第14話 風紀・委員の・日常
――どれだけ話をしていても聞こえそうな、凛とした声。
どたどたと何やら足音が聞こえ、あれだけ外でガヤっていたヤンキーたちが水を打ったように静まり返る。
「おでましだ。雛神、資料そろってるな?」
「はい桐山先輩、これです」
「ホイ席つけ席つけっ」
やがて引き戸は開かれ――その後ろ姿に見とれながら整列するヤンキー達を背に、風紀委員長、紀澄風は部屋へ入ってきた。
(……やっぱ紀澄さんかっこいい、そして可愛い……)
『おはようございます!』「ッえ、ぁ、おはようございます!!」
ワンテンポ遅れ、夢生も他のメンバーに倣う。
「おはようございます、皆さん。今日もよろしく頼みます」
風は一通りのメンバーを見渡しながら――最後に夢生に視線を向け、微笑む。
夢生もなんとかはにかみ返す。
紀澄風と、今日も一日一緒に過ごせる。
こんな自分が、彼女の役に立っている。
夢生少年は、今日も一日がんばるぞと思った。
「ほら、先生も」
「あ、ああ……」
――――夢生少年は、今日は頑張れないかもしれないと思った。
風に続いて入ってきた男。
手入れの行き届いたオシャレなあごひげを生やした、背の高い清潔感のある男を見たとたん、風紀のメンバー達はそろって顔を明るくした。
『伏里先生!』
「そう。むーくんも、あいさつは済んでたよね? 顧問の伏里先生が、今日からまた風紀の活動に参加していただけることになりました。よろしくお願いします」
「ホントに今度は大丈夫なんすか、伏里先生~」
「は、はは……ごめんね休みがちで。でも、もう大丈夫だから」
「なんでンな縮んだ給食マスクしてんだよ伏里ちゃ~ん」
「ちゃんとしたマスクがいいですよ、伏里先生。というかやっぱりまだ傷が良くないんじゃ――」
「いや、休んでたのはそういうことじゃ――」
「生徒会派にやられたって聞きましたよ!」
頼りなさげな笑顔で、集まる生徒を細い腕を振って制する伏里。
それに笑う面々。
笑う風。
背丈と手入れの行き届いたシャツとスーツの着こなし、分け目の無いサラサラの黒髪――という整った容姿のせいか、その弱々しさも伏里の魅力であるように(風ちゃんには見えているのではないか、と)、夢生はとらえてしまう。
(……せめて、もう少し背が高かったら)
「でも私も気になります。原因は何だったんですか?」
「実はね……私財を風紀の活動に突っ込んだ上給与の支払いが滞って栄養失調状態なんだ」
「ここホントに公立か!? 給与滞りってなんじゃそら! ナメてんな国は! ウチを!」「まあナメてるだろうな……フツーに」「元気出せって伏里先生! パンくらいおごってやるよ!」
「あの、ホントに……必要であれば食事でも作りに、家へ行きましょうか?」
「!」
「はは、ありがとう紀澄さん。でもそこまでしてもらうのは悪いよ」
「あっ、じゃあ俺も行くぜ伏里! 商店街のウマいコロッケ買ってくからよ!」「オメーそんなこと言って学校の外で紀澄に会いたいだけだろ」「バッちげーし?!?」
――少年はひとり輪を外れ、ズキリと痛む胸に目を閉じる。
自分以外の男に優しくしている紀澄風を見て。
そんな風に考えている浅ましい自分を恥じて。
風は夢生の彼女でもなんでもないというのに。
彼女であったとしても、何もおかしなことはしていないというのに。
〝もっと求めてくれていいよ〟
(――――ダメだ。やっぱりこれ以上は、ふみこめない)
下がる眉と、異臭を嗅いだように持ち上がる頬の間で、夢生は遠くの風を見る。
この距離。
雛神夢生が彼女に近付けるのは、ここまでが限界。
〝私は、君が幸せならそれでいい〟
せめてこの距離から、彼女と「ふさわしい人」を見守っていきたい。
(そのくらいなら、願っていいかもしれない)
こんな醜い、自分でも。
夢生少年は、そっと唇の内を前歯で噛んだ。
「さあみんな、俺のことはこれくらいにして。早く済ませて作業に移ろう」
「あ、でも先生、紀澄ー。レピアちゃんがまだ来てませーん」
「バカ、田井中ッ! 紀澄が来てるのにレピアちゃんが来てねえってことはもう――」
「いいんです。アレは今日もサボりですから」
ビキリ、と。
風のこめかみに青筋が立つ音を、男達は全員聞いた気がした。
「あの女、まず宿直室に何故か住んでいるらしいことがまず頭にくるんですが、最近私が来る時間になるといつも全裸でゴロ寝してるんですよね。どうやらそうしていれば私が自分を外に連れ出せないのを分かっているらしく? いっそそのままばるんばるんの状態で引き晒しながら来てもよかったんですがまあそれだと行き過ぎた私刑になりかねませんのでまあ? 日頃の貢献を鑑みて? 朝のミーティングくらいは今は許しておいてゆくゆくはアメも銃もあの部屋も自由も全部没収していく形でこれなら私刑でない正当な学校のルールの範囲n」
「だから言ったろうがあほ田井中っ」
「サーセンっした!」
(まだブツブツ言ってる……)
「ははは……まあ、いいんじゃないか。紀澄さんがこうなる分には」
「え……?」
解ったような口ぶりにひっかかりつつ夢生。
教師伏里は部屋の壁に背を預けながら笑った。
「まあそうかもね。こんな感情的になる紀澄見るのは初めてだし」
「これまでは、俺らにどっか遠慮してるっつーか、一人で無理してるっつーか。そういうとこあったもんな」
しみじみと言う田井中と斑鳩。
桐山がそれを継ぐ。
「……気心の知れた友達もいない中で、領地は互いに取ったり取られたりのいたちごっこ……負担は大きかっただろうと思う。あんな紀澄の姿を見られるようになったのは、間違いなくお前達のおかげだよ。雛神」
「え……え。え!? ぼ、僕らですか?」
「うん、そうだね。紀澄さんは雛神君やレピアさんのことになると、楽しそうというか……年相応の子どもに戻ったように見える。風紀に来てくれてありがとうね、雛神君。レピアさんにもそう伝えてくれ」
「は、はい……」
笑顔の伏里。
夢生の中にモヤモヤが戻ってくる。
レピアと自分。
風が本当に必要としているのは、一体どっちなんだろう、と。
「ふふ……まあいいです」
(戻ってきた……)
「はい。じゃあ始めましょう、今日のミーティングは『プール開き』の段取りについてです」




