第21話 好きを・ごまかして・語るな
「ハッ! 同じことワンパターンに繰り返しやがってバカが溺れ死ねェッ!!」
再びもぐった夢生を、笠木が水上から押さえつける。
「ぶぐ――ッッッ!!!」
「ッ!!」
水中でもがく夢生が、握った笠木の指をへし折らん勢いでひん曲げる。
「ンの――クソがァァァァアッ……!!!!」
噛まれた人差し指を曲げられ、たまらずひるんだ笠木の手を逃れ、息が限界だった夢生が浮上。
「ぷァッ!! はぁ、は――ああうッ!!!?」
夢中で呼吸を繰り返す息の乱れた夢生の顔面に――――笠木の容赦のない、そして余裕のない拳が次々と叩き込まれていく。
「(クソ……噛まれた指に力が入らねえッ!!)調子に乗りやがってザコがぁアアアアアッッッ!!」
「ぶげ、ァ゛……ァアアアアッ!!!」
「ッ!」
夢生が破れかぶれに飛び散らせた水しぶきに視界を奪われ止まる笠木の攻撃。
目を閉じ水を切り、瞬時に視界を取り戻した笠木が――――舌を噛む。
「ずゥッッッ!!?」
「ふぅううううっっ……!!!」
笠木の口から血が流れる。
二十センチの身長差。
一瞬の水しぶきの間に笠木に接近した夢生が、渾身の頭突きで笠木のあごを打ち抜いたのだ。
(ふざけろ……なんでこの俺がこんな底辺のチビとッッ、)
「うあああああッッッ!!!」
「(対等の勝負なんかしてんだッ!!)――ッざ、けんッ、なァァアアッッッ!!!」
あごを打たれ脳が揺れる中、大きく振りかぶられた夢生の拳を受け止める笠木。
前のめりに体勢を大きく崩した夢生に押し倒され、笠木を下に二人が水中に沈んでいく。
笠木の空いた右手が夢生の首を、絞める。
「ぶゴぶ……!!!」
「ぐぅぅうぶぐッッ……!!!」
気道を潰される夢生。
鼻からの水の侵入を防ぎ、多量に息を吐く笠木。
眼光鋭く、睨み合う二人。
先に音を上げたのは、笠木だった。
「ごぐ、ぶァ……!!!」
息がもたず、もがき始める笠木。
首を絞める手の力が爪が食い込むほど強まっても、決して笠木を離さない夢生。
限界。
笠木が、夢生の拳を握りっぱなしだった左手を離し――両目をえぐらんと夢生の顔をつかむ。
「ッッ――!!」
たまらず目を閉じる夢生。
崩れる力の均衡。
笠木は夢生の首を離してその手で顔を殴りながら――慌てて水面へと顔を出す。
「がばっ――ァア、オぐほォッッ……!! ガハッ、」
気管に入りかけていた水が逆流、吐き出すように咳込むことしかできない。
振り返った笠木を、
「ァガ……ッッ!!!」
ケンカ慣れしていない隙だらけの拳が力いっぱいに笠木を打ち抜く、打ち抜く、
「ぐぁ――ッはァ!? 、 、、げほォッッ、」
「やあああああああああッッッ!!!」
――打ち抜く!
「ぐ……あ……!!」
「つッぐ……!!」
夢生が奥歯を食いしばる。
利き手の付け根が熱を持つ。
指が折れている。
なのに体の熱はプールに奪われる。
口の中に鉄の味が広がる。
変に力をこめた体がこわばっている。
いつの間にか右目は腫れて見えなくなり、まぶたの上を血が流れている。
「ぐ……うぅ……!!」
――痛みが鮮明になっていく。
口が苦悶にゆがむ。
ケンカ慣れしていない少年の体は、すでにすべての力を失いかけていた。
「ハハハ……がほっ、ケンカの仕方も知らねえ陰キャが……!」
(……不思議だ、)
かろうじて見える左目で、夢生が体勢を立て直した笠木の目を見る。
〝こいつが最初に愛した男はオレ。こいつの最初の男はオレなんだわ〟
(僕は雛神夢生なのに――気持ちは全然引っ込まないッッ!!)
