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コキュートス  作者: 朧塚
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第四幕 地獄の大舞台 1

 憎しみは風船のように膨らんでいって、渦のように広がっていく。

 自分ではない他人を不幸にしたいと思う強い望みだ。


 メアリーは思う。

 メアリーは、自分のマルトリートの本質が憎しみのエネルギーなのだという事を理解している。そして、他人に対する呪詛の力によって、自らの作り出す幻影を、より強固なものへと変える事が出来る。

 そして、ルブルは死者達の現世に残した思念を探り当てる事が可能だ。

 メアリーは、ルブルに言われて、大きな古墳へと向かっていた。

 そこは、かつて、古いディーバの民によって滅ぼされた街だ。

 数十年以上前に、戦争が行われた場所だ。


「私一人だけの憎悪では足りない。此処に眠る数多の死者よ、私に力を与えたまえ。私はお前達の地獄の焔となって、復讐の刃を振り下ろす。力を貸して頂けないかしら?」


 彼女は、自分の指先を、舌で舐めた。

 子供の頃に、漠然とあったイメージを想起して、真っ黒な魔術の儀式を、この地にて、行おうと思う。

 そう、此処はかつて、戦場の中心だった場所で、大きな墓場だった。

 今もなお、雪の下には、大量の死者達が眠っている。

 メアリーは、両手を空に掲げる。

 酷く居心地が良い。

 怨恨のエネルギーが此処には渦巻いている。

 瘴気が一面に漂っていた。

 大地が炎の渦を巻いていく。

 剣と剣がぶつかり合う音が鳴り響いていく。

 そして、激しい砲撃が聞こえてきた。

 メアリーの力は、以前にも増して、その威力が格段に上昇していた。


「私は幸福を望む者、全てを奈落に落としてやりたい。お前達は、生きている者が憎いだろう? 眠れる者達よ。もはや、残留思念となった亡霊達よ。お前達に、鎮魂はいらない。お前達は、この世界に牙を剥くといい。お前は私の力となって、みなに、災厄の渦を広げていくのだ」


