第六幕 死の風は冷血な舞台に吹き荒れる。 3
スフィアはルブルの城を逃げ続けていた。
巨大な蜘蛛が彼女を追ってくる。
スフィアはナイフを振り回して、蜘蛛を倒して回っていた。
……ううっ、私、本当にどうすればいいんだろう? 私、本当に弱いなあ、水月さん、水月さん……っ!
普通に考えれば、ルブルにナイフを突き立てるのがもっとも良案な気がする。
しかし、魔女は何処に行ったのか分からない。
とにかく、砂漠の中の廃墟のような場所を走り続けていた。
砂漠の筈なのに、温度は氷点下になっていて、寒風も吹き荒れている。
「どうしよう……どうしよう、私、どうすればいいのかな?」
どうしようもない事だけは分かっている。一人で立ち向かうしかないのだと。
メアリーの顔をもう一度見る。その為だけに此処まで来たのだから。
「ルブルっ! 出て来いっ! 私と相手しなさいっ!」
ひとまず、何か出口は無いかと探してみる。何も無い。
仕方が無いので、スフィアは壁にナイフを突き刺して、壁を老朽化させ続けて、出口を作り出そうと試みる。けれども、壁を壊しても、壊しても出られそうになかった。
スフィアは鼻水を啜りながら、途方に暮れて、いっそ、このまま眠るように凍えて死んでしまった方がいいんじゃないかと思った。
†
デス・ウィングは城の前に出る。
城門の辺りには、門番をしていた兵士達が何名か倒れていた。
彼女は兵士達の傍に向かう。
兵士達は、みな、何か恐ろしいものを見て発狂してしまったかのような顔で、絶命していた。
彼女は息を飲む。
どんっ、と何者かが彼女の前に降りてくる。
デス・ウィングは少しだけ、息を飲む。
銀色の毛皮から、黄金と黒色の光を放っている巨大な狼が彼女の前に佇んでいた。
「ようこそ、ディーバへ。ローザには、もう会ってきたのか? 俺には、挨拶無しか?」
デス・ウィングは、まじまじと、対面している狼を眺める。
恐ろしいくらいに美しさを誇る獣だった。
彼はデス・ウィングの全身を舐め回すように眺めていた。
「お前、ジュダスというのか?」
デス・ウィングはせせら笑う。
お互いに、相手の両眼を見据え合っていた。
そして、互いに一歩も引かない。
「魔女ルブルのいるウィンディゴで、お前の気配を知ったんだが」
ジュダスは言う。
「私はお前がルブルと戦っているのを見た。お前は面白そうだと思ってな?」
ジュダスは嘲笑う。
その狼からは、激しい神々しさと禍々しさの両方が備わっていた。
彼は唸り続ける。
「そう、俺の名はジュダス。地獄の大公、死を撒く者ジュダスだ。俺は疫病そのものとも、言われている。お前は何なんだ?」
「私か? 私はデス・ウィング。悪意を撒く者だ」
二つの背徳者は、お互いを目視し続けていた。
デス・ウィングは、掌にある指先を閉じたり開いたりするのを繰り返していた。
ジュダスは、こめかみをぴくり、と動かす。
「お前の力の名は?」
ジュダスは訊ねる。
「『ストーム・ブリンガー』と呼んでいる。お前に私を殺せるのか? 験してみたい」
瞬間。
デス・ウィングは、指先を突き出すように、ジュダスへと向けた。
ジュダスは飛び跳ねる。
デス・ウィングが指先を向けた場所は、深い森になっており、森にある何本もの大木が、粉々に砕け散っていく。
彼女は左半身に違和感を覚えていた。
見ると。
肩先から、左腕がごっそりと、削り取られていた。
ジュダスは、口元から、食い千切った彼女の腕を吐き出す。
「ふん。お前は不死者なんだろう?」
そう言って、彼は口から腕を吹き出した。
デス・ウィングの周辺に、霧が集まっていく。
そして、次第に、彼女の左腕は新しく作られていく。
「そうだな、私は不死身だ。霧の肉体を持っている。誰も私を殺せない。どんな能力者も、これまで私を殺害する事が出来なかった。そう、私は不老不死なんだ」
「ほう? それはそれは、凄い事だな? だが、俺の『ヘル・ブラスト』でも死なないのか? 験してみるのはいいかもしれないな?」
ジュダスの周辺から、影が集まってくる。
それは、人間が見れないもの、認識出来ないもの、死の先という暗闇そのものだった。
「俺のヘル・ブラストは、何者をも、死の世界へと引きずり込む。アンデッドでも、俺の前では死んでいく。どうだろう? お前がどれ程、不死身なのかどうかは知らないが、俺の能力を受けてどれだけ平気でいられるのかな?」
デス・ウィングは自然と笑っていた。
初めてかもしれない。
こんなにも、彼女を畏怖させる相手に出会ったのはだ。
「ああ、ジュダス。そうだ、私はお前のその能力に興味があって、お前と対面したかったんだ。お前は私を殺せるんじゃないのか? それは、とても興味深いんだ」
彼女は、右手から、何かを取り出していた。
