第六幕 死の風は冷血な舞台に吹き荒れる。 2
ジュダスは眉間に皺を寄せた。
確かに……何者かが、この地に舞い降りた。
そして、そいつはルブルの城にて、出会った気配と同じものだ。
ジュダスは、再び、何日か前のヘリックスとのやり取りを無視して、自らの力を試したくなってきた。しかし、封印を解くには時間が掛かる。
「かなり、強大な力を持っているな? やはり、何者なのか確かめてみたいものだ。あのルブルよりも、ローザよりも、遥かに格上だと言えるんじゃないのか? 俺はそいつと会ってみたい、どのような力を有しているのかをな」
彼は封印を解こうとする。
すると、辺りが震動を起こし始めていた。
自分の全力の力が出せるのは満月の夜のみだ。
満月の夜になれば、自分は全力の力を持って、そいつに挑めるのだ。
「楽しみだな。久々だ。何百年ぶりくらいだろうか? 俺の全力が出せるのはな」
ディーバの民など、どうせ彼のヘル・ブラストによって、片っ端から死の深淵へと向かっていくだろう。だが、そんなものには興味が無い。どうせ、人間など数十年くらいで死んでいく。ジュダスは何百年もの歴史の単位で物事を考えていた。
ルブルも、ローザも、興味が無い。もし、彼女達が彼を阻もうとするのならば、この手で簡単に引き裂いて、始末してしまおうと考えている。
「近付いてきている。確かにだ。満月までは、まだ早いが、挨拶くらいは交わしておきたいものだ。どのような姿をしているのだろうか? 覚えておく必要がある」
彼は、再び、分身を肉体から引き出そうとしていた。
もう、ヘリックスの力無しでも、分身を出現させる事が可能になっていたのだった。
この波動を放っている者は、これまで生きてきた中でもかなり稀有な存在だ。
会わない理由など、何も無かった。
彼は全身を奮わせる。
彼の肉体は黄金色の光を含む黒色に輝き始めていた。
†
二人は、食後のコーヒーを飲んでいた。
二人共、ミルクと砂糖がふんだんに入ったものが好きだった。
「復讐とは何の為に行っているものだと思う?」
アンクゥと名乗った青年は、メアリーに訊ねる。
「私の場合は、自己正当化と利己主義を徹底した先にあったものだったわね」
メアリーは言う。
「そうか、俺はローザに両親と兄を殺された。それ以来、復讐しか俺には無かった」
どうしようもないくらいの憤りが彼の中から、湧き上がっていくのが分かる。
メアリーは、彼を分析、観察していた。
自分の復讐に対する感情と、彼の復讐に対する感情は別種類のものなのだろう。
「へリックスとかいう奴の言葉に俺は丸め込まれてしまっている。なあ、俺は幸福になるつもりなんて無い。必ず、復讐を成し遂げたいんだ。それはもうどうしようもない衝動なんだ」
彼は剣呑な表情をずっと崩さなかった。
対するメアリーは、迷ってしまっている。
右腕が酷く疼いていた。ルブルから、別の物と替えられた誓いの為の右腕だ。
この右腕は、ルブルにとっての保険なんじゃないのかと今になってメアリーは思ってしまう。メアリーが裏切らないかどうかと。
……マルトリートによって、面倒ながらも、短時間ならば右腕を実体化させる事が出来るだろう。もし、その場合は別にそれ程、生活に支障をきたさないのではないのか?
