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Guardlin  作者: ほかま@ぐるぐる
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#1 「あいつは人のいう事を聞かない」

 それが当たり前だと思ったのはいつからだろうか。

 彼は考えていた。

 黙々とこなす作業の中で、既にやり終えたものを振り返る事もなくただひたすらに歩み続ける日々。情人であるなら気が触れるような作業を繰り返す。

 しかし、そこに確かな成功は無い。

 また間違えた。

 そう呟いて。目を瞑る。

 もう何千回以上もの施行を重ねて、なお届かない成功に彼は既視感を通り越した当然として受け入れ始めている自分を認識していた。

 ああ、とため息を吐く。息どころか、心の芯まで抜けていくような虚脱感。向き合った端末には「ERROR」の表示。

 再試行、失敗。再試行、失敗。再試行……失敗。

 また失敗だ。

 何度も何度もキーを叩く。何度も何度も失敗する。延々と繰り返されるループ。

 男は繰り返していた。繰り返すしかなかった。そうでなければ、そうでなければ既に繰り返した何千回の施行が無駄になってしまう。

 その思いが呪詛になっていると、男は気が付かなかった。その呪詛すら、当たり前の一部だった。

 手繰り寄せなければならなかった。

 万に一つに無くとも。億に一つに無くとも。那由他の先の一あれば、それを手繰り寄せる必要があるのだ。

 男は繰り返す。万里の果てを踏破しなければならない。それでも、繰り返す。

 それが、既に育ちつつある狂気に水を遣る行為だとも知らずに。

 妄執と呪詛に取りつかれた男の、灼熱の様に燃ゆる瞳が何かを写した瞬間。

「あっ」

 星空玲香は思わず突っ伏していた机から飛び起きた。首まで届くポニーテールが揺れ、椅子が動く耳障りな音が教室に響き渡る。

「あ、あー」

 自分の置かれた状況。授業中。周囲から同情と軽い軽蔑の視線。教団からは熱視線。

 言葉を探す事、10秒。その間、静寂。破った言葉は。

「あ、明日の天気は、なんですかね!?」

 いや、知らないよ。クラスの半分が思った。教師は冷静そのものの表情だったが、よく見るとわずかに、眉間に皺が寄っている。

「明日の天気か、晴れだと良いな、星空」

 淡々とした口調からにじみ出る熱。皺が少しずつ少しずつ、寄っていく。

「で?」

 声のトーンが下がった。圧縮された空気が更に加圧されていくような声色。

 玲香の背中を汗が伝う。どうすれば良い?どうすればこの絶体絶命のピンチを切り抜けられるか。無い頭を絞る。

「次の発言に気を付けろよ」

 もう御年40を過ぎている教師は、その年輪に相応しい皺を更に更にと深くする。

「は、晴れだったら」

 晴れだったら、なんなんだ?

 咄嗟に口から出た言葉は哀れひっこめる事は出来ない。むしろ、しようものなら教師は圧縮された怒気を爆発させること請け合いだろう。玲香は考える。考えて、考えて、考えた。

 その結果。

「日向ぼっこしながらお昼寝すると、気持ちよそうだなぁっなんて、ね?」

 駄目ですかと言わんばかりに、最後に疑問符を付けた。いや、駄目でしょう。と、自分に軽くツッコミを入れながら視線で周囲を見回す。

 ああ、終わったね。と達観したような表情の者――――うん、終わったよ。

 これから起こる惨劇に顔を伏せる者――――判断は正しい、が少しくらい助け舟出せないもんか。

 我関せずとノートを取り続ける者。――――その勉強に対する姿勢を私にも分けてほしい。

 そして、笑顔の教師――――あぁ、本気で怒る時そんな顔するんですね。

 訪れる静寂。居心地の悪い間。既に味方は居ない。

「えーっと」

 この期に及んでまだなにか?という周囲の視線。注目。

「今の無し、とかは?」

 教師の顔から、笑顔が、消えた。

 