「ごほ――何なんだよその目ェ。俺がそんなんでビビると思ってんのかテメェェッ!!」
「ああああああッ!!――――ァッ!!?」
体勢をいくらか立て直した笠木が、夢生の大ぶりな拳を避け――下からあごを打ち抜く。
「水ん中じゃなきゃ敵じゃねえんだテメェなんざァッ!!」
夢生が脳を揺らし。
その背に、水が打ち返されてくる。
「じゃあな陰キャ、」
笠木が夢生の頭をつかむ。
その背後には、プールサイドの縁。
「頭カチ割れて死ねや!!!」
「――――」
夢生の視界で、空が遠のいていく。
後頭部がプールサイドに吸い込まれていく。
ぼやけた視界の中で笠木が嘲笑い、
〝今お前は誰に支配されてんだ?〟
〝……今私を支配しているのは、『お兄ちゃん』です〟
〝こいつが最初に愛した男はオレ。こいつの最初の男はオレなんだわ〟
ぼやけた視界の端に、
〝紀澄風のこと、ガチで好きなの?〟
〝そのくらい言ってみろっ!〟
〝僕は――――紀澄風が好きだッ!!!!〟
(――ああ。僕はそのズルさが、許せないのか)
夢生の両手が、笠木の頭を抱くようにつかみ。
ぼやけた視界の端に映った、銀色のはしごに力いっぱい打ち付けた。
「ッッッ……!!!!!!!」
「『支配』とかごまかしてないでッ、」
自由になる夢生の頭。
ふらつき、のどを差し出すように顔を上向かせた笠木のあごを、
「『好き』くらい――――ちゃんと言ってみろッッ!!!」
首が伸び切るほどに――利き手で殴り、飛ばした。
「――――――――」
殴られた勢いそのままに、笠木がプールに倒れる。
倒れたまま、力無く浮いてくる。
「………………」
雛神夢生は、勝っていた。
「――しゃあ終わりッ! ハンッ、天下のヤクザでもこんなモン?」
「油断。たまたま笠木がいなくなって動揺してただけ」
「へーへーわかりまし…………むー」
「!」
最後のヤクザをフェンスに叩きつけた風とレピアが、プールの中で一人ふらつく夢生を捉える。
「う――っは、やるゥあいつマジで一人で勝っ、て!? ちょ――地味子!?」
一も二も無く。
風はプールに飛び込み――――倒れかかってきた夢生を、抱きとめた。
「…………地味子」
「……ふう、ちゃ……」
「……ありがとう」
遠くから聞こえてくるパトカーのサイレン。
意識の消えていく夢生の顔を肩に乗せ、風は慈しむように彼を抱きしめる。
「本当にありがとう、むーくん」
「………………」
レピアはその様子を、少しだけ苦笑しながら見つめていた。
◆ ◆
その一部始終を、プールサイドを囲むフェンス近くの植え込みの中からこっそりのぞいていた風紀派の生徒二人は、そそくさとその場を後にしていた。
「いやぁ……やべーモン見たな。俺一生忘れねーよ」
「だな。灰田愛の三大美女そろい踏みの上ヤクザがらみの戦いなんてそうそう見れるもんじゃねぇ。レピアちゃんも紀澄ちゃんもエロかったし、サクラちゃんも手ェ縛られ……どうした?」
「……いや。お前さ、結局あのパシリチビがどうやって両手の結束バンド解いたのか分かった?」
「いやそこ重要? 知らねーよ、なんかプールサイドでこすったとか、そういうのじゃねえの」
「……ずっとさ。ンなワケねえ見間違いだって、思ってたんだけどさ。コレ」
「なんだよそのゴミ…………結束バンドか、これ。やっぱちぎれてんじゃん、こすってやがったんだよアイツ」
「見間違いだと、思うんだけどよ」
「何が?」
「あの女――――霧洩サクラが、こっそり手だけでパシリチビの結束バンド引きちぎってやがったんだよ」
「……自分の結束バンドは?」
「……これが弾け飛んできたくらいだから、力づくで?」
「……お前最近キン肉マ〇でも見た?」
生徒会派は、いよいよ会長ひとりを残すのみとなった。




