第六幕 死の風は冷血な舞台に吹き荒れる。 5
氷帝はローザの寝室の中へと入り込んだ。
ローザは、ぼうっと、何も無い空間を眺めていた。
「姫様……、ジュダスが……」
「分かっている…………」
部屋全体から、唸り声が聞こえてきた。
人間ではない、昆虫の金切り声や、機械の金属音のような。
「私の『ドゥーム・オーブ』を全力で使う。ジュダスも、デス・ウィングも始末する。そして、ルブルも……二度と、人間には戻れないかもしれない。それでも、私は私の街を愛しく思っているから。あの二人には消えて貰う。私も死を覚悟しなければならないみたいね…………」
ぞわりっ、と氷帝は震えていた。
ローザの眼は、まるで底知れない静謐さを讃えていた。
†
ルブルはウィンディゴで一番、高い場所である時計塔から、遥か遠くの地平線の向こう側で、天候に異常が生じている事を知った。
「もう、スフィアはどうでもいいわね。……メアリー、大丈夫なのかしら? あの子、多分、何処かで、まだ私を信じていないでしょうけれども。まあ、いいわ。私もそんなものでしかないから」
彼女は、人形を取り出した。
「クルーエル、メアリーを助けに向かいましょう? 私の愛しい弟。貴方の全力を使うのよ。私も、私の全力を使うから」
彼女は『カラプト』を街全体へと使う。
街がばらばらに解体されて、組み換えられていく。
それは、テントや鉄骨を組み換える作業にも似ていた。
出来上がったのは、巨大な翼を持つ骸骨のドラゴンだった。
彼女は、ドラゴンの背中に乗る。
†
ジュダスとデス・ウィングは、お互いを牽制し合っていた。
どちらも、中々、消耗しない。
ジュダスは、影によって人々を飲み込む事によって他人の命を吸収して、自分の傷を容易く再生させていた。対するデス・ウィングは、肉体を損壊されても、霧の身体故に平気でいた。お互いを殺害する手段は、ひたすら、互いの消耗を待つばかりだった。
ジュダスは遠くから近付いてくる気配に向けて吼えた。
「で、貴様らは何だ?」
彼は叫ぶ。
巨大な翼が、森を包むように広がっていた。
「ああ、俺達はその何だ。“偽善”だっ!」
アンクゥは声高に叫んだ。
口にして、彼はとても恥ずかしそうな顔をしていた。
ジュダスは馬鹿にしたような視線を二人に向ける。
「そうか、偽善か。俺は今、悪意と戦っている。お前らに興味は無い。見逃してやるから、さっさと引く事だなっ!」
狼は吼えた。
更に、ヘル・ブラストによる影が蔓延していく。森全体が、影によって飲み込まれていき、生命が朽ち枯れていく。
森全体を喰らい尽くして、ジュダスの放っている黒色の光は、辺り一帯を覆い尽くし始めていた。
アンクゥは……。
ソリッド・ヴァルガーを全力で、ジュダスに向かって、叩き込む。
そして、メアリーが、追撃として、イメージにより作り出した無数の剣や岩石などをジュダスに向かって、降り注いでいく。
デス・ウィングはしばしの間、困惑していた。
「お前ら……何だ? 私の戦いなんだが…………」
彼女は呆けたような声で言った。
アンクゥは、自身の能力を、連続して狼へと叩き込んでいく。
爆撃のような音が、周囲に鳴り響いていく。
「貴方は何?」
メアリーは、デス・ウィングに向かって訊ねる。
デス・ウィングは、どう答えればいいか分からない表情になる。
「お前は……スフィアの事はもういいのか?」
「何で、あの子の名前を知っているの?」
今度は、メアリーが少し、驚いたような顔になる。
デス・ウィングは、気まずそうな顔をする。
「お前らが殺し合ってくれるのを見たかったんだが。スフィア、あいつ、駄目だよ、どうしようもない、今頃、ルブルの城で死んでいるか。一人で泣き喚いているんじゃないのか?」
デス・ウィングは…………。
メアリーの作り出した、大量のナイフを、全身に突き刺されていく。
「ふうん? あの子をおもちゃにしていいのは私だけなんだけれども? 貴方は何なの? 貴方はスフィアに、何かしたのかしら?」
デス・ウィングが、身体に突き刺さったナイフを、一本、一本、引き抜いていく。
彼女はナイフが刺さっていた部分から、霧が噴き出してきて、肉体の損壊が修復されていく。
「お前はスフィアが大嫌いなんじゃなかったのか?」
「…………人間の感情って複雑で。貴方は、どうも、ルブルやローザやジュダスと同じ臭いがするわね。性根が腐り切っている感じがする。まあ、私もまったく人の事は言えないのだけれども」
デス・ウィングは鼻で笑いながら、メアリーを見ていた。