 

 

 放課後、玲香が職員室から解放されたのは18時を回った頃だった。

「う、うぉおおおおおお……」

 地を這うような声でふらふらと扉を開け教室に戻った彼女は、手に持ったプリントの束を器用に机に投げ置くと一も二も無く突っ伏した。

 通常量の三日分の課題を明日までに、そして課題履修確認の小テスト。それが彼女の居眠りの代償であった。

「タイムタイム、無理無理かたつむりだって。大体何、この量。ただでさえあの先生一日の課題の量間違ってるじゃん?それが三日分?ばっかでーすかー?馬鹿はアタシでしたうふふー」

 ぶつぶつとうわごとの様に言いながら頬の下敷きにしているプリントを見てまた、うんざりとした顔をした。

「確かに、超弩級の馬鹿ね」

 その独り言を聞いていたのか、聞きなれた声が辛辣な言葉を吐いた。

「えー、そういうこと言っちゃう?」

 首と視線でその方向に向き直って、玲香は口を尖らせる。

 左目に眼帯を付けた少女が、腕を組んで隣の席の机に腰を掛けていた。

「花だってさー、ほら、春の陽気とかさ、気持ち良いと眠っちゃわない?」

「残念だけど私は寝ようと思わないし、何よりもう秋なんだけど」

 呆れ気味にため息を吐く花と呼ばれた少女。

「秋かどうかは関係なーい。気持ち良ければ眠くなるの、これ、不可抗力って奴」

「わざわざ厳しいって評判の先生の授業で居眠りこいて、これ見よがしに飛び起きるのも不可抗力?」

「……寝る子は育つ」

「育つ伸びしろ残ってるの、アンタ?」

「うわひっどい。少しは友達のしてのじょーって奴をさ」

「情を見せたいのは山々だけど、馬鹿につける薬は見た事ないからね」

 散々な言われようである。項垂れつつも体を起こした玲香は、さらに口を尖らせる。

「酷い事言うために残ってたのか!お母さんそんな子に育てた覚えはありません!」

「いや、アンタに育てられた覚えも無いしアンタお母さんじゃないし」

 花も机から腰を上げて、足元に置いてあった鞄を担いだ。暗に帰宅を促しているようだ。それを合図にいそいそと玲香も帰り支度を始める。もう足掛け10年にもなる長い付き合いだ、口に出さなくてもなんとなく、やりたい事はお互い伝わっている感覚があった。

