諦めない人達
少年の妹は病弱で、天気がいいだけで熱を出して寝込むほどだった。だが少年は死んだ母親似の色の白い可愛らしい彼女を誇りに思っていた。特に好きだったのはその美しい声である。透き通るような、穏やかに流れる水のような落ち着く声に彼は恋に近い感情を抱くほどだった。また妹も友人と遊ぶよりも自分に寄り添う兄を大切に思っていた。その仲の良さは近所でも有名で二人が結婚するだろうと皆がうわさするほどだった。その毎日が崩れたのは少年が12歳の時だった。
村がモンスターの群れに襲われたのだ。少年の村は町から遠く、冒険者もほぼ立ち寄らないような寒村。家々の周りに張り巡らせた土塁と塀はあっさりと突破されて村はすぐに分断された。そのせいで農地にいた者達は農具で戦う羽目になり、多くがあっという間に命を散らした。もちろん農作業をしていた少年も例外ではなく魔獣に襲われた。そんな彼を守ったのは父だった。巨大なワニの魔獣に食われながら最後にこう言った。
「妹を助けろ」
噛み砕かれる父から必死に目を背けて少年は走った。
農地から戦力を送り出すためにほとんどの男衆が死に、その亡骸は容赦なく食われていく。普段は見たことも無い巨大な怪物どもが人も、家畜も見境なく口へと放り込む。少年は泣きながら家に走る、ただ妹の無事を信じて。一緒に農地を出た大人たちが一人、また一人と減っていくのを感じながら。
彼がようやく家にたどり着いた時、中から妹を引き摺って猿の様なモンスターが出てきた。妹はだらりと手足を投げ出して血を流していた。2mはあろうその猿は妹から手を離すと口角を上げて笑った。
「なんだ、うまそうなのが残ってるじゃないか」
怒りで少年は突撃する。握りしめた鎌を振り抜こうとしたが気付いた瞬間には家の壁に激突していた。猿の長い腕から繰り出された殴打がわき腹を正確に捉えていたのだ。悶絶する少年の目の前には妹が転がっていた。感情が爆発しそうな少年だったが、妹の目が動いたのを見て彼女を抱き起す。
「あえて、よかった」
美しい聞きなれた声でそう言い遺すと、体からスッとなにか抜け出たように彼女の体は軽くなった。悲しみがヤスの体を覆う。だが、後ろから聞こえた断末魔が彼を現実に引き戻す。振り返ると一緒に居た大人二人の首が転がっていた。
「人間は群れるのが好きだったな 心配しなくていい、俺の腹の中で再会できるからな」
猿が長い腕を振り上げ、少年は妹の体を強く抱きしめて目を閉じた。
「少年は死なない!」
知らない声が聞こえて少年は再び目を開けた。そこには村で見たことのない男が立ち、猿の右腕は切り落とされて転がっていた。猿の顔からは余裕の表情が消えて焦ったように男を値踏みしている。そして猿がなにか喋ろうとした瞬間、男の剣が猿の首を落として勝負が決まった。
「すまない少年、我々がもっと早く村に着いていればこんなことにはならなかった」
(違う、俺がもっと早く走れれば間に合った)
「この二人が君を守ってくれたんだ」
(違う、俺が戦えれば二人は死ななかった)
「私がもっと早くにここを見つければその子も助けられたかもしれない」
「違う!俺が強ければみんな守れた!!」
憎しみのこもった顔で涙を流す少年を見ながら男は悲しい顔をして少年と事切れた妹を強く抱きしめた。上等な装備が二人の血で汚れることもいとわずに。
「少年、強くなろう この子に泣き顔を見せるのは今が最後だ 私と来ないか?」
ハローみなさん。私はピアノっていいます。
今はウーポ山の山道を疾走中、というか逃走中です。
ヨダレを垂らしたグレートウルフが殺気から、いえ、さっきからすごい形相で追ってきてます。私、足には自信があるんですけど流石に走りっぱなしは少し、いいえ、とても辛いです。
荷物に入ってた食べ物を必死に取り出して投げ捨てたけど、目もくれず彼らは私を追いかけてきます。
お母さん、やっぱり町で暮らすのも楽じゃないです。
ごめんなさい。まさか配達の仕事中に盗賊に襲われてロックベアに襲われてオウルベアに襲われてグレートウルフに襲われるなんて思ってもみませんでした。2時間走り続けてそろそろそっちに行きそうです。
「嬢ちゃんジャンプ!」
ピアノが諦めかけた時、前方の岩場から男の声が響く。一瞬幻聴かと思ったが岩陰からチラリと見えた男の頭を飛び越えるように精一杯跳んだ。
黒い外套を羽織った男は狼とピアノの間に躍り出て、担いでいた大剣で一閃した。その一閃はピアノに肉薄していた三頭のグレートウルフを両断する。戦力の3割を奪われた狼達は急ブレーキをかけて慌てて引き返していった。
「あ、あ゛り゛がどう゛ござい゛ばずぅぅーーー!!」
乾きと疲れで意識を失いそうになりながらもピアノは礼を言う。冒険者らしい男は左手をヒラヒラと振りながら事も無げに返す。
「気にするな、探す手間が省けて助かった 討伐依頼だったんだ」
汗だくのピアノに男は水袋をすすめる。受け取った彼女は勢いよくそれを喉に流し込み、生を実感した。さらに男は肩で息をする彼女へ岩塩を砕いて舐めるように促す。
「それにしても何だってこんなところに一人でいるんだ?」
男の質問にようやく人心地ついたピアノは息を整えながら答えた。
「わたしラッキー運送の配達員でしてー・・ 仕事中だったんですよ」
「名前負けだな」
「いやー… あはは、ほんとそう思います 盗賊とロックベアとオウルベアとグレートウルフに襲われるなんてそうそう無いですよねー」
「本当か?」
「はい、グレートウルフ以外は私の足で華麗にまいてやりましたけど」
優し気な顔からは想像できない筋肉質な足をぺちぺち叩きながらピアノは誇らしげに言う。面白そうに顔を緩めた男だったが、すぐに引き締めて口を開いた。
「すぐに山を降りる とりあえず俺の依頼は達成できたしここに用はない」
「あ、でも、わたし目的地が反対なんです!」
「残念だか引き返した方がいい ロックベアもオウルベアも本来はこの山にいない連中だ 何かおかしい」
「そんな・・・ 期日までに届けないとお金が貰えないんです! それに手紙を待ってる人たちだって・・・」
「その金であんたの命は買えるのかい?」
