第二幕 氷の魔女の大舞台 3
ルブルから、切り落とされて、別の右腕を接合されて、その違和感が無くなった。
右腕は、今や自分のものとして、ちゃんと機能している。
それにしても。
人が魔女になるまでには、一体、どのような経過が必要なのだろうか。
メアリーは、そんな事を考えていた。
ヴィシャスの街は、虚空の姫君ローザによって、ぐちゃぐちゃに蹂躙されてしまった。
その時の様子を伺おうと思って、メアリーはヴィシャスの街を訪れていた。
どことなく、此処は、世界の終末を彷彿させるような場所だった。
住民の一人一人は暗鬱な顔をしていた。
彼らは酷い絶望感に襲われているかのようだった。
メアリーは、街の一角で昼間から酒を飲んで寝転がっている男に訊ねた。
「ローザってのは、何者だったの?」
男は、安酒の瓶を投げて、メアリーの問いにすぐに応じてくれた。
「あれは……夢魔だ。眠っている時にも、あいつはやってくるんだ……。お前、外からやってきた者か? ……すぐに、此処から出て行った方がいい。もうすぐ、俺達は死ぬ。分からないけれども、俺達は、この街を抜け出す事が出来ないんだ。……多分、そういう呪いが掛けられているんだよ。……狂っていくんだ、徐々に……」
男は嘆き悲しんでいた。
メアリーは首を傾げた。
「私も……同じような、化け物の力を持っているのだけれども」
彼女は慎重に、男から情報を引き出そうとする。
此処の街に住んでいる住民は、何かがおかしい。
そう言えば、この街には女の姿が無い。
「女の人は何処にいるのかしら?」
「…………女達は、みんな、街を出れた。子供も。けれども、大体、二十を過ぎた頃の男だけが、街を出る事が出来ない。みんな、姫の既婚者になったんだ。食べられる……、食べられるんだよ、俺達はもうすぐ……、次は誰なのか分からない」
「ふうん……?」
メアリーは、やはり首を傾げていた。
ルブルに報告しようか。
ローザとかいう敵の能力の全貌がよく分からない。
鞄の中が、ぎちぎちぎちぎちと鳴り続ける。
メアリーは、鞄を開く。
すると、中で、くちゅくちゅっ、という音がしたかと思うと、何かが空ろな顔をして、ぼんやりとしている男に向かって発射される。
すると、たちまちのうちに、男の身体は変色していく。
「……クルーエル、駄目でしょう。今のは敵じゃない」
メアリーは軽く溜め息を吐いて、鞄を閉じた。
「仕方無いわね、まあ、貴方は運が悪かったと思って諦めて。良かったじゃない、死の恐怖から解放されて」
メアリーは、街の別の住民から情報を引き出そうと思った。
先ほどまで、メアリーと会話していた男は、まるで、彫刻家が石から創り出した芸術品のように、その場所で石の像と化して佇んでいた。
†
メアリーは、雪原の中を歩き続ける。
彼女は、小さな人形を手にしていた。
人形は、ギチギチッと、時折、動き続ける。
「クルーエル。人が食べたいのね。もうすぐよ」
彼女は冷たく笑う。
……クルーエルは城から出られない。だから、彼の肉体の一部だけを外に出すしかない。そう、この人形の眼は、クルーエルの眼球だった。
クルーエルは、ルブルにとって、お気に入りの存在だ。その正体は、何なのか、彼女は教えてくれない。ただ、強大な戦力になるとだけ言ってくれた。
ディーバにもうすぐ辿り着く。
何だか、高揚感が湧き上がってきていた。
吹雪が強くなっていく。
肌が、少しだけ痛い。
ディーバにあるローザの城を目指している、まずは世界の支配を得るには、そこから始めようと思っている。
ルブルは、全てを欲しがっている。この世界にあるもの全てをだ。
彼女は無邪気な子供のようなものだ。この世界全てを遊技場にしたがっているだけだ。
「……私には分からない、人生よね」
メアリーはふん、と鼻を鳴らす。
渡された地図通りに目的地に向かっているのだが、一向に辿り着けない。
それに、この寒さで頭がおかしくなりそうだった。
強い眠気もしてくる。
吹雪の中には、一人の男が佇んでいた。
彼は法衣のようなローブを身に纏った老人だった。
雪が渦を巻いていく。
「ふーん、貴方は何かしら?」
メアリーは訊ねる。
「氷帝と呼ばれておる」
老人は淡々と答えた。
空気中に、ぽつり、ぽつりと、青白い火の玉のようなものが出現する。
「ふうん?」
