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コキュートス  作者: 朧塚
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第三幕 さかしまの時計台 2

 魔女は、狼と対峙しながら、戦う方法を探っていた。

 ジュダスは、ヘル・ブラストを使い続けていた。

 辺り一面が、死の闇の中へと吸い込まれていく。

 この都市自体が、ルブルの生み出した動く死体達で積み上げたものだった。

 そして、それらの全てはジュダスの力によって、再び地獄の底へと引き戻されようとしている。

 魔女は仕掛けるタイミングを見定めていた。

 隣では、メアリーが、必死で、自らの足元から這い上がってくる真っ黒な影に抗っていた。

 彼女の顔は、酷く蒼白を帯びていた。

 ルブルは、口の中で、何かの呪文を唱えていた。

 すると、城の中にある絵の中から、何者かが飛び出し始めた。

 それは、剣を持った骸骨の騎士達だった。

 ルブルの館の中には、無数に化け物が封じられていた。


「クルーエル、お前も出てこい」

 ルブルは叫ぶ。


 灰色の霧が、狼の下へと向かっていく。

 ジュダスは、飛び跳ねて、その霧を避けた。

 すると、ジュダスの立っていた時計塔が見る見る内に、石化していく。

 時計の針は停止する。

 同時に、辺り一面の時空が停止してしまったかのように思えた。

 ふっと、ジュダスの全身が震え出す。

 彼は顔をしかめた。

 そして、何処か悔しそうだった。

「仕方が無い。やはり、分身では持たないか。魔女、いつかお互いに全力で戦える時が来るのを楽しみにしているぞ」

 そう言うと。

 狼の肉体が、空中へと徐々に、泡のように溶けていく。

 そして、光の粒を放射状に撒きながら、白銀の身体は大気の中に雲散霧消していった。

 後には、ただただ、破壊の痕跡のみが残されていた。

 メアリーは、ふらつきながら立ち上がる。

「ルブル、あいつは……」

「ええっ」

 二人はお互いの顔を見合わせる。


「かなりの強敵ね。あれが、ローザとかいう奴の刺客? とんでもない。もう、ローザなんて、どうだっていい。あのジュダスとかいう狼。私が完全に力を取り戻しても、果たして勝てるかどうか……」

「そう……」

 メアリーは、どっと疲れた顔をして、そのまま地面に倒れた。

 彼女を取り撒いていた影は、何処かへと消えていた。



 デス・ウィングは、神妙な顔をして、しばらくの間、呆けたように佇んでいた。

 そして、思わず、ぼそりと呟く。

「あいつ……私を殺せるのか?」

 彼女にとって、それはとてつもなく魅力的な疑問だった。

 験してみるだけの価値はあった。

 相対してみるだけの意味はあった。

 作り物の生をこれで、終わらせられる。

 それはとてつもなく、安らかなものだった。



 相変わらず、外は寒い吹雪に覆われていた。

 彼女は、暖炉に火を灯して、思索に耽っていた。


 自分の存在の理由なんて、何も分からない。

 デス・ウィングは、自分の記憶をまさぐっていた。

 そう言えば、いつから、こんなに生に対して、固執しなくなったのだろう。

 しかし、かえってその事によって、自分は皮肉にも生き長らえている。

 記憶を掘り起こして、考えてみる。

 彼女は物心付いた頃から、美醜の区別がよく分からなかった。

 だからこそ、この世界の認識を、自分で構築するしかなかった。

 自分が見ている世界と、他人が見ている世界は、どうやら違うらしい。

 よく分からない世界に、自分で言葉を与えていく。


 間違いなく分かっていたのは、自分はこの世界にあってはならない精神の構造をしているという事だった。

 人間の持っている感情の中で、自分が惹かれるものは、幸福な部分ではなく、不幸な部分だった。

 優しさや友愛ではなく、悪意や憎悪などといったものばかりに強い興味を抱いた。


 少しだけ、感覚をズラして見ていくと。

 どうしようもない程に、人間というものが愛しく感じられた。

 奇形的なもの、異常なものが、どうしようも無い程に好きだった。

 人間など、薄皮一枚だけで、綺麗なものを形作っている生き物だ。だからこそ、そういったものを引っぺがしてやりたいと、ずっと思い続けていた。

 人間の作り出す言葉の裏側だとか、正しいとされている思想の脆さだとか、そういったものを壊す事ばかりを考え続けて、彼女は成熟していった。

 記憶が残像のようになって、生まれてくる。

 何故、自分が生きてきたのだろうか。

 この身体は、いつから、不死へと変わっていったのだろうか?