男のその言葉に背筋が凍る。さっきまで死と隣り合わせのマラソンをやっていたことをピアノもさすがに無視できなかった。せっかく男のおかげで拾った命を小銭のために投げ捨てるのはとても出来ない。
「答えは決まったな?」
ピアノは引きつった顔でカクカクとおもちゃのように頷くと、泥にはまったような重い体を引きずって男のあとを追いかける。
「ま、そんな顔するなよ、討伐報酬は山分けでいいからさ」
不安げなピアノを励ましたかったのか男が笑いながら言う。ピアノは愛想笑いを浮かべながら男の表情を見る。自身の不運も考えたが、自信にあふれる男の表情に少しだけ安心した。
「あ、助けてもらったのに名乗ってもいませんでした 私ピアノっていいます 見ての通り兎人です」
ピアノは帽子を取り大きな耳を出すとピョコピョコと動かして見せる。厳密に言うとピアノは人間とのハーフだが、見た目は兎人と変わらない。ストロークの長い大きめの足に、人間のような手指とウサギの耳が特徴。ウサギには本来無い膨大な肺活量と発汗機能、それと強靭な心臓を併せ持つ生まれながらのランナーだ。兎人にはもっとウサギよりの全身ふかふかで汗をかかないタイプもいる。だが、ピアノはより走るのに特化した腿から下が毛深い種類だ。
「俺は見ての通り人間だ ヤスって呼ばれてる」
「ヤスさん、助けてくれてありがとうございます」
「堅苦しいのは無しだ それと、さんはいらない」
「それじゃ、私もピアノって呼んでね? 私の方が年下だから」
「・・・何歳だ?」
「15!ヤスは?」
「27」
「ヤス・・先輩」
「やめろ!ヤスだ!ヤスって呼べ!」
緊張をほぐすためだろうか無駄話を交えながらヤスは進む。知ってか知らずか少しづつ回復してきたピアノは会社の愚痴や身の上話なんかを始めた。
「今回だって距離の割に安いし前の給料だってまだ半分しか貰ってないの!」
「そりゃひどいな」
ヤスは周りを警戒しながら話を聞く。内容はあれだが、聞きほれるようなピアノの美しい声に悪い気はしない。
「歌はできるのか?」
「んー・・・ 恥ずかしいから人前では歌わないかな」
「ちょっと歌ってみてくれよ」
「やーよ恥ずかしい」
「町に着くまでまだ時間がある そっちは見ないからさ」
「・・・ほんとに見ない?」
「約束は守るタイプなんだ ? っしゃがめ!!」
ヤスが急いでピアノを抱きかかえて岩陰に身を隠す。何が起こったかわからないピアノはビクビクしながらヤスの顔を窺う。ヤスの顔が思いのほか近く、ドギマギするピアノは頬を赤らめた。
「連中の話が聞こえるか試してくれないか?」
ヤスが指差す方には山歩きには絶対に不向きな甲冑を着た連中と、怪しいローブ姿の人物が見える。真剣なヤスの表情に普段は聞こえすぎて頭が痛むため帽子で隠している耳を出して様子をうかがう。風のせいで聞き取りにくいが、頭痛を堪えて耳を澄ます。すると何とか概要はつかめた。その内容にピアノの血の気が引いていく。
「どうだ?」
「ま、町に魔物をけしかけるって・・・ 決行は・・今日の夜!? ド」
「ど?」
「ドラゴンが二頭・・・」
「ドラゴン!?」
青ざめた顔で震えるピアノをヤスは軽く抱きしめて帽子を被せ直した。
「町に戻るのも危なくなっちまったな・・ このまま川を少し下った先にパムって人の家がある 変わり者だがいい人だ、ちょっとそこで休ませて貰え」
「ヤスは・・・?」
「町に戻って知らせる」
「だ、ダメだってば! ドラゴンなんか勝てる訳ない!」
「だが戦えば町の人は逃げ出せるかもしれない もっとも負ける気は無いけどな」
「ダメよ!」
ピアノはヤスの腕を掴み引き留める。その手はガクガクと震えていた。
「心配してくれてるのか? 大丈夫だ、俺はラッキーだからな」
自信の溢れるその笑顔にピアノの手から力が抜けて離してしまった。するとヤスは自分の首から何かの牙だろう首飾りを外すとピアノの首にかけた。
「これを見せてパムさんを頼ってくれ じきに迎えに行く」
「でも!」
「俺はな、魔物の襲撃で妹を失った だからそういう奴が出ないように冒険者になって魔物狩りを続けてきた」
「・・・うん」
「だからな、助けられるかもしれない奴がいるなら俺は助けたい」
「・・うん」
「今なら奴らよりも早く町に着いてギルドに報告できるかもしれないし、剣となって人を助けられるかもしれない」
ピアノは再びヤスの手を掴み意を決して口を開く。
「じゃあ私も行く」
「ダメだ!」
「じゃあヤスも行っちゃだめ」
「そうじゃないんだよ・・・ 必ず迎えに行くから待っててくれ!」
「ヤスは命の恩人なの! 死んでほしくないの!」
「俺は死ぬ気なんかない まだピアノに歌って貰ってないからな」
ヤスの決意が決して揺らがない事を理解してピアノは頷く以外なかった。命の恩人とはいえ出会ったばかりの男の心配なぞ彼女自身が不思議に思ったが、どうにも気持ちがざわついて勝手に口に出ていた。
「じゃあ、私が町に知らせに行くっていうのは?」
「だから・・・」
「たぶん私の方がヤスよりも足が速いし、ヤスに助けて貰うまで私2時間走り続けてたのよ?それだけ走れば町までつくもん」
ヤスは口をパクパクしながら断る言葉を探したが、ピアノの燃え盛るような赤い目を見てはらをくくった。
「降参だ・・町に知らせるのは任せる 俺の冒険者証をカウンターのデルモってやつに渡してくれ そうすりゃしっかり話を聞いてくれるはずだ 俺は連中の足止めをしてみる 危ないと思ったら絶対に逃げてくれよ?」
「うん!」
そこからピアノは駆けに駆けた。山道を行けば連中の仲間がいるかもしれない。それ故に足場の悪い岩場を文字通り飛び跳ねて山を駆け下りてゆく。自慢の足で岩も小川も魔物さえも飛び越え疾く早く。その場所が森に変わっても彼女の足は止まらない。木々がぶつかり傷を負って血を流しても彼女は止まらない。藪をかき分け草を蹴散らし先を急ぐ。かつてないほど冴えた頭でどう駆ければ最短かを瞬時に理解して彼女は進む。あらゆる障害をすり抜けてただ町を目指した。焼け付く喉をヒューヒューと鳴らしながら。既に二時間を越える全力疾走で体は限界。それでも足を前へ送り出して彼女は進む。諦めを叩き出してギルドへたどり着くという覚悟で痛む体を前に進め、ようやく町が見えてきた。
