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コキュートス  作者: 朧塚
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第六幕 死の風は冷血な舞台に吹き荒れる。 4

 アンクゥは街を歩いていて、真っ黒な影が走り回っている事に気付いた。


 これが、何なのかが分からない。もしかして、へリックスと一緒に会った、あの巨大な狼、ジュダスの力なのだろうか?

 ディーバの人々が次々と死んでいく。

 彼は記憶がフラッシュバックしていく。

 ローザの食卓にされた、ヴィシャスの街の人々。殺されていった父親と兄、泣き叫ぶ母。自分はどうすればいいのかが分からない。あの時はとてつもなく無力だった。

 ディーバも、ローザも、アンクゥにとっては憎むべき存在でしかなかった。


「俺は…………」

 彼は頭の中が真っ白になる。

 どう感情を形にすればいいのか分からない。

 当然、ローザと同じように、ディーバも深く憎んでいた。この街は、アンクゥのヴィシャスや、その他の街などを食い物にして存続しているのだ。

 心の奥底から、何かが這い上がってくるかのようだった。

 何もかもが壊れてしまえばいいという衝動だ。

 この光景はきっと、望んだ結果に違いない。…………。


「あの怪物が暴れているみたいね」

 気付くと、メアリーが城の方を見上げて、アンクゥの傍に立っていた。

「俺はどうすればいいと思う? 俺は憎いんだ。この街の住民も、ローザも。みな、死んでしまえばいいと思っている。この事態を俺は願っていたんだろうな? 自分の力だけじゃ、ローザは倒せないから…………」

 遠吠えが聞こえてきた。

 城の辺りの森で、破壊音が鳴り響いていた。

 


 正しさとは何なのだろうか? 分からない。


 二人共、迷っていた。

 自分達の抱えている憎しみの感情をどうコントロールすればいいのかを。

「私は……人間なんて、踏み潰してやる。ルブルと一緒に。だから、ディーバがどうなろうと知った事じゃないんだけれども」

 彼女は複雑そうな顔をして、アンクゥを見る。


「私の壊したいものは、私自身の手で壊したいのよね……」

 メアリーは、かなり迷っていた。彼女にとって、人間というものに対する感情が分からなかった。

「メアリー……」

 アンクゥは言う。

「お前は、お前はまだ、人間に戻れるんじゃないのか? 背徳者じゃなくて、そう、悪魔ではなく、人間に戻れるんじゃないのか?」

 彼女は彼の言葉を聞いて、更に険しい顔になる。


「後悔なんてしていない。グラニットの人間を虐殺した事を。私の自由を阻む者達は死ぬべきだった。けれども、私は今、どうしようもない程に自由で、幾らでも選択が与えられている。私は何なのかしら?」


 彼女は、自分の不安定な感情を整理し切れずにいた。

 衝撃音が鳴り響いた。

 巨大な狼が城の頂上に登ったかと思うと……、狼が再び、地上へと跳ね降りる。その後に、ひたすら、轟音が響き渡っていた。

 街そのものが悲鳴を上げているかのようだった。

 影から逃げ惑うような人々は、祈りの声を上げる者達もいた。おそらくは、この辺りに根差している宗教の神の名前を叫ぶ者達もいた。

 みな、生きたがっていた。

 どうしようもない程に、人々は必死の叫び声を上げていた。

 けれども、無情に、人々が、死の影へと飲み込まれていく。

 アンクゥは言う。

 復讐の感情、それが何処か遠くへと飲み込まれていきそうだった、と。

 そう、彼は彼女に述べた。


「少しだけ……、何もかも馬鹿馬鹿しくなって、放り投げてしまいたくなる。他人に好き勝手に目的を荒らされるって事ってさあ。怒りとか、憤りとか、最初、持っていた意志の力だとか。そんなものが馬鹿みたいに思えてくる。俺の復讐心は本物だったんだろうかってな」


 メアリーは深く溜め息を吐いた。

 苦しかった地点から抜けられて、今はもうどうしようもないくらいに自由だ。逆に、自由過ぎて、酷い倦怠に襲われてしまう。ルブルの事を考えて、彼女に対する感情も整理し直してしまっている。

「私は……魔女が怖かったんだと思う。ルブル……。もう、そろそろ折れてしまうかもしれない。私は私の弱さを強さに変えてきただけだった。イメージを形に出来る力、それは私の強さそのものだった。何なのかしら? 他人に荒らされて……」

 メアリーは何だか、強く憤っていたみたいだった。

 人が次々と死んでいく。

 二人して、呆けたように、

 二人には、影の攻撃を避けるだけの力はあった。無差別に唸る波を、それぞれ、自身の能力によって、その軌道を読み取る事が出来た。

 ソリッド・ヴァルガーの空間把握によって、影の軌道が見える。

 マルトリートの幻影作成によって、影を避ける事が出来る。

 二人は、絶対的な安全圏から、このどうしようもない絶景を閲覧し続ける事が可能となっていた。

 無償に、何もかもが馬鹿みたいに思えてしまう。メアリーはそう思った。


「なあ、俺は死をずっと覚悟していた……」

「私もよ。自分の命なんて、どうだっていいから。苦しい、この世界なんて壊れてしまえって思った。スフィアっていう子がいて、その子に対する憎しみは、逃げていただけなんだと思う。スフィアは私にとっての幸福な存在の象徴だった。あの子に対して、立場の違いが羨ましかったから。あの子だけは不幸になればいいと……」

