第二幕 氷の魔女の大舞台 4
デス・ウィングは、スフィアという少女と関わっているうちに、不思議な気分に駆られていた。
もし、純粋な善意の形があるのだとするのならば、それは一体、どういう事なのだろうかと。
善意と悪意は別々のものなのだろうか。
もしかすると、善意と悪意は表裏一体のものなのかもしれない。
少なくとも、スフィアは察するに、彼女の善意を下に。メアリーという女は、彼女から、悪意的なものを感じ取って、スフィアの目の前でグラニットの住民達を焼き殺した。
人間の好意は、あっさりと悲劇へと転じていくのかもしれない。
友愛だとか、他人に対する想いだとか。
そういったどうしようもないものによって、この世界は成り立っているのかもしれない。
「善を為したいだとか、悪を為したいだとか言っても。全ては無為なのかもしれないな? 私は彼女達から、何を視ようとしているのかな?」
どんな風に、人間というものの精神が成り立っているのかを知りたいのかもしれない。
彼女達が歪な例外なのか。それとも、人間はみな、普遍的に歪んでいるのか。
「スフィアはメアリーという女の事をどう思っているのか……。私は、彼女達の行く末を見守っていようと思うのだが」
ことり、と。
デス・ウィングの隣で、何かが音を立てた。
ぼんやりと、陽炎のように、そいつは揺らめきながら立っている。
そいつは、何処の国の物が分からないドレスを纏った美少女顔をした、美少年の姿で、そこに佇んでいた。
そいつは、デス・ウィングだけが見える存在だ。
他の者の目には映らない。
「お前はどう思う? 『他人の死』」
他人の死と呼ばれた者は、くっくっと笑い続ける。
「さあ? どうなんだろうね? 君は死が無いからね。死が無いから、憎悪だとか愛情だとかも分からないのかもしれないよ?」
「まあ、私は私が何の為に生きているのかまるで分からない。とっくの昔に、死んでいい筈なのにだ。生きる事に目的なんて無い。ただ、私の存在は無為そのものだ」
「そうなんだねえ。君は物凄く、不遇なんだろうねえ。ふふふふふっ、本当に欲しいものが手に入らないから。死を感じるものばかりを、コレクションしているんだよねえ」
「まあ、そうだな」
彼女は、的を射た事を言われて、少しだけ不快そうな顔になる。
「いい加減に、自分が何で存在しているのか分からない。だからなのだろう。他人の行く末を見たいと思っているのは。まあ、大体、もう人間なんてものは、つまらないものだとも思っているのだけれどもな」
デス・ウィングは、少年の顔も見ずに、そんな事を喋り続ける。
「そうだな。きっと、人間は寿命があるからこそ。他人と比べたがるのかもしれないな? だからきっと、栄光だとか、地位だとか、物質だとかに縋り付くのかもしれないな。その場限りの愛情だとか、憎悪だとか。そんなものかもしれないな」
「そうだねえ。私も分からない。私も死が無いからねえ、いつだって、死ぬってのは、他人の死だからねえ」
二人の異形は、それぞれ、別々の歪な笑いを浮かべ続けた。
「他人の死、私はお前が嫌いだよ」
デス・ウィングは、そう端的に告げる。
「まあ、そうだろうね」
そう言われて、奇妙なドレスを纏った美少年は、闇の中へと消えていく。
†
雪原での光景を見ていた者がいた。
それは、少年だった。
少年は、少しだけ、冷や汗を流していた。
城の守り人の一人である氷帝は、必死で、敵の猛攻から逃れてきたらしい。
彼の肉体は、水で出来ている。
その彼の肉体の大部分が、石と化していた。
彼は、石となった部分を少しずつ切り離していって、自分の全身を修復させるつもりでいるらしい。
「凄いなあ。ローザ様、慌てふためくかなあ?」
しかし、氷帝の話を聞いて、敵の能力は大体、読めてきた。
「となると、対策取るしかないよなあ」
少年は、城の中にある階段の横へと潜んでいく。
階段の下には、溝があった。彼はそこに潜り込んでいく。
ずずずっ、と。彼の肉体が捻じ曲がっていき、溝の底へと沈んでいった。
†
スフィアは、今、自分の心をとても整理し切れそうになかった。
自分が、今、何をどうしたいのか分からない。
ただ、酷い情景ばかりが記憶に焼き付いている。
今、別の世界に放り込まれたような気がしてならない。
昔に戻りたいと思ってしまっている。
何が間違っていたのだろう? 何もかもが、分からない。
家に残った食べ物を漁って、日々の時間を潰している。
これから、どうすればいいのだろう。
水月が、道筋を指し示して上げるのだと言っている。
メアリーとの対決が必要なのだとも、彼女は告げている。
けれども、前に進む事が、とても出来そうにない。
ただ、毛布の中で震えながら、何かに対して、祈る事しか出来ないでいる。
自分は、どうすればいいのだろうか。
とても、前に進めそうにない。
もう、考えるのを止めにしてしまいたい。
このまま、雪の中に埋もれて凍死してしまってもいいのかもしれないと思った。
†
ルブルはこの世界を軽蔑している。
人を物体としか思えない。
だから、人間は自分よりも、いっそう、下位の存在なのだと認識している。
自分は他人を支配して、当然なのだと思っている。
人間なんて、動くゴミみたいなものだ。
そう、大き過ぎる力を手にしてしまった瞬間に、他の者達がゴミのように思えて仕方が無かった。
人間に対する愛情を、どうしても抱く事が出来ない。
しかし。
あのメアリーとかいう女は……。
ルブルは、柄にも無く、小さく溜め息を吐き出す。
ルブルは考える。
彼女には、間違いなく“素質”があるのだろう。
メアリーの思考回路は、普通の人間のそれを逸脱しているとしか思えない。つまり、それが何を意味するのか。それは、素質があるという事なのだ。
そう、魔女になれる素質だ。
†