だが、土煙が上がり外壁の辺りにキラキラと反射する光が見える。さらに近くによるとピアノの心臓は止まりそうなほど大きく跳ねた。
(もう・・魔物が・・・)
キラキラ光っていたのは兵たちの振るう剣であった。すでに戦闘は開始され門は閉ざされていたのだ。これでは町に入れない。血の気が引き、熱かった汗が一気に冷えて追いやっていた体の痛みと諦めが彼女を襲う。
ところ変わって山中のヤス。甲冑どもを蹴散らし撤退に追い込み、ローブの男を捕まえて尋問中である。
「言え!」
「ふひ、フヒヒ!もう手遅れだ!今頃第一陣が町を襲ってる!あの町は今日無くなるんだよ!!」
怒りに震えるヤスは男の頬へ一撃入れる。それでも男は薄ら笑いを止めずに続ける。
「あ、あれはあくまで囮!本隊は今頃ドラゴンを引き連れて町に向かってる!ヒっヒヒ!挟撃するようにな!」
「何が・・何が目的だ!!」
「目的?ヒッフヒヒヒっ!俺が知るかよ!お偉様が決めたことなんかに理由があるかよ!!」
「・・・所属はどこだ?」
「ひゃひ、ひゃははは!」
男は笑い声をあげた後に血を吐いて事切れた。毒を噛んだようだ。
「クソ!!」
男の荷物を探るが素性を示すものはおろか名前すら確認することができなかった。ただ一つ、黒い皮手帳の1ページ目に一言だけ”ディストルツィオーネ”と書かれていた。
「やらせるか・・やらせるかよ!!」
ヤスは町に向けて走る。ピアノを先に行かせたことを後悔しながら。
場面は戻って町に着いたピアノである。彼女は水袋をちびりちびりやりながら必死に考えていた。普段ならさっさと諦めて別な町に移る算段でも始めている頃だが、ヤスの顔が頭から離れず逃げることができなかった。さらに単眼鏡でのぞけば友人である魔術師が門の上から前衛を援護しているのを発見し、なおさら逃げることができなくなった。だが、町に入るための肝心の術がない。
(伝えなきゃ・・・ドラゴンが来ることを)
そのまま単眼鏡を下へ向ければ大鬼やサイクロプスが門を叩き、ゴブリンやらコボルトなんかが人間を遠ざけるように戦闘をしている。門の上から魔法や弓、投石で援護はしているがこのままでは門が破壊されるのも時間の問題だろう。
(どうしたら・・・)
ふとピアノは門の前の大鬼とサイクロプスにくぎ付けになる。何やら魔物の様子を見てはかぶりを振ってまた様子を見る。カチカチと歯がなるほど体を震わせて怖気づきそうになるが、ぺちぺち頬を叩いて自分を奮い立たせた。
(・・・・・・絶対できる!)
姿勢を変えるだけでギシギシ音がなるクタクタの体に鞭を打ち、再び彼女は走り出す。門へ向かって一直線。なるべく力まず、最小の動きでゴブリンを避け、コボルトを躱し、冒険者すらすり抜けて一目散に駆け抜ける。そして力一杯地面を蹴って大鬼の首に着地し、一蹴り入れてサイクロプスの顔面に到達。脱兎のごとく目玉へ一蹴り入れてから額を蹴っ飛ばして外壁の上に着地した。外皮が硬いサイクロプスも目は人並みであり、ピアノの一撃で視界を失いその場に倒れ伏した。百戦錬磨の冒険者たちがそれを見逃すはずも無くサイクロプスは打ち取られたのだった。
「ぴ、ピアノ!?」
辛うじて門の上に辿り着いて動けなくなっているピアノを友人のノリーンが見つける。放心状態でいるピアノに肩を貸して階段を降り救護所まで向かう。呼吸が荒く肩越しにでもわかるほど心臓が脈打ち、死んでしまいそうな程震えている。
「なんであんな無茶したの!」
ピアノのお姉さんを自称するノリーンは心配のあまり叱ってしまった。だが、ピアノはそれに答える余裕がない。
「どら」
「どら?」
「ドラゴンが」
「ドラゴン!?」
「くる」
それだけ言うとピアノは意識を失ってしまった。ピアノを可愛がっていたノリーンの慌てようは戦時の町でも噂になるほどであった。
次にピアノが目を覚ましたのは空が赤く染まり鳥が寝床に帰る頃だった。薄暗い部屋の中で彼女は飛び起きる。
「~~~~~~!!!!」
ベッドの横でタオルを絞りながら見ていたノリーンは言葉にならない叫びをあげてピアノに飛び付き締め上げる。状況をいまいち飲み込めていないピアノは何をしていたか必死に頭を働かせる。
「痛いよノンちゃん」
「ヒ゛ア゛ノ゛ォォ---!!」
汁という汁を流しながら顔を歪ませる自称お姉ちゃんの頭を撫でながら安らいだピアノは次第に自分の伝えなければならない事を思い出す。
「ドラゴン!!」
ピアノが叫ぶとノリーンは我に返って座り直し、顔をぬぐってから状況を説明し始めた。
「うん、それはマスターに伝えてあるわ ピアノのおかげでサイクロプスを倒して小康状態、第一波は追い返したの まだ森の入り口辺りでこっちを伺ってるからきっとまた来るわ」
「信じて、くれたの?」
「もちろん! ピアノが持ってた牙のネックレスを見たらマスターが増援依頼をかけてたわ 誰のものだったの?」
「ヤス 黒ずくめでおっきい剣で・・・」
格好いいと喉まで出てきたが飲み込んだ。だが、そこまで聞くとノリーンは手を叩いて納得した。
「あぁ、その人この辺じゃ唯一のランカーだわ ”漆黒の光剣”って冒険者知らない?」
「?」
「し、知らない?ヒミウス公国の英雄とか、黒い一匹狼とか・・・」
ピアノは口を開かずにニコっと笑った。あきれ顔のノリーンは説明を続ける。
「彼は数年前にとあるパーティーと一緒に火竜を倒して名をあげたの 一緒に戦ったのが何を隠そう”癒しの聖女イリーナ”率いるソーニアスユース!憧れちゃうわね~」
再び笑顔を浮かべたピアノにそれを察すると肩を落としてノリーンは話を進めた。
「ま、まぁ漆黒の光剣が戻ってくればどうってことないのよ!ピアノは来たばかりだから知らないだろうけどこういう事は前にもあったわ そのたびに領主の兵と冒険者ギルドが協力して撃退! この町を守ってきたの 私もそれに憧れて冒険者になった口だからね!」
「ドラゴンは・・・二頭来るの」
「!」
「トレイルドドラゴンっていうのがどんなのかわからないけど、それの他にもう一頭くるって」
「・・・うん、少しマスターに報告してくるから休んでて」