くる、くる、と彼女を取り巻く霧が集まってきて、それがより一層、整った形へと変貌していく。
それは、刀だった。細長い、小柄の人間程の長さはある刀だった。
ジュダスは唸る。
「ただでは殺されてやるつもりなど無いのだろう?」
「勿論、確かに私は死にたいとは思っているが。同時に、自分の全力を出し切ってみたいっていう期待もあるんだ。私はどれだけ強いのか? 私はどれだけ不死なのかってのにも、ずっと興味を持ち続けているのだからなあ?」
そう言いながら、デス・ウィングは、長い長い刀を振り回し続けていた。
「どうかな? ディーバとは遠く離れた場所でやるつもりは無いかな?」
デス・ウィングは提案する。
「何故だ?」
ジュダスは首を捻る。
「此処は人間が多過ぎる。巻き込むのも何だろうな、と思ってな」
それを聞いて、狼はせせら笑った。
辺り一面に影が飛び散っていく。
影は、暴風雨のように、ディーバの街を走り回っていた。
ジュダスの全身に満ちた闇が、より強大で、より金色に輝きながら、辺りを覆っていく。
「やはり、お前も人間を何とも思っていないんだな?」
デス・ウィングは淡々と言った。
「逆に聞くが、お前は何故、人間ごときの価値を重く置くのだ? 人間など、そこいらの蟲けらと何が違う? お前らは地べたを這いずる蟲共を踏み潰す事に贖罪感など抱くのか?」
「…………確かにそうだ、同感だが。私は花や虫が好きだよ。鳥や動物も。出来れば、無意味に殺したくは無いと思っている」
彼女の視線は何処までも、冷たかった。
「ローザもルブルも同じように人間を見ている。人間という種を、どのような道具と見ているかの違いかしかない。ジュダス、私達、背徳者は人間を同族だなんて思っていやしない。だが、どうだろう? 私はまだ人間というものに自分と別種の存在ではないという、人格を見い出しているのだろうな」
ジュダスは跳ねる。そして、ローザの城の塔へとよじ登っていた。
彼は咆哮する。
ヘル・ブラストにより発生した影が、更に唸りを上げて、犠牲者の数を増やしていくのだった。遠くで、沢山の悲鳴が聞こえてくる。
「高い場所が好きなんだな? お前の傲慢さをよく現している気がするな?」
デス・ウィングは、持っていた刀を振り回す。
「ジュダス、私は全力を出そうと思う。お前は全力を出せるのか?」
ふん、と狼は鼻で笑う。
「満月の日は今日じゃない。満月の日は、俺は持てる全てを出し尽くす事が出来る。デス・ウィング、お前は俺の本当の力を知りたいのか?」
「いや……」
彼女は、両手を開いては、閉じる、という動作を繰り返す。
「お前は、出来るならば、今、殺す」
彼女は長剣を、狼の下へと振った。
ジュダスは……。
いとも簡単に、それをかわす。振った剣から、幾つも折り重なった風の刃が生まれて、やがてそれが竜巻へと変わっていく。
「デス・ウィング、お前は人間が好きなんだな?」
「…………いや、スフィアを見て、ほんの少しばかり、まだ生きてもいいかな、と思えたくらいだ。お前の能力は本当に惜しいんだが、此処で死んで貰う」
竜巻が、唸りを上げながら、竜のような形へと変わっていった。
二つの闇が、交差する。
ジュダスは、デス・ウィングの腹を深く食い千切っていた。
デス・ウィングの刃が、ジュダスの右肩に食い込んでいた。
「本来ならば、此処で勝負は決まっているんだが。生憎、私は不死者だ。ジュダス、お前はどうなんだ?」
狼の身体の中に深々と入り込んだ剣は、狼の体内で風の刃を作り出していた。
デス・ウィングを取り囲むように、鈍い光を放った影が彼女を取り込もうとする。
お互いに、一歩も引かなかった。
「俺の不死性はどの程度のものか知らん。しかし、お前がその力で、俺の肉体をバラバラに破壊する前に、お前は死の闇の中へと飲み込まれていくんじゃないのか?」
彼はまるで、怯まなかった。
ジュダスの体内の中で、激しい暴風雨が吹き荒れて、全身から風の刃が吐き出されていく。デス・ウィングの身体は、真っ黒な影によって、ヘル・ブラストの生み出す冥界への誘いに飲み込まれていく。
「なあ、ジュダス。お互い、死ぬのかな?」
「貴様と共に死ぬつもりは俺には無いが? どちらが根負けするかはやるだけの意味はあるな?」
二人が撒き散らす力と力の競り合いが、一面に衝撃波となって飛び散っていく。
ローザの城の一部が破損する。大森林の樹木が削り取られて、巨大なクレーターが生まれる。天空へと向かって、荒れ狂う風の刃が放たれて、天が黒雲によって覆われていく。
そして。
二つの悪意が荒れ狂う唸りとなって、ディーバ中を襲っていた。
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