「花はアタシが育てた!」

「はいはい、残念ながら私の感謝の先はアンタじゃなくて両親よ」

 そんな冗談を話しながらも滞りなく支度は済んだ。鞄を担いだ玲香は他に生徒が居ない事を確認して施錠確認を行う。

「消灯ですよっと、ポチっとな」

 それから教室の灯りを消して教室を後にする。

 外はもう宵が近づいており、橙色が暗がりに溶け込もうとしていた。

「それで、なんの夢を見てたの?飛び起きるほどなんて」

 通学路の道すがら、花の方からそう切り出す。花の記憶が正しければ、居眠りはしょっちゅうしている玲香でも飛び起きるような事はそうそうなかったはずだ。

 聞かれた玲香はまた神妙な顔をしていた。

「んー、それがあんまり覚えてなくってさ」

「その割に凄いリアクションだったけど」

「人をリアクション芸人みたいに」

「え、違うの?」

「違うし!何その意外だわみたいな表情!」

「いや、玲香はリアクションしてナンボみたいな処あるから」

「だーれーが雛壇でカメラに写ろうと必死な若手芸人か!」

「そこまで言ってないけどね」

 とは言っても、と。花は言う。

「どう見ても素で驚いてたみたいだし。どんな夢か気になっただけ」

「ははーん、恋?」

「誰がよ」

 への字に眉をひそめつつも、花は苦笑した。

「でもさ」

 そこで、玲香がパタパタと駆け出した。そしてくるりと一回転して、空を見上げる。

「きっと、アタシが驚いたんだからすっごい不思議な夢だと思うね」

「リアクション芸人が驚いてもお茶の間はあ、そう、位のテンションだと思うけど」

「だーかーら違うっての。もっと、こうさ、不思議で、面白い夢だったんだよきっと」

 面白い夢。というのはあくまで玲香の願望に近い。そう花は感じていた。

「もう高校生でしょうに、そろそろ現実を見てよ、友達」

 だから、こうして悪戯っぽい、意地悪な事を言ってしまう。昔からこの友人はそうだった。良くも悪くも、前向きで直向きで。自分の世界を持っている。それが、花には少しだけ羨ましかった。

「同意しようよ親友!?」

 一方の玲香は度重なる友人の辛辣な言葉に苦虫をかみつぶしたような表情だ。まるで世界は正直なんだと言わんばかりに、言葉を受け取る彼女を、花は少なくとも掛け替えのない友人だと感じていた。

「同意するも何も現実は三倍になって鞄の中に眠ってるし」

「それを言うな!言うんじゃない!!」

「言わなくてもそこにあるのが現実」

「ぐ、うわぁああん、花なんか、嫌いだぁああああ」

「そう、長い付き合いだったね」

「嘘です、アタシを捨てないで」

 どこの昼ドラだ。そう笑いながら歩く帰り道。突然遠くの方から頭に残るような音。けたたましいサイレンの音が響く。

「おやおや?」

「あれは……」

 パトカーだ。それも1台だけではなく複数。横柄にも思える速度で走り去っていく。それを二人は見送るようにして目で追っていた。

「最近多いねぇ」

「もう見慣れてきた感じはするけどね」

 ここ数か月ほど、この街では毎日のように複数台のパトカーが行き交う。原因は恐らく最近全国的に多発している集団失踪事件だろう。

 最初に発見されたのはとある山村だった。一夜にして大勢の人が姿を消した。そうインタビューで話していた郵便配達員を今や知らない人は居ない。ある一定の範囲の人々が忽然として姿を消すのだ。

 何の前触れもなく、何の痕跡も残さず。

 そんな事が全国規模でまかり通っていた。範囲は地域によってまちまちだったが、最低でも4~5名は同時に失踪している。

 警察側も行方を追ってはいるものの、事件が有名になり過ぎた事による野次馬の狂言と、成果の上がらない日々にただ悪戯にパトカーを走らせるにとどまっていたのだ。

「近くで起こったらしいね」

「え?」

「今朝新聞に載ってたって、お父さんが」

「あー、ウチの父さん新聞見ないからなぁ」

 花が言うところ、どうも団地が丸々空き家になってしまったらしい。住んでいたはずの人々の親類縁者もその行方を知らないそうだ。

「ふーん」

 パトカーの走り去った後をしげしげと見つめる玲香。その口元には、微笑。

「馬鹿はやめてね」

 嫌な予感に、花がそう言った矢先。

「あっ」

 花の言葉を振り切るように玲香は走り出した。

「あっはっは、馬鹿だからさ!」

 制止を迫る間も無く、満面の笑みの玲香は運動神経にあかせてもうずいぶん遠くへ行ってしまう。遠くの方で、また明日などと言う呑気な言葉を大声でこちらに向けていた。

「あの馬鹿」

 残された花は一人、追う気力も無く立ち尽くす。

「課題、手伝うつもりだったんだけどなぁ」

 最早ため息も出なかった。

 小学生の頃の事だ。玲香は、同級生の間で迷いの森とダイレクトなネーミングをされた場所に一人で入っていった。実際は森などでなく林とも呼べる場所だったのだが小学生からすればそこは広大な森に等しかった。