そう言うとノリーンは部屋を出ていった。置いて行かれたピアノはひとまずノリーンの準備してくれた水桶のタオルで火照った足を冷やす。数年前に姉をなくしたノリーンは身一つでこの町に来たピアノを妹のように可愛がり、ルームシェアをしてくれている。血のつながりは無いがピアノにとって姉であり、無二の友である。この件が落ち着いたらノリーンと別な町に移ろうかと考えているとドアが勢いよく開いてピアノを驚かせた。
「す、すまない 目が覚めたと聞いてな 私がこの支部のマスターをやっているグラトムだ」
部屋の隅に飛びのいて目を真ん丸に見開いたピアノをみて申し訳なさそうに男は頭を下げた。グラトムは虎をそのまま二足歩行にしたような筋骨隆々の虎人であった。急所を守る程度の軽装だがそのたたずまいはそこらにいる冒険者よりも抜きんでたものを感じさせる。似合いもしない眼鏡をかけ直すとグラトムは申し訳なさそうにその鋭い爪で頭を掻いている。
「女性の部屋にノックもせずに入るとは・・・紳士としては失格ですわねぇ! 引退して私の部屋のカーペットになって頂いてもよろしいのよ? 私がしっかりこのギルドを導いて見せますわ! おほほほほ!!」
一拍遅れて部屋に入ってきた癖の強そうな女性は目を細めてグラトムを一瞥したあと口元を扇子で隠して高笑いをあげた。ぽかんとするピアノに気付くとにっこりと笑い自己紹介を始める。
「あら、私としたことが・・・ この無礼な男の秘書、プリネラですわ 可愛いお嬢さん、お見知りおきを!」
再び高笑いをあげたあとプリネラは綺麗なカーテシーであいさつした。とても秘書とは言い難い派手な赤いドレスである。フリルヘッドドレスも赤が基調の派手なものだ。
「ぴ、ピアノです 兎人です・・はい」
どう返していいかわからずピアノがわたわたとしていると、グラトムがゴホンと咳ばらいをして話し始めた。
「ピアノ君、楽にしてくれ 早速で悪いんだが、君が見たこと聞いたことをできるだけ詳細に教えてくれ どこからの情報でヤスは今何をしている?」
普通サイズのはずだが、グラトムが腰掛けると椅子もテーブルも小さく見える。反対にはド派手なドレスの女性が腰掛けるものだからどこかの魔法の国の様だ。それに加えてティーセットまで運ばれてきたものだからおとぎ話の挿絵の様だと失礼とは思いつつ堪え切れずにピアノは少し笑ってしまった。
「はい、それは・・・」
ピアノはヤスとの会話、山中で見かけた怪しい一団、山で起きた事をできる限り詳細に説明した。グラトムは顎に手を当ててそれを静かに聞いていた。
「ふーむ・・・ よく知らせに来てくれた、君の勇気ある行動に感謝を」
「どこかの毛むくじゃらよりもよっぽど勇敢ですわねぇ! ほーんとひん剥いて壁に飾ってやろうかしらぁ」
「ヤスを戦力に数えたかったがいつ戻るかわからん 俺も出よう」
「総大将が前線に出てどうするおつもりなのかしら?」
「ドラゴンが来るなら如何せん戦力が足りん 俺がこの町を攻めるなら挟撃しか考えない 第一波で本命とは逆の門に戦力を集中させてから本隊を使って反対の門を破り突破する」
「気の小さいもじゃもじゃは考えることも小さいわね」
「実際にやられれば実に面倒だ 大鬼まで引っ張ってこられては無視するわけにもいかん 日中のあれで全てではないだろう」
話している間にも外はいよいよ太陽が山向こうに隠れて全ての色が一色に塗りつぶされていく。
「マスター!増援の件ですが・・・」
ノックしながら入ってきた眼鏡の線の細い青年がピアノの視線に気付き口ごもる。
「彼女は大丈夫だ、続けてくれ」
「はい、ピルークからの増援は”黒鉄””紅蓮の聖騎士””11ブレイブ”の3パーティだけだそうです 最短で来れるのは”黒鉄”の・・3人だけで半日後だそうです・・・」
「うむ、来るだけましだ なぁに、人間死ぬ気になればなんとかなるものだ 指揮はお前に任せる、実力を見せてくれ」
「マスター・・・お任せください!」
「マルク、あなたならこのもじゃもじゃよりもしっかりこなせるでしょう あなたが後悔なさらないように頼みますわよ?」
「はい! マスターのこと、よろしくお願いします」
マルクは頭を下げた後、部屋から駆けて行った。
「さて、ピアノ君 君の足ならきっとここから抜け出せるだろうが・・・聞くまでもないか」
「あらあら、可愛らしいお嬢さんだと思ったけど・・そんな顔もできるのねぇ」
明らかなオーバーワークで体のいたるところにガタが来ているが、ピアノはノリーンを放って行くなど考えてはいなかった。それにヤスの顔が離れない。逃げてはもう会えない、そんな気がしていたのだ。
「こんな状況だ、非戦闘員でも手を貸してほしい やってくれるか?」
「はい! 走る以外にできませんけどなんでもやります!」
「あらピアノさん そんなことを言ってはどんな目にあうかわかりませんわよ? その美味しそうな足を置いていけー!・・なんてねぇ」
プリネラはにこにこしながらグラトムを見る。ため息をつきながら頭を掻いてグラトムが補足する。
「あー・・こいつの言っていることはあながち間違いじゃない ここのギルドにはいないが、他の場所ならやる気のある若い奴を食い物にする連中もいるってことさ 若い子が軽はずみに言っていい言葉じゃないってことだ」
「えー、と・・はい?」
「うむ、あまりぴんと来ないだろうが、言葉ってのは意外に力があるんだよ からかってるわけじゃなく、他人のために力を尽くす君のような子をひどい目にあわせないための老婆心ってやつだろう」
「気・づ・か・いっ!」
プリネラは老婆心という言葉に目くじらを立ててグラトムのしっぽを叩く。無意識かその尻尾はプリネラの手に収まり彼女はその先っぽを握って落ち着いた。やはり無意識だったようでグラトム本人は何事もなかったかのように話を続ける。
「聞いていたと思うがマルク、さっきの若造に全体の指揮は任せることにした ピアノ君には奴に付いて連絡員として動いてほしい」
「わかりました」
「だが避難は君の判断に任せる ダメだと思ったら逃げてくれ、以上だ」
グラトムが言い終わったタイミングで擦半鐘が急を告げる。ピアノの心臓はまた大きく跳ねて一気に体中へ血を送り出す。穏やかだったグラトムの目は吊り上がり、ピアノがこれまでに見た何よりも恐ろしい形相へと変わった。
