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復讐の魔王  作者: ゆきち
序章:魔王と呼ばれた男
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第1話 ありふれた一つの復讐心

 ――助けて。


 少女は、身体を押さえつけられながら必死に助けを求めた。

 昼夜問わず人気の少ない薄暗い路地裏で、中学生くらいの少女が襲われていた。

 学校のブレザーの裾で器用に両手を後ろで縛られて、思うように動けない。そこに迫るのは、下卑た笑みを浮かべた男だ。

 小太りで頭皮が薄く、脂ぎった髪の毛は月明かりの下でテラテラとしていて、遠目から見ても嫌悪感を抱いてしまうような外見の男だった。

 男の手が少女の口元を押さえ、反対の手は暴れてはだけた少女の体を這っていく。その度に身をよじらせ、くぐもったような悲鳴が響くが、助けが来る気配はない。

 誰が見ても分かる胸糞の悪い光景。

 大通りから少し入ったところにあるこの場所は迷路のようになっているため、只でさえ人があまり通らない上に、道もたくさんあるせいで分散され、通りかかる確率はかなり絶望的だ。

 ショートカットしようとしてこの路地に入ったのが彼女の失敗だった。

 その絶望の文字が色濃くなり、少女の悲痛な叫びも力を失い始めた頃だった。

 ザッ、という地面に何かが擦れたような音が男の動きを止めた。

 絶望に染まっていた少女の顔がその正体を捉える。

 ブレザーの下に着たパーカーのフードを目深に被った少年だった。全体的に線が細く、露出した肌の少ないその姿は男にも女にも見える。唯一の判断要素としては、服が男物だという点くらいのものだ。

 少女の視線を追うように、男が振り返ると少年の存在に気づいた。それと同時に、サイレンの音が薄暗い路地裏に鳴り響く。


「ひっ!?」


 焦ったように狼狽える男は一度少年へと迫ろうとするが、すぐに冷静さを取り戻して。


「ク、クソォ!」


 すぐにその場から立ち去っていった。

 その後もサイレンは鳴り続けるが、奇妙なことに、そのサイレンは一向に近づいてくる様子がない。それどころか、少年がいつの間にか取り出していたスマホを操作すると、サイレンの音はぱったりと止んでしまった。

 警察の姿はなく、現れる気配もない。静寂が二人の間に降りた。

 一刻も早く助かったという確証の欲しい少女は、その静寂に不安になって、恐怖で震える身体を懸命に動かして立ち上がった。


「あ、あの、警察の方は……」


 絞り出すような声で少女が問い掛けるが、少年はそちらには見向きもせず、先程の男が逃げていった方へと顔を向けていた。

 顔の分からない少年の口は引き結ばれたまま、開かれる様子はない。

 少女は次第に不安が募っていく。

 もしかして彼は、別に助けに来たわけではないのではないか?

 先程の男のように、今度は彼が自分を襲うのではないか?

 そんな疑心暗鬼が少女の中を渦巻き、静寂の時間が時を刻むたびに不安は膨れ上がっていく。

 やがて耐えきれなくなった少女は怖くなって、一歩後ずさったところで力が抜けて地面に転がった。

 その時だった。


「お前は――復讐を望むか?」


 頭上から冷たい声が降ってきた。感情のない、平坦な声。

 その声に少女は顔を上げた。

 見上げる形でも少年の表情は見えない。

 だが少女にとってそんなことはどうでもよかった。顔を上げたのは、先程の言葉の意味を知りたかったからだ。


「復讐、を……」


 復讐。恐怖ばかりでそんなこと考えてもいなかった。

 でもその言葉は、少女胸にストンと綺麗に収まった。

 確かにそうだ。少女はあの男に、何かをしたから襲われたわけではない。ただただ、家までの道をショートカットしたかっただけなのに路地裏に飛び込んだら急に押し倒されたのだ。

 先程まで恐怖だけが胸の内を支配していた少女の中の感情が、次第にあるものへと変わっていった。

 それは憎悪。

 自らの欲求を満たすために体を弄んだ、あの男への怒り。

 一度考えると、真っ黒な感情はどんどんと膨れ上がっていき、先程までは善良な一般市民であったはずの少女は、恐怖の奥に隠れた感情に動かされる。


「お願いします。あの男を――あいつを、死にたくなるほど辛い目に合わせてください」


 そう憎しみに歪んだ、年端もいかない少女はそう言葉を吐き出すと、彼は満足そうに聞いて、フードの下で今まで動きを見せなかった口元が笑みを形作った。


「お前の復讐、確かに受け取った」


 そう言って少年は手を差し出した。少女もまた、その手を何のためらいもなく取った。

 立ち上がると、二人は男が消えていった方へと歩き出し、闇に溶けるように消えていった。



 後日、強姦の常習犯だったある男が股の辺りを血だらけにして泣きながら自首してきた事がニュースになった。

 男は大量の血液を失っていたこともあり、交番に着くなり気絶してしまったが、なんとか一命をとりとめた。だが、男として大事なものを失ったのに加えて、失った時の恐怖が脳裏に刻まれていてほとんど放心状態で事情聴衆もままならないようだ。

 唯一、その男が口にしたことと言えば、ある一つの単語。いや、名前だった。

 その名は、その日を境に囁かれるようになった。

 復讐を代行する悪魔。

 そしてその手口が悪質な上に、ターゲットとなった人物は必ず心を砕かれ、口を揃えてこう呼んだのだ。


 ――魔王と。

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