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コキュートス  作者: 朧塚
15/33

第三幕 さかしまの時計台 3

 何故、背徳者として生まれたのだろう?

 何故、普通の能力者ではなく、背徳者として生まれてしまったのか。

 しかし、そこには必然性など、何も無いのかもしれない。


 全てが運命とは偶然の産物でしかなく、望みも祈りも偶然によって齎されるものなのかもしれない。

 それなら、何故、人間は生きる意味などあるのだろうか?

 きっと、愛する事だとか、願い事だとか、大きな希望だとか、そういったものの信仰の下で、無理やり苦しみの中を生きているのだろう。


 デス・ウィングは願う。深く、強く願う。

 誰のどんな希望も叶わないように。

 夢が夢のまま終わりを告げるように。

 叶わない望みによって、きっとこの世界は構成されているのだろう。

 何かを成し遂げたいだとか、理想の恋愛がしたいだとか。そういったものは、嘘の希望によって塗り固められているのだろう。

 デス・ウィングはこの世界に生きる人々を嘲弄している。

 欲望に埋もれて、生きる事を渇望して、何かを成し遂げようとする。しかし、みな、そんな事がどれ程、下らない事なのかどれだけ理解しているのだろうか。

 夢とは、物語なのだろう。

 みなが、作り上げた、とてつもなく綺麗で歪な物語なのだ。



 メアリーは夢の中で思う。

 待つ事は得意だ。

 いつだって、あの子は愚図だったから。

 だから、今回も、ずっと待っていようと思っている。


 スフィアは、目の前に現われるのだろうか。

 しかし、その前に、自分はまだ生きているのだろうか?

 あの狼の力を受けてから、死ぬ事に対して、嫌でも考えざるを得なくなった。

 極寒の大地の進軍も、ルブルにいつ気まぐれで殺されるかも分からないという事実も怖くは無かった。

 けれども、今は不思議なまでに、死の向こう側に引きずられる事に対してのアンヴィバレントな感情が存在している。

 そのまま、向こう側に行ってしまってもいいのではないのかと思う反面、まだ、何かをやり遂げていないんじゃないかという不安がある。

 そう。

 自分は誰よりも、幸せになる権利があってもいいんじゃないのかと思った。

 もし、他人の幸福を吸い取る力が自分にあるのだとすれば、自分は誰よりも幸福になれるのかもしれない。

 そして、今はおそらくは、スフィアの方がずっと不幸なのだろう。

 何故に、スフィアを憎んでいたのだろうか?

 今は、スフィアの大切なものは全部、潰した。

 もう、それを修復する事は彼女には不可能だろう。

 なら、今の自分は少なくとも、間違いなく、彼女よりも幸福だと言えるのではないのだろうか。

 ルブルと一緒にいて感じた事は。

 多分、ルブルは自分を殺さないだろうという事だった。

 ……ルブル。本当は話し相手が欲しいんじゃないのかしら?

 ただ、ずっと孤独なだけなんじゃないだろうか。

 メアリーは、何故だか、ルブルと自分を重ねている。

 きっと、人間を大切に思えないというものが共通しているのかもしれない。

 大体、人間なんてものは、そもそも自分達とは、違う生き物なのかもしれない。

 そう考えるならば、愛だとか慈悲だとかを抱けないのも、納得がいくというものだ。

 彼女は思う。

 自分の命など、どうでもいいし。

 自分が生きている限りは、可能な限りの多くの人間が不幸になればいい。

 そうする事によってしか、自分は自分という命を肯定する事が出来はしないのだろう。

 …………全ての者が呪われてしまえばいい。

 ふと、メアリーは思った。

 背徳者が何故、生まれてくるのかを。

 魔女は、何故、魔女と呼ばれるのかを。

 魔女は自称ではなく、人から呼ばれた名前だ。

 背徳者というのも、いつか誰かが名付けたものだ。

 神に背く力を持つ者、その力とは、能力それ自体では無いのではないのか。

 …………多分、感覚とか思想とかそれ自体なのだろう。

 自分は何故に、迷っているのだろうか。

 今は、どのような感情で、ルブルの下にいるのだろうか。

 分からない。そして、答えを出す必要はあるのだろう。

 寒空はまだ、続いている。

 どうしようもない程に、答えを見い出せない。

「気付いたかしら?」

 ぼんやりと、世界が形を失っている。

「うっ、うっ……何?」

「良かった、死ななかったのね」

 頭には、冷たいタオルが置かれている。

 そして、温かなベッドの上に寝かされていた。

 真っ黒なドレスの女は、今までに無いくらいに、メアリーに優しく微笑んでいた。

「ルブル……。私の事、大切に思ってくれているの?」

 魔女は、それを言われて、うーんと、口元に指を当てる。

「何故だろう? 貴方の事が、気に入ってしまっているのかしら? まるで、他人とは思えないみたい。貴方もそうなんでしょう? 私が怖くないと貴方は言った。多分、私と貴方は似ていたから、私は貴方を道具だとか生きた死体だとかに思えなかったんだと思う。分からない、分からないの、教えてくれないかしら?」

