最終話
「今度ドール友達のピンギンさんとケージさんと遊ぶことになってるんだ」
*誰よそれ*
美笛はスマホを片手にリビングに入ってくる。ソファでダラダラテレビを見ていた私の隣に腰をおろす。
「この子たちと一緒に暮らしてる人間だよ」
*なんか配慮しすぎてて怖い言い方ね*
見やすいように傾けてくれたスマホの画面を覗き込む。
黒髪ストレートの赤目女に、緑髪のふんわりパーマ女か。まあ私のほうが可愛いわね。着ている服は中々おしゃれだから人間のセンスと腕が良いんだろうけれど。
「かわいいよね〜」
*は?*
「ごめん、本音が出ちゃった。アリスちゃんが一番かわいいけど、この子たちも可愛いよね」
*隠せてないわよ*
「う、す、すみません」
*……別にいいわよ。で、遊ぶから何なのよ*
「嫉妬しない?」
*はあ?*
「アリスちゃんももちろん連れて行くんだけどさ、この子たちもアリスちゃんと同じでお話できたらどうしようかと思ってさ」
*浮気でもするわけ? いいじゃない、勝手にしたらいいじゃない。別に私なんか星の数ほどいるドールの一体なんだし*
「ほら〜もう拗ねる。私が一番好きなのはアリスちゃんだって。本当だよ」
*……どうかしら。じゃあこの黒髪女が美笛のこと好きだって言ってきたらどうするのよ*
「えっ、アイギスちゃんが? えっと、そこはまあ……」
*はっきり断れ!*
「は、はい!」
*いい? あんたにはこの私がいるのよ。他のドールなんかに目を奪われてる余裕なんかあると思ってるの?*
「んふふ」
*え、キモ……*
「ごめん、ふふ、アリスちゃんかわいい、んふふふ」
警戒してしまうほどの笑みを浮かべたので私は脱兎のごとく逃げ出した。
それにしてもドール二体か。
私はこの体になってから自分以外のドールと出会ったことがない。ほかも同じように動いたり喋ることができる人形はいるのだろうか。それとも私のように意思を持ち、自立したドールは世界で私だけなのだろうか。
仲間がいない寂しさと、他のドールに会う不安で私はその夜美笛の枕元へいくことになった。
「アリスちゃん、アイギスちゃんと、パームちゃんだよ」
「アリスちゃん今日は和服ですか、いいですね」
私は今日一日人形のフリをすることに決めた。
ドールフレンドリーな喫茶店はラテン語で星を意味するステラという屋号。内装やBGMなど店内の雰囲気や日当たりもよく中々気持ちのいい店だ。
店主が趣味だというドールも看板娘としてレジ横にいるが、彼女は動かなかった。そして、黒髪のアイギスと緑髪のパームもまた同様だった。
同類がいるはずないのは知っていた。私のような不思議な運命を辿ってドールに宿るやつなどいるものか。
それでも、実際に自分だけというのは案外と寂しいものだ。けれど、美笛が私だけを見てくれるのは気分がいい。そこは少しだけ安心した部分でもあった。
この二人が動き出して挨拶しようものなら、美笛は一体どうなっていただろうか。
想像は難くなく、あまり愉快ではなかった。
しばらくは大人しく机の上で、椅子の上で、美笛の膝の上でドールのフリをして温かな時間を過ごすことにした。
「そういえば、裏セコンドさんってご存知ですか?」
「もちろん。最近はあまり浮上されませんよね」
「実は最近ご結婚されたんですよ」
「えっ、そうだったんですか?」
ケーキを頬張り紅茶を飲みながら何やら楽しそうに雑談している。あのケーキは美味しそうだった。
「その……、それが彼を悩ませてて」
「どういうことですか?」
「ケージさん仲良しでしたもんね。色々とお聞きになってるんでしょうか」
「はい……あの、奥様がですね、ドールを捨てろとおっしゃってるみたいで」
「えっ!?」
いきなりの大声で体が少し強張った。今日までの数日間、私は美笛にできる唯一の攻撃手段として、抓ることを覚えた。膝の上で抱えられているため、目の前の二人には見えないように影で手の甲を抓った。
