『裸の王様』に見る、マスコミとSNSと世論の関係
童話『裸の王様』で、今のマスコミとSNS、世論の関係を考えてみました。
ツイッターで誰かの何気ない呟きが共感を呼んでリツイートされまくっており、読んでみたら膝を叩いて同意したというような事がありませんでしょうか?
ネットスラング的な表現を借りて言えば「それな!」というヤツです。
上手い言い回しが見つからずにモヤモヤしていた気持ちが、誰かのドンピシャな表現でストンと腑に落ちると言うか。
自分だけなのかなと思っていたのが、他の人もそう思ってたんじゃんと分かって安心すると言うか。
テレビでは誰も言ってないし、周りの人もそんな事を言わないから黙っていたけど、ずっとそう思っていた事だったとか。
そんな風な現象です。
これって、『裸の王様』の「王様は裸だ!」と叫んだ少年のそれと似てません?
誰もが王様は裸だと思っていたのに、服が見えない者は馬鹿だと言われるのが怖くて指摘出来なかった。
純粋なのか空気が読めないのか嘘が付けないだけなのか、見たままをズバリと言える少年の出現で人々を縛っていた呪縛(あるいは空気感)が解けた。
SNS上に流れる誰かの一言は、嘘の付けない少年の放った「王様は裸だ!」に似ている気がします。
ちょっとここで我々を取り巻く状況を考えてみましょう。
一昔前、国民が情報を仕入れる手段は新聞やテレビといったマスコミ、知人友人の口コミ、市販されている文献くらいしかありませんでした。
自分で見聞きする方法もありますが、勤労者には時間が限られていますから、どうしても狭い範囲の情報だけにしかアクセス出来ません。
結果、多くがマスコミから与えられる情報に頼る事になってしまいます。
情報の偏りは偏った思考に陥りやすく、誤った判断を下す事になりかねません。
民主党による政権交代劇は、まさにそれが招いた結果ではないでしょうか。
当時のマスコミによる自民党のネガティブキャンペーンは露骨で、今になって思い出せば、カップラーメンの値段を知らないからといってそれが何だとしか思いません。
しかし、自民党にお灸をすえる意味で、比例は民主党に投票してしまいました。
テレビで連日のように自民党議員の不祥事を見せられていましたから、知らずに影響を受けていたのでしょう。
恐ろしい事です。
そんな時代を経てSNSの登場です。
スマホの普及は我々の情報環境を画期的に変えました。
いつでもどこでも気になった時に気になった話題を検索でき、思った事や感じた事を広く発信出来ます。
ネット上に拡散した情報は消える事なく、いつまでもネット上に漂い続けるようです。
個人情報の流出等、問題があると言えばありますが、便利な道具は一歩間違えれば凶器をなりうるのは昔からなので、個々人が気を付ける以外に方法はありません。
それは兎も角、SNSの普及は既存の権威の失墜を招いています。
既存の権威とは政府だったり、文壇だったり各種の学会だったりしますが、マスコミもその中の一つですね。
SNSによってマスコミの内情やその傲慢性、ダブルスタンダードぶりが露わになっているのが現在の状況です。
マスコミの驕りが広く周知されるようになり、以前は大きかった影響力が段々と小さくなっています。
国民の側が扇動されにくくなったとも言えましょう。
それは王様の耳元で「この服は馬鹿には見えないのですよ」と囁き、王様を騙してきた仕立て屋の悪行が、SNSによって誰でも「王様は裸じゃん!」と言えるようになった事によって不可能になったのです。
誤魔化しても賢明な誰かが論理の穴を見つけ、容赦なくツッコめる。
騙されかけていた人も、冷静な意見を聞いて我に返りやすい。
嘘を言いやがってと追及する時、記憶にないととぼけられても、ネット上の情報はいつまでも保存されているので、「アナタ、前はこう言ってたじゃん」と証拠を付けて言える。
全く便利な世の中ですね。
時にSNSにはデマも流れますので注意が必要ですが、社会の為には大いに役に立っていると思います。
マスコミの流す嘘の方が悪影響が大きいので。
あるいは意図的な取捨選択、情報の選別基準が不透明なので。