ルブルを裏切って、ローザの側に付くのは、酷く魅力的な提案のように思えた。
そして、メアリーにとっては結局の処、ルブルの存在は自分が自由になる為に必要な手段でしかなくて、結局の処、彼女は自分自身が何処まで行っても、エゴの塊なんじゃないのかと思ってしまう。
上手い事、ルブルの側にしばらくの間、付いていて、いずれ変わってしまうであろう戦局に乗って、ローザの側に付いてしまうべきなのだろうか。
どっちにせよ、今は浮遊しているような状態だった。
へリックスとローザの提案の上手い部分は、メアリーの実力を認めて、なおかつ、彼女を緩やかに裏切らせようとしている処だ。
そもそも、このディーバという国はよく出来ていると思った。
どんなに犠牲になる者達が多かろうと、自分達の幸福の為ならば、一向に構わない。そういった共犯関係によって、この国は維持されているのだろう。
メアリーはアンクゥに訊ねる。
「貴方は、復讐の為にだけに、貴方の能力を使いたがっているのかしら?」
「……そうだよ。それ以外に、理由なんて無いだろう?」
「貴方は自分のエゴイズムの為に力を使おうとは思わないの? たとえば、貴方の力で他人を支配したいとは思わない?」
「俺はローザを憎み、殺す為だけに今も生きている。ローザと同じ事はしない。考えるだけでも馬鹿馬鹿しい」
彼は自分の中にある真っ黒な部分を吐き出すように言った。
憎しみとはどういったものなのだろうか。
メアリーは考える。
メアリーは自分の中のどうしようもない衝動の為に、沢山の人間を殺した。
しかし、アンクゥの場合は、殺されてしまった誰かの為に憎しみを強く持っている。
アンクゥの考えならば、メアリーのような者は復讐されるべき対象なのだろう。
……愚かそのものね?
思わず、彼女はそう思った。
彼が、内心、どんな事を考えているのか分からない。
だから、もっと深く聞いてみようと思った。
「じゃあね、私は提供された宿に戻るわ。明日になれば、ローザを殺しに行っているかもしれない。へリックスとはそういう約束を交わしている」
そう言って、彼女はアンクゥを背にして、料理店を出る。
何だか、彼女はどう現していいのか分からない感覚に陥っていた。
グラニットの貴族達が食べていた料理、それに手を付ける事はメイド達は許されなかった。メアリーはいつも、貴族達の食べる料理に憧れていた。けれども、先ほど口にしたものは、おそらくはあの貴族達が口にしていたものよりも、更に豪華なものなのだろう。
ディーバの住民になれば、あのような食事を当たり前のように口にする事が出来る。メアリーは別に、他人がどれだけ不幸になろうと何とも思っていない。
自分の幸福のみを求めて、グラニットの住民を虐殺した。
それを、後悔するつもりなんてない。
けれども、しこりとなって残っているのも事実だ。
だが、何故なのだろうか。ルブルの下を離れたくないという感情も芽生えてしまっている。
彼女は、街の中をぼんやりと歩き回っていた。
自由な選択が与えられ過ぎていて、少しだけ不自由ささえ感じ取ってしまっている。
自分が何をすればいいのか分からないような気がする。
スフィアは今、不幸だろうか。彼女がもし苦しんでいるのだとすれば、自分の優越感は何処までも強まっていくばかりなのだろう。
何年もの間、憎悪し続けていた彼女、生きながらにして、地獄を味わえばいいと思っている。
へリックスは、もし、明日、仲間になる事を選択したのならば、それなりの地位も与えると言っていた。そして、服も、もっと良い物を纏う事が出来ると。大きな家も与えるとも言っていた。
自分はどうすればいいのだろうか。期限は一応、明日という事になっているのだが……。
……一週間後に変えて貰えないかしら? どの道、私はこの生活をもっと楽しみたい。
それから、しばらく考える時間が欲しい。
ふと、思い付いた事がある。
もし、ルブルがディーバ中を纏めて侵略してしまえば、ディーバの快楽は、全部、ルブルと自分のものにする事が出来る。…………どちら側に転んでも、悪くないな、と思った。