美笛は小さく呻くと体をよじる。わかればいいのよ、わかれば。
「それでどうされてるんですか?」
「ご夫婦で色々お話されたようなんですけど、結果は変わらず……」
「ひどい……」
「可哀想……」
「結婚前は裏セコンドさんの趣味も認めてくれてたそうなので、彼も喜んでいたんですけどね」
三人とも落ち込んだ様子で場が急に暗くなる。捨てられる、か。大事にされてたのに突然ゴミ箱なんて、私だったらきっと耐えられず相手を呪うだろう。呪えない立場ではあるが、そこはなんとか気合で。
「それで、実は今、引き取り手を探してまして」
「あ! それで今日の場なんですか?」
「はい。あ、いえ、お散歩もお茶もしたかったのですが、なんだかすみません」
「いえいえ、誘ってもらえて嬉しいです。それで、引き取り手って」
「そうなんです。やっぱり裏セコンドさんにとって大事な娘たち。簡単に廃棄なんてできるわけないからって、引き取って大事にしてくれる方を探してるんですよ」
「SNSで募集はされないんですか?」
「最初はそれも考えていたようなんですけど、冗談で応募されたり、大事にしてくれるか判断できない方には渡せないっておっしゃってて。それで私の方にも良い人いないかとご相談がありまして」
話半分程度に聞いていたが、まさか引き取る気じゃないだろうな。美笛をちらりと見上げると、どうしてか興味津々だった。私はまた小さく抓る。
「実はすでに新しいお家が決まった子もいましてね」
「裏セコンドさんの子たち人気高かったですもんね。あ、セラちゃんだ」
「セラちゃんは実は私がお預かりすることになってるんですよ」
「いいですね、パームちゃんと相性良さそうですもんね」
美笛は私にも見えるようにスマホの画面を見せてくれた。セラは金髪ショートの一見すると男の子のような少女だった。
「ほとんどは引き取ってくれる方が見つかって今はこの子、フィーネちゃんの引き取り手を探してるそうです」
「初めて見る子ですね」
画面をみた瞬間ぞわりと悪寒が体を巡った。黒い髪の毛、青い瞳、微笑む唇、どれも完璧な可愛さだったがこれには何かが宿っている。写真からでも伝わる違和感はきっと正しいものだ。間違いなく、私と同じような……。
「なんだか、引き込まれる子ですね……」
「裏セコンドさんもいつから持っていたかわからないそうなんですよ。ただずっとそこにいたからきっと大事にしてたと思う、とはおっしゃってましたが」
「私がお預かりしたい、と言いたいところなんですが、うちにはもう余裕がなくて……」
「あの全然大丈夫ですよ、気にしないでください」
「すみません」
「リコーダーさんはどうですか?」
美笛だからリコーダーという安直なHN。呼びかけられた美笛は画面を食い入るようにじっと見つめている。
やめて、お願いだから、良いことなんて絶対ないから。
「あ。えっと、私もアリスちゃんだけで手一杯なんですよね〜……」
「そうですか。お二人ともありがとうございます。私の方でもまだ引き続き探してみます」
「お力になれずにすみません」
その後会話は流れていっても美笛はどこか上の空だった。きっとあの人形のことが気になっているんだ。やめなさいよ、私がいるのに! そう叫びだしたくても言えなかった。私はただの人形で、ここに私の意思はない。
「あの、ケージさん!」
帰り際。喫茶店を出た時に美笛はついに切り出した。抱かれたままだった私はぎゅっと抓っているのに、彼女は少しも動じない。
「さっきの、フィーネちゃんのことなんですけど。あの……私、会えたりできますか?」
「え? 裏セコンドさんに聞いてみますが、多分大丈夫だと思いますよ。実際会うとイメージがわきますもんね」
「はい。それで、よければうちでお預かりしようかと」
クソ。
マジでくっそ。