 勿論、花を始めとするクラスメイト達は心配したが、止める間もなくこれもまた全力で突っ込んでいったのだ。

 やはりというか、問題は発生した。夜になっても玲香が帰ってこない事が彼女の父からの通報で発覚したのだ。すぐに捜索隊が派遣され一時騒然となった。オチとしては捜索隊が森に入って数分後にケロリとした顔の玲香が木に登り手を振っているのを発見した。勿論、捜索隊の責任者と担任の先生による長い長いお説教を頂き、家に帰される次第となった。

 その後、森に入って以来初めて玲香の姿を見た花は半分泣きそうになりながら玲香に聞いた。何故?と。玲香の答えは理解し難く、そして単純明快だった。

 面白そうだったから。

 当時の花が絶句したのは言うまでもない。

 雪が降れば犬は駆け回る、とは歌にもある通り。面白そうな予感こそが玲香にとっての雪だった。

 さて、そんな性分がさく裂して、パトカーを追い走り出した玲香はすぐにある問題に直面した。町の南側、住宅街を全力疾走していた訳だが当のパトカーを完全に見失ってしまったのだ。

「あれー、追っかけてた筈なんだけどなぁ」

 花が居れば言っていたかもしれない、人間が自動車の速度に追いつけると思っているのか、と。

 思考にして数秒。もちろんその間も全力疾走を決め込んでいる。常人……というよりも、まともな思考の人間ならそろそろ諦めて帰路に戻る処だろう。

「ま、走ってれば追いつくか」

 しかし自他ともに認める馬鹿である彼女は斜め上の思考を走らせる。愚か者ほど怖いものは無い。言葉通り、彼女は追いつくはずのないパトカーを追って全力疾走を続けていた。

 彼女が足を止めたのはそれから20分後。ペース配分も何もない全力疾走で息を切らし始めていた頃だ。足を止めた理由は二つある。一つは、流石の彼女もそもそもパトカーに追いつくこと自体が無理なんじゃないだろうかと思い始めた事。もう一つは、花との会話に挙がった集団失踪の現場である団地に辿り着いた事だ。

 団地の入り口には黄色の封鎖テープが張られており周囲に人の姿も無い。世間を騒がせている事件の一つと言う事もあってか性質の悪い野次馬かマスコミの人間、もしくは警察位しか寄り付かなくなっていた。

「ドラマみたいだねぇ」

 もう暗がりになってしまった周囲のどんよりとした空気とは正反対になんとも呑気な言葉の玲香。やや退屈そうに封鎖しているテープをちょいと摘んで引っ張り、離し、それを繰り返す。

「けーぷあーうとけーぷあーうと」

 KeepOutはキープアウトだから。と突っ込んでくれる花も居ない。

「立ち入り禁止ーだっけ?確か、多分?」

 摘んでは話す手慰みを繰り返す度に、徐々に玲香の口元に笑顔。面白いものを見つけた時の癖。

「駄目……って言われると、ね?」

 周囲に人が居ない事を確認。小高い丘の上の大きな団地は周りに民家も少なく、元々人通りも少ない。今はそれも輪を掛けており、ささやかな風に揺れる音だけがこだましている。

 誰も居ない。バレなければ無罪。つまりは無法地帯だ。

「えっへっへ、お釈迦様とて気が付くめぇて」

 そう言って腰を落とそうとした、その時。

 玲香の方を何者かがつかんだ。ギクリと背筋が伸びる。

「立ち入り禁止が読めなかったか?」

 低い、それでいて耳に残る声だった。

「あーいやー」

 降参とでも言うように玲香は両の手を上げる。

「あいきゃんのっと……あー、いんぐりっしゅ!」

「英語の読み書きが壊滅的なのは良く解った」

 玲香と接した多くの人間がそうであるように、声の主もまた呆れた様子。それを示すように玲香の肩から手が離れた。声の主に向き直った玲香はバツが悪そうに笑った。

「失礼な、アタシは赤点は取ったことない、です」

 途中から急に敬語に変わった。相手の姿に驚いた。

 彫りの深い、ガッチリとした体格に険しい面構えの男だった。玲香の身長は女子にしてはやや高めの160㎝台ではあるものの、その一回り以上も大きい。腕や足も玲香の若さを示すようなしなやかな四肢に比べ、今まで重ねた力そのものが凝縮されている用に見えるほどに太く、その体は時を経た巨木のように見えた。

