月下の会話
夕食や入浴を済ませて、あとは寝るだけというところで、耳飾りをつけた。魔力を流してみると、すぐに殿下の甘い声が耳に届いた。
「こんばんは、シア。ちょうどかけようと思ってたんだ。」
「こんばんは、シル。手紙と耳飾り届いたわ、ありがとう。」
「あはは、どういたしまして。」
「こちらにはいつぐらいに来るのかしら?」
「一応継承権自体はシアがそっちに着いた頃には破棄出来たんだけど、兄上や父上が何だかんだ仕事押し付けてきて、君のところに行かせてくれないんだ。兄上に至っては、ずっと恋い焦がれてた月華姫のところに行かせたら、既成事実作って帰ってくるだろうだって。酷いと思わない?」
「ふふっ、皇太子殿下はそんなこと言う方なのね。ちょっと驚きだわ。」
茶髪にシアンの瞳を持つ皇太子殿下は、容姿は整ってはいるものの目立たない印象の方で、物腰は柔らかく穏やかな方だった。
間違っても既成事実作って帰ってくるなんていう、明け透けなことを言う方ではないと思っていた。
「やっと笑ってくれた。シア、ちょっと緊張してるでしょ?」
緊張よりも、気恥ずかしさの方が先に来ている。魔石が耳飾りの形をとっているからか、私に向けた殿下の甘やかな声が耳元にダイレクトに届くのだ。
今までは婚約者がいたから、夜会では気を遣ってダンスを踊ることはなかったから、耳元で話されることなどなかったのだ。しかもその声がいい声なのだから、余計に恥ずかしい。
「だって、耳元で話されることなんてなかったんだもの。」
「そんなんじゃダンス踊った時、大変なんじゃない?」
「…エヴァリスト様と踊ったのは数えられるほどですし、それも必要に迫られた時だけですわ。…ファーストダンスをパートナー以外と踊るのはあまりよくないでしょう?ましてや婚約者だもの。…そんな訳で、慣れていないんですの。」
「エヴァリストはそこまでシアを蔑ろにしてたの?紳士の風上にもおけないね。」
いかにも軽蔑しているといった風情の声に、寒気がした。自分に向けられたものではないと分かっていても、思わず恐怖してしまう程冷たい声だった。
「…ダンスは好きだから、踊れないのは残念だったけど、これからはもうそんなこと気にする必要ないし、自由に踊るつもりよ。シルも相手をして下さるでしょう?」
「もちろんだよ。出来ることなら、三回連続で踊らせてほしいな。」
「ふふっ、考えておきますわ。…話が逸れてしまったわね、目安程度でいいのだけど、いつ来るのか教えて欲しいわ。準備は整えておくけど、出来ること、出来ないことがあるから。」
「うーん、行こうと思えば今からでも行けるんだよね。試しに今、シアのところに行ってみてもいい?」
「どういうことですの?」
「僕は第二皇子であると同時に天才魔術師だよ?目印があれば転移くらい出来るよ。」
「まさか、最初からそのつもりで耳飾りを届けたんですの?」
殿下は何でもないことのように言ってのけるが、転移魔法は無属性の上級魔法の中でも群を抜いて難しいとされている。消費魔力の割に遠くまで転移出来なかったり、望んだところに上手く転移出来なかったりするのだ。それを目印があれば出来ると言うのだから、その異常さは計り知れない。
「あはは、だって、君の元にはもうだいぶ釣り書が届いてるでしょ?もし君が誰かに取られたらと思うと気が気じゃないんだよ。」
「お父様から次の婚約者は、家格が釣り合うなら好きにしていいと言われておりますの。ですから、当分は婚約解消がショックで塞ぎ込んでいるという設定で、お断りするつもりですわ。」
「それでも、心配なんだよ。君がこの人ならって思う奴がいないとは限らないでしょ?」
「だからって、会いに来るつもりですの?」
「…ダメかな?」
殿下はずるい。そんな風に、縋るように聞かれたら、私が断らないと分かってる。殿下が分かってしていることを私は分かっているけど、分かっているからといって突き放すことなんて出来ない。一人、孤独に戦っていたあの時の私を見ていてくれたことを知ってしまったから。
「…はぁ、仕方のない人ね。でも、着替えるから少し待って下さる?」
「僕は気にしないけど?むしろ見たい!」
「殿下もそういうところは普通の殿方なのですね。」
「誤解がないように言っておくけど、誰でもいい訳じゃないからね!?僕はシアだから見たいんだよ?」
「ふふっ、分かってるわ。でも、淑女としては殿方にそういう姿を晒すのは気が引けるのよ?」
「…うぅ、分かったよ。」
渋々といった感じではあったが、殿下は了承してくれた。
寝室から続きになっている衣装部屋に行く。街に降りる時に着る服の中でも、一番飾り気のない漆黒のワンピースを選んだ。所々にある銀糸で刺繍や黒いレースが、シンプルながら地味には見えず、品の良さを演出してくれる。私の白い髪がよく映えるのもいい。