 嘆き声が響き渡っていた。

 メアリーの全身に、闇が注ぎ込まれていくかのようだった。

 彼女は力が漲っていって、忘我状態に陥っていく。


 何もかもを、破壊出来ると思った。

 これで、ディーバを粛清しよう。

 ローザだけではなく、彼女の民も何もかもを皆殺しにしてしまえばいい。

 死体はルブルの道具になるのだ。

 そして、地上は自分とルブルの二人だけのものとなる。

 メアリーは気付いた。

 魔女になる素質は自分にもあり、この世界に背く意志は、充分に備わっているのだと。

 再び、進軍を始めなければならない。

 今度は、前のような醜態は晒さない。



 アンクゥは、ディーバの城の中へと潜入した。


 体内まで、凍て付いてしまいそうだった。それは、恐怖からだ。

 彼は、必ずローザの首を落とそうと考えていた。

 そして、たとえ刺し違えてでも、彼女には冥府に行って貰おうと考えていた。

 まず、目的を達する為に必要なのは、覚悟だけなのだろう。

 覚悟があれば戦える。

 彼はそれを信じていた。

 敗北するかもしれない。けれども、その弱さを拭い去る必要があった。

 冷たい階段を登っていく。

 ふと、こつん、と足元の小石を蹴り落とした。

 背後を見る。

 すると、小石が何処かへと消えていた。

 彼はそれを気に止めずに、先へと進む事にした。


 彼は自身の力である『ソリッド・ヴァルガー』によって、辺りの空間の輪郭を掴んでいた。彼の力は、指定した空間を切り付ける事が可能だった。

 階段の頂上の辺りまで上る。

 すると、そこは大きな扉があった。

 彼はどうしたものかと考える。

 この扉の向こうには、誰がいるのだろうか。彼はそんな事を考える。

 ゆっくりと扉を開けていく。

 中には、誰もいなかった。

 当然の事だった。

 彼は、背中を何かによって、掴まれた。

 天井から、何者かが、ぶら下がっていた。

 それは、両目を見開いた少年だった。

 彼は唇を三日月に歪めている。


 アンクゥは。

 問答無用で、その少年に向かって、自身の攻撃を放っていた。

 ソリッド・ヴァルガーの残撃によって、少年の全身はバラバラに切り刻まれる筈だった。

 しかし。

 少年は、何処へと消え失せていた。

 そして、気付くと、彼は頚椎の辺りに手刀を食らって、昏倒してしまった。



 他人の希望と希望が傷付け合って、悲劇を生むのだろう。

 他人の願望だとか夢だとか、そういったものが自分自身を阻んでしまった時に、敵意が生まれるのだろう。

 そうやって、人間とは分かり合えずに、構成されているのだろう。


「そんなに、何かを求めたいのかな? 人間というものは」


 人が人を理解し合えないという事、それこそが、この世界が滑稽な喜劇である事に他ならず、だからこそ、人では無いデス・ウィングは、この世界を嘲弄する事が出来るのだろう。彼女はひたすらに、あらゆる事象に対して、傍観者でしかないのだから。


 そう。

 この世界に神はいない。

 けれども、悪魔なるものは存在する。


 何故、悪魔が存在するのか。多分、それは人間の持っている弱さとか、エゴだとかを推し進めていった結果、悪魔的な行為だとか、状況だとかに陥ってしまうのだろう。

 みな、それぞれ、思い描いている夢や希望の形が違うから、悲劇は生まれていく。

 デス・ウィングは、その事実を喜劇だと考えている。

 そして、多分、優しさも悲劇だ。

 彼女は、自分が何を求めているのかを思索する。


 ……私はもしかすると、人間の痕跡を追っているのかもしれない。

 自分は何も求めているのか、未だに分からない。

 人間が作り出してきた邪悪な断片を無数に集めては、それを眺めて、喜びを見い出す。その事によって、理解し合えなかった者達の精神を少しでも知る事が出来たつもりでいるのだろうか。

 水面に映った月は、とてつもなく幻想的で、天空を反射しているのだが、それでもそれは幻影にしか過ぎない。



 スフィアは、水月から離れて、一人、小屋の中にいた。


 此処は、ウィンディゴの街から、南に歩いていった場所だ。

 気付けば、水月に担がれて、この街にいた。


 自分はいつだって、受動的だった。

 本当は、今、現実を見据えて、何かの行動を起こさないといけないのだろう。

けれども、今、頭の中を整理するのは、とてつもなく困難な事だった。

 ……私、とにかく、今はメアリーにまた会う事くらいしか考えられないなあ。

 村には、きっと、もう戻れないような気がした。

 そもそも、村に戻れば、酷い精神状態の中へと落下していきそうだった。

 自分は、これから、何処に向かうのだろう。

 突き付けられた現実は、思った以上に、厳しいものなのだろう。

 そう言えば、孤児院を出た時の事を思い出す。

 メアリーが孤児院を出る時の事も。


 あの頃のメアリーは、とても強気で、スフィアの事を何かと守っていたような気がする。かなり、面倒見のよい姉のような存在だった。


 いつだって、スフィアはメアリーの事を尊敬していたし、きっと今でも、そうなのだろう。でも、彼女の心の中は何も分からなかった。

 理解するという事が、何故、こんなにも難しい事なのだろう。

 自分はとてつもなく、弱くて、これから強くならなければいけないと思った。

 しかし、どうすれば強くなれるのだろうか。

 それに、どういったものが、強さの形なのだろうか。

 もう、今が、苦しくて、どうしようもない。とにかく、考えるのが苦痛で仕方が無い。

 明日なんて何もいらない。

 今、強く感じているのは、それだけだ。

 時間が腐っていくという、どう言えばよいのか分からない感覚に陥っている。


 腐っていくもの。

 自分の右手が、酷く重いような気がした。

 何かを握り締めているような感覚だ。

 堪らなくなり、右手を近くにあったカップに触れてみた。

 すると、カップの中のスープが見る見るうちに、冷め切っていって、カップが罅割れていく。

 次に、カップの隣にあった林檎を握り締める。

 すると、林檎がどんどん腐り始めていた。

 スフィアは、自分の右手を見つめていた。

 右手で、壁に触れてみる。

 すると、見る見るうちに、壁が老朽化を始めた。

 スフィアは、背筋が凍り付いていく。

 右手で触ったものが、次々と、腐敗し、老朽化を始めていく。

 何だか、自分が掴もうとしているものは、全部、腐ってしまうのだろうか?