最悪。最悪。本当に空気読めないクソだわ。
腕の中でうなだれても、アリスちゃんも喜んでます〜なんて適当にアテレコされて余計に気分が悪い。
最寄り駅に着いても誰もいないエレベーターに乗り込んでも文句を言わなかっただけ私は偉い。
今は監視カメラがそこら中にあり、怪奇動く人形として晒されるのは御免こうむりたいので私は美笛が玄関のドアを開けて中に入って鍵を締めるまで我慢した。
*バカ!*
「ご、ごめんなさい」
*もう! バカバカ! 私がいるっていうのにどうして他の女を連れ込もうとするわけ? しかもあの写真見たでしょう! あれは私と同じよ!*
「アリスちゃんお友達増えるしいいかなって」
*私がいつ! 友達が! ほしいなんて言ったのよ!*
「……ごめんなさい」
*写真見た時感じたでしょう? あれはやばいのよ、本当に*
「でもあの写真見たから、助けてあげたいって思ったんだよ」
*はあ? 結局顔が良いってこと?*
「違うよ、そうじゃなくて、あの子泣いてたでしょ?」
*え?*
涙なんか流してなかったけど? というか人形が涙流すの? 私できないんだけど。
困惑してフリーズする私をよそに、美笛は謝罪を繰り返す。怒られるのはわかってたけど、どうしても放っておけなくて、と美笛は言っていた。
「アリスちゃんを見た時みたいだなって思ったんだ。あの時もずっと一緒にいてあげたいって思ったから」
*……嘘つき*
「えっ!? 嘘じゃないよ! 本当だよ、アリスちゃんとずっと一緒にいるよ」
*それでも私以外の女を連れ込むんでしょ! やってること最低じゃない!*
「ご、ごめん、でもあの子も気になって……」
*……なんでわかってくれないのって、あああああ!! 会話がっ!! カップルっ!!!*
「なんか良いね、こういうの。んふふ、いいよ、付き合うよ」
*やめろ! もうしない!*
トタトタと廊下を走って美笛を置いていくことにする。
怒っているのは本当だ。けれど、美笛のああいった心根の優しいところに私はどうやら安心感を覚えているらしいので少し誇らしいような嬉しい気持ちにもなった。けれど私がそんなことを思っているなんてこれは内緒の話だ。
「ケージくんから聞きました。今日はありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
鞄に私を忍ばせて美笛は裏セコンドとやらに会いにきた。
待ち合わせ場所は公園のベンチ。裏セコンドはジーパンにポロシャツ、膨らんだトートバッグを持って少し駆け足気味にやってきた。
奥さんにはドールはすべて捨てたと伝えてあるためこっそり持ち出してきたのだと言う。さらにドール仲間に会うとも言えず、コンビニに行く体で出てきたのだとか。大荷物だからきっとバレてると思うのだが。
「あまり時間がなくてすみません。」
「いえ、大丈夫です。あの、見せていただいても?」
美笛が促すと裏セコンドはバッグからドール、フィーネを取り出した。
黒い艷やかな髪、白い肌に魅力的な青い瞳、縁取る形は猫目で可愛らしい。唇は薄くピンクに色づいて、小さく弧を描く。
可愛い。可愛かった。いや、知っている。その魅力は知っているのだが。問題はこれに宿るなにか、だ。
美笛の両手は触れていいものかどうか迷った動きをしていた。
「あの、今からフィーネちゃんに触りたいんですけど」
「あ、はい。どうぞ」
「えっと、恥ずかしいから後ろを向いていただけないでしょうか」
「え?」
「あの……、なんというか裏セコンドさんの前でフィーネちゃんに触るのが禁忌的というか背徳感があると言いますか」
「はあ……。えっと、こんな感じでよろしいですか?」
「あ、はい! 大丈夫です。終わったら声をかけ……」
美笛の声は中途半端に止まった。
何故なら裏セコンドが私たちに背を向けた瞬間、フィーネはダッシュで美笛の膝に飛び乗り服をがっしと掴んだからだ。