「ピアノ君、君への指示はマルクがする 見た目は頼りないがやるときはやる男だ」
「は、はい!」
「プリネラ、北門へ向かうぞ」
「はいはい、普段からそのくらい威勢よくなってくれないかしら?」
そう言いながらも少しだけ嬉しそうなプリネラはグラトムの一歩半後ろをついて行く。尻尾分だ。二人と入れ替わりで温かいミルクティーを持ってきたノリーンが心配そうにピアノの顔色をうかがう。
「何か無茶なこと言われなかった? マスターは温厚だけど容赦なく人に任せるから・・・」
ミルクティーを受け取りながらピアノが答えた。
「んーん 伝令を頼まれただけ」
「頼まれてるじゃん! 引き受けちゃダメだってば!!」
慌てるノリーンを見ながら猫舌のピアノに合わせて冷ましてあるミルクティーをちびちび飲みながらあっけらかんと答えた。
「手紙の配達と変わらないでしょ? 大丈夫」
「変わるってば! 今回は戦争なんだから伝令が狙われることだってあるんだよ!?」
戦争という言葉にピアノはまたドキリと心臓が鳴った。山中で見た甲冑姿の男たちを思い出し、ああいった手合いの連中ともかち合う可能性を理解した。それでもここにいるノリーンだって逃げない。それにヤスだって今は町に向かっているはずだ。二人を置いて逃げるなど今更彼女にはできなかった。
「でも、ノンちゃんは逃げないんでしょ?」
「それは、まぁ、冒険者だし?」
「前に私のことを妹だって言ってくれたの覚えてる?」
「もちろん!」
「私がお姉ちゃんを捨てて逃げると思う?」
「・・・おもわない」
「できることがあるなら私はやるよ 逃げたら一生後悔するから」
「あー、もう!あーーーもう!! ピアノはもう!」
言いたいことはたくさんあるようだが狼狽して言葉にならず、自分への怒りでふんふんと鼻を鳴らして地団駄を踏んだ。そして思い切りピアノを抱きしめた後にこう言った。
「絶対無理はだめ!危なくなったらすぐに逃げること!あと知らない人は武器を持ってなくても油断しないこと!」
「うん、わかった ノンちゃんも気を付けてね?」
「わかってる 約束、守ってよ?」
普段は臆病なピアノだが”こう”と決めたら梃子でも動かない。ノリーンは自分が折れるしかない事をわかっていた。一つため息をつくと彼女はピアノに背を向けて歩き出す。彼女は彼女の持ち場に戻るのだ。
「ピアノさん、よろしいですか?」
部屋の入り口からマルクの呼ぶ声がする。皮製の小さな背嚢を背負いピアノは歩き出した。
少し離れてウーポ山のふもとの冒険者ヤス。これまでに見たことのない量のモンスターを前に山中での出来事が現実であることを痛感していた。いち早く町に戻りたいところだがこの量のモンスターが雪崩れ込めば町の防衛隊に痛手を与えることになってしまう。そのため極力減らしてから町に戻るしかなかった。ここら辺では普段見かけないモンスターを切り伏せて彼は進む。
(しかしこの量!さすがにキツい!!)
背中の大剣は小回りが利かないため緊急用の双剣で奇襲をかけながら進む。彼の売りは得物を選ばずに立ち回る汎用性とスタミナだ。ソロの冒険者は相手によって立ち回りを変えなければ直ぐに命を落とす。さらにパーティなら夜営できる場所でもソロならば進むしかない。そういった冒険が今の彼を作り上げていた。そんな彼でも山の七合目からモンスター相手に強行軍を続けて疲れが溜まっていく。それでも彼は諦めない、ギルドの面々を信じていたのだ。ギルドマスターのグラトムは怪我で引退したとはいえ手練れ、補佐のプリネラも同じパーティーで名を馳せた凄腕だ。他にも彼の人柄を慕って集まった粒ぞろいの面々が揃っており敵が強かろうが絶対に陥ちない。確信に近い思いで目の前の大鬼を両断するとようやく町が見える。辺りはすっかり暗くなり、外壁の上には松明の明かりが慌ただしく揺らめいているのが見えた。さらに近づけば大鬼とサイクロプスがゴブリンやコボルトを壁の上へ放り投げている。
(頭を使う奴がいる・・・ まるであの時と同じだ!)
本来他種のモンスターと群れないサイクロプスや大鬼がお行儀よく雑魚を門の上に送り込んでいる。故郷が襲われた時と同じ連携するモンスターを見ながらヤスは一直線に突撃する。街道を埋め尽くすモンスターを再び双剣で薙ぎ払い道を切り開く。背後の異常に気付いた大鬼がコボルトをヤスに向かって投げつける。だがヤスはすり抜けるように躱すとすれ違いざまにコボルトの首を切り飛ばしてそのまま大鬼へ接近、大剣へ持ち替えて右袈裟を繰り出して大鬼を切り伏せた。
「ボードウェイ!お前がいて何やってんだ!」
「ヤスか!どこ行ってたんだ祭りに遅れやがって!」
長斧を振り回しながら髭面の大男が叫ぶ。その一瞬の隙を見逃さずドッジウルフが背後に迫る。それをシールドバッシュでもう一人の男がぶっ飛ばす。
「おい髭!油断しすぎだ!」
「はっ!!お前が来るのが見えてただけだ!」
ボードウェイは左手で手斧を投げ、盾の男に突撃してきたコボルトの頭をかち割ると長斧を振り回してドッジウルフを薙ぎ払う。
「ボードウェイ!北門にドラゴンが来るらしい!俺はそっちに行くからここは任せたぞ!!」
「さっさと行け!お前にやる獲物はいねぇ!!」
「そうこなくちゃな!後で一杯奢るよ」
「聞いたかお前ら!!今日はヤスの奢りだ!!」
がははと笑いながらボードウェイは大鬼のはたき落としを避けて鳩尾に一撃入れる。ヤスは森のモンスター全てを狩ってきたわけではない。甘く見て五分の勝負だが、彼らを信じてドラゴンが来るであろう北門に向かうしかなかった。
「ピアノさん、この書状を北門のマスターに届けて来てもらえますか?」
マルクがピアノに打診する。膝の曲げ伸ばしをしていたピアノは任せろと親指を立てて返事をすると小さな背嚢に書状を放り込むと階段を駆け下りる。
「くれぐれも気を付けて下さいね!」
マルクの心配そうな顔に右手を挙げてピアノは走り出す。食いしばっている歯を緩めるとカチカチと歯が鳴りそうだったから声を出さなかったのだ。まだ町の中への侵入はされていないはずだが、マルクの話では間者がいてもおかしくないとのことだ。用心に越したことは無い。
(知らない人は武器を持ってなくても警戒、一定の距離を保って移動!)
