第四幕 地獄の大舞台 4
ヘリックスとアンクゥは、別の地下牢へと向かった。
そこには、巨大な狼が眠りに付いていた。
時折、狼はぽんぽん、と尻尾を振り回す。
アンクゥは眉を顰めた。
「ジュダス……起きているんだろう?」
ヘリックスがそう言うと、狼は立ち上がる。
「何のようだ? 小僧」
「君は何で、ディーバの人々にヘル・ブラストを向けたんだ? 君は僕達の言った事をやっていればいいんだよ」
ふん、とジュダスは唸る。
「俺の力がまだちゃんと機能するかどうか試したくてな。あの魔女ルブルとかいうのは、どうだっていいが。それよりも強い奴が現われる気がしてならない」
「ローザ様が君を始末する事も考えている。どうする?」
一触即発だった。
アンクゥは、ひたすらに状況を見守る事に決めた。
「それでも構わないぞ? 俺は誰が相手でも戦うつもりだ。俺は本来ならば、何者にも束縛されない者なのだからな。ローザも、魔女も、俺のヘル・ブラストで、冥界へと送ってやろうか? 勿論、お前も、その男もだ」
「ふうん? でも、君はもっと別の目的が何かありそうだね?」
ヘリックスは慎重に彼の言葉を聞きながら、彼の言葉の裏側を読み取ろうとしていた。
「臭いとでも言うべきかな」
ジュダスは少しだけ、不安とも狂喜とも付かない不可思議な表情になる。
「臭い?」
「直感と言い換えてもいいかもしれんな。何かかなり拙い者が現われる気配がした。ルブルの城の近くで感じた。俺はそいつと戦ってみたい。そいつの姿を確かめたい。そいつは何者なのだろうな? 興味がある」
「ふうん……?」
へリックスは、どう考えればいいか分からないといった顔になる。
「まあ、いいさ。取り敢えず、あまり暴れるのは止めにして欲しいかな。それだけ約束して欲しいんだ」
ふん、とジュダスは横になる。
へリックスは、アンクゥに、一緒に部屋を出るように言った。
しばらくして、ふはあ、とヘリックスは深呼吸を繰り返していた。
そして、何だか、少しだけ安堵したかのような顔をしていた。
「もしかすると、僕が考えている以上に、事態は良好なのかもしれない。……あの狼さんはやり取り次第で懐柔出来るかもしれないね。もしかすると。ローザ様にも、それは言っておこう。それよりも、魔女ルブル。あっちの方はどうしたものだろうか、本当に」
アンクゥは、改めて思考を整理し直す事にした。
どうも、みなの事情が色々と錯綜しているみたいだった。
†
アンクゥはヘリックスと一緒に、ディーバの街を歩いていた。
ヘリックスは、ディーバで使える何十枚かの紙幣をアンクゥに渡した。
「これは?」
「ローザ様から。給金の前金だってさ。正式に君を雇いたいんだって」
「ふうん」
アンクゥはふわふわとした気持ちでいた。
まるで、夢の中を漂っているかのようだった。
煌々と明かりが漂っている。街行く人の多くはよい身なりに包まれていた。
ディーバは経済的に恵まれている街だった。
アンクゥの住んでいたヴィシャスは、此処まで豊かな街じゃなかった。
だからなのか、何だか遣り切れない気持ちになる。
「適当に身なりを整えるといいよ」
彼は笑う。アンクゥはやけに馴れ馴れしいなと、思ってしまう。
とにかく、彼は処刑されずに、何故だかローザ達に手を貸す事になった事だ。
しばらく、自分の人生に関して色々と考えを巡らせてもいいかもしれないなと思った。
「俺は何をやっているんだろうな……」
前を歩いて道案内をしているヘリックスに聞こえないように呟く。
彼はバーへと案内してくれた。
そこは、内部を赤い珊瑚の結晶で装飾された場所だった。
ヘリックスは良い酒があると言って、マスターにお酒を注文する。
出されたのは、水色のカクテルだった。
アンクゥはカクテルを口にする。
「ローザ様はディーバを守る為ならば、何でもするよ。君の処のヴィシャスの街。そこは、ローザ様の力の媒体にされたんだよ」
彼は柔和に、アンクゥの心情を見透かすような声で言う。
「ローザは俺の街に何をしたんだ?」
「此処の街の経済が回る為だね。命を吸収したがっているんだ。他国の命を吸収する事によって、此処の街は栄え続けている」
アンクゥは少しずつ、心が蝕まれていっているような気がした。
本当は、目の前にいる少年も、ローザも全員、殺してしまいたいのに、自分は何をやっているのだろうと思った。
