決別
私はロザリーを連れて、なんとなく力の入らない体を引きずるようにしてお父様の執務室に向かった。休暇をもぎ取るために。
ロザリー曰く、私は頑張りすぎなのだそうだ。一年社交を休んでもいいくらいには。
目が覚めた時は憂鬱だったが、今は何でもないのに笑いそうだ。何も面白くはないのに、何故だろう。
冷静な頭で客観的に考えたら、私は確かに働きすぎだろう。でも、そうでもしないと狂いそうだった。振り向いてくれない彼に、彼の心を奪った第二皇女殿下に、何もしない両陛下に、心ないことを言う令嬢達に、あからさまに身体を求めてくる令息達に、そしてそんな娘に声すらかけない両親に、私は傷つけられてきた。
相手に悪気がなかったとしても、私は確かに傷ついた。何でもない風に受け流して、微笑み続けて、取り繕い続けて来たけどもう無理だと思った。
裁縫で、同じところを繕うと、だんだん周りの布まで傷んでいって、繕うための針すら受け付けなくなるのと同じように、何回も繕った心は、針の刺しすぎで傷んでしまった。もう繕うために針を刺しても、その針が抜け落ちてしまうほど穴だらけだ。
でも、不思議なことに痛みは感じない。死のうとした時はあんなに痛かったのに、死を選ぶくらい痛かったのに。痛みを感じる機能すら消えてしまったのか、私の心は凍てついたように何も感じなくなってしまった。死にかけたせいで壊れてしまったのだろうか。
さっきから笑い出したい気持ちに駆られるのも、壊れてしまったから?
でもね、だって、滑稽で仕方ないんだもの。私、今まで何して来たのかしら、何のためにここまで身を削って来たのかしらって。冴えた頭でよく考えた時に、この国に、いや、私が支えて来た人々に、役に立とうとして来た人々に、そこまでの価値って、もしかしたらないんじゃないかって、そう思っちゃったんだもの。
だってほら、考えてみて?
勅命による婚約者を蔑ろにする公爵家の令息。
婚約者がいる立場で、しかも上手くいっているのに、勅命による婚約をしてる者への配慮もない皇女。
娘を窘めなければ当事者へのフォローもない皇帝と皇妃。
裏に皇女がいるのは知ってるけど、それは別としても淑女としての振る舞いすら完璧にこなせないのに、他人のことばかり囀る姦しい令嬢達。
高度な教育を受けたはずのご立派なそのおつむの中は、下世話なことしか詰まっていないのですかと言いたくなるほど下衆な令息達。
娘が社交界でどんな扱いを受けているか知ろうともしない両親。
私を取り囲む状況は全く優しくない。聖書は隣人愛を唱えていたけど、私は十分それを実行したんじゃないだろうか。でも、誰が私の隣人になっただろうか。私は、捨てられたボロ切れのようになるまで尽くして来たと言える。それだけの行動をして来たはずだ。
いと尊き我らが神は、見返りなど求めてはいけないと言うのかもしれない。でも、そしたら、ボロ切れになった私はどうすればいいのでしょう。もう用済みだと捨て置かれたらどうすればいいのでしょう。誰も助けてはくれないのに。ボロ切れはボロ切れらしく、誰にも看取ってもらえずに朽ちろと仰いますか?
いいえ、私はそんなの認めない。私は神など信じない。だから、あなた様の尊い教えを守るつもりもない。これまで十分尽くしたはずだ。もう他人のために生きるのは十分だ。これからは、誰が何と言おうと私の意思で歩く。
2024/08/27修正