《前編》横柄な男
ファッション、グルメ、娯楽に芸術。果ては家具にだって流行り廃りがある。
そして最近、若い貴族の間で爆発的に流行しているのが、婚約破棄だ。
親の決めた婚約を破棄して、真に愛する人と一緒になると宣言をする。
もっとも、実際に破棄にこぎ着ける者は少ない。大抵は親に一喝されて、たいした騒動にもならずに終わる。何しろ流行に踊らされているだけだから、親に楯突いてまで(イコール放逐される可能性有り)、真実の愛とやらに殉じようなんて輩は滅多にいないのだ。
ただうちのブライアン坊っちゃんは、そういうアホなことをするタイプだった。
勉学においては馬鹿ではないのだが、人間的に残念すぎるアホなのだ。
これは、はっきり言って親や使用人たちが悪い。育て方に問題があったのだ。とはいえ、それは責めるのが気の毒になる理由ゆえだ。
私がお世話になっているモルコット侯爵の長男夫妻は、子供に恵まれなかった。死産と流産を何度か、更に生まれた二人の赤子がどちらも一歳前に亡くなったらしい。
そんな辛い年月を経て授かったのが、坊っちゃんだ。
なんとか無事に育つようにと慎重に、そして溢れんばかりの愛情を両親祖父母使用人から受けて、育てられた。
そして残念坊っちゃんの出来上がり。
坊っちゃんがアホな婚約破棄をしないよう、周りは考えに考えぬいた人選をして彼の婚約者を決めた。
だけれど坊っちゃんは見事(?)婚約破棄を敢行し、真実の愛を貫くためによそのご令嬢と出奔してしまったのだ。
幸い坊っちゃんの婚約者のほうは、アホな奴と縁が切れて良かったと前向きに考えてくれて、大事には至らなかった。
良かった良かった……
と言いたいところだけれど、そうもいかない。
モルコット侯爵の長男の長男、つまりは未来の跡取りが出奔してしまったのだ。しかも他に子供はいない。このままだと次の代でモルコット家は断絶だ。
そこで必然的にみなの目が私に向けられた。
なんてことだ。
◇◇
私はモルコット侯爵の次男の娘だ。
この国の規則で貴族に生まれても、家督を継がない男子は成人と同時に平民となる。一応『卿』の称号はもらうけれど、それだけ。自分で仕事を見つけ、働いて稼がなくてはいけない。
だから父は弁護士となり、裕福な商家の娘と結婚をし子供たちに恵まれて、平民として暮らしていた。だが、私が12才のとき家族旅行の最中に船舶事故にあってしまった。
そうして唯一生き残った私はモルコット家に引き取られた。母の実家とどちらが私を育てるかで大ゲンカをし、最終的にこちらの祖父が身分と権力をちらつかせ、私を勝ち取ったようだ。
その時坊っちゃん、14歳。モルコット家には立派(?)に成長した跡取りがいたけれど、望んで私をもらってくれたのだ。
その事からも分かる通り、私はとても大事に愛されて育った。特に伯母さんは本当の娘のように接してくれた。養女に入る、なんて誘いもあったけれど、それは亡くなった両親に申し訳ない気がしてお断りしたのだった。
だから。坊っちゃんが出奔して困ったモルコット家の人々が、申し訳なさそうに侯爵家の養女となり婿養子をもらってくれないだろうかと提案してきたとき、私は笑顔で了承した。
引き取り育ててくれた恩。
何より与えてくれた家族としての愛。
感謝してもしきれない。
亡くなった実の両親より、今生きて私を育ててくれている人たちのために生きよう。そう考えたのだ。
そうして私は秘めた初恋をさらに厳重に隠匿して、モルコット侯爵の長男夫妻の娘となった。17歳の春のことだ。
◇◇
「リオネッラがついに侯爵令嬢」
と、従姉のユーディリアが吐息混じりに言った。そして続けた。
「だから絶対にうちが引き取るべきだったのよ!」