町民は町の中央にある大教会付近へ避難している。町を行きかうのは北門と南門に物資を運ぶ非戦闘員だ。いつもは活気のある商店街も、今は暗く沈んだ顔の者たちであふれている。彼らの多くは駆け出しの冒険者と訓練中の兵士だ。初の実戦が町の存亡をかけた一戦になるなど想像もしていなかったはずだ。ピアノはそんな彼らの横を警戒しながら走り抜ける。少し休んだせいか体はそれほど重くはない。ほどなく北門にたどり着き、戦闘準備中のグラトムとプリネラに遭遇した。
「あら、早速お仕事? 体は大丈夫なの?」
「ありがとうございます、大丈夫です!」
走ったせいかピアノは体の震えも落ち着き話せるようになっていた。背嚢から書状を取り出してグラトムに差し出す。
「ありがとう 通信の魔法の使えるやつが出払っていてね 少し状況確認をするからピアノ君は衛兵屯所で少し休んでいてくれ」
「あ、お構いなく 体が冷えると走れないんでうろうろしてますね」
「あら、そこらの駆け出しよりもしっかりしているわね あなたも見習いなさい」
赤い軽鎧に身を包んだプリネラがグラトムに目をやる。レイピアの様な武器を持っているが、明らかにそれと異なり長く太い。軽く見積もっても10kgはありそうだ。プリネラはそれを片手で軽々と振り回しウォームアップを始めた。
「うむ、久しぶりの実戦だからな だが手紙には返事を書かねばなるまい それが終わってからだな ピアノ君、少し待っていてくれ」
ピアノが頷くのを確認した後、グラトムは屯所に向かって消えた。腿を上げたり屈伸をしながら次の手紙を待つピアノにプリネラが声をかける。
「ところであなた、ラタン村の出身でしょう?」
「は、はい どうしてそれを?」
「やっぱり! あなたの小さい頃にあったことがあるの 覚えてないでしょうけど、あなたの耳には見覚えがあったのよ 大きくなったわねぇ お父上はご壮健でいらっしゃるの?」
「父は・・」
言いかけた時に物見台から半鐘が休みなく打ち鳴らされる。この町の擦半鐘は外敵の接近を知らせるものだ。つまり北門にもモンスターの群れが現れたのだ。
「あら、礼儀のなってない連中ですわねぇ しっかりマナーを身に着けて貰わないと! それじゃ、ピアノさん あの虎男の手紙をよろしくお願いしますわね」
返事をする前にプリネラは跳ねるように壁へ駆けあがるとそのまま消える。少し遅れてグラトムも屯所から出てきた。
「ピアノ君、この手紙をマルクに届けてくれ」
「あ、はい あの、プリネラさんが・・」
「心配いらない、あいつはこの町で二番目に強いからな だが、戦力の逐次投入は愚策だ 私もすぐに行く」
「お気をつけて」
「ありがとう、ピアノ君も十分に気を付けるんだよ」
そういうとグラトムはその見た目からは想像できないようなしなやかな動きで壁の向こうへ消えていった。だがそれ以外に壁の向こうに出る者はおらず、砦の様な壁の上から援護するものしかいない。二人が心配になったピアノはそこらをウロチョロしている冒険者らしき女性を捕まえる。
「あ、あの!グラトムさんとプリネラさんが外に出たみたいですけど大丈夫なんですか?」
「ん?誰だいあんた?まぁ、いいか あの二人なら大丈夫さ 逆にあたしらが出たら邪魔になっちまう 壁の上から牽制するくらいさ」
キョトンとするピアノを尻目に女冒険者はさっさと弓を担いで行ってしまった。心配はあれど、ピアノにできることは変わらない。託された手紙をもってマルクのもとに急ぐのだった。
「来たぞ、プリネラ準備はいいか?」
「あら、誰にものを言っているのかしら?私に調子は無いわ、いつでも万全なのよ!」
高笑いを上げるプリネラを見てグラトムは笑う。とある戦いで大怪我をしてから後方に回って腐っていた彼は彼女に頭が上がらない。追放されたパーティーから彼の後を追ってやってきた彼女との毎日が彼を変えたからだ。”力を過信して無謀な突撃を繰り返していた過去を消すことはできない。だがそれを教訓に後進の指導をすることはできる。”退屈なデスクワークも彼女の言葉でやりがいを得て日々精進することができるようになった。さらに彼女のもとで送る規則正しい生活とリハビリで不可能と言われていた傷の根治も成し遂げた。彼は冒険者として活動することに枷はなかった。それでも後方から離れなかったのは彼女と過ごす日々がたまらなく愛しい物だったからだ。だが、彼がプロポーズに踏み切れないのは理由があった。彼女が吸血一族であるためだ。自分が、あるいは彼女が人間であれば迷う事はなかったが、亜人同士では子が生せないのだ。二人で町を歩くときに見せる子供をいつくしむような目を彼は無視できなかった。
「あら、トレイルドドラゴンが見当たらないわねぇ」
場違いなことを考えていたグラトムはプリネラの言葉で我に返る。かぶりを振って迫ってくるモンスターの群れを見ながら集中する。
「まぁっ!あの程度のモンスター群に隠蔽魔法をかけた世間知らずがいらっしゃるようね!」
プリネラの言葉でグラトムは引退後に覚えた魔法を使って敵の隠蔽魔法を解除する。二人の眼前に現れたのは二頭のトレイルドドラゴンであった。この時点でピアノのもたらした情報と違うものになってしまった。正しくは二頭のトレイルドドラゴンとその他にもう一頭という事だったのだろう。
「おほほほ!あの程度増えたところで私の敵じゃあありませんわ」
彼女は自信家ではあるが無謀ではない。グラトムに魔法を教えたのは彼女である。最低限の言霊で魔法を発動させると突進してきた一頭のトレイルドドラゴンが地面に消える。土魔法で落とし穴を作ったのだ。
「またキレが上がったのか?」
「私を誰だと思って? ”紅の魔姫”は伊達じゃあないのよ!」
空中に巨大な氷塊が出現して落とし穴に落ちたドラゴンを圧殺する。もう一頭は落とし穴を回避して門に接近してゆく。それに向かってグラトムは土魔法で壁を数枚作り激突させてスピードを削いでから体当たりを食らわせた。ドラゴンは勢が足りずに門を破れず跳ね返されて転倒する。さすがに装甲竜とも呼ばれるドラゴンは横からの体当たりごときではダメージを負っていないようだ。
「こっちは任せろ、あとを頼む!」
「おほほほ!役割が解っているじゃない!」