メアリーは、首を傾げていた。
この世界には、自分やルブルのような異質な力を使う者達が多く存在する事を、ルブルから聞かされている。そして、ルブルは自分の右腕として動く以上は、他の異質な能力の使い手くらいメアリーだけで始末して欲しいのだと告げていた。
メアリーは、自分の力である『マルトリート』が、どの程度、強いのか分からない。
実戦が必要なのだとルブルから言われている。
メアリーは、自身の能力であるマルトリートを発動させる。
ひょぉぉおぉおぉ、という音が響いていって、辺り一面に水の泡のようなものが浮かんでいた。それは、吹雪と混ざっているのだが、どうやらその水の泡は、老人が作り出す何かの現象のようだった。
吹雪が荒れ始める。
空気中に浮かんだ青白い火の玉の数が増えていく。
「貴方はローザの配下?」
メアリーは訊ねた。
「その通りだ。もっとも、わしごときには姫君には近付けないのじゃがな」
「ふうん」
地面が揺れ動いている。
天空に、大きな水溜りのようなものが作られ始めている。
メアリーは、この敵が、一体、どんな事を行っているのか判断に迷ったのだが、しかし、彼女は自らの力には、絶対の自信があった。
メアリーは。
襲い掛かる水の刃を、実体化した氷の壁によって防御する。
自身の異質な力『マルトリート』の使い方は、何度もイメージしてきた。
空中に、朦朧とした大きな剣が現われる。
そして、その剣を、空中で自在に回転させながら、老人の肉体に切り付けてみた。
すると、老人の肉体が、ぐにゃり、ぐにゃりと曲がっていく。
ばしゃあっ、と老人は液状化していく。
「あら、貴方の身体は水で出来ているのかしら?」
老人の全身が弾け飛ぶ。
そして、無数の水の刃となって、メアリーの下へと襲い掛かっていく。
メアリーは、既に実体化させていた幻影で作った氷の盾によって、それらを受け止めていく。
ぼうっと、辺りにある火の玉達が揺らめいている。
それらは、まるで、メアリーの行動の一挙一動を伺っているかのようだった。
突然。
火の玉の一つが、弾け飛ぶ。
すると、メアリーを覆っていた氷の盾の一部が大きく破壊された。
「……なっ…………?」
彼女は心理的に、かなり動揺していた。
同じような力の使い手と戦うのは、これが初めてという事になる。
ルブルから、色々、教えられていた。
これまでは、一方的に、自分が力を使い続けて他人を踏み躙るだけだった。
しかし……。
また、火の玉の一つが破裂する。
メアリーは、急いで、幻影の作成に取り掛かっていた。
自らを守る盾が、どんどん壊されていく。
心なしか、胸の動悸が激しくなる。
グラニットの街の住民を殺して回った時から、彼女は自らの命もまた、極めて虚無的なものに感じていた。ルブルを恐れなかったのも、そういった彼女の精神の酷い空しさがあるからだった。
しかし、今は、この敵に殺されたくないと強く思っている。
この程度の存在など、自分の命を捧げたくはない。
「ふん」
メアリーは、どんどん、幻影を生み出していく。
幻影の実体化には、多少の時間が必要となる。
一つの幻影による実体化の攻撃化が無効化された場合、次の実体化した幻影を送り込まなければならない。彼女は幾つも多重に生み出した幻影を操作する事によって、タイムラグによる弱点を克服していく。
気付くと。
一面は、大きな水の渦によって、覆われていた。
メアリーは焦っていた。
自分の命の灯火が、少しずつ、削られていくような気分だ。
自分の強さがどれだけなのか分からない。
そもそも、同じような力の持ち主と戦った事なんて無い。
自分は一方的に、相手をいたぶる人間でしかなかった。
「私は……まだまだ、覚悟が足りないのかしらね?」
このままだと、確実に敗れるだろう。
死ぬかもしれない。
少なくとも、敵は彼女を生かして帰すつもりなんて無いのだろう。
敵が一体、何をやっているのか分からない。
それは、致命的な事なのだろう。
これから討伐しようと考えているローザの能力が何なのかさえも分からない。
気付くと。
人形が、くるくると、踊るように動いていた。
辺り一面が石化していく。
クルーエルが、暴れ回っている。
空気も、風も、雪も、地面も、次々と石と化していく。
メアリーは、クルーエルの能力に巻き込まれないように距離を置く。
†