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『国家と生権力』
生かすべき命と、殺すべき命によって、国家は運営されているのではないのだろうか。
国が国として、維持されていく理由は、命の切り分けではないのだろうか。権力側が国民に与えるものは、まず、何よりも命の保証なのではあるまいか。
そして、問題は“死んでいい命”というものが存在するのだろう。
資源は無限では無い為に、資源を奪い合う為に戦争というものは起こるのだろう。よって、戦争というものは、外交の延長なのだと言われている。国民に対して、可能な限りの幸福を与える為には、富の充分な配分や、宗教的な装置、それから犠牲になるものが必要になってくるのだろう。
国家の存続の為には、つねに犠牲が必要なのではあるまいか。誰をも生かす事など、出来ないのだから、誰かを生贄に捧げる事によって、国家は国家として存続していくのではないのだろうか。
つまる処、人間が存在するという事は、何かの犠牲によって成り立っているのだろう。
他人を憎まざるを得ないという事実。
それは、突き付けられた人間という存在の宿命なのだから。