 そんなイメージと重なって、先ほどから現われている力がとても怖い。


 ……私は幸せになっちゃいけないのかな?

 スフィアは思う。

 何故、メアリーの事を理解してあげられなかったのか。

 きっと、これまで積み上げてきた友情は、嘘偽りだったのだろう。

 そのような事を告げられたのにも関わらず、まだ理解の方が追い付いていない。

 ふと、自分には何も無いのだという事に気付いていた。

 何か信じられるものも、これまでにおいても、どう生きたがっていたかも、何も無かったのだろうという事もだ。


 今、一体、何処にいるのだろうか。

 何故に、今のような事態になっているのだろうか。

 考えても、考えても、答えを見い出せそうにない。

 何故、彼女の事を理解してあげられなかったのだろう。

 どうすれば、彼女の事を分かってあげられるのだろう。


 スフィアは。

 腐敗している林檎を、じっと眺めていた。

 スフィアは、自分の両手をしげしげと眺めていた。

 右手には、ナイフ型の痣がはっきりと浮かび上がっていた。

 左手には、何も無い。

 スフィアは、アンバランスな両手を奇妙そうに見つめていた。

 色々なものの、感情の渦が洪水のように流れ込んでくるかのようだった。

 どうすれば、自分が自分でいられるのだろう。

 自分が、何者だったのかさえ、忘れてしまいそうだ。

 まだ、昔の事を取り戻そうとしている。

 過去に戻されればいいとばかり、考えている。

 未来が全て、閉ざされてしまった今、自分の心の形を思い描くものなんて、もう何も無いのだろう。このまま、現実から逃げ続ける事が出来たのならば、どれだけ楽なのだろうか。このまま、凍え死ぬ事が出来れば、とても楽な筈なのだ。

 そう言えば、ふとスフィアは思い出す。

 メアリーの態度だとか、仕草だとかを。


 ……スフィア、ずっと一緒にいたいわね。

 何故だか、そんな言葉を思い出した。

 確かに、そんな時、彼女はとても優しかった。その事実には変わりが無いのだ。

 ふと、何かに思い至った。

 きっと、彼女は何か、裏切られた気分に陥ったんじゃないのかと。

 何かとてつもなく、彼女に酷い事をしてしまったような気分に陥る。

 ……私は生きてちゃいけないのかなあ。

 今度は、自分自身が囁いているかのようだった。

 ……過去の思い出だけで、生きるしかないのかなあ。どんな未来も思い描けないよ。

 どうしようもない現実が、目の前に迫っている。

 どうすれば、彼女を理解する事が出来たのだろうか。

 未だに、何も分からない。

 何故だか、酷く、倦怠感と諦めのようなものが襲ってきた。

 自分の形が何だか分からない。

 これまで、十七年くらい生きていても、未だに自分が何なのか分からない。

 誰かを好きになっても、何かを好きになっても、それは灰のように散っていって、失われていくものなのだろうか。


 今はもう、メアリーの顔も、忘れたい。何も思い出したくない。

 そんな気分でいっぱいだった。

 きっと、これは怒りだとか憎しみだとかじゃなくて、悲しさなのだろう。

 あるいは、やるせなさなのかもしれない。

 掌を見続ける。

 すると、刃の痣は、べりべりっと剥がれて、立体的になっている。


 しばらくすると、その刃は、完全に柄のある少し大型のナイフへと変わっていた。


 スフィアは、そのナイフの柄を強く握り締める。

 多分、これは自分そのものなのだろうと思った。

 手の中に生まれた刃は、一体、何なのだろう。

 もしかすると、これで、現実を切り開いていけという啓示なのかもしれない。

 水月は、戦えと、囁きかける。それは、彼女なりの優しさなのだろうかと、スフィアは理解している。

 多分、自分の心は、あの日から殻を被っている。

 そして、その殻から抜け出す事が出来そうにない。

 スフィアは、刃の柄を強く握り締めていた。

 自分の存在の意味を、描かなければならないのだと思った。

 何処かに、きっと、答えはあるのだろう。メアリーと邂逅を果たせば、全てが分かるのだろうか。

でも、酷く、会うのが怖いのも事実だ。


 自分が消滅してしまえば、楽になれるのだと思っているのだけれども。

 未だ、この世界は消えそうにない。まだまだ、続いていきそうだ。



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