彼女は母方の従姉。つまり生まれながらの平民だ。商家の跡取りの娘でそのせいなのか、チャキチャキした性格で物事をはっきりと言う。
年はひとつ違いで、小さい頃から仲が良く、私が家族を亡くした時はずっと抱きしめてくれていた。
正直に言えば、私もあの時は彼女の家族に引き取られたかった。だけど侯爵家の人々も十分すぎるほど良い人たち(お馬鹿な坊っちゃんも、一応含む)だったので文句はない。
「本当にな。侯爵令嬢なんて、自由が利かないだろう?」
そう同調したのはエミール。ユーディリアのひとつ年上の兄。私の初恋の相手。
「仕方ないよ。坊っちゃんがああなってはね。この家の人たちをこれ以上悲しませたくない」
「「甘い!」」
二人が声を揃える。
だけれども、ここはモルコット家のサロン。侯爵様は私を引き取った当初から、母方の祖父母一家が自由に会いに来る許可をくれている。
私は本当に良くしてもらってきたのだ。二人もそれは分かっている。
「婿養子をとる話だって、相手は私が好きに選んでいいんだよ。そりゃ貴族の中から、って暗黙の了解的なものはあるけどさ。すごく気を使ってくれてるよ」
「当たり前。跡継ぎのしでかした尻拭いをリオネッラがさせられるんだ。これで婿まで無理やり決められていたら、うちのじい様が黙っていない」とエミール。
そうだよ、と力強くうなずくユーディリア。
「学校でも大変なんだろう?」
私は今、貴族や上流階級の子弟が多く通う学校の最高学年だ。ユーディリアはこの春、エミールは昨年の春に卒業している。友人知人が多いから、私に関する噂が耳に届いているのだろう。
坊っちゃんの出奔を知らない学生はいない。
更に侯爵家の居候から養女に格上げとなった私。
となれば、私の夫となる人がいずれモルコット侯爵家の当主となると、誰でもわかる。
そうしたらどうなるか。
私、モテ始める。正式な縁談が次から次へと舞い込み、学校では周りに男子生徒が群がる。彼らは総じて次男、三男といった、いずれ平民になる人たちだ。
「そういった男たちは、愛想笑いでかわすのよ!」と力強く助言してくれたのは伯母……ではなかった、お義母様だ。
「もちろん次男三男でも優れた人物はたくさんいます。ですが優れた人物ならばとっくに、平民になったときに備えています。急に態度を変えてくる男どもは備えのない甘ちゃんです。どんなに顔が良かろうが、優しくされようがダメ男予備軍だから騙されないでね」
「そうそう。リオネッラがどうしてもダメ男がいいというのなら仕方ないが」とお義父様。「せめて息子よりはましな男にしてくれ」
大抵の青年は坊っちゃんよりマシでは……。
と思ったけれど、その時は黙って笑顔でうなずいた。わざわざ義両親の傷をえぐる必要はない。
ところがあまりに露骨に態度を変えた男どもの続出に、坊っちゃんはそれほどダメ男じゃなかったかも、なんて思うようになった。
とりあえず、義両親祖父母の了解は得ているので、態度豹変男たちには笑顔だけくれてやっている状態だ。
「大丈夫」とエミールとユーディリアが安心するよう、はっきりと言う。「適当にあしらっているから!」
二人はぷっと笑った。
「リオネッラの『あしらう』は本当にきっぱりあしらってそう」
「さすがのハイエナたちも心折れているんじゃないか?」
「そんなこと言わないで。ハイエナに失礼よ」
「まあ、ハイエナはともかく」とユーディリア。「あいつは大丈夫なの?」
「そうだな、あいつはこのことを納得してないんじゃないか?」
「そうなんだよね」
私がそう言ってため息をついたところで、まるでタイミングをはかったかのように『あいつ』が騒々しくやって来た。
サロンに入るなり、不機嫌な顔をエミールたちに向ける。
「なんだ、また商人は来ているのか」
