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真実の愛はどこにある?   作者: 新 星緒


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2/3

《中編》自称・気遣いの鬼

 一日で最後の授業の鐘がなると、クラスメイトが次々と席を立つ。そして諦めの悪い次男、三男に取り囲まれた。いつも通り、お茶会やらデートのお誘いに、世間話を装った自己アピール。


 ああ、鬱陶しい。


 今日は何て言って蹴散らそう、と考えていると廊下に面した扉から、教師が顔をのぞかせた。バチリと目が合う。


「リオネッラ・モルコット!」


 名を呼ばれて、はいと返事をする。

「数学準備室へ来てくれ」

 途端に女子生徒が歓声を上げて、私に駆け寄った。

 皆口々に、何の用事かしら、彼も求婚かしらと言い立てる。


 あの教師は30代で独身。顔はまあまあ。確か、伯爵家の次男。つまり平民。貴族の子女が多く通うこの学校で、数学はとるに足らない学問と見なされていて、担当している教師の地位は必然的に低い。


 だからと言って、教師まで私を口説くかな?

 彼は研究肌に見える。

 そんな人でも、モルコット家の当主になりたいと考えてしまうのかな。


 なんだかやるせない気持ちになって、ひとり、数学準備室に向かった。





 その部屋に赴くと、教師は呼び立ててすまないねと言いながら、ひとつしかない椅子を私に勧め、自分は行儀悪く机に腰を乗せた。


「確認させて欲しいんだ」と教師。

「はい。何でしょうか」

「モルコット侯爵家。将来、君とミケーレ・パゾリーニのどちらが継ぐのだい?」


 やっぱり、求婚の話になるのか。

 うんざりして、思わずため息がこぼれた。

 こめかみが痛い。押さえたい気持ちをぐっと我慢して、

「私です」

 と答える。

「本当に?間違いないか?」と教師。「ミケーレは?」

「勝手に本人が言っているだけです」

「そうか……」


 今度は教師がため息をついた。

 そういえば、彼はミケーレの担任だ。

 彼は、うーん、とうなって頭をガシガシと掻いた。


 ……なんだか、求婚という雰囲気じゃない。

「先生。あの?」


「うーん」彼はまたうなって、それから盛大なため息。「僕が口を出すことじゃない。出すことじゃないが、これじゃ解決の糸口がない」

「……何のことですか?」

「……君はミケーレが学校を卒業したらどうするか、聞いているか?」


 思わぬ質問にまばたく。

 言われて気がついたけれど、ミケーレとそういう話をしたことがない。ちなみに私は、養女になる前は、母方の祖父の持つ店で働かせてもらう約束だった。


「彼は隣国の大学に留学する」

「え?」

 教師は何度目か分からないため息をついた。

「数学が好きでね。研究者になるのが彼の夢だ。数学なんて貴族社会からは軽んじられている学問だから、家族に反対されているようだけどね。彼は、成人して独立するときの資金を前倒しで貰っていて、それを留学費用に充てる。しかも自分で資産運用して、研究者としてそちらに注力できるよう、この先何十年か分の生活費まで用意している」

「……ミケーレが?」

「そう、彼がね」


 あまりの意外さに言葉が出ない。

 彼が数学が好きだとか、留学だとか、独立資金だとか、何一つ知らない。

 けっこうな頻度で顔を合わせているはずなのに。


「それなのに最近、モルコット家を継ぐと言っている」

 教師が真っ直ぐな目で私を見た。

「モルコット家は名家だ。代々政治にも関わっている。研究者との両立はできないだろう」


 その通りだ。祖父も伯父も良い人たちだけど、当主には自分たちがしてきた仕事を望むだろう。


「何故ミケーレは、うちを継ぐなんて……」

 てっきり、他の態度豹変男たちと同じ狙いだと思っていた。モルコット家の爵位と財産が欲しいだけ。


「僕が口を出すことじゃない」と教師は先ほども言った言葉を、再び口にした。「だけれど彼が子供の頃から抱いていた夢を諦めるのは、僕が悔しい。同じものを志した同士としてね。頼むから、一度、ちゃんと腹を割って話し合ってくれないか」


 はい、とうなずいて。

「……先生は彼が何故そう言っているかをご存知なのですか?」

「……だいたいはね」


 それから教師は、頼むよと念押ししてから、私を下がらせた。

 準備室を出て扉をしめて、立ち尽くす。


 ミケーレのこと、私は何を知っている?