「教える?」

「ええ。この感情、何なのかな? 多分、今、感じている感覚って、今まであんまり出会った事が無くて、それを言葉にするのが難しい。何だろう、安心する」

「安心かあ。ねえ、ルブル。ひょっとして、貴方って、友達が欲しかったんじゃないの? ずっと、数百年前も、ずっとずっと」

「そうかもしれないわね……ねえ、メアリー」

「何?」

「私のその、友達になってくれないかな? 出来れば、その」

「ふふっ、親友でいいよ。スフィアの代わり」

「ねえ」

 ルブルは、メアリーの額のタオルを取ると、メアリーの髪を優しく撫でていく。

「貴方の中にいる、スフィアとかいう女が憎らしい」

 魔女は、はっきりと告げた。

「未だに、貴方を拘束している呪縛のように感じられる。たとえ、貴方を殺害して、私が独り占めしようと思っても。貴方の心まで、奪えないような気がする。ねえ、スフィアとかいうのは、何処にいるのかしら?」

「私の下へ来ると思う。そう言っておいた」

 メアリーは、魘されるように言う。

「ふふっ、今、私は嘘を付いた」

「何?」

「スフィアとかいう少女の事を知っている。デス・ウィングとかいう女が連れていた。あの狼は再び、私達を殺しに来るだろうから。あのデス・ウィングとかいうのと手を組もうと思ったのだけれども、断られてしまってね。だから、私達だけで倒しましょう? あのジュダスとかいう狼も、ローザも、デス・ウィングも、そしてスフィアも。全部、私達二人で皆殺しにして、地上を私達の物にしよう? ねえ、いいかな?」

 魔女は、メアリーの髪を綺麗に結んで、三つ編みにしていく。

 そして、自分の髪の毛の何本かを引き抜くと、メアリーの髪止めにした。

「貴方も、魔女になるの。ねえ、メアリー。私達、姉妹みたいじゃない? 私は貴方のお姉さんになりたいかな」

 そう言って、ルブルは自分の指先に歯を立てる。

 真っ赤な血が流れていく。

 そして、ルブルはメアリーの唇に指先を当てていく。

 メアリーの唇に、血のルージュが引かれる。

「これは何?」

「私の魔力を注いでいる。これは死体達には使えない。貴方に傷が付けば、私にも、ダメージが降り注いでいくから。貴方の『マルトリート』は、これで更に強力なものになる筈。ふふっ、戦いましょう。私達は地上の者達を、永遠に見下して生き続けるの」

 ルブルはメアリーの髪を優しく撫でた。

 そして、小さな刃物を取り出して、メアリーの左腕を薄く切る。血が流れる。

 すると、ルブルの左腕の同じ箇所からも血が流れた。

「ほら? とても素敵でしょう?」

 ルブルはにっこり笑う。

 誰よりも、天空に近付く。

 傲慢な荘厳の城を建設しよう。

 この地上の全てを隷属させる為に。

「ありがとう、ルブル。でも、それはいいわ」

 そう言いながら、メアリーは、ナプキンで自分の口元を拭う。

「私は私の力だけで戦ってみる。強くなる、私の怪我で、貴方まで負傷する必要なんて、何処にも無いじゃない。それにほら、もし、私が死んだら、貴方まで死んじゃう……」

 ルブルはそう言われて、少し寂しそうな顔になる。

 メアリーは、彼女の両手を強く握り締める。

「心配しないで。私、みんな殺してくるから。踏み潰してやるんだから。ね?」

 彼女はルブルを、おだてるように言った。

 どうしようもない程に、狂った感情が、二人の中で芽生えてきている。

「じゃあ、私は、改めて、明日には、向かうわ。此処で、お留守番をしていてね?」

 そう言われて、ルブルは無言で首を縦に振る。

「じゃあ、そろそろ、夕食を取りましょうか。一緒に食事をしましょう?」

 そう言って、病み上がりのメアリーは、調理場へと向かった。

 


「目覚めたのか?」

 水月は、にっこりと笑っていた。


「此処は?」

「ああ、ウィンディゴから離れた場所で、狩人達が前哨地として、使っていた場所だ。この辺りは、沢山の朽ち捨てられた掘っ立て小屋がある。この辺りの獰猛な獣を仕留める為に使っていた処だ。暖炉や戸棚などが置かれている、狩りってのは、戦争みたいなもんだったらしいな。鉛玉なんかも、かなり散乱している」

