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コキュートス  作者: 朧塚
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第二幕 氷の魔女の大舞台 2

 メアリーは、ルブルの城の中を歩いていた。

 城の中に、不自然さは無い。少しだけ、ランプの明かりなどが乏しくて、陰気でこそあるが、とても死体から作り上げたものだとは思えなかった。


「クルーエル」


 彼女は天井に向かって呼び掛ける。

 天井では、何か得体の知れないものがわっさわっさと犇いていた。


「私と一緒に来ない? 私はグラニットだけじゃない。他の街も破壊する。ディーバがいい。ローザとやらを殺害したいとルブルは言っている。ルブルの目的が、私の人生の目的に変わっていっている。それはとても良い事なのだと思う」


 ディーバ。

 グラニットから、遥か遠くに離れた街だが、それは巨大でこの辺りの地方の中では、大きな栄華に満ちている城砦都市なのだと聞かされている。

 詳しくは分からないのだが、軍隊を殆ど使わずに、他の街を支配下に置いて、その富や資源などを貪って、吸収してしまっているのだと。

 あそこも、不気味な場所だとされている。

 そして、あそこを支配しているのは、虚空の姫君ローザという名前の魔女なのだと。

 メアリーは唇を歪めた。


「スフィア……私の下に来るのかしら? とてつもなく、楽しみなんだけどね」

 冷気が舞う。

 メアリーはこの世界を呪詛している。

 何故、こんなにも、この精神が歪なのか分からない。

 どうしても、この世界を受け入れられそうにない。

 そして、きっとスフィアは大嫌いなものの象徴なのだろう。


「私はきっと、ある意味で言えば、世界一不幸なのかもしれない。そして、おそらくは、自分が不幸だと思う人間は、誰もが自分が世界で一番、不幸だと思っているのかもしれない。そう考えると、きっと、この世界はとてつもなく愛するに値する」


 メアリーの背後で、煙のようなものが立ち込める。

 彼女は、その怪物の姿を知らない。

 ルブルだけが、知っている。


 そいつは、完全に謎に包まれているが、メアリーにはそれ程、興味が無い。

 ただ、ルブルが数百年の間、唯一、共にしてきた存在なのだとは言っている。

「行くわよ、クルーエル。過去の魔女が今の魔女を粛清する。進軍を始めましょう。多分、ルブルと私が似ているのは、他人が絶望する事によって、相対的に幸福になれるという事。だから、不幸の芽を撒いていこうと思う。大いなる呪詛を」

 天井から、幾つもの腕が生え出してきた。

 そして、それらは何かを掴もうとしながら、痙攣している。

 しゅうしゅうと、醜悪な声を上げて、死人達が、クルーエルの存在に怯えているかのようだった。

「それにしても、貴方、変わっているわねえ」

 ルブルは、自分に仕えたいと望んでいるメアリーに対して、不思議な顔をしていた。

「私に仕えたい? 私には、生者なんて、いらないのよ? 私は死者をみな、この手で操る事が出来る。私に生きた人間なんていらない」

「そう。……でも、それでも、私は貴女に仕えたい。私は、私の望みがあるから。それに、ルブル、貴女になら、殺されても、私は自らの運命を認める事が出来る。…………」

 メアリーは、極めて、自己破壊的で破滅的な事を口にする。

 自分の命の価値に、彼女は極めて、迷っていた。

「あらそう?」

 加虐的な微笑。

「じゃあ、私に右腕を差し出してくれない?」

 ルブルは酷薄な笑みを浮かべる。

「貴方は、今日から。生きた人間として、私に仕えるんでしょう? 私には、本当は生者はいらないのだけれども。特別に、貴方を私の右腕にしてあげる、どう?」

「お言葉だけど、ね。それでは貴方のお世話が出来なくなるわ……」

「あら? 別に私はどちらでもいいのよ? それに、右手が無くても、左手があるじゃない? 貴方は、そのくらいの事も出来ないの?」

 まるで、最後通告のようだった。


「やりなさい、メアリー。貴方が人を殺した覚悟はその程度?」


 メアリーは。

 仕方無く、自らの右腕をルブルの前に出す。

 しゅん、という音がして。

 血しぶきが舞って。

 メアリーの右腕が切断された。

 メアリーは、激痛に身悶えて、今にも発狂しそうになる。


「大丈夫。よく、決意してくれたねえ。貴女には、新しい右手を上げる。死体の中からだけれども、それは、貴女の肉体を蝕んでいって。貴女を別の生き物に変えるでしょうけれども。別に貴女は死ぬわけじゃない。意思も残る。大丈夫よ」