 彼が何を考えているのか、全く分からない。鼻持ちならない嫌な奴だと思っていた。


 ずっと。私は彼と、何の意味もない上辺だけの会話しかしていなかったのだ。




 ◇◇




 話がしたい、とミケーレに手紙を出した。そして気づいた。彼に手紙を出すのは、礼状を除けば、初めてだ。同じ従兄でもエミールには数えきれないほど出しているのに。


 なぜか、後ろめたさを感じた。


 ミケーレは嫌な奴だけど。モルコット邸に突撃してくる時は必ず手土産を持って来る。自分が食べたいからだと言うが、私もたくさんご馳走になっている。

 誕生日や祝い事のプレゼントも欠かしたことはない。あの嫌みな性格に釣り合わない、素敵な品を毎回くれる。


 もちろん私もしっかり考えたプレゼントを渡しているけど。正直、力の入れ具合はユーディリア、エミール、坊っちゃん、ミケーレの順だ……。


 近しい従兄姉の中で、一番、付き合いを軽んじてきた。


 学校の卒業まで一年を切っているのに、彼の卒業後の進路予定を全く知らなかったこと、そのことをちらりとも考えなかったこと。

 私も十分、酷い人間ではないだろうか……。





 手紙を出した翌日の午後、ミケーレはケーキを持ってモルコット邸にやって来た。学校は休みで時間はたっぷりある。


 いつも通り、ケーキスタンドから、大好物を執事に取り分けてもらう。すぐりのジャムが隠れているチーズケーキ。

 このケーキは毎回あるけれど、ミケーレが食べているのを見たことがない。だから遠慮なくいただいている。


「で?」とミケーレ。「話ってなんだ。後を継がないと侯爵に伝えたのか?」


 ちらりと執事を見る。予め、今日はどうしても二人きりで話し合いをしたいと頼んである。渋い顔をされたが、跡継ぎについてだと正直に話したら、了承してくれた。

 私の視線に気づいた彼は一礼して部屋を出た。扉は開いているけれど、それは仕方ない。


 執事が消えた入り口を見ていたミケーレは、戸惑いが浮かんだ顔を私に向けた。

 私はあれこれ話す順番を考えていたのだけど……。それは放棄することにした。

「あなたの担任に頼まれました。腹を割って話し合ってほしいって」


 途端に彼は渋面になった。余計なことを、と呟く。


「卒業後は留学をする予定と聞きましたが、それは本当ですか?」


 ミケーレは鋭い目つきで私を見ていたけれど、ため息をつくとフォークを皿に置いて椅子にもたれた。


「そのつもりだ」

「数学の研究者になりたいって」

 ミケーレはまたため息をつき、無言でうなずいた。

「だけどモルコット家も継ぎたいのですか?何故?」

 彼はまたため息をついた!


「お前は本当に馬鹿だな!」

「ええ!?」

「分かってなかったのか、間抜け!いくら侯爵や叔父上が優しかろうが、生粋の平民を婿に入れはしないぞ。何年ここで暮らしているんだ、トンマ!」

 苦々しげに吐き出された言葉にまばたく。

「……承知してますが」

 そう言うと、今度はミケーレがまばたきをして阿呆面になった。

「……承知している?」

「はい」

「それならやはり、そうか」


 全く意味がわからない。

 だけどミケーレは何か理解したらしい。

「本当に馬鹿だな!」

 と言い放った。

「何が、ですか?」

 彼は今日イチの特大ため息をついた。


「お前、育ててもらった恩があるからって、仕方なく跡を継ぐのだろう?そんなの大馬鹿だ!」


 そのセリフに息をのむ。心臓を鷲掴みにされた気がした。

 私は誰にもその考えを話したことがない。エミールたちは察しているだろうが、まさかミケーレにまで見抜かれているとは思わなかった。


「その恩は別の形で返せばいい。ブライアンの不始末を、お前が人生を捨ててつける必要なんてない」

「人生捨ててって……」


 思わぬ展開に、声が出ない。彼がそんな、私のことを考えた意見を持っているなんて、信じがたい。だってずっと上から目線の嫌な奴だった。

「……そんなつもりはないです」

 なんとか、それだけ声を絞り出す。


「だが」

 ミケーレは珍しく言い淀んで目を泳がせた。明日は大嵐が来るに違いない。

「だが……。エミールを諦めるのは、人生を捨てる以外になんだと言うのだ」


 再び息をのんだ。

 私は、エミールを好きなことを誰にも話したことはない。



「何でそれを」

「見ていれば分かる」


 気づいたら手が震えていた。エミールとの今の距離感を壊したくなくて、厳重に慎重に隠してきたことだ。


「……だからモルコット家は俺が継いでやる。平民は平民らしく、おとなしくしていろ」


 ミケーレは眉間に皺を寄せている。フォークを手にすると、チョコケーキを一口大に切り分けて、口に運んだ。


 彼が食べる様子をぼんやり見ながら、頭の中はせわしなく動いた。


 私の恋がバレていた。ミケーレに。

 モルコット家を継ぐのも、仕方なくだと気づかれていた。

 私の婿になるのは貴族で、平民は不可。


 ……。


 つまり彼は、私が恋を諦めなくていいように自分がモルコット家を継ぐと言っているのだろうか。


 ケーキを食べ終えたミケーレは、ハンカチで口回りを拭いている。ぞんざいな口調と違い、丁寧だ。

「……あなたが継いだとして、研究者になる夢はどうするのですか?」

「研究は趣味でできる」


 先日、教師はなんと話していた?