「その頭でか?冗談だろう?」

 眉一つ動かさずに男。制服の様なものを着ているが、何の制服かは解らない。

「それで?何をしてたんだ」

 当然の質問。玲香は両の手を上げたまま答えに窮していた。

「えーっと」

「言えない事か?」

「いやほら、さ?」

「ほらで解るほど人間やめていないし君とも親しくはない」

「ぐぬぬぬぬ……」

 まるで花の様な返しだ。弱った目で男を見るが一切身振りを変えず、代わりに視線でまともな返答を促す。ついには玲香の方が折れてしまった。

「中、面白そうだったからさ」

「は?」

 予想していなかったと言外に表す男。しばし頭を抱える。

「世も末だ」

 男の反応に玲香はふてくされたようにして頬を膨らませた。

「だってさ?立ち入り禁止だよ?それって中に大事なものがありまーすって言ってるようなもんじゃん?面白そうじゃん。それ」

「素晴らしい、犯罪者の発想だ」

「バレなきゃセーフ?」

「バレたからアウトだ」

 ため息を一つ。花が居たら男に同情していたかもしれない。

「ってかおじさん誰」

 むくれっ面の玲香。男の眉が動いた。

「俺はまだ30だ」

 おじさんと呼ぶな。との反論。

「おじさんじゃん」

 女子高生にとっては30はおじさんだよ、という知り合いの言葉が男の脳裏をよぎる。

「お兄さんだ」

 30はまだ若い。と反論したのを覚えていて。

「で、おじさん誰?」

 それは年頃の女の子からすると関係ない、それに見た目が老けてる。というトドメを貰ったのを覚えていた。

 沈黙。烏の鳴き声。林のざわめき。片手で顔を覆う。

「……通りすがりの国の犬だ」

 絞ったような言葉はやけに皮肉気味。

「わんわん?」

 が、馬鹿に皮肉は通じない。

「犬じゃない、公務員だ、公務員」

 ようやく男は悟った。皮肉が通じない馬鹿だ。

「良いから帰れ女子高生。もうじき変質者が出るぞ」

 そして諦めた。これ以上の会話は無意味だと。

「何それ、見たい」

 焦燥。この馬鹿に何を言えばお帰り頂けるのか。いくつかの案を絞りだすものの、どれも有効打に欠けるものだった。

「あ、そうだ」

 と、そこで、目の前の馬鹿が何かを思い出したように走り出した。脈絡が無さ過ぎて理解が出来ない。

「じゃあね、おじさん!」

「おい、帰れよ!後俺はお兄さんだ!」

 手を振りながらもう見えなくなるほど遠くへ走り去った少女を見送る。一嵐過ぎ去った後のような疲労感を覚えながら、男は懐から携帯端末を取り出して履歴から電話をかけた。

 数コール。出ない。人差し指でこつこつと端末を叩きながら待つ。

 不在着信への案内。舌打ちをしながらもう一度コール。今度は5コール目で出た。

『……何?』

 眠そうな、そして不機嫌そうな少女の声。

「二つ言いたい事がある。一つは電話には一発で出ろ。もう一つは勤務中に寝るな、だ」

『そんな事言うためにかけてきたの、勤務中だよ?』

「阿呆か」

 端末を肩と耳に挟むと近くの縁石に腰かけて煙草と携帯灰皿を取り出し、火をつけた。紫煙が空へ吸い込まれるようにして上がるのをぼうっと見送る。

「対象が先日の事件の現場に興味を持った」

『情報統制はしてたんでしょ?』

「報告を聞いてなかったのか?情報統制はしたが、ローカルの新聞と一部の三流週刊誌はすっぱ抜いてる」

『雑なお仕事だね』

「役所なんてのはそんなもんだ」

『それで、どうするの?クロック』

