『背徳者ローザの物語』
彼女は夢を見る為に、寝台の上に横たわる。
自分が一体、何を視ているのか彼女には分からない。もしかすると、胎児の頃を思い出しているのだろうか。
男が、一人、その部屋の中へと入り込んだ。
男は、彼女の姿を人目見ようと、此処に来たのだ。
真っ暗な城館の奥底には、一人の姫君が眠っている。そんな伝承を信じて、此処にやってきた。城館の中は、調度品が埃を被っており、所々が、朽ち果てていた。
男もまた、悪夢の中を彷徨っていたのだった。
一体、自分が。何故、こんな場所にやってきたのか、どうしても思い出す事が出来ない。ふと、彼は少しだけ、薄らぼんやりとした記憶の底を漁ってみる。多分、自分自身が夢に呼ばれていたのだろう。
まるで、理想の美女を頭の中で描いていくかのようだった。きっと、自分の中で形作った女を掴み取ったら、自分の持っている欲望の全てが手に入るのではないのかと。
ただ、この夢は終わる事なんて、決して無かった。いつの間にか、迷い込んだ場所なのだ。此処は、酷く冷え切った場所だった。
男は、寝台へと近寄る。そこには、純白の衣装を身に纏った姫君が寝かされていた。
ふと、何処かで、くすくすと笑い声が聞こえた。
けれども、不思議にも、その声が静謐な世界の中で、心地の良いものとなって、心の中に響いていく。
真っ暗で、顔形がよく分からない。髪の色さえも、判別が付かない。
男は、もっとよく顔を見ようと近寄る、手遅れだった。
ぽとり、ぽとりと、近付く度に、男の身体は溶けて、崩れていく。
いつの間にか。彼の顔は、ぐしゃぐしゃに崩れていた。此処は、迷い込んではいけない場所だったのだ。此処が、終わらない悪夢の祭壇なのだと彼は知る頃には遅過ぎた。
彼は、ぐしゃぐしゃに、液体となって地面に転がっていた。
そこは、消化の寝台だった。
此処に来た者は、全て、彼女の胃袋の中へと飲み込まれていくのだ。
ぞわぞわっと、食われながら、溶かされていく。
決して、この場所には入り込んではいけない。
げぷぅ、という音がして、姫君は寝台から起き上がった。そして、消化液によって溶かされた男だった者の痕跡をしばし、見ていた。
そう、此処に迷い込んだ者は、出られなくなり、後には食われていくだけなのだ。哀れにも、犠牲者は、彼女の餌食となる。
彼女は笑う。どんな人間も、彼女の食物でしかないのだから。
やがて、光が灯り出す。
すると、辺りの空間から、星々の煌きが現われる。遠くでは、紅炎と呼ばれるものが暴れ狂う日輪のようなものが燃えていた。
此処は、一つの小宇宙だった。この世界は、彼女が見ている悪夢そのものでもあった。
流星群が、辺り一面に流れ続ける。星の河だ。全ては蝕まれていくのだろう。人の一生なんてものは、この大きな宇宙の中へと。
小さな光が、幾つも破裂しては、消えていく。そして、また新しく瞬く星が現れる。彼女はふふふふふっと、笑い続けた。どんな命も、瞬く間に消滅していく。
命の音色なんて、そんなものなのかもしれない。
どんな人の命も、儚く、この宇宙全体によって食われていくものなのだ。
女は、くすくす、くすくすと笑った。何故に、こんなにもの滑稽なのだろう。
自分の命もまた、宇宙によって食われていくのだろう。圧倒的なまでの、質量に押し潰されていくのだろう。数多の可能性によって、蝕まれていく。
女の身体もまた、ばらばらに解体されていく。
此処は、宇宙が見ている夢の寝台の上だった。
女の肉体は、空間の中へと溶け込んでいく。そしてやがて、全ては闇によって侵されていった。星々の煌き一つ、一つが、人の一生に比するのだろうか。
彼女は深淵の中から、再び、出現する。
その身体には、真っ白なドレスを纏っていた。
彼女の唇が歪んでいる。
そして、再び、彼女の肉体全てが崩れていく。背景と溶け込んでいく。彼女自体が、宇宙そのものと化していく。何も無い空間から、数多の口達が出現しては消えていく。口の中には、らんぐいの歯が幾つも並んでいる。どろどろと涎が垂れ流されていく。
彼女は、また、迷い込んでくる者達を待ち望んでいた。彼女はふと思う、自分は宇宙の歪の中に誕生した歪そのものではないのかと。
空間の中で、哄笑ばかりが続いていた。
ぐちゅぐちゅと、女は端整な顔で笑い続けていた。




