ミュルヴィル領
あの日、慌ただしく旅立ってからはや三ヶ月。
私達は西の辺境伯領の領都に足を踏み入れていた。
西の辺境はミュルヴィル公爵家の領地だ。
他にも候補があった中でミュルヴィル領に決めたのは、風光明媚な観光地であるこの地を一度見てみたいというロザリーの希望からだ。
陸路での貿易の要所であるこの地でなら他国の噂話も多く入るだろうし、移動手段も豊富で旅の中継地点としてよい選択だった。
きっと、ロザリーも色々と考えたうえでの希望だったのだろう。
もっとも、桃色の瞳をきらきらと輝かせているロザリーを見るに、この地に来たいと言う話も本心なのだと思う。
「ロザリー、本当にミュルヴィルに来たかったんだね。」
「うん!子供の頃、お母さんにここの絵葉書を見せてもらったの。それがとっても綺麗で、一度でいいから自分の目で見てみたかったの。」
旅に出るにあたって、ロザリーに敬語をやめるように言った。
冒険者なのに主従関係のような話し方をするのはおかしいし、安全のためにもなるべく不自然に見える言動はしたくなかった。
初めて訪れたミュルヴィルはさすが観光地という感じで、領都の大門から真っすぐに伸びた大通りには、色とりどりのタープが張られずらりと露店が並んでいる。異国から持ち込まれただろう珍しい品の数々に、歩いているだけで気分が上がった。
「そうだったんだね、実は僕もミュルヴィルのミレー湖には一度行ってみたいと思ってたんだ。」
「俺はパティスリー・アントワネットのケーキが食べたい。本店限定のやつがあるらしいんだ。」
殿下の言うミレー湖は水面が鏡のように澄んだ湖で、風のない夜には満天の星空を映し出すというミュルヴィル屈指の名所だ。
シリル様は顔に似合わず甘いものに目がなく、帝都中のパティスリーに行っているらしい。中でもミュルヴィルに本店があるパティスリー・アントワネットがお気に入りで、ミュルヴィルに着いたら本店限定のケーキを食べると意気込んでいた。
そんな風に、他愛のない話をしながら冒険者ギルドを目指していると見覚えのある顔を見つけた。
没個性的な栗色の髪と澄んだ茶色の瞳、特筆すべき点のない顔立ち。輝かんばかりの笑顔だけが唯一の特徴と言える男。
ミュルヴィル公爵家の嫡男バスチアン・ミュルヴィルその人だった。
辺境を守護する公爵家同士、親交もある。辺境公はその重責も相まってとても仲がいい。
帝都に揃った時、必ず一度はどこかの屋敷に集まってパーティーをしているし、変装をして一緒に出掛けたこともある。
お互いがどんな変装をしているのかも知っているので、このままでは気付かれるかもしれない。もっとも、彼は変装などほとんどしていないのだけど。
別にバレたところでどうということもないのだが、どうしたものかと思いながら歩いていると、
「ちょっとブラン、こんなところでなにしてるの?」
耳障りのいい少し高めの声はバスチアンのもの。凡庸な容姿に似合わず、バスチアンの声は澄みきってよく通る。大きな声ではないのに、大通りの喧騒に負けることもなく私達の耳に届いた。
「…ブランシェ、知り合い?」
「うん、バスチーだよ。」
殿下はいつもより低い声で、ほんの少しだけ不機嫌そうに言った。
「初めまして?でいいのかな。こっちにくるなら知らせてくれればよかったのに、水臭いな。」
「急なことだったし、バスチーも忙しいでしょ。」
バスチアンは殿下とシリル様を見て軽く挨拶をすると、すぐにこちらに向き直った。
「それはそうだけど、一度は君にミュルヴィルの素晴らしさを見てほしかったからね。…それで?ブランはどうしてミュルヴィルに?」
「…休暇をもらったの。……ここではあまり詳しい話は出来ない。」
私の返答にそれもそうだねとバスチアンは頷いて、
「ところで皆さん、ケーキはお好きかな?」
と笑った。