 思い出すのは、城の中での出来事だ。

 社交界の人間関係は、息が詰まるようなものだった。

 みなが、きらびやかな服を纏って、豪華な食事を口にしている。

 それぞれが、美辞麗句を言い合っている。

 自分が、酷く遠退いていく。

 何処かで見た映像だ。

 一体、自分が何をしているのか分からなかった。

 多分、自分は貴族の中でそれなりの地位を持っているのだろう。

 けれども、自分の居場所など、此処には無いのだろうという強い疎外感があった。

 自分の幼少時代は、どうだったのだろうか? 青春時代は?

 スフィアを見ながら、自分が何だったのかの輪郭を追っているのかもしれない。

 前世の記憶のように、夢の時間のように、巧く思い出す事が出来ない。

 その映像は、砂のように崩れていく。

 まだ、どうしても、思い出せそうにない。

 人間だった頃の記憶など、無くたっていいとも思っている。

 そして、別の記憶が明滅するように現われる。

 デス・ウィングには、自分の死が分からない。

 故に、他人の死もまるで分からないのかもしれない。

 死が分からないという事は、現実が分からないという事なのかもしれない。

 全ては、曖昧模糊とした、空ろな雲のような空間を歩いて、生きているような感覚だった。全てが、夢や幻のような世界をただただ、永遠に歩き続けているのだ。

 夢と記憶は、交互に現われながら、一体、何が現実なのか分からなくなってくる。自分がいるこの世界は、切り取られたイメージの断片でしかないのかもしれない。

 誰もが、全てを断片的にしか、理解する事が出来ないのだろう。



 ヘリックスの取り出した渦巻き雲から、ジュダスの精神が引き戻される。


 ジュダスは唸るように言った。

「魔女ルブルか」

 彼は下らなそうな顔をする。

「俺はこの地上を支配下においてもいいかもしれないな。あの程度の者ごときに、この地上を冒涜されるのも下らないからな」

 彼は吐き捨てるように言った。

 その瞳は、何者をも踏み潰せるという自信が漲っていた。

 ふしゅうぅぅうと、辺りから死霊達の声が渦巻いているかのようだった。

 ヘリックスは戦慄していた。

 果たして、この化け物は本当に自分達の味方なのだろうかと。

 いずれ、ローザ達もみな、この化け物の手によって殺されていくのかもしれない。

 それだけは、何とかして、手を打たないといけない。

 ヘリックスは、ローザの寝室へと向かう。

「ローザ様、ジュダスをどう思われますか?」

 彼は蒼褪めた顔で訊ねた。

「ジュダス。あれは、かなり危険過ぎますよ」

 ローザはくすくすと笑っていた。

「大丈夫よ。もし、悪戯が過ぎるようだったら。私が出るから。私の力は絶対、彼ごときには叶わないわ」

 そう、彼女は平然と言ってのけていた。

 しかし、ヘリックスはどうにも落ち着かなかった。

 どうしようもないくらいに、胸騒ぎがする。

「大丈夫よ、ヘリックス。私の本当の強さは私の超能力なんかじゃない。私は人の心の隙間に潜り込む事が出来る。私はジュダスの心も、魔女の心も掌握してみせる。ねえ、ヘリックス、私を信じて? 貴方が私を信じるという事が、私の強さにそのまま変わるのだろうから」

 ローザは不敵な事を述べ続けていた。



 デス・ウィングは、気絶しているスフィアを抱き抱えていた。

 まるで、それに合わせるように、一人の女を肩に担いだ真っ黒なドレスの少女が目の前に現われた。

「お前は一体、何かしら?」

「さあ。少なくとも、お前ごとき敵とは思っていない存在だ」

 デス・ウィングは、わざと傲慢そうに言う。

「ふん? まあ、いい。私の名前はルブル。お前が何者なのかは分からないけれども、確かに分かっている事がある」

「何だ?」

「お前も、化け物だろう?」

 それを聞いて、汚いニット服の女はくっくっと、腹の底から笑った。

「成る程、化け物か。確かに、私もそうだ。なあ、ルブル。そっちのお前が、肩に担いでいる女は、メアリーとかいう奴なんだろう?」

「そうだ。よく、知っているわね?」

「こっちのスフィアから、話を聞かされている。何でも、自身の故郷を焼き釜にしてやったそうじゃないか。とてつもなく、素敵な物語を作ってくれたのだと。なあ、ルブル。お前は、その女が気に入っているのか?」

「そうね」

 二人はお互いを牽制するように、睨み合う。

「処で、先ほどのあの狼の化け物を見ていたかしら?」

「ああ」

「頼みがある」

 ルブルは、悔しそうな顔をする。

「あれに勝てる自信が無い。あれは、どうにもならない。何なのかしら? あいつは。私じゃ勝てない。とてもじゃないけれどね、ねえ、貴方、お前は何て言うの? 私は貴方を見てすぐに分かった。貴方は、私以上の化け物なんでしょう?」