根本的に、どうしようも無い程に人間に対する軽蔑感が、メアリーの中には根付いている。きっと、こんな風に人格が形成されてしまったのは、スフィアのせいなんじゃないのか。彼女が余りにも、純粋過ぎるから…………。
メアリーはディーバの街路を歩き続けていた。
何処の家も裕福そうだった。
そして、街を歩く人々からは、絶えず談笑が聞こえてくる。
何だか、羨ましいな、と思った。
そう言えば、孤児院とかグラニットの一般市民は、みんな楽しそうだったなあと、彼女は思い出す。過去はとても幸せな時間を送っていたのだと思ったし、貧困に喘いでいる者達の方が、かえって幸福そうに思えたものだった。
貴族の処で働く事は、グラニットの一般市民からしてみると、凄い事なのだと言われてもいた。
「私は、何もかも壊してしまって、自由を獲得した。私は単純に、人から愛されたかっただけなのだろうか?」
スフィアはみんなから、愛されるのだろうと確信していた。それだけが無償に許せなかった。
自分の中にある病理に根付いているもの。
本当は、何もかもを壊してしまいたいのかもしれない。
正当性のある復讐行為と、自分のエゴの為に他人を一方的に憎悪するという事、しかし、やはり、殺人は殺人なのだろう。
メアリーは、アンクゥが正しさを持って生きているというのは分かる。
けれども、彼女は正しさを生きていない。
彼女は、自分はそれでいいのだと思った。
自分の初期衝動は、今いる場所が苦しくて、抜け出したい。
そればかりを強く考えていた。
そして、力をたまたま手にした。それ故に、あそこまで容赦の無い殺戮行為を行ってしまった。自分の衝動の全ては、自分のエゴに還元されていく。
「私はどちらへ向かえばいいのかしら?」
罪悪感なんて、あるのだろうか? 分からない。
もし、罪悪感が無いのだとすれば、ルブルの側に付こうと思っている。しかし、罪悪感のようなものがあるのだとすれば、ローザの側に……違う。
「ローザも他者を踏み躙って生きている。もし、罪悪感があるのだとすれば、二人共、この世界にとって害以外の何者でも無い。ふん、何て、滑稽なのかしら」
彼女は深く溜め息を吐いた。
†
デス・ウィングはディーバへと辿り着く。
その気になれば、彼女に距離などさほど、意味を為さなかった。
ディーバの地を踏んで、彼女は此処がかなり裕福な場所なのだという事を理解する。
逆に言うならば、多分、かなり他国の資源を奪って栄えている国でもあるのだろう。
「成る程な。多くの者達から略奪を繰り返して発展させていった国なのかな?」
彼女はせせら笑う。
こういう人間の歪んでいる部分が、彼女はどうしようもないくらいに大好きだった。
それにしても、街行く人々は、良い身なりをしている者達ばかりだった。
ホームレスらしき者達を見かけない。
デス・ウィングは、街行く人々の何名かに気になった事を訊ねてみる事にした。
「此処にホームレスとかってのはいないのか?」
「なんだそりゃ?」
彼女が最初に話しかけたのは、恰幅の良い中年男性だった。
「家が無い、まあ、浮浪者って奴だ。物乞いでその日の金を得ている奴だとか」
「なんだそりゃ、何処の国の話だよ」
「じゃあ、聞くけれども、ここら辺でドラッグが蔓延っている場所だとか。殺人の件数とか、そういったものはどうなっているんだ?」
男は困ったような顔になる。
「人殺しとかはあるよ、そりゃ。でも、そんなに無い。喧嘩して負けただとか、浮気のせいでだとか。まあ、此処は平和な国なんだ。そんな大きな出来事って無い。何でも、此処の姫であるローザ様が頑張って、何十年も前に国を建て直して以来、此処はずっと平和が続いている。それに、ドラッグってのは何だ?」
「ああ、そうだな。人間の脳を狂わせる薬だ。それを楽しんで生きている奴もいる。貧困国は場所によっては、食べ物よりもドラッグの方が安上がりだから。それでトリップして、空腹を忘れているとかもある。此処の街には、そういうものは無いのか?」
男は首を横に振って、急いでいるから、とデス・ウィングの下から離れていった。
デス・ウィングはふうん? と改めて街の概要に関して考える事にした。
……どんな場所にでも、陰はあるんじゃないのか?