「隊長と呼べ、隊長と。今のところ興味に過ぎん、何も無ければこのままの任務を続行する。」

『はいはい』

「一応報告書に顛末を纏めるが……読めよ」

『気が向いたらね』

「気が向かなくてもだ」

 端末の通信が突然切れる。男はため息を一つ吐いた。同時に煙草の煙が勢いよく吐き出される。

「最近のガキってのは、こんなモンなのかね」

 その背中は体格に見合わず小さく見えた。

 

 

 

 深夜を過ぎた刻限。街を包む闇夜を切り裂いてビルの谷間を二つの影が疾駆していた。

 目に追えるか追えないかという速度。少なくともこの世のものではないその二つの影。それは時に追い、追われ、交錯し火花を散らす。

 二つの影はお互い、まったく違う、しかし偉業と言う似通った形をしていた。

 方や、全身を覆う体毛、鋭い爪と牙。低く体勢を取る獣のような姿をしておりその体の随所に鋼鉄を纏っていた。己が獣である事を否定するように二本の足で疾駆し、ビルの壁から壁へ高速で飛び移るその姿は、黒い体毛と相まってさながら夜闇を駆ける狼のようだった。

 その狼と鎬を削る影は人型だ。ただし、その背には羽と尻尾のようなものが付いていた。全身を光沢の無い金属で包み込み、鎧とも言える重厚さはしかし、その見た目とは裏腹に高速で動く狼に追いすがっていた。羽を大きく羽搏かせ、尾をしならせ肉薄するその姿は竜とでも言えばよいだろうか。

 狼と竜がビル街、人の与り知らぬ隙間を駆ける。酔い潰れた中年も、客を待つ女も、誰もその姿に気が付かない。繰り広げられた異常を感知できない。異常の中の異常が展開されている。

「しつこいんだよ、好い加減」

 追いすがる竜に、振り向いた狼が頑強な顎を開いて叫んだ。その声は唸り声にも似た非常におどろおどろしいもので音に近しい聞こえだった。

 竜はその声に耳を貸さぬと言うようにして、一層大きく羽を羽搏かせて距離を詰める。

 ビルの側面、詰められた距離を突き放すために狼が打擲するようにして跳ねる。その瞬間を狙うようにして竜が仕掛けた。

 跳躍して方向転換をした矢先、既に懐に潜りこんでいた竜の掌が狼の胸に深く突き刺さった。

 吐血。生物の血の色とは思えない、青色の血液が胸から、牙の隙間から漏れ出る。

『捕まえたぞ』

 くぐもった電子音で、竜はそう告げる。そのまま狼の胸の傷を締め上げた。

「がっあ、ぁああ!」

 傷口を抉られる激痛に狼が声を上げる。巨大な体躯は中に浮く竜によって傷口を握られ、宙吊りになっている。自重によってじわじわとその傷も広がっていた。

「あぁ……は、はは、捕まえた、ってか?どっちが、だ?」

 しかし狼は笑った。次の瞬間、痛みにだれ下がっていた狼の両の手が素早く竜の頭を包み込む。

「さぁ、我慢比べと、いこうや」

 力任せに締め上げた。軋みを上げる金属の耳障りな音。

『そのつもりは、ない』

 抉るような音に、狼は一瞬思考を止めた。次いで脇腹に襲う熱と激痛に声にならない叫びをあげる。

 脇腹に深々と突き刺さっていたのは、竜の尾。百足のようにその節を伸ばし、しなやかなまま、槍の様な鋭さを以て刺し貫いていたのだ。

 半狂乱になってたまらず薙ぎ払うようにして爪を奔らせる。竜は予想の範疇とばかりにすぐさま尾を収め、掴み上げていた傷口から手を放して距離を取る。

 支えを失い落下した狼はなんとか爪でビルの壁を穿ち体を支え切る。肩で息をしなければとてもではないが体勢を維持できなかった。滴る青い血が落ちていくのを見て忌々しく感じる。

