第17話 吐き気を・もよおす・邪悪
「笠木、副会長……!」
「ったく、どいつもこいつも手前のザコさ棚に上げて正々堂々だのなんだの抜かしやがって。こうして人質を一人二人とってやりゃ最初から簡単だったんだ」
「人質……二人、って――」
――直前のスタンガンを思い出し、一気に状況を飲み込み始めた夢生。
横を見ると、そこには同じく結束バンドをされて黙りこくっている――
「き、霧洩サクラ先輩!? え、どうして、」
「…………」
「当然だろ。お前みたいな無価値なチビ、紀澄風が切り捨てねえとも限らねえからな。念のための保険だよ」
「いや、でも――霧洩先輩は、天羽先輩の彼女なんですよねっ!? なのに」
「お前さ、」
地べたに座らされた夢生に、笠木が足を曲げて目線を合わせ――夢生の頬を鋭く叩く。
「っ、」
「なあ。おい」
叩く。叩く。
「は、はいっ」
「おい。お前。おい」
叩く、叩く、叩く。
言葉に合わせ、ただ鋭く夢生を平手打つ。
「お前。何を俺と対等にしゃべろうとしてんだ?」
「た、対等なんッ」
叩く。
夢生が体勢を崩し、背後のフェンスにぶつかる。
叩く。
「お前と俺は?」
「え、ッ、どういうっ、」
「お前と。俺は」
叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。
「お前と、」
叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。
「俺は」
「た対等じゃないっ対等じゃないですッ!!先輩がっ笠木先輩が上です!!!」
「――はははははっ、」
笠木が嘲りの破顔を浮かべ立ち上がり、顔面を蹴り飛ばす。
「声が汚ねえんだよ。死んで詫びろ」
「づっ……ッ!!?」
顔を蹴られ、視界を涙でにじませながら起きた夢生が――――笠木の手の中で撃鉄を起こされカチリと音を立てる、真っ黒な、銃を見た。
(拳、銃……ッ!? ほんもののっ、)
「なんだ、銃見たの初めてか? どの道死んで当然だからいいよな? お前みたいな、女二人に連れられていい気になってる勘違い野郎は」
「 へ っ 、 ?」
夢生にまっすぐ向けられる銃口。
真っ暗闇な銃口。
笠木は何のためらいもなく、
「待っ――!!!!!!」
引き金を、引いた。
「――――――――――――、、、」
立ち上がりかけていた夢生がベンチに足をぶつけ、倒れる。
陽を浴び、熱いほどに温まったプールサイドに顔を打ち付ける。
「ふっ……はアーーーハハハハッッ!! 当ててもねえのに大げさに倒れやがってバカがッ! それでもタマついてんのかよお前!」
「は、ぅっ……え?」
パシャシャシャシャ、と、夢生に向けられた笠木のスマートフォンから連写音が鳴る。
夢生の引きつった顔と学生証に乗せられた個人情報が映った写真を、笠木は慣れた手つきで匿名掲示板へアップロードしていく。
「全部さらしてやるよ。テメェらの無様な姿を全国にな!! ハハハハハハハッ、ハハハハハハハハハ!!!!!!」
黒に青いメッシュの入った髪を揺らしながら、切れ長の細目と口を大きく開いてこの上なく気持ちよさそうに笑う笠木。
見えた舌の上で、銀色のピアスが光った。
「っ――!」
戦慄を覚える、という感覚を、夢生は初めて思い知った。
生徒会副会長、笠木の「邪悪さ」は――――これまでの灰田愛の不良達のそれとは次元が違う。
こんな男を相手にすれば――
「そこまでにしなさい。あんたの狙いは私でしょ? 笠木」
――紀澄風は、一体どうなってしまう。
「風ちゃんッ!」
「むーくん……!」
プールをはさんで反対側にある出入り口に現れた風は、とりあえず無事でいる夢生を見ていくらか表情をやわらげた。
「……つれねぇなぁ。昔みたいに呼べよ。『お兄ちゃん』ってよ!」
「……え?」
言葉の意味を理解できず、夢生の視線が笠木と風をさまよう。
風は平静を保ったまま、ただ昔を思い返すように目を細めた。
「……そう。あんたはあのときもそうやって私の心に入り込んで、つきまとった」
「現実から目ェそらすなよ。俺に依存してたのはお前だろ?」
(い。「依存」……?)