どうしても、そう思わずにはいられない。
此処をもっと探索してみたくなった。
どうしようもない程に、まともに整備されて、小綺麗な国は、きっと、もうどうしようもない程に、汚い部分も持っているのだろうから。
「ローザに会ってみるかな? 彼女が何者なのかはかなり気になる処だ」
先ほど、街に辿り着く際に、城のある場所を探してもよかったのだが、一見してみると、それらしいものは見つからなかった。
街ゆく人々に質問をしていく。
ローザに関して思う事だとか、ローザの城は何処にあるのかだとか。
彼女はローザの城へと向かっていった。
長い階段の先にあるのだが、デス・ウィングにとっては距離など、ほぼ意味が無かった。
城は、大きな森に囲まれた場所にあって、天空からは見つけづらかった。彼女は此処に来る際に、どうりで見つけ辛いなと思ったものだった。
「ルブルもそれなりに面白そうな奴だったが、ローザはどうなんだろうな?」
彼女は少しだけ期待を胸に膨らませていた。
支配者というものの精神構造には興味がある。それも、歪んだ形で国を維持している支配者の精神には、酷く関心を持ってしまう。
デス・ウィングは城門の前に来た。
そして、城門に近付いて、障壁など何も無いかのように、彼女は城門をすり抜けていく。
そして、そのまま、彼女は城の中を彷徨っていた。
兵士達や執事などが歩き回っていたのだが。誰も彼女の存在に気付く者などいなかった。
どぅん、と彼女は何か強いエネルギーを、二つ程、感じ取っていた。
一つはおそらくは、ローザだろう。
そして……もう一つは。
……あの狼か。この城の中にいるのか。あいつ、やはりローザよりも強い悪意を放っている。
彼女はひとまず、ローザの下へと向かう事にした。
あの狼と会うよりも前に、この国の女王と話してみたい。
デス・ウィングは、天蓋付きの真っ白なシーツに包まれた寝台のある場所へと辿り着く。
そして、彼女はふふっと、挑発的な笑みを浮かべた。
「お前がローザか?」
寝台の中からは、シーツ越しに人影がゆらめく。
「何かしら? 貴方は何処から入ってきたの? ヘリックスは?」
「さあ? お前はローザなんだろう? 私は死の翼と言う者だ。私はお前の考え方だとか、感じているものだとかに興味があって、此処へとやってきた」
彼女は唇を三日月に歪める。
「ローザ、私はお前など簡単に嬲り殺しに出来る。しかし、それはしない。私はお前にもルブルにもとても興味があるのだからな?」
「あら。貴方はジュダスみたいな事を言うのね」
ジュダス……あの狼の名前か。
あの異質な影の力を使う怪物……。
「ジュダスか、私はあの狼の能力にとても興味を持っている。あいつは一体、何なんだ?」
「彼はこの城の中に代々、封印されていた怪物よ。言ってしまえば、ディーバの守り神なのかもしれない。彼は死の化身のようなもの。私は彼を切り札だと捉えているのだけれども、やはり、手が付けられなくなりそうで。彼を始末するにはどうすればいいのかを考えているわ。貴方はお強いのかしら?」
「まあ、確かに……私は強いかもしれないな?」
二人の間で、しばしの間、沈黙が降りる。
「貴方の目的は何、別に私を本当に殺しに来たわけじゃないでしょう?」
「お前の歪みに興味がある。それから、ジュダスの能力に。私は人間の悪意の先にあるものと、私はどうすれば死ねるのかを考え続けている」
「ふうん? 変な人ね。それに勝手にこの部屋の中へと入り込んで、とても無礼だし」
「私のような奴は嫌いか?」
「いえ」
ふふふっ、と女はシーツの中で笑う。
「貴方のようなタイプは私は大好きよ。貴方も、私の仲間になって頂けないかしら? 私はディーバを守り続けたい。この街の者達は、永遠に、幸せで居続ける必要があるのだから」
「成る程な」
デス・ウィングは唇を三日月形に歪めた。
「ちなみに、私はルブルに加担するつもりは無い。お前の政治の方針にも口を出すつもりは無い。私は見守りたいというわけだ。いや、傍観したいだな。さて、それでいいかな?」
「ジュダスは、貴方と戦いたがっているみたいね。貴方なんでしょうね。ジュダスが感じている強大な何かというのは」
ローザはシーツから顔を出す。
二人は、しばしの間、お互いを見据え合っていた。
デス・ウィングはふうっ、と一息付く。
「じゃあな、私はもうそろそろ出るよ。邪魔したな」
「今度は、ヘリックスの許可を通して入ってきて欲しいわね」
「分かった」
そう言って、デス・ウィングは城の外へと出て行った。
途中、彼女を認識出来る者は誰もいなかった。
†
夏野露草様より戴きました。
デス・ウィング