 ルブルは、そう言って。優しく、メアリーを抱き締める。

「じゃあ、行って。ローザを倒して、支配権を得るの、私達で」

 そう言いながら、ルブルは死体から作り上げた新しい右腕を、メアリーへと接合する。


 ああ、これで、彼女から、逃れられなくなったなあ、とメアリーは心の中で思ったのだった。



 ローザは宮殿の奥で、本を開いていた。

 それは、ディーバ中を俯瞰出来る地図だった。彼女は、自分の思うように、ディーバという街を設計していた。


 色々なポイントに印を付けては、貧困になりそうな家庭、諍いが起きた場所を調べ上げて、どうすれば、その渦中にいる者達の不幸を取り除けるのかを、つねに思案している。

 ちなみに、ローザは。

 この部屋の中で、儀式を行っている。

 此処に来る者達は、“婚礼の儀式”と称して、容赦無く殺害している。何故ならば、大抵の場合、そいつは彼女を殺そうとしにくる暗殺者だからだ。

 彼女が支配した、他国から派遣されてくる殺し屋ばかりだからだ。

 彼女が城を出る事は殆ど無い。

 全て、配下の者達に手を下させている。

 ぞぞっ、という不可思議な音がして。

 何処からともなく、虚空から一人の人間が現われた。

 そいつは、彼女の寝室の中にドアを開けずに入ってくる。

 ドアを開けずに入ってきた者は、ローザは始末しない。彼女の重要な配下であるからだ。


「あら、ヘリックス。どうしたの?」


 ぼわり、と。

 ヘリックスと呼ばれた者は、辺り一面に渦を巻いている雲を漂わせていた。


「気温が、何か変なのです。ディーバに近付いている者がいる。どうします?」

「任せる」

 ローザは、それだけ告げた。


 空間が歪み。

 部屋全体が、どろどろに溶けていく。

 そしてその後、空間が歪み、捻じ曲がっていった。

 二人の能力者は、その存在だけで、この世界の理を歪めていた。



「贅沢な悩みかもしれないけれども。俺は自分自身の過去を乗り越えられず、幸せになるのを拒もうと思っている。おそらくは、それが自分に課した生涯の誓約なのだろうから」


 彼は、一人、そんな事を呟く。

 時折、甘い夢に浸ってしまいたい時が多い。

 けれども、現実の世界は闇の色に染め上げられている。

 たった一つの願いだけが叶えばいい。それ以外は、何もいらない。

 楽な道なんて、望んでいない。

 自分の決めた道しか向かうつもりはない。

 彼は、街中を歩いていても、何をやっていても。復讐の念に思いが駆られていた。

 成し遂げるまでは、決して自分の人生など、在り得ないのだと思った。

 別の幸せの方法は、幾らでも模索出来る筈なのだ。

 けれども、自分自身の戦いを終わらせるつもりなんて無い。

 いつだって、悪夢が這いよってくる。

 これから先も、失っていくものは、とても多いのだろう。それは、とても寂しいものなのだが、どうしようもないものだ。

 日々、無駄な時間を過ごしている。きっと、自分は成し遂げるまでは、無為そのものなのだろう。

 他人から差し延べられた優しい手を、振り払って、前に進むしかない。自分に与えられた使命は、自分だけのものなのだろうから。

 街頭の明かりが、眩しく見える。

 みなで、馬鹿騒ぎを行っている者達に、心の底から交わりたいとも思っている。

 けれども、自分は自分でしかないのだとも思っている。

 明日も、自分は生きているのだろうか。そんなふと、空虚な感覚に襲われる。あの日から、自分の両目に映る映像は、どんよりと濁っている。この忌々しい膜に覆われたような感覚から抜け出す事が出来ずにいる。


