第五幕 亜空の城の迷宮都市 1
スフィアは自分の力であるグリーフを、色々なものに試して使っていた。
意志を込めた右手で触れれば、壁を老朽化させたり、食べ物を腐敗させたりする事が出来るみたいだった。
気になるのは、もし人間相手に使ったら、どうなるのだろうという事だった。
手の中から、一本のナイフを形にして取り出す事が出来る。
どうしようも無い程に生まれた自分の心の形だ。
水月にこの能力が何なのかを相談してみた処。
「自分で色々、やってみればいい。後、多分、人間に使うと。人間が老いる」
それだけ返された。
まるで、水月はスフィアの力を大まかに、大体、分かっていて。それでいて、スフィアが自ら自分の力をどのように使うのかを様子見しているかのようだった。
この力で、ルブルを倒そうとは思うのだが……。
……私は、みんなが仲良くなればいいと思うなあ。
自分はきっと馬鹿なのだろうなあと思った。
漠然とだが、メアリーに殺されたおじさんも、友達も、生きて戻ってくるんじゃないかという妄想が、心の何処かであって、きっとそんな考えを持っているから誰かを憎むとか出来ないんじゃないのかと思った。
どうやっても、現実を受け入れられそうにない、受け入れようと思っても、受け入れるのがとても難しい。
ただ、どんなに弱くても、目標なんて無くても、取り敢えずは立ち上がろうと思った。それ以外に、自分が何かをしようとする動機付けなんて無いのだから。
ウィンディゴに戻った方がいいのだろうか。
あそこには、間違いなくメアリーがいる筈なのだろうから。
「私、頑張るよ、水月さん」
スフィアは真摯な顔で言った。
「ウィンディゴに戻る。ルブルの城に。そこに彼女はいるのだろうから」
水月も立ち上がる。
「私も目的が出来た。あの得体の知れない“狼”に会いに行こうかと思う」
何かに、少しだけ思い至ったかのような口調をしていた。
それぞれ、思惑は出来上がったみたいだった。
ただ、水月は酷く何かを懐疑しているかのようであり、スフィアの方は臆病さから抜け出せずにいるみたいだった。そもそも、二人共、何の為に旅を続けているのだろうか、未だに分からない。人間関係なんてものは、そんなものなのかもしれないなあ、とスフィアは思った。
取り敢えず、二人共、目的は出来た。
後は、その目的に向かって歩き出すだけなのだ。
「水月さんって、何か願い事とかってあるんですか?」
「願い事か、そうだな」
水月はふふっ、と笑う。
「死にたい、が、ストレートな願いなんだが。やっぱり、もっと別の願いもあるのかもしれないな。もしかすると、私は人間の底知れない人間の闇の先には、何か綺麗なものがあるのかもしれないと思っているのかもしれない」
「ううん、やっぱり、私には何を言っているのか分からないです」
飄々として掴めなかった水月の考えを、スフィアは段々、理解出来るような気がしてきた。
そう、多分、水月も何か大きな答えを探しているのではないのだろうか。
そんな気がしてならないのだ。
まるで、彼女はずっと、彷徨っているような気がした。出られない迷宮の中をだ。
「死と対峙しなければならないのかと私は思っている。それに、この世界に満ちた闇の輪郭をもっと形にして、理解したい。そう、もしかすると、私は人間とはつまり、何なのかという事を知りたいのかもしれないな」
スフィアは不思議な顔で、彼女を見る。
水月は、何か大きな出口を探しているんじゃないのだろうか?