「ヴィシャスは宝石の鉱山があったからね。ドゥーム・オーブで人々に犠牲になって貰った後に、兵士達が、ヴィシャスの鉱山を奪った。そこで、ディーバは栄えたんだ。ディーバという街は、あらゆる国の命を吸って存続していると言っていいのかもしれない」
ヘリックスはアンクゥの怒りを買うのを覚悟で物を言っているように思えた。
アンクゥは、この少年に対して、どういう感情を向ければいいのか分からなくなった。
それにしても、カクテルの味は良かった。思わず、その事を言いそうになる。
「僕はね。君が過去を捨てて、僕達と一緒に戦って欲しいと思うんだよ。そうだね、たとえば、あの氷帝だって、昔、ディーバの軍隊に家族を殺された。そんなものなんだよ、結局はね。みんな過去の恨みを捨てて、現在だとか未来だとかを築いていっている」
「なあ、ヘリックス……。お前もなのか? お前はそれで辛くないのか?」
少年は首を横に振る。
「僕の事は言えない。でも、これだけは分かって欲しいのは。何だか、君とは気が合いそうだなあと思って」
「何、言ってやがるんだ?」
アンクゥは少年を睨み付ける。
ヘリックスはおじけずに言葉を紡ぐ。
「ディーバは昔、酷い貧困国だった。みんな、がりがりに痩せ衰えていてね、でも、ローザ様がそれを立て直した。ディーバは他の国の植民地みたいなものだったんだけれども、その国も破壊した。世の中ってのは、そういう風に動いているみたいだよ。どうしようもない事にね」
アンクゥはグラスを叩き割りそうになる。
「お前は、そういったものを受け入れろって言っているのか?」
「受け入れろっていうか、こういう構造になっているってだけだよ。どうしようもないんだと思うよ。それに、ディーバの実態だとか、ローザ様の考えだとかを話さないと君とは仲良くなれないような気がしてさ。何だろうね、どう考えの落とし処を付ければいいんだろうね。諦めろ、とか。忘れろ、とか。でも、そういうのじゃ君は納得しないでしょう?」
「だから、受け入れろ、なのか?」
ヘリックスは無言になる。
彼もまた、何か過去にあったのかもしれない。
「ああ、それから。多分、ローザ様を殺害して、ディーバを破壊したとしても。この世界全体から、どうしようもない憎しみだとかが消えるわけじゃないと思うよ。憎しみは君個人の問題で、それが君にとって人生の全てかもしれないけれども。ローザ様を殺して、この街を破壊して、復讐を遂げたとしても、多分、君の気は何も済まないかもしれないよ」
少年はずっと、意味ありげな事を言い続けていた。
アンクゥは、どう答えればいいのか分からなくなってきた。
当然、自分に正当性はある筈なのだ。ローザに、ディーバに復讐したい。
しかし、目の前にいる少年は、もっとこの世界のどうしようもない何かを伝えたいかのようだった……。
「誰が犠牲になるのか変わるってだけなのか?」
アンクゥは、ふと、ヘリックスが何を言いたいのか分かったような気がした。
「そうだね……。誰かの不幸の為に、幸福な人間の生活は積み上げられているんだと思う。そして、この世界はそんなものなのだと僕は思う。残念な事に……」
ふと。
アンクゥは、段々、自分は馬鹿みたいな団子理屈を言われているだけなんじゃないのかという気持ちになってきた。
もっともらしい事を言っているように思えるが、まるで筋が通っていない。そして、目の前のヘリックスは、アンクゥの気持ちなど何も理解せずに、尊大に物事の道理のようなものを言って、彼を説き伏せようとしているのだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある……。
「そして、これからやってくる魔女ルブルを倒さなければならないのは。ディーバの国民の幸せの為だよ」
「ヴィシャスを解放しろ、って、ローザに言っておけよ」
突然。
アンクゥの全身が震え出したかと思うと、彼を中心にして、何かが飛ばされていき、バーの中がズタズタに破壊されていく。
彼の両眼は、敵意で満ち満ちていた。
「胸糞悪い。俺は行く、じゃあな」
アンクゥは、椅子を蹴り飛ばすと外へと出て行った。
店内にいた人々が不信そうな顔で、彼の後姿を見ていた。
ヘリックスは困ったような顔をして、溜め息を吐いた。
「やっぱり、僕には誰かを説得する事は出来ないなあ。余計に怒りを買っているような気がする。ジュダス相手にもそうだったような気がする。駄目だねえ、僕は」
彼はマスターに、再び、酒を注文する。
マスターは顔を酷く顰めていた。