 未だ空に健在であった竜もまた、全身に不調を感じていた。万力の様な頭部への圧力が彼にダメージを与えていたのだ。

 狼が竜を見上げ、竜もまた狼を見下ろす。終わりをお互いに予見していた。

 狼が大きく咆哮を上げた。

 竜の鉄面、その奥が光る。

 跳躍。咆哮。

 降下。羽音。

 ほぼ同時。

 中空での何合目かの接触。狼の爪と竜の拳が重なり、耳障りな金音と小さな火花を散らした。しかし、交錯はしない。すぐに次の一手をお互いに交わす。

 火花。金音。火花。

 金音。火花。金音。

 致命の応酬。そのどれもが必殺に近い。

 血が飛び、肉が削げる。鋼がひしゃげ、細かな鉄片が舞う。咆哮。鋼鉄の殴打。爪が、拳が、幾度とかち合った。

 それがほんの一瞬の出来事。趨勢が決まるのも、一瞬の中の一瞬。

 狼が前のめりに体勢を崩す。中空での動きに跳躍では足りない。勝利を確信した竜。

 瞬間。瞬く閃光。

 狼の背。崩した体制のまま、鋼鉄部から放たれた目暗まし。竜の動きが一瞬止まる。

「卑怯、だとは言うめぇよ?」

 失速。墜落はしない。だが、なにより致命的な隙。

 眩む視界、しかしビルの壁を蹴る音を聞く。その隙を狙う獰猛な獣の吐息を感じていた。

 狼が振りかぶった。打ち合った時とは違う、勝利を確信した大振り。

 態勢を立て直す。しかし間に合わない。

 轟音。金属を叩く大きな音。

『が……がぁっ!』

 漏れ出る嗚咽と共に落下する竜。廃ビルの隙間に溶けるように消えていく。

「ぐ……畜生が……」

 それを見送って狼は血を流しながらも吐き捨てる。

 もう音は聞こえない。何も。

 静寂を取り戻した街に、既に追跡者に追う力は無い事を知った狼は夜の帳に消えていく。

 その影を見つめる瞳があった。

「ありゃ、なーんだろ、あれ」

 帰宅して風呂から上がった玲香、何とはなしに見つめた窓の外。何やらちらつく影に興味を惹かれて窓を開けて身を乗り出した。

 夜の街は静けさそのもので虫の鳴き声と風のわずかな音のみがこだまする。

「んー、気のせい、か?」

 首をかしげつつも辺りを見回せど、いつもの夜の街並みだった。

「玲香ぁ、上がったんなら言ってくれぇ。父もお風呂超入りたい」

「あいよぅお父さん。上がったから超入っちゃって」

 父の声に返事をして窓を閉める。何やら不思議の匂いがしたが、果たして今は戦争の前である。都合3倍の課題は伊達ではないのだ。

 リビングに戻ると、風呂場に向かう準備をする父が居た。既に齢40後半ではあったが、その外見は引き締まっておりとても年齢相応には見えない若さを感じさせる。眼鏡を掛けているからか少々インテリ風には見えるものの、整った言わば大人の顔つきをしていた。