スフィアはふと、そんな事を思った。
きっと、彼女の理解したいものを、スフィアは理解する事は難しい事なのかもしれない。
「まあ、いい。じゃあ、向かおうか。ウィンディゴの街へと」
スフィアは首を縦に振った。
†
「この子の名前はダーヴァ。こっちの子はデルドス、こっちの子はミラミス、と」
そう言いながら、ルブルは奇形的に作り上げた何体かのゾンビに名前を付けていく。
それぞれ、巨大な翼を生やしていたり、顔が幾つもあったり、腕が幾つもあったりする巨大な怪物だった。
メアリーは傍らで、その光景を眺めていた。
やはり、無数のゾンビ程度では、今、戦っている敵の能力者相手に酷く心許無い。
自分がもっと強くならなければいけないのは分かっている。
「さて、ゾンビの帝国を作りましょうか。生ある者達の何もかもを根絶やしにする。屍の帝国を積み上げようと思うの」
ゾンビ達は、行進する。
目標はディーバだ。
ディーバの何もかもを破壊してしまえ、とルブルは命令を下している。
「ジュダスという狼を倒す対策を立てないといけないのよね」
メアリーは色々と戦略を練り込んでいた。
多分、あの狼は本体のようなものが、ディーバにあるんじゃないのかとルブルは言っていた。だから、自分はゾンビに紛れて、再び、ディーバに攻め込もうと考えている。
†
スフィアと水月は、再び、ウィンディゴの街を訪れていた。
街の所々には、ゾンビが徘徊している。
そう言えば、此処の街は並んでいる建物自体もゾンビであって、固めた腐肉によって建設されている。
水月は平気で、宿を取る。
スフィアは少しだけ引き攣った顔をするが、水月の気にしなければ問題無いという言葉によって、無理して強がりながら、宿へと泊まった。
宿の店員は、骸骨の顔をしていた。
水月は、先払いで言いか? と問うてから、店員に一日分の宿泊費を支払う。
この辺りで、共通に使われている硬貨だ。
店員は、部屋の鍵を渡してくれた。
そして、二階にまで上がって、二人はベッドの中へと潜り込む。
「ねえ、水月さん。このベッドとかも、ゾンビの身体なんですかねえ?」
「さあな。あまり、深くは考えない方がいいんじゃないのか。少なくとも、私はどうだっていい」
「はあ……」
本当に、彼女は並みの神経をしていないんだなあと思った。
窓を開けて、外を伺う。
外には、遠くに大きなお城があって、その近くには高い時計塔が生えるように建てられていた。
スフィアは、夢現だが覚えている。あの時計塔の上には、巨大な狼がいた事をだ。
何だか、ずっと幻覚だとか悪夢の中を彷徨っているかのようだった。それでも、この夢の蜃気楼の先に、何かが待っているのかもしれない。
取り敢えず、メアリーに会ったら、何て言おうかと考えていた。
「取り敢えず、また仲良くしてくれないかな? じゃ、駄目かな。お前を赦さない、も何か違うんだよね」
水月は、温かいスープを作る。
そう言えば、この宿の中に置かれている食器なども、ゾンビの肉体の一部なのかと思うと、スフィアは震えた。水月は平気で、部屋の中に置かれている食器などを使っていた。
スフィアは、スープは、いつも携帯している物がいいと言った。
「気にしなければ、本当に気にならないぞ?」
「私は気にするんですよ!」
昼が終わり、夕方に差し掛かっていく。
明日の朝頃には、覚悟を決めて、城の中へと突入するとスフィアは言った。
水月は任せる、と、スープを飲んで、焼いた肉を口にしていた。
†
あれが、ディーバの街か。
夜の街は、金剛のように一面が輝いていた。
翼の生えた巨大なゾンビの背中に跨りながら、メアリーは街を見下ろしていた。
このゾンビの肉体は、かなり奇形的で筋骨隆々の身体に、獅子を思わせるような顔をしている。ルブルが、人間数体に加えて、何種類かの動物を混ぜたのだと言っていた。
……ゾンビというか、悪魔みたいね。この怪物って……。
メアリーは心の中で、苦笑する。
以前、戦った氷帝という男は現われない。
メアリーは、自分とゾンビを囲んで、景色を反射する鏡の幻影を作り出して、自分が誰かに認識されるのを防いでいた。
ゆっくりと、慎重に。
メアリーは、ディーバの街へと降り立つ。
「さてと」
彼女は自分の靡く髪をかき上げた。
彼女は城の地図を取り出す。
高い丘の方の上に、巨大なローザの城が聳え立っていた。
メアリーは、人ごみの中へと入り込みながら、城を目指す事にする。
此処では、流石に透明化は面倒だ。人間が沢山いると、幻術による景色の反射を巧く作り出すのが難しい。その辺りの巧妙さも、もうちょっと上達させておかなければならないなあと思った。
賑やかな街だなあと思った。
城の方へと歩いていく。
途中、露店の出回る市場や、綺麗な塗装の店などが目に付いた。
