きピと結ばれることなんだからね? フラれるとかむしろ絶望だかんね? あんたが次の好きピを見付けて、その子に近付く所からやり直しとかになんだからっ」
「あ、ああ、そうだったっけ? ていうか……そう考えたら半分永久追放だよね」
「……ま、親にしてみればアタシみたいなできそこない? それでいいと思ってるかもしんないけどね」
「……出来損ない?」
違和感があった。
これだけ強く、銃の腕前もピカイチ。
むしろ天使としては非の打ちどころのなさそうなレピアが出来損ないであるとは、夢生には到底思えなかったのだ。
「まぁっ、アタシの話はいいワケよ! ヤダななんかナイーブになっちゃって、あーアタシらしくな――」
「ありがとう。レピア」
「――あ?」
レピアが夢生を見下ろす。
夢生はまっすぐにレピアの目を見た。
「レピアが僕の所に来てくれて、背中を押して、ムリヤリでも引っ張ってくれて――おかげで僕、今じゃ普通に風ちゃんと話せるし、お昼にも誘ってもらえる仲になれた」
「…………」
「前からしたら信じられないことだよ? ただ遠くから眺めてただけの風ちゃんが、僕と話して、笑ってくれたりして――ホントに奇跡なんだ。僕一人じゃ、絶対にこんな自分にはなれなかった」
「……で、でしょ? さーすがレピアちゃんだわーつってね!……あんたと地味子の仲はちゃんと進んでる。地味子も、きっとあんたをただの友達以上に想ってる。これはマジ。女のカンってやつ」
「…………」
「だからっ――……むー。あんた、明日には地味子に告白しな」
「!」
「生徒会とのゴタゴタ、終わるっしょ? 絶対今がタイミングだから。キューピッドが言うんだから間違いナシ!」
「そ……そんな急に、」
「『風ちゃん』呼びも天使がきたのも急! ラブストーリーは突然やってくるもんなの――いいからっ」
レピアが体勢を変え、まるで風を押し倒したかのように、夢生をまたいで両手を突く。
「紀澄風の恋人になれ、雛神夢生っ!」
「――――――――――――」
〝これでむーくんと私は、恋人同士〟
「――――……レピア」
「……むー?」
「僕ね、すごく幸せなんだ。風ちゃんと一緒に過ごせて、一緒に話せて。風ちゃんが、僕の言葉で笑ってくれて」
「そ――そうでしょ? いい感じなんだってあんた達、だから」
「前の僕からしたら奇跡みたいなもので――だからとても感謝してるんだ。君には。ありがとうレピア。僕の所に来てくれて」
「て、テレるなもー、やめろし」
「だからね。…………もういいよ」
「……は?」
「もう十分だ。もう十分、僕は幸せだから――――僕は今のままでいい。告白はしない。僕は風ちゃんを諦める」
「……………………は?」
レピアが大きく表情を崩し――ぎょっとする。
夢生の顔を、大粒の涙が伝う。
「ちょ、なん――なんで泣くの。今まで、あんたが地味子といいカンジだって話をしてたワケじゃん! なんでそうなんのっ、」
「好きなんだ。風ちゃんが好きなんだ。だから……僕のために少しでも傷付いて欲しくないんだ」
「な――……ッ、あんたそれっ、ただの逃げだから。傷付くのが怖いのはあんたじゃん」
「僕が関わることでっ……彼女の人生を破滅させたくないんだよ!!」
「は、め――!? 何オーバーなこと言ってんの、怖いだけでしょ意気地なしっ!」
「違うんだ……幸せで……幸せでいて欲しいんだよ、風ちゃんには……僕がいたら不幸にしちゃうんだよ……」
「……どうしたってのよ、夢生……なんでそんなにっ」
「ダメだ……ダメだ。できないよ……これ以上、風ちゃんに近付いて、彼女の人生をメチャクチャになんてできないよ……!!」
「――…………」
「諦めさせてよ……お願いだよ……!」
くしゃくしゃになった顔を隠すことも出来ず、ただ布団に寝て涙を流す夢生。
そのただならぬ様子に、レピアはやがて言葉を失い――
「……泣くなよ。アタシが辛いじゃんか、なんか」
「っ!?」
――否。
別の気持ちを心にあふれさせ、夢生の涙を指で拭った。
「――レピ」
「アタシがウチに帰れる条件は、雛神夢生の恋を成就させること」
涙の向こう。
男の、歪んだ視界の先で――――女が彼を、じっと見つめ。
唾液に濡れたキャンディが、薄明りに照らされる。
「なら相手は――――――別に紀澄風じゃ、なくたっていいよね?」
唇に触れ、取り出されたキャンディ。
女はそれを、
「――――――ッ!!?」
呆けた男の口に、押し込んだ。
『…………………………』
止まる時間。呼吸。
だんだんと早まる鼓動がそれを、ゆっくりと溶かし、動かしていく。
どうしようもない、方向へ。
何も予測できない、未来へ。
「……ごはん、ノド通らないんでしょ。それでも食っとけ」
「――」
夢生が何かを言う前に。
レピアは部屋を、出ていった。
◆ ◆
走り走る少女の目に、じわりと涙が浮かぶ。
それだけ走っても――
(――いつものアタシ達に、戻るはずだったのにッ)
――キャンディを押し込んだ時指に触れた彼の唇の感触は、消えてくれない。
「何やってんのよ、アタシぃッッ!!!」