プリネラの魔法は大味で門を破壊しかねないためグラトムが接近戦で仕留める算段だ。本来は最初の落とし穴で二頭とも仕留めたかったが、さすがに上手くはいかない。後ろから聞こえる轟音でプリネラの無事を確認しながらグラトムは出の速い火の初級魔法を連打しながらドラゴンに接近する。突進のスキを与えないように後ろへ回り込み皮膚の薄い尻の辺りを全金属製の戦槌で叩く。首が短く外殻の硬い頭付近では有効打になりにくいこのドラゴンへの正攻法だ。再三にわたる戦槌の攻撃で動きの鈍ったドラゴンの背中にはモンスターテイムの証である契約紋が月明かりで確認できた。
「プリネラ!アッサラームだ!」
モンスターテイムの紋章にはお国柄がでる。三日月の聖杯の紋章は隣国のアッサラーム聖国の物だ。断言はできないが戦争の為に足がかりが欲しいのだろう。モンスターの襲撃に見せかけてこのフレッド教国寄りのこの町を壊滅させて接収したいのだろう。グラトムの一撃で後ろ足の骨が折れたドラゴンは自重を支えきれなくなりその場にうずくまった。
「面倒ねぇ・・・ そういうのは他所でやってほしいですわ!」
ドラゴンとの勝負が決まったのを見るとプリネラが巨大な火の魔法でコボルトを一掃する。一息つこうと向き直ると燃え盛る街道の向こうに大きなシルエットが浮かび上がった。プリネラが慌てて防御魔法を展開し一撃に備えると炎の先から閃光が襲う。
「プリネラ!!」
グラトムが素早く駆け寄りプリネラを抱きとめる。防御魔法は一瞬で破壊され、直撃は免れたもののプリネラは無視できないダメージを追っていた。
「グッう、油断しましたわ」
プリネラは腹から下へ深い熱傷を受けている。グラトムは立てそうにない彼女を抱えて防御魔法を展開するが彼の魔法はプリネラよりも弱い。壁の中に戻る訳にもいかず魔法を重ね掛けするしかなかった。そして再び炎の先から眩い光が彼らを覗く。
「次は、無い わ 逃げなさい グラトム」
グラトムとプリネラ二人の防御魔法で辛うじて一撃を防いだが満身創痍の彼女にもう一回魔法を使う程の力は残っていなかった。グラトムも彼女を庇って背中に大きな火傷を負った。
「断る、お前を見捨てるくらいならここで死ぬさ」
「・・ばか」
炎の先から白銀の巨体が姿を現す。正体はミスリルドラゴン、魔法金属と呼ばれるミスリルと同等の硬く魔法耐性の高い鱗を持つ強力なドラゴンだ。人前には滅多に姿を現さないはずのそれが目の前に現れた。竜は咆哮し、鎌首をもたげて二人を見下ろした。これで最後とプリネラを強く抱きしめるとグラトムは目を閉じた。
「ずいぶん行儀が良いじゃねぇかおっさん!!」
繰り出されたブレスを両断しヤスが二人の前に躍り出る。
「ヤス!」
「少し遅れた、プリネラさん連れて中に入っててくれ」
「すまん、任せた」
言葉少なにグラトムはその場を去る。それだけ彼の信用は厚かった。だがヤス本人は少し焦っていた。
(足が棒みたいだ・・・それにあいつはまだ本気じゃない)
多くのモンスターを狩ってきたヤスは直感的にそう捉えていた。彼の主力武器である両断剣ブレイブブレイドは魔法だろうがドラゴンの属性付きブレスだろうが両断する。さらに使用者が死なない限り折れない不壊の加護のついた魔法剣だがたいして切れ味は良くない。振り抜いて切れればいいが魔法金属と同等の硬さを誇るドラゴン相手にどれだけの勝負ができるかわからない。
(だが、やることはかわらない!)
ヤスは強化魔法をかけながらドラゴンに接近する。肉薄して小回りを利かせて戦えば広範囲に届くブレスを使い難くできると考えたのだ。一気に加速してドラゴンの左前足に一撃を入れる。だが、その重量と硬さも相まって岩でも叩いたようにびくともしない。ドラゴンは羽虫でも相手にしているかの如く煩わしそうに前足で薙ぎ払いを繰り出す。だが単調な動きは予測しやすくヤスは難なく躱して今度は右の肘窩を突く。これは気になったようで右足を引いた勢いで尻尾を叩きつける。
(だいたいこういう硬い連中は腹側は柔らかいもんだ!)
ヤスは大剣で尻尾を受け流すと距離を詰めて懐に入り込み短剣で脇を切りつける。しかし磨き上げた短刀でも傷はつかず、ドラゴンは噛みつきを仕掛ける。念のため初級ではあるが口の中に火魔法を突っ込んでみるが何の痛痒も与えることができずに距離をとる。その隙を見逃さずドラゴンはブレスを吐いて追撃する。だが、愛剣の性能に助けられてヤスは無傷で切り抜けた。お互い一手も有効打を与えられない。
(あれをやるには隙が必要だ一分でいい、いいんだが・・!)
距離を取ればブレスが、接近すれば薙ぎ払いが襲ってくる。かすりでもすれば態勢を崩し一発でかいのを貰う可能性が高い。互いに決め手を欠いたまま時間が過ぎる。しかし、ここにきて連戦の疲れが祟りヤスの息が上がり始めた。剣を振り続けた手は徐々に感覚を無くし、走り続けた足は前に出なくなっていく。その僅か数センチのズレが致命的だった。
「がっ!」
避けそこなって手痛い一撃を貰い、門の片側を叩き割って衛兵屯所に突っ込んだ。額が割れてヤスの視界が赤く染まる。朦朧とする意識で手足の欠損が無いことを確認してよろよろと立ち上がる。近くで何やら騒いでいる声が聞こえるが何を言っているかはかわからないほどダメージを受けていた。
「止めろーーー!!突っ込めーーー!!」
ヤスの後退で門の上からはありったけの弓と魔法で牽制を行いながら傍で待機していた冒険者や衛兵たちが突撃を開始する。だが、ドラゴンは止まらない。次々と門の上をブレスが襲い、痕も残さず命を刈り取っていく。直接攻撃部隊も戻ることのない片道を突き進む。
「くそったれ!くそったれ!!」
「きゃーーーー!!」
「助け助けてくれ!!」
ドラゴンは怒号と悲鳴が織りなす命の歌を指揮でもするかのように町に向かう。ようやく視界と聴力が戻ってきたヤスはそれを前に剣を握り直す。怒りと悲しみ、そして故郷の映像が頭を駆け巡り、千切れそうな程痛む四肢を前に動かした。
「ヤスさん!その傷じゃ無理です!」
救護の女性は引き留めたがヤスは駆け出す。数多の命が生命の流れに還るその渦の只中に。
(寝てられるか、起きろ、進め、走れ!走れ!走れ!)