 ミケーレは子供の頃から研究者になるのが夢だった。前倒しでもらった独立資金を自分で運用して、研究に没頭できるよう生活費を用意している。何十年分も!


 それを趣味にする?


 馬鹿なのはどっちだ。


「ありがとうございます、ミケーレ」

 今度ははっきりと声が出た。うなずくミケーレ。

「さっさと侯爵に辞退を伝えろ」

「大丈夫、私が継ぎます」

「はあ?馬鹿もいい加減にしろ」

「そもそもの前提」

「前提?」

「そう。私のは完全な片思い。エミールと結ばれることはないから、貴族の婿をとるので問題ないのです」


 するとミケーレは何とも表現しがたい顔になった。しばらく私を見て黙っていたが。


「告白したのか?」

「いいえ」

「ならば片思いか分からないではないか」

「そのぐらい、分かります。従妹として以上の親愛は持たれていません」

「勝手に分かった気になっているだけだろう、馬鹿が」

「馬鹿はあなたじゃない!長年の夢を諦めるなんて。先生も悔しいと言ってたわ!」


 おっと。うっかり敬語を忘れてしまった。


「諦めはしない」とミケーレ。「俺に爵位が回ってくるのはまだまだ先だ。留学ぐらいなら許してもらえるはず。それが出来ればいい」

「だって、研究に注力するために、何十年分もの生活費を貯めているって先生が!」


 ちっ、とミケーレは舌打ちをした。

「何をペラペラしゃべっているんだ」

「それだけあなたの夢を応援しているのでしょう?」

「だとしても、これは貴族の家の問題だ。お前は貴族の血は流れてても、生まれながらの平民!関係ないんだよ」


 しばらく、そんなやり取りを繰り返し。

 お互いにヒートアップし過ぎて喉が渇き、同時にお茶を飲み干した。

 執事を呼んで新しいお茶をいれてもらう。

 その間、ミケーレも私も無言で、私は彼を見ていたけれど、彼はそっぽを向いていた。


 だけど、これではっきりと分かった。

 ミケーレは完全なる善意で、私がモルコット家を継ぐべきでないと考えているのだ。


 私が平民のエミールを好きなこと。

 卒業したら祖父の店で働く予定だったこと(ミケーレに話したことはなかったけれど、私とエミール兄妹の会話を聞いていたらしい)。

 それらを、立場を自由に選べる平民に生まれた私が、坊っちゃんのせいで諦めるのは筋が通らない。


 貴族の家督問題は貴族の中で解決すべきで、となると残りの身内は自分しかいないのだから、自分が引き受けるしかない。


 それがミケーレの考え。


 だけど私はもう腹は決まっているし、ミケーレに純粋な夢があると知った以上、それを優先してもらいたい。


 私たちの意見は完全に平行線だ。


 執事が下がると、私は

「この件はとりあえず、いったん保留にしましょう」

 と提案した。

「保留などない、馬鹿者!聞く耳を持て」

「それはあなたもね」

「手遅れになったらどうするんだ」

「手遅れとは?」


 そう言えば、前もそう言っていた。


「エミールだって大店の跡継ぎじゃないか。結婚したがっている娘が、貴族の中にもわんさかいると聞いている。お前だって、断れないような所から縁談が来るかもしれない」

「……私、そんなにあなたに気遣いされているなんて、ちっとも考えていませんでした」


 素直にそう言うと、気のせいか、ミケーレの頬が赤味を増したように見えた。


「俺は気遣いの鬼だが!?」

 そのわりには、いつも見下すような物言いだけど。でも内面は違うのだと、今日、ようやく分かることができた。


「感謝しているんです。ありがとうございます」

 それと反省。彼に嫌な奴とのレッテルを貼っていた。

 ミケーレとのちゃんとした付き合いが始まったのは、私がモルコット邸に引き取られてすぐだ。実に6年近くも、彼の本質に気づかなかった。


「ふん!」とミケーレは鼻息を吹いた。「お前は今まで俺に感謝してなかったのか。これだから馬鹿は駄目だな。馬鹿は馬鹿らしくおとなしく俺の言うことを聞いておけ」

「それは無理です。……って、また話が終わらなくなる!もう、今日はおしまいです。私はケーキを食べます」


 すぐりジャムのチーズケーキ。まだ手付かずだ。

 ミケーレから視線を外して、食べることに集中する。

 向かいからは大きなため息が聞こえた。


 彼はスタンドから新しいケーキを取って、食べ始めた。


 そう言えば二人きり、というのは初めてかもしれない。今までは何を話していたのだっけ。

 ……。



「ミケーレは数学のどこに魅力を感じるのですか?」

 そう尋ねると、彼は照れ臭そうな表情になって

「美しさだな」

 と言った。

 彼が照れることがあるのも、私は知らなかった。


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[一言] ミケーレいいヤツだったんだなー。
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