 ルブルは、何か生理的嫌悪感を受けるものでも見るように、彼女を睨む。

 デス・ウィングは含み笑いを浮かべる。

 何もかもを嘲笑するような笑みだった。

「共闘しないか? といった処か?」

「そうね、したいわね」

 デス・ウィングは、未だ気を失っている少女の顔を魔女へと見せる。

「彼女の名前は、スフィアという。そちらのメアリーの親友だ。本来ならば、彼女の人生を破壊したと言ってもいい親友に対して、復讐だけに生きる事も出来た。けれども、彼女はその選択を選ばなかった。私には分からない。人間は邪悪そのものだと思っているからな。しかし、私はそんなスフィアが気に入っている。さてと、ルブル。お前は、人間の事をどう思っている?」

「人間か」

 彼女は、掌で顔を覆う。

「私は人間など、自分の道具としか見ていない。それ以外には考えられない」

「成る程な。とても良い事だ」

 二人の魔人は、お互いに冷笑を浮かべる。

 デス・ウィングは、あらゆる悪なる意思を崇高なものだと考えている。この魔女ルブルの思考もまた、彼女にとっては、とてつもなく愛しいものなのだ。

「さて、ルブル。共闘の件なのだが」

 魔女が、こめかみがぴくりと動く。

「お断りだ」

 ニットのセーターの女は、ふん、と鼻を鳴らした。

「何故、駄目なのかしら? 貴方にとっても、不都合など何も無い筈よ?」

「興味が無いと言う理由だけでは駄目かな? 私はつまらないと思ってしまった事は、やはりやるべき意味を感じない。お前と共に戦った処で、何の意味も感じない。残念だけれどもな」

「あら? 私に対する嫌悪感かしら?」

「まるで違う。むしろ、私はお前のようなタイプには好意的だぞ。けれども、共闘には興味が無い。何故だと思う?」

「あら? 何故かしら」

「私は面白い方を選びたいからだ。なあ、魔女。あの狼は、再び、お前を襲撃しにくるだろうな。それに加勢したとしても、私は楽しめそうにない。私はもっと、酷く、凄惨なものが見たいからな。お前一人では、きっとあの狼に敗北するのだろう。しかし、私が加勢すれば、あの狼を難なく倒せるかもしれない。しかし、それだと、私には何の意味も感じない。何故なら、私が見たいものは。大きな悲劇なのだからな」

「お前も、魔女ね」

 ルブルは忌々しそうに言った。

「そう、私も背徳者だ。背徳者、デス・ウィングだ」

 ルブルは両手を開いて、お手上げのポーズを取る。

「仕方無いわね。……貴方もかなり強力な怪物だというのは、私はこれまでの経験上知っている。だから、貴方とも本来ならば、関わりたくないわね。しかし、私も酷く堕ちたものね、かつてはこの地上の全てを手中に収めようとしていた私なのに」

 ルブルは唇を引き攣らせていた。

 そして、強く溜め息を吐く。

 デス・ウィングは、両手を広げて、友好的なポーズを取る。

「私はこの少女に対して、お前が抱えている女、メアリーに対する憎悪の感情を思い出させてやろうと誓っている。そうする事によって、きっと、この少女の生きる目的が確立するのではないのかと信じてな。そして、私は二人の殺し合いが見てみたい。なあ、ルブル、お前もそれを手伝って貰えないだろうか? もし、手伝ってくれるのならば、お前に加勢してもいい」

 それを聞いて、ルブルの顔に笑みが戻る。ルブルもまた、そのようなストーリーを望んで止まない者だからだ。

 二人の人間が争い合うという事、そして、その二人が、かつてもっとも互いの事を愛しく感じていたのならば、それはとても美しいものなのだろう。

 そうして、ルブルとデス・ウィングの協定は為された。

 二つの悪意が、大地を覆う事となる。

 悲劇を撒いていく為にだ。

「それにしても、ルブル。背徳者とは一体、何だと思う?」

「そうね、私が魔女と呼び。世においては背徳者と呼ばれる存在。それは、人間とは、自分達よりも、ちっぽけな蟲のようなものだと思えてしまうという事なんじゃないのかしら? どう考えても、他人を自分と対等だとは思えない。それを心の底から、感じてしまって。それに相応しいだけの力を有している存在の事かしら?」

「そう定義するのか。私は背徳者とは、死を理解出来ない存在なのだと定義付けている」

「成る程、確かにそうとも言えるわね」

「まあ、どうせ。どのような運命も、砂のように崩れ、灰のように燃え尽きてしまう。生命が存在し、人が意思を持つ事など無常そのものだ。そんなこの世界の理をお互いに知っている。それだけに過ぎないんだろうよ」

 そう言うと、デス・ウィングは、ルブルにウインクをすると、ルブルの下から去っていった。




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