そんな無礼な態度をとるのは、父方の従兄のミケーレ・パゾリーニだ。自分こそいつも約束もせずに来襲、執事を通さず、勝手にサロンに突撃。まるっきり常識がない。公爵令息だから、それがまかり通ると思っているのだ。次男だけど。
そもそも何でミケーレがうちに来るのかが、分からない。年は私と一緒、坊っちゃんのふたつ下。どちらかと仲が良い、ということもない。もちろん、エミールとユーディリアとも。
実家では末っ子で、姉兄とかなり年が離れているから淋しくて、年の近い私たちの元に来るのかな、とモルコット家の人々は考えている。もっとも、淋しい、なんて彼のキャラじゃないけどね。
坊っちゃんと同じで、勉強は出来るけど性格に難がある。しかも坊っちゃんよりクセが強い。
だから。
坊っちゃんが出奔したあと、モルコット家の人々は私を養女に迎えた。私が拒めば彼を養子にするしか、未来のお家断絶を回避する方法はなかった。
そして当然、ミケーレは今の状況に怒っている。モルコット家を継ぐのは自分だと、言い張っているのだ。
エミールとユーディリアの挨拶をうなり声のようなもので受けると、ミケーレは私を見た。
「まだ侯爵家を継ぐ気でいるそうだな」
正確には、継ぐのは私と結婚して婿に入る人だけど。
「何故さっさと断らん!ここは俺が継いでやると言っているだろう!」
従兄姉たちは苦笑を浮かべている。私はこぼれそうになるため息を飲み込んだ。
「侯爵も叔父も、全く聞く耳を持たん。お前がちゃんと言え」
「ちゃんとも何も、何度もあなたに言ってますよね。私が家を継ぎます」
「馬鹿かっ」
ミケーレは盛大に吐息して、隣の椅子にどかりと座った。
「平民は平民らしくしていろ!わざわざ貴族社会に首を突っ込むな」
自分だって次男なのだから、このまま成人したら平民になるのに。本当に嫌な奴だ。
ミケーレは学校でも、私に群がってくる男子生徒たちに向かって、
「モルコット家を継ぐのは俺だ。こいつに媚びても無意味だぞ」
と言って回っている。おかげでイタイ奴認定されている。本人は知らないだろうが、何を今さら吠えていると、陰で嘲笑されているのだ。
まあそれでも多少は、浅はかな男子避けになっているので、助かってはいる。
助けてもらっておきながら、彼が笑われているのを放っておくのは申し訳ないので、本人に止めたほうがよいと忠告はしている。だけど彼は止めない。困った奴だ。
顔はそれなりに良いのに、残念すぎる。
坊っちゃんもそうだったけれどね。
「とにかく早く辞退しろ。手遅れになるぞ」
「なんですか、手遅れって」
ミケーレは鼻から大量に息を吐き出した。
「全く、どうしようもない馬鹿だな、お前は」
カチンとする。だけど従兄といえど、公爵令息だ。私はつい先日まで平民。ずっとそのことを弁えてきた。だから話すのも敬語を使っている。
ちなみに坊っちゃんにはため口だった。
「あなたがどんなに言っても、私の気は変わりませんから」
「大馬鹿だ!」
そこへ執事が入って来た。
美しいケーキや菓子が乗ったスタンドとお茶をテーブルに素早く並べる。
「いつものお店ですか?」
とミケーレに尋ねると、彼はうなずいた。
さっき彼が淋しいからモルコット邸に来るのかもしれないと言ったけれど、そう考える一因がこれ。ミケーレは甘いものが好きなのだけど、家で一緒に食べる人がいないらしい。それで時おり、お気に入り店で大量に買ってやって来る。
エミールとユーディリアを平民だと馬鹿にするけど、彼らにもケーキを振る舞う。一緒の卓につくな、とかは言わない。
……似合わないけど、やっぱり淋しがりやなのかな。
眉間に皺を寄せ難しい顔でケーキをパクつくミケーレを見ながら、よく分からない奴だと改めて思った。