 彼女は上手く、何かを言葉に出来ないみたいだった。


「アンクゥ、私はまだこの感情に浸っていたい。私は私の人生を認めたいから。たとえ、この先に空虚と絶望しかなかったとしても……ねえ、アンクゥ。私は押し付けられた不幸を生きるんじゃなくて、自ら選び取って、不幸になりたいと、今、思ってしまっている。多分、それが私が生まれた意味なんじゃないかって」

 赤髪の男は、メアリーの横顔を眺めていた。

 彼女は今という時間を刻みたいんだろうなあ、と漠然と思った。


「望んで不幸を手に入れる、か。幸福と不幸、多分、その二つは正反対のものなんかじゃなくて、強さと弱さが表裏一体であるかのように……。俺も今は思う。多分、俺はもっと自分の弱さを超えなければならないんだと。他人に良いようにされたくない。それがたとえ、まともな意味で幸せな道であったとしても。犠牲の下で手に入れた幸福って何なんだろうな? クソみたいだ。俺は復讐に生きると誓った日から、普通の幸せを生きる事は捨てた筈なんだ。ああ、畜生」

 分かったのは。

 二人の思いは、一緒だった。

 お互いの視線を確認し合う。


「あのクソみたいな狼を……」

「一緒に倒しに行きましょうか」

 メアリーは背中から、翼を生やした。翼は巨大な物となって、広がっていく。

 とにかく、絶対の安全圏から、この場に居続けるのは酷く苦痛だった。

「苦しみと戦いの中で、多分、生きている実感があるんじゃないかって、俺は思っている。俺はローザともジュダスも戦う、メアリー、お前は?」


「…………ルブルは怖いけれども、愛しく思う。多分、あれは私自身でもあるんだ。だから、怖いのよ。自分の向かう先が形となったもの、どうしようもなく愛しくて、どうしようもなく怖い。だから、一緒にいたいと思う。私は彼女を裏切れない…………」

 二人は、お互いに、自らの人生を好きなように語り、吐き出し合っていた。

 お互いに、どうしようもないくらいに、分かり合っている気がした。


「生き残らないか? お前、罪悪感とかってある?」

 彼はグラニットの人々を虐殺した事に対して、罪の償いが出来ないか、と暗に訊ねていた。メアリーは首を横に振る。


「無いわね、善行なんてするつもりは無い。私は闇へと向かう。アンクゥ、貴方は正義を目指せばいい。私は死ねば、地獄へ落ちればいい。奈落の底へと向かいたいから、私は私の力で多くの者達を殺す前に誓ったのだから。死ねば、地獄に落ちればいい。けれども、この気持ちの悪い世界は壊す、と」


「そうか、お前は不自由な悪を……俺は、正義の復讐を……。どちらも正しくないんだろうな、俺達は死ぬべき者達なのかもしれない。命の価値なんて分からない。分からないなりに、自分の命が何の為にあるのか考えようとして……」


 空が暗雲に包まれていく。

 城の辺りで、戦いが熾烈を極めているみたいだった。


 メアリーは、いくつもの巨大な羽を空中に作り出す。そして、自分の目が届く範囲にいる人々に対して、影に飲み込まれていきそうな者達を、救い出していく。

 アンクゥも、一定の空間を削り取る事によって、何名かの人々の命を救った。

 目の前にいる者達以外には、特に対処をしようと思わなかったし、二人共、やはりそれほど、ディーバの住民に対して特別な感情を抱く事が出来なかった。


 多分、復讐心は時間が経過して解消してしまうものと、解消出来ないものがある。

 メアリーが、作り出した翼の一部を、寝台のような形へ変える。

 アンクゥに乗れという合図だ。アンクゥは、翼の寝台のように変形した部分に乗り込む。

 メアリーは、翼をはためかせて、空へと舞い上がる。

 二人は、黒雲が渦巻く場所の中心部へと向かっていった。


「幸福も不幸も信仰なんじゃないのかしら? ルブルと会う前に、世界各地の宗教を調べた。宗教ってのは、どうすれば幸せになれるかばかりを語っている。人間の望みなんて、どうせ、どうすれば幸せになれるか、ばっかり。現世で幸せになれるか、あの世とか来世で幸せになれるかだとか。多分、みんな何か縋り付いて生きている、滑稽極まり無いわね?」


 そう言って、彼女は皮肉めいた事を言う。

 多分、世界なんてそんなもので構成されているのだろう。

 全部、何かに縋って、生きる意味だとかを見つけたりしているのだろう。

 渦巻く竜巻は、まるで神話の戦いのようだった。


 メアリーとアンクゥは、息を飲みながら、舞台へと近付いていく。

 


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