 酷い閉塞感に襲われていた。

 未来へなんて進めない。

 過去と戦わなければならないのだから。そして、過去を忘れる事の方が、ずっと辛く、苦しいのだろうから。

 時間が傷を塞いでくれるのかもしれない。

 それでもだ。

 もう、癒えた筈の傷も、きっとずっと抉り出すのだろう。

 幸せだった頃の時間を思い出す。

 家庭の事だ。

 自分はぼんやりとだけれども、平凡を生きていくのだと思っていた。

 深く思い悩まずに、生きていて、それがどうしようもない程に当たり前だった。けれども、そんな当たり前の人生なんて、完全に壊れてしまったのだ。

 自分は、孤独なんだと思う。

 たとえば。酒場にて、仲間達といると。ふと、どうしようもない程の、孤独感に襲われる。

 多分、それでいいのだろうと思う。

 孤独感とか、疎外感とか、感覚のズレだとか。そういったものが、自分の戦う意志へと変わるのだろうから。

 幸せな自分が、絶対に赦せないのだろう。きっと、引き受けなければならないものが、重過ぎるのだろうから。


 人生は、終わってしまった後でも、続いてしまう。

 終わるべき瞬間に、終われなくても続いてしまう。


 自分は、家族を追って自害するべきだった。

 しかし、出来なかった。それは、自分のどうしようも無い弱さからだ。

何故、自分を赦せないのだろう。こんなにも、無力過ぎて、自分が哀れに思えて仕方が無い。こんなにも、折れそうなのに、どうすれば明日を築けるのだろうか。

 弱さを乗り越えようにも、乗り越え方が分からない。

 ローザとは、必ず対決しなくてはならない。

 あの化け物を、自分の力で倒さなければならない。

 しかし、自分はどうしようも無い程に、無力なのだ。

 それだけは、突き付けられた事実なのだ。

 あの化け物の宮殿に近付かなければならない。

 けれども、近付けない。いつだって、逃げ続けたくなる。

 そんな自分の弱さを乗り越えなければならないのに。

 戦って、たとえ、自分が死ぬ結果になったとしても、悔いの残ったままの人生を生き続ける方が、よっぽど苦痛だというのに。

 自分の弱さから、抜け出せない。

 あの化け物のせせら笑いを思い出す度に、足が竦んでいく。

 街中を、ずっと歩いて酒を飲み歩きながら、自分が何で、こんなに下らないのかと思考し続けている。どうやっても、自分の恐怖心を克服する事が出来はしない。

 強くならなければならないのに。

 自分自身を超えなければならないのに。

 何故に、恐怖は、こんなにも自分を弱くするのだろうか?

 酒を飲んでいる時は、甘い誘惑の中に落ちていける。

 その中では、現実の自分の苦しみが引き離されていって、何処までも、何処までも、夢の中へと埋もれていけるような気がした。きっと、直面するだけの強さは初めから、自分には無かったのかもしれない。

 ふと、目を覚ますと。酷い、自己嫌悪に陥って。それから、深い絶望へと突き落とされていくような気になる。心の奈落から、抜け出したくない。

 生きたい……という、強い欲望が、復讐の感情を邪魔するのだろう。けれども、決して、悪夢から逃れる事が出来ないのも分かっている。


 もうすぐ、冬の季節がやってくる。


 あれから、二年くらいの月日が流れたのだろうか。

 そういえば、雪が降る日だったような気がする。

 あの日から、自分は孤独を生きる事に決めたのだ。

 まるで、何も無い。今の自分は、強ささえも、手に入らないのだろう。

 全ての色彩が消えていき、後に残ったのは、真っ白だけなんじゃないのかと。

 何故、こんなに寒気が止まらないのだろう。

 城館が聳え立っている。

 そこから、先には行けない。

 兵士達は、誰もいない。

 それなのに、この城には、確かに強固な警備が為されているのだ。

 足が竦んで動けない。

 もしかすると、もうすでに、アンクゥの存在を知られているのかもしれない。


 死のイメージが、明滅するように、過ぎっていく。嫌でも、戦場に出掛けなければならないのだと自覚させられている。

 死の先には、一体、何があるのだろう?

 もし、死後も意識が残るのだとするのならば。

 父は、母は、兄は。今、どんな風になっているのだろう?

 自分が死んだ後、どうなるのだろう?

 何故、こんなに怖いのだろう。まだ、生きていたいと願っている。

 本当は、戦って死ぬべきなのに、まだ呼吸を続けたいと思っている。

 どうすれば、希望は見てくるのだろうか?

 どうやっても、希望は暗闇の中に閉ざされている。

 今にも、凍え死にそうで。いっそ、死んで眠りについてしまった方が、どれ程、楽だというのに。それでも、今もなお、死ねずにいる。

 多分、自害出来る事も、一つの強さでしかないのだろう。こんなに絶望しているのに、まだ、希望を妄想的に思い描くのは何故なのだろう。まず、この道では、幸せになれないというのに。

 多分、どうしようもなく、怖い事が、今もなお心に刃を突き刺している。


 アンクゥの能力『ソリッド・ヴァルガー』は、空間の一部を削り取るように、切り刻む事が出来る。

 まるで、自分自身の心の断片を、削り取るように。

 自分自身を、削り取るように。見える景色を、削り取るように。

 彼は、一定の空間を、削る事が出来るのだ。

 それは、どれ程の致死率があるのだろう。


 鉄骨や岩盤などは、鋭利に刻む事が出来たし、壁の向こう側を飛び越えて、刻む事も可能だった。

 削り取れる部分が見え始めた。

 自分の力の形を知る。



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