 と、水月は、部屋の中に視線を置く。

 確かに、そこは古びた戸棚やベッド、シーツなどが置かれていた。

 水月は、よくこんな場所を見つけてくるなあ、とスフィアは関心する。

「私……」

 スフィアは言葉に詰まる。

「なあ、スフィア。お前は、多分、未だに夢の中にいるのかもしれないな。村人達が虐殺されたその日から、お前は悪夢の中を彷徨っていると思い込んでいるのだろう? 現実に耐え切れなくなったから、お前は今はまだ夢の中に入り込んでいて、早く目覚めないかと思っているんじゃないのか? そして」

 スフィアは、何とか、自分の感情を言葉にしようとした。

 水月は優しく微笑む。

「私はお前を治療する事は出来ない。スフィア、多分、お前は酷く心が乖離している状態がずっと、続いているんだよ。だから、今の自分の境遇が何なのかを知る事が出来ない。けれどもな、全部が現実なんだ。その事に対して、お前の精神は耐えられないのだろうな」

 くっくっくっ、と女は嘲笑していた。

「お前はお前を取り戻さないといけないだろうな」

「私は私を取り戻す……」

 夢の中で声が聞こえた。

 それは、何だか、懐かしい響きをしていた。

 まるで、遥か遠い昔のような。

 ふと、ぼんやりと映像を見ていたような気がする。

 それは、大きな力だった。

 何もかもを破壊してやりたいという力のイメージだった。

 少しずつ、自分の中で、何かが目覚めていくかのようだった。

 自分の右手を見る。

 自分の右の掌には、変な形をした痣があった。

 それは、魚のように細長い形をしていた。

 けれども、魚にしては、少しだけ尖っているように思った。


「悲嘆」

 水月は言う。


「もし、お前に何かの力が眠っていたとすれば、悲嘆を意味する力がいい。私が名付けてやる。何処の国の言葉だったかな。悲嘆を意味する『グリーフ』という名前がいい。お前がどんな力を持っていたとしても、結局の処、お前のこれから先の運命は、悲しみと嘆きしか無いのだからな」

 右手が酷く扱った。火傷を負ったような感覚だ。

 あれは、炎の記憶だった。

 人々が焼け爛れている。

 苦しみながら、黒い骸骨へと変わっていく。

 確かに覚えている。

 そして、それは悪夢の情景なんかじゃなくて、現実に起こった事なのだ。

 その映像は、何度も、目の前で幻覚のように引き戻される。

 そして、何処かで知っていた。

 あの事実を認めてしまった時点で、もう自分の幸福なんて永遠に訪れないであろう事を。そして、もう大切なものなんて何一つとして持っていないのだという事を。

 この時期は、雪かきをしたり、雪の玉を投げ合って遊んだり、雪で人形を作ったりしていた。スフィアの傍には、大切な友人達がいる。そして、スフィアがずっと慕っていた、とてつもなく頼りになる姉のような親友もいる。

 そのイメージは崩れ去って、雪に溶けていくのだ。

 もう、全ては失われてしまって、戻れないのだという現実が、今、目の前にはある。


「私は、どうすればいいのかな?」

「知らないな。私は、ただ、お前の結論を。あるいは、結末が見たいだけなのだからな」

 スフィアはふと、水月の顔が、教会で見た天からの使いと対峙する者の姿と重なる。

 天に背いて、この世界に闇と悪を撒いていく存在、それは人の心にも巣食っているのだと、教会の偉い人から聞かされていた。

 ふと、スフィアは何で、こんなにみんな仲良くなれないのだろうと思った。

 あれも、雪の日だ。

 みんなで遊んで、雪を投げ合っていた時に、誰かが雪の中に石を入れて、石が人に当たって怪我をした。そして、他の者も石を入れ始めた。

 たちまち、お互い、強く相手を憎み合うようになった。

 しばらくしてから、その事が大人に発覚して、スフィア達はみんな叱られて、しばらく家から出して貰えなかった。

 その事件が合って以来、仲直り出来ないまま、疎遠になった者達同士もいた。

 スフィアはいつだって、そういった人の敵意というものに入り込むのが苦手だった。

 だからなのだろうか。

 スフィアが凄く良い子で、みんなから好かれていたように見えたのは。

 スフィアが、必ず、誰よりも幸福を掴めると思われてしまったのは。

 右手の中が、灼熱しているかのようだった。

 立ち眩みがして、思わず、壁に寄り掛かる。

 すると。

 ぽろぽろ、と。右手で触れた壁が剥がれていく。

 スフィアは、自分の右手を見た。

 壁は、くっきりと、スフィアの手形が残されていた。


「私、何をしたの?」

 気付けば、水月は、何処かへと行ってしまっていた。

 今が、夢なのか現実なのかまるで分からない。

 夢であって欲しいと、切実に願うばかりだった。自分は何処に行ってしまうのだろう。自分を取り戻せそうにない。

 生きていて、素晴らしい事なんて、もう一つとして起こらないのではないのではないのか。そういった重過ぎる不安に押し潰されそうになる。

 昔の記憶の残骸を、気付けば、漁るように思い出している。

 大切な人達の温もりが、幻影のように湧き上がっては消えていく。


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