メアリーは、軽蔑するように彼女を睨む。
お互いに、どうも、虫が好かない感じだった。
メアリーは、どうしようもないくらいに、彼女も不気味に思えて仕方が無かった。ルブルやローザとは、違った感覚で気味が悪かった。
「貴様らの馴れ合いの最中悪いんだが」
大地が振動する。
咆哮が響き渡る。
狼はアンクゥの全身を右足で押し潰しながら、デス・ウィングとメアリーの二人を睨んでいた。
「ローザがどうやら、能力を発動させているようだが? 俺だけで無く、お前ら全員も始末するらしい。どうする?」
そう言って、ジュダスはアンクゥを蹴り飛ばして、二人の下へと放り投げる。
まだ、赤髪の男は息があった。どうも、ジュダスは手加減したみたいだった。
「私はディーバの奴らは、みんな共犯だと思うな?」
デス・ウィングはジュダスに言った。
「ジュダス……、もういいんじゃないかと私は思うけれど? もう、みな、ぼろぼろだろう。これから、苦しみ、悲しみながら、生きていくかもしれない。私達は全員、邪悪なんだが、正しい部分を持っていても、いいんじゃないのか? 何が正しいか知らないが。たとえば、人間にもう少し、期待するだとか……」
「ふん…………」
狼は鼻で笑った。
「デス・ウィング、出来れば、満月の夜にもう一度、この俺と戦ってくれないか?」
メアリーは不思議な顔で、巨大な狼を眺めていた。
「あら、貴方はもういいのかしら?」
「お前らのせいで、興が殺がれた。しかし、数百年ぶりに楽しめた。俺はディーバを離れる。しかし、やはり人間の世界は何も変わらないな? 欲望の渦によって、積み上げられている。これだけは言っておくが、背徳者という概念は、人間の裏の部分を指す単語みたいなものだ」
ジュダスはそう言って、つまらなそうな顔で、再び、雄叫びを上げる。
すると、影が徐々に収束していく。
ディーバ中で荒れ狂っていた死の嵐は、あっけなく収束していく。
「じゃあな? 俺は自由だ。お前らも好きにすればいい」
ふと、ジュダスは思い出したように止まる。
そして、何だか、どうしようもないくらいに人間のような眼で、三名を見ていた。
「それからこれも言っておく、お前ら、この世界にはだ。死んだ方がマシな事もあるのだと、生まれてこなければよかった命もあるのだとな?」
何か韜晦を込めるように、彼は言って、今にも走り去ろうとしていた。
「あら、それは無いんじゃないかしら?」
唸るように、一面に声が響き渡る。
城の塔の一角だった。
真っ白なドレスを身に纏ったローザが、四名を眺めていた。
「私のディーバをよくもこんな風にしてくれたものね? ジュダス。私は、まず、お前は始末する。それから、デス・ウィング、お前もやっぱり、トリッキーで理解不能だから、始末する。ああ、それから」
ローザは、満面の笑顔で他の二人を指差した。
「貴方達は見逃す。何処にでも好きな処に行くといいわ」
メアリーの顔は引き攣った。彼女は全身の毛が逆立つような気がした。
「それは私達はつまり……」
「ええ、馬鹿にしている。私の敵では無いと思っているわ。ルブルとかいうのも、私の敵じゃあない。あちらの方はさすがに、死んで貰うつもりだけれどもね?」
「そう」
メアリーは、マルトリートを発動させていく。
彼女の顔は、怒りで引き攣り始めていた。
「もう、この辺りは私の“食卓”になっている。婚礼の儀式も始まっている。大人しく、死んで貰えないかしら? デス・ウィング、私は貴方を殺せないかもしれないけれども、追い払う事くらいは出来るかも。永遠にね?」
デス・ウィングは、ローザに対して嘲る笑みを浮かべる。
何も無い虚空の中から、何かが生まれようとしていた。
まず、最初に見えたのは、大きな目玉だった。
メアリーは思う、おそらくあれは何かの胎児なんじゃないのかと…………。
大地が波のようにうねる。
ローザの肉体が変形していった。
「もう、人間には戻れないかもしれないけれども、仕方無い事なのよ。貴方達が悪いのだから…………」
気を失っていたアンクゥは目を覚まして、顔を上げた。
「ヘリックスの次元転移に似たような事を、私は出来る。あるいは、私は彼に出会ってから、私の能力が成長したのかもしれない。私は私の破壊のイメージを私の中へと取り込む」
轟音が、何処からか、何度も響き渡っていく。
「食卓の最後の力、この辺り一帯を亜空間へと変えるつもりよ」
ローザはそれだけ言った。
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