揺れる意識を、上がらない足を守るという一心で動かしてヤスは進む。一時も忘れたことのない、何もできずに失った妹と故郷の人達。今度はきっと誰かを守るのだと。そして漆黒の魔剣、両断剣ブレイブブレイドはヤスの命を吸って輝きだす。スピードを増したヤスは仲間をすり抜けドラゴンへ肉薄する。また来たかと言わんばかりのドラゴンだが、一太刀受けると澄ました顔を一変させて力尽くで剣を振り払う。前足から緑色の血が噴き出ていた。生き残っていた者達からは歓声が上がり、ヤスを主軸に陣形を整え始めた。そこに殺気のこもった咆哮が響く。白銀の鱗はより輝きを増して薄っすらと光をたたえ、威容すら感じさせた。逆転の狼煙かと思われた歓声はすっかりと掻き消え、死を覚悟した者達が膝を付いた。ただ一人を除いて。
既に魔剣の解放は5分を越えて使用想定時間を上回っていた。刻一刻と命を削るがヤスは止まらない。だが体はすでに限界、ドラゴンはさらに硬く速くなり、切り込めても薄皮一枚切る程度で精一杯だ。視界もぼやけて切り込みが定まらない。
「ヤスーーーーー!!!」
ヤスはいよいよ耳もおかしくなったかと思ったが再び聞こえる美しい声になぜか落ち着きを取り戻してきた。
「何やってる!」
「救助活動!」
「違う!なんで逃げなかった!」
「逃げるかぼけーーーーー!」
ドラゴンの薙ぎ払いを避けながらピアノが叫んだ。
「緊張で心臓吐きそう!何このバケモン!!」
「早く、だから早く逃げろ!」
「ヤスもノンちゃんも置いて行けるかぁあーーー!」
怒っているのか泣いているのかわからないピアノは薙ぎ払い後の一瞬の硬直を付いてドラゴンの手を蹴り飛ばす。派手な音を上げて初めて巨体が揺らぐ。それを見てドラゴンもヤスも驚きを隠せなかった。
「ピアノ併せろ!俺が首に剣を突き立てるから思いっきり蹴っ飛ばせ!!」
「!」
ヤスの目を見てピアノが頷く。呆然としていた周りの人間たちも我に返りその一瞬の隙を作るために動き出す。
「露払いだ!行け行け行けーーー!!」
咆哮を上げるドラゴンに各々最後の突撃をかける。ブレスによって消える者、噛み砕かれる者叩き潰される者、一度折れた心を奮い立たせて皆愛する者の為に命を懸けて突撃していった。そしてヤスとピアノは辿り着いた。
「いけぇぇぇぇえピアノぉぉぉぉおおお!!!」
「せぇぇぇぇぇぇぇええい!!!!」
「「「おおおおおおぉぉぉぉぉぉおお!!!!!」」」
こうして暁の空に大きな勝鬨が上がったのだった。
「あれぇ、プリネラさん今日はご機嫌だね」
「あらピアノちゃん、わかる?わかる?」
「あ、わかっちゃったかも」
プリネラの左手の薬指には輝く物があった。
「ようやく・・・ようやくなの!」
「おめでとうございます!お祝い何にしようかな~」
「そういうのはいいですわ、それよりもあなたとヤスの方が気になるの」
「いやあー、そのおー、グラトムさん状態です」
「まあ!じゃあたっぷり見せつけて後押ししないといけませんわねぇ」
「お願いしますよぅ!年の差が何とかかんとか言い訳ばっかり!」
「ほんと意気地なしばっかりですわ!」
「プリネラ、ピアノ君をあまり困らせないように」
「あ、グラトムさんおめでとうございます!」
「ありがとう、君とヤスのおかげだよ」
「いやー、最後だけかっさらっちゃった感じですから・・・」
「謙虚な姿勢は良いが過ぎれば良くない物だ 町の皆全てが感謝している」
「でも死んじゃった人もたくさんいましたし・・・」
「何を言う、君たちがいなければこの町は無くなっていただろう 死した者達の墓標を守ることができたのも、こうして町を歩けるのもあの場で最後まで折れなかったヤスとピアノ君のおかげだ」
「まったく!一番初めに諦めたのがマスターだなんて笑い話にもなりませんわ!」
「全く面目ない ま、マルクが後を継いでくれたことは僥倖だ やりくりして防備を強化している 今度一人も死なずに乗り越えられるだろう」
「そもそも起きないことが一番なんです だから今日も行ってきますね!」
「ありがとう、きっと私たちもすぐに追い付く」
「もう少し時間を頂戴、あなたたちに紅の魔姫の力を見せてあげますわ!おーほほほほほ!!」
ピアノは手をぶんぶんと振って二人と別れた。プリネラはあの傷がもとで半年経った今でも満足に歩けない。それでも前を向いてリハビリを続けている。あの頃のグラトムのように。
「ピアノ遅い!」
ウーポ山の入り口、ノリーンが口をとがらせてぷりぷり怒っている。今日も今日とてモンスターの退治に出かけるところだった。
「ごめんお姉ちゃんプリネラさん達と話してたー」
プリネラの名前を出すと彼女はすぐに食いついた。
「あら、どうだった?」
「幸せそうだったよ 今度みんなで遊びに行こう」
「そうね、お土産考えないと!」
楽しそうに思案するノリーンにピアノが一つ案を出す。
「ホワイトウルフの尻尾にしよう」
ホワイトウルフは群れをつくらず番で行動する狼のモンスターだ。一生を相手と添い遂げ、番に対する情の深い珍しい種類だ。この地方ではその尻尾の先の毛を新婚夫婦に贈る習慣がある。送る際には番を殺してはならないという決まりがあるため難易度は高く、新婚には最高の贈り物と言われている。
「え?じゃあ!」
「うん!」
「よし!今日の目標は決まりね!」
「ヤスーーー!聞いてたーーー?」
巨石の上でパンを齧りながら辺りを警戒していたヤスは飛び降りてピアノに近寄る。
「いや、全然」
「ホワイトウルフの尻尾取りに行くよ」
「わかった・・・わかったからそろそろ魔剣返してくれよ」
「だめ」
「あれの代わりは無いんだって」
「絶対ダメ!」
曰く付きと聞いてからすぐに大怪我で寝込んでいたヤスの枕元から盗み出して隠してしまったのだ。場所はピアノしか知らず、今ヤスの背にある大剣はグラトムが冒険者時代に使っていた業物だ。だが身体強化や切れ味の向上など特殊効果のない普通の剣。
「いざという時にほら、切り札がさ・・・」
「ダメ それ以上に強くなればいいでしょ!」
「さ、夫婦喧嘩は終わったわね もう行きましょう?」
「ほらヤス行くよ!」
「わかったわかった!」
こうして三人は歩みを進めるのだった。