「ガキの頃に叩き込まれた紀澄の『力』のせいで孤立して、唯一優しい言葉をかけてくれた俺が好きで好きでたまらなくなった――――バカな女」
「否定はしないわ。確かにあの時の私は、あんたの言う通りの子どもだったから」
「だからさあ、現実から目をそらすなって。お前は、今も、弱い女の、ままだ。だからお前は――ここでまた俺にやられて、無様に生き恥さらすんだよ」
依存。孤立。
笠木を「お兄ちゃん」と呼び、好きで好きでたまらなかった、少女。
(……誰の話を、してるの。風ちゃん)
今の風からは想像もつかない姿。
夢生の知らない風の過去。
何も知らない少年は、プールをはさみ対峙する二人をただ見守るしかなかった。
「会長は。天羽先輩はこのことを知ってるの?」
「――――」
「こんな手段、これまでも取ろうと思えばいくらでも取れたはず。でもこんなことをして勝っても、生徒会派の信望も、笠木組の力も落ちるだけ。天羽先輩はそれをよく解っていた。あんたには解らなかったようだけど」
「!」
「もう警察も呼んだ。陰でこそこそやるのは相変わらず得意みたいだけど、これだけの数を校内にもぐりこませてしまえば警察だって動くわ。少し浅はかだったわね、もう諦めた方が――」
「何焦ってんだよ」
「――――」
「お前が何を恐れてるか解るぜ、手に取るようにな。お前も相変わらず、力でマウント取って人を支配しないと気が済まねぇみたいだな。『お兄ちゃん』としては――――ちゃんと罰を与えてやらねえとな」
「――何をする気――」
「やれ」
――短く低い声と共に、頬を人差し指の爪でなぞった笠木。
その合図に、夢生の周りに立っていたヤクザの一人が夢生をベンチに押さえつけ、
「え――――」
「やめてぇッッ!!!!!」
――――風の、聞いたことがないような悲鳴と、同時に。
ヤクザの構えたナイフが、一センチほども肌に刺し込まれ――――ずっぱりと、夢生の右頬を切り裂いた。
「うァアアアああああああああああッッッッッ!!!!!!!?」
「むーくんッッッ!!!!!!」
「おい。おい風。言え。今この場を支配してんのは誰だ? 誰だッってんだよッ!!」
「ッッッ………………あんたよ。笠――」
水圧。
プールに沈めていたホースを取り出し、笠木は風に思い切り水を浴びせかけた。
風がよろめき、水圧で眼鏡が地面に落ちる。
笠木はそれを鼻で笑い――――スマートフォンの録画ボタンを押し、風に向ける。
「誰にキレ顔向けてんだバカ女。ちったぁ頭冷えたか? あ? 許可してやるから言い直せ。今この場を支配してんのは――――今お前は誰に支配されてんだ?」
「――――」
「『お兄ちゃん』が訊いてんだぞ風ッッ!!!」
「あぐッ……!」
ドスの利いた笠木の声に呼応し、再度ベンチに押さえつけられる夢生。
風は目を見開き、奥歯を噛みしめ――――悲痛に目を閉じ、うつむいた。
「……今私を支配しているのは、『お兄ちゃん』です」
「――――ははははは、」
(……僕だっ、)
「はははははははははははははあああああああッッッッ!!wwww」
(……僕がいなければ――僕が強ければっ、風ちゃんはこんな辱めを受けずに済んだのに……笠木ッ……!!!)
「ハァア……ッハハ。やっっといいザマになったな。可愛いぜ、風」