繁華街という場所なのだろうと、漠然と情報だけは知っていた。グラニットの街には無かったような場所だ。
ふと、何か違和感を覚えた。
「何なのかしら?」
人ごみの中を、見渡す。
確かに、何かがおかしい。しかし、そのおかしさが何なのかが分からない。
メアリーは警戒しながら、ローザの城を目指す事にした。
ふと。おかしさというか違和感の正体に気が付く。
足音だ。何者かが、背後から、メアリーを付けているのだ。
「何なのかしら?」
メアリーは、しばらくの間、様子見をしながら、城を目指す事にした。
おそらく、城までの距離は、数キロ程度はあるのだろう。
その間に、既に、敵にメアリーの事を認識されているという事はかなり拙い事態かもしれない。
彼女を追跡している者がいるのだとすれば、振り払わなければならない。
メアリーは、さっそく、マルトリートの幻影作成に取り掛かっていた。
ふと、人ごみが少ない場所に突き当たる。
足音が止んだような気がした。
何か得体の知れないものが、胸に打ち込まれているかのようだった。
そう言えば、いつの間にか明かりが無い暗闇に誘い込まれてしまったような気がする。
気配が現われる。
「僕の能力は『フューネラル』と言いましてね」
男は喪服のように黒い服を身に纏っていた。
メアリーは、眉を顰めた。
ぽつり、ぽつりと、辺りに明かりが灯り始める。
メアリーは少しだけ、不安な顔になった。
明かりは、どうやら蝋燭みたいだった。
「貴方の葬儀を執り行おうと思うのです。それは僕が成すべき事ですからね。氷帝から、貴方の存在は聞かされています。ローザ様を殺したいんでしょう?」
メアリーは。
作り出した氷の刃を、男の全身へと叩き込んでいた。
男は、地面に叩き付けられる。
しかし、平気な顔で、彼女の顔を見ていた。
「貴方も幻覚でも使うのかしら? それとも、不死の身体なの?」
メアリーは警戒しながら、訊ねる。
「単純なのですよ」
男は言う。
そして、両手を広げた。
溶けた蝋のようなものが、メアリーが作り出した氷の刃に巻き付いており、どうやらそれを受け止めたみたいだった。
メアリーは、ふうん、と男を見据える。
「中々、やるじゃない。そういえば、この前、私と戦ったおじいさんと、貴方、どちらが強いのかしら?」
「いえいえ、私めは氷帝などの足元にも及びません。ただ、貴方を始末するだけの力はあるのだと言っておきます」
「処で、今、何を行っているのかしら?」
「貴方に対しての、死の宣告を執り行っているんですね。貴方の葬儀はもう始まっている」
メアリーは辺りに並んでいる蝋燭の焔を眺めていく。
一つ、一つの焔が暗闇から消えていく。
メアリーの胸元が苦しくなる。おそらく、この攻撃は……。
「ふん、大した事なんて無いじゃない? 貴方は多分、私の心臓を止めたいんでしょう? この蝋燭の明かりは、私の寿命を象徴しているのかしら?」
男はふん、とメアリーの顔を見据える。
「その通りです。よく分かりましたね。流石です」
「大した事無い能力なんじゃないの? この私を馬鹿にしているんじゃないかしら?」
メアリーは挑発する。
「いいえ……」
男はそう言うと。
懐から、幾つものナイフを取り出した。
「私は少々、肉体にも自信がありますので」
そう言いながら。
男は、メアリーに向かって、拳の連撃を繰り広げてきた。
ばきりっ、と破壊音が辺りに鳴り響いていく。
メアリーは既に、硬質のガラスの盾を、男との間に作っていた。
男は、少しだけ冷や汗を変えて、後ろへと飛び退いていく。
そして、メアリーを攻撃する隙を伺っていた。
蝋燭の焔が、また一つ消えていく。
その瞬間に、メアリーの心臓が激しく高鳴った。
「上等よ。貴方のお名前は何て言うのかしら?」
男はくっくっと、不気味な笑い声を上げる。
「僕の名前はワイズ。ローザ様の城にて、執事長をしている。そして、親衛隊の一人でもある。ヘリックスに言われている。もし、貴方が現われたら、僕が迎撃するようにってね」
彼は両手の拳を強く握り締めていた。
おそらくは、体術に自信があるのだろうか。
まともに、組み敷かれたりしたら、まず勝てないかもしれない。
メアリーは、ワイズと名乗った男となるべく距離を置くようにする。
相手に攻撃を叩き込む隙を作り出さなくてはならない。
しばらく、様子を伺っていて、また辺りの蝋燭の一つが消える。
この蝋燭の光の全てが消えた時、おそらくメアリーは死を向かえるのだろう。
「中々、やるじゃない。でも、ルブルの役に立つ為ならば、お前ごときに負けていられない」
彼女は、更に幻影の武器を作り出していく。
何かの武器で、目の前の敵を倒せるものがある筈だ。
†