「あ、えっと、大丈夫です」
「早かったですね」
「それで、あの、よければフィーネちゃんをうちにお迎えしたいなって」
「本当ですか!? あー良かった!」
裏セコンドは心の底から安堵した様子で笑顔をみせていた。私は鞄の中からこっそりフィーネを観察していたが、彼女もまた私をじっと睨んでくるのだった。
「あの……、こんなこと聞くの失礼かもしれませんが、本当に良かったんですか?」
「もう潮時かな、とは思ってたんです。親にも親戚にも理解されなくて。彼女は味方だと思ってたんですけどね」
「あ、ごめんなさい……」
「いいんです。勝手に捨てたりせずきちんと向き合ってくれただけマシかな、と思います。勝手に捨てられた話はたくさん聞いてきたので。それに好きでいることは許してくれたので、今後は洋服や小物を作ったりして交流続けていけたらと思います」
「そうなんですね。SNSにフィーネちゃんの写真もたくさんあげるのでぜひ見てください」
「はい。ありがとうございます。フィーネを、どうぞよろしくおねがいします」
裏セコンドは深々と頭を下げた。
その姿に美笛はうろたえていたがその腕の中、抱えられたフィーネの瞳がうるんでいるのを私ははっきりと見てしまった。
*もう無理。まじでなんなのあの女。急に現れて正妻ヅラして、彼を奪うなんて!*
「いやあ、すごい。面白い子だね」
*どこが?! めんどくさそうな感じ出てるけど!*
フィーネは帰宅するや否や、ソファに陣取ってわんわんと泣き出した。
美笛と私が見た涙はやはり本物だったようだ。フィーネの瞳からは綺麗な水がたくさんこぼれ落ちた。美笛は慌ててそれを拭う、その姿は面白くはない。
「フィーネちゃん、今日からよろしくね。裏セコンドさんと同じようにしてあげられないかもしれないけど、精一杯お世話しますので」
*……本当? 私のこと捨てない?*
「うん。もちろん」
*美笛、私のこと好き?*
「うん。好きだよ」
*どれくらい?*
「こーんなに!」
*うふふ、かわいい*
*やめろ! カップルの会話やめろ!*
*アリス顔こわい*
*新参者のくせに*
ソファの上で罵り合うと美笛がそれを止めてくる。仲裁しているが、元々言えば美笛のせいだ。そういう優しいところも良いところだと絆された私も悪いのだが……。
*もう最悪よ*
「んふふ、でもきっと楽しくなるよ?」
*そうは思えないけど*
*あら? 私は楽しみよ。良い家だし、美笛もいい子だし。うるさい先住人がいるのは難点だけど*
*なによ。後から来たくせに偉そうなのよ*
*先にいたほうが偉いなんて誰が決めたのよ*
「まあまあまあまあ。落ち着いて」
私達の間に入るようにソファの真ん中に美笛が座った。なぜだか満面の笑みだ。
その脳天気な笑顔を見ていると怒っているのも馬鹿らしくなる。
私はずっと人を呪って生きてきた。誰かを恨み憎み、世界のすべてが敵だった。それが今は脳天気に笑う女と部屋で隣り合って座っている。
もしかしてちょっと幸せ?
「あ! アリスちゃん笑ってる。かわいい! カメラ!」
*あ、私も撮ってよ*
「もちろん! 待っててね!」
*許可してないんだけど!*
私の声も届かず寝室にかけていく。諦めて私は息を吐いた。
フィーネは距離を詰めて近くに腰を下ろした。
*なに?*
*アリスが羨ましい*
*え?*
*私も美笛と一緒にいたら、人を恨んだりしなかったのかも*
*じゃあ、そのうちそうなるわよ*
カメラを持った美笛が戻ってくる。ニヤニヤとだらしのない顔だ。フィーネも少し呆れたような顔になり、そうかもね、とつぶやいた。
私達はクスクスと笑いあい、理解がデキていない美笛もつられて笑顔になる。こういうのを幸せと呼んでも、まあ悪くはない。
お読みいただきありがとうございます。
考えていた部分をすっ飛ばして完結させました。