 その若々しい父を見つめて、やっぱりおじさんだよねぇ。などと、夕方に会った男を思い返す玲香。

「なんだ玲香。父の肉体美に惚れ込んだか」

 じっと見られていることに気付いたのか、父は上着を脱ぎ筋肉を強調するようなポーズを取りながら言う。

「もっと見て良いんだぞ」

「うーんアタシおじさん趣味じゃないからさぁ」

 いやいや、と手を横に振る玲香、父は腕を組み不敵な笑みを浮かべた。

「ふっふっふ、若いな玲香。男の色気はダンディズムから来るんだ。母さんもそんな父のダンディズムに惚れ込んでだなぁ」

「いやぁ、変な臭いのしてきた魅力はちょっと」

 言葉の爆撃。年齢とは切っても離せない臭い。

「え、うっそん」

 父の心当たり、毎晩のケアが効いていない事に思わず開いた口がふさがらない。

「最近……ん、いや、何でもないよお父さん!かっこいい!うん、超かっこいいよ!」

「ショック!父ショック!」

 玲香のフォローも空しく父はダウン。判定、KO勝ち。

「大丈夫?シャンプーとかボディソープとか変える?」

「そこまで気を使わなくていい!もう父は超風呂入る!!」

 愛娘からの追撃に立ち上がった父は、拗ねたようにして風呂場へと走り去った。

「いってらっしゃーい」

 加齢臭には超負けんからなぁ!と風呂場に向かった父を見送って玲香はリビングの隣、父の寝室に入る。

 そこは父の書斎でもあった。机の隅にある大量の本は雑多に積み上げられ、その表紙を見ても何が何だか解らないタイトルが綴られている。本の波は部屋の隅のベッドにまで及んでおり、なんとか寝るスペースを確保している。

「あっちゃあ……昨日も片づけたんだけどなぁ」

 どうやら昨日もギリギリ遅くまで難しい本を読んでいたらしいと了解した玲香は、寝床の本を机の隅に移してシーツを取り換える。やはりというか、独特の臭いがして少しだけ顔をしかめた。

 それからベッド隣にひっそりとある仏壇の前に座った。

 そこに飾られている写真には、艶のある黒髪を束ねた女性が映っていた。赤ん坊を抱きかかえるその表情はとても満ち足りていた。あまりにも落ち着いた表情ですぐには解らないが、その顔立ちは玲香によく似ていた。

「母さん、今日ね変な夢見たんだ」

 玲香の母親。12年前に行方不明になり、つい6年ほど前に死亡届がなされている。当時4歳だった、もう朧げな記憶しか玲香にも残っていない。

「そしたら飛び起きちゃってさ、先生に怒られちった」

 だが、こうして仏間の母親に一度会話をするのが、玲香の日課だった。今日あった事、感じた事を報告していく。

「それと変なおじさんにあったの。おじさんじゃないって言うけどさ、あれは絶対おじさんだよね」

 それは玲香にとって、母はまだ死んでいないと訴えるような。そんな行為だった。

「それじゃあ、おやすみなさい。母さん」

 仏壇への報告を終えて、父の寝室を出る。丁度、父も風呂から上がって首から下げたタオルで頭を拭いていた。

「お、母さんへの報告は終わったか?」

「うん」

「そうかそうか」

 満足そうに頷く父。

「ねぇ、お父さん」

「おう?なんだ、彼氏でも出来たか。うわ、なんだそれうちの娘はやらんってやらなきゃいけない気がする」

「いや、出来てないし、しなくても良いから!」

「でもなぁ、玲香が嫁ぎ遅れたら母さんに会わせる顔が超無いぞ」

「じゃあ頑張る?」

「いや、やっぱしないで!お隣の斎藤さんチの娘さん彼氏が出来たら親に冷たくなったらしいから!」

「しないから!」

 おどける父に苦笑する玲香。

「それで、彼氏じゃないならなんなんだ?」

「うーん……」

 母さんって、どんな人だった?そう聞こうとした玲香は、なんとなく言葉に詰まってしまった。それを聞くと、母にもう会えないと認めてしまうようで。

「シーツ、ものっすごい臭かったよ」

 だから適当な言葉でつい誤魔化してしまう。

「……父、もう立ち直れない」

 およよよと泣き始めた父をなだめて、星空家の夜は更けていくのだった。

まだ不思議に出会ってないという粗筋詐欺。

友人との合作になります。Pixivの方にも同タイトルで平衡掲載。

今後1~2週周期で掲載していければと思います。

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