第二幕 氷の魔女の大舞台 5
人間は、何故、こんなにも権力だとか地位だとか。
あるいは、自分の欲望を叶える事だとかに縋るのだろうか。
デス・ウィングには分からない。
彼女には、愛するという概念さえもきっと無い。
他人と交友を深めても、酷い空虚感に襲われていく。
思い出すのは、社交界での出来事だった。
自分は、女としての商品なのだと気付いたのは、いつの頃だろうか。
物心付いた頃には。別に、自分に性別なんてものはいらないと思った。だから、自分の容姿が酷く醜いものだと思った。どうせ、性的な欲望を異性に強く意識させるものでしかないのだ、と。
この肉体を捨て去る事は、いつの日か出来るのだろうか。
『背徳者』という概念は、人間が人間と思えないという事なのだろう。人間を道具か何かだとしか思えない。
この世界に背き続けるという事、それはこの世界のシステムの何もかもを、呪い、蔑み、自分の道具でしかないと思い続けるという事なのだろう。
†
クルーエルの能力によって、冷気を遮断する洞穴のようなものを作った。
メアリーは、先ほどの敵によって付けられた傷を癒していた。
水の刃によって、左腕と左脚に酷い傷を負っている。
仕方が無いので、傷薬などを幻影で創り出して、傷の上に塗っていく。
「私は何でも、生み出す事が出来る」
そして、幻影で創り出した消毒液で傷口を洗い流すと、布の切れ端を傷口に巻いていく。
これから先の戦いで、もし、手足を失う事になったら。義手義足の代わりに、幻影で、手足を動かすのだろうか。
やはり、苦痛というものは、自分の心をへし折りそうになる。
とにかく、戦いの経験が欲しかった。
自分と同じくらい強い奴、あるいは、自分よりも遥かに強い奴を前にすると、まるで自分は歯が立たなくなるのだろう。
彼女は、隣に置いてある人形の髪を優しく撫でる。
それにしても、今回はかなりクルーエルに助けられた。
彼がいなければ、先ほどの戦いで死んでいたんじゃないだろうか。
「さすが、ルブルの切り札だけはあるわね……」
クルーエルの正体は、メアリーもよく分からない。
ルブルいわく、自分よりも強力な能力者なのだと言う。
メアリーが分かっている事は、クルーエルは、辺り一面に石化ガスを撒いていくという事だ。
「ううっ、それにしても寒い」
彼女は、幻影で炎を生み出していく。
そして、ふうっ、と溜め息を吐いた。息が白い。
そういえば、怪我のせいで、何だか身体が酷く弱っている。
何だか、お腹も空いてきてしまった。
「クルーエル、一度、戻ろうかしら? 食料もまともに持っていないしね」
そう言いながら、彼女は鞄の中から、乾パンを取り出して口に入れていく。
そういえば。
スフィアは、今、何処で何をしているのだろうか。
悲しみながら、自分を憎んでいるのだろうか。
†
たとえば、今、分かっている事は。
絶望は、全ての生きる原理を見失う。
今は、何だか呼吸するのも苦しい。
スフィアは、数日もの間、色々な事を考え続けていて、結局、誰も助けてはくれないんだという事を理解し始めていた。
だから、自分から動くしかないのだろう。
スフィアは、水月の下へと向かおうと思った。
水月は、もし、スフィアがメアリーと対決する覚悟があるのならば、手を貸すのだと言っていた。それ以外に、選択は無いのだろう。
「私、どうすればいいのかな……」
幾ら迷っても、物事は何一つとして、動いてくれそうにない。
物事を動かすには、自分がただただ、動くしかないという事だけは分かっている。
ただ、どうしようもなく、怖いのだ。
メアリーの事を考えるのが、怖い。
多分、メアリーは。これからも、沢山の人々を殺し続けるのだろう。
何故、彼女はああなってしまったのだろう。
幾ら考えても分からないのなら、直接、また彼女と話をするしかない。全ての結論は、とっくに出ているのだ。
自分が動き出さないと、どうにもならない。
自分で、何かを決断出来るようになれるのだろうか。
そう言えば。ずっと、メアリーに対して、憧れの念を抱いていたような気がする。
もしかすると、それが返って、彼女にとって酷く不快だったのかもしれない。
†
死にたくない。
百年生きていても、二百年生きていても、そう思えてしまう。
ローザはその為に、人を食い続けている。
彼女は若い男達を使って、自身の肉体を保持し続けている。
そうやって、彼女の寿命は延び続けていく。
ヘリックスの存在が、彼女の支えになっているような気もする。
とてつもなく、心の支柱になっているような。
「私は、きっと、彼がいないと駄目ね」
彼女は自嘲的に笑う。
ぼうっと、そいつは姿を現す。
そいつは、ゆったりとした、黄金色のローブのような絹の服を上着に纏っていて、ひらひらとした形のズボンを履いていた。
「ヘリックス、おかえり」
「どうも、ローザ様。あのですね、此処からx地点に、奇妙な街を見つけたので、そこに“印”を入れておきました。僕はそこに次元移動で行ける筈です」
「そう、貴方はとても頼りにしている」
ヘリックスの役目は、あらゆる街を“食卓”にする際に、その下調べとして、向かって貰う事だ。そして、彼はいつも“印”を付けていく。
印とは、ローザの能力を送り込む事が出来る事を意味している。
「ああ、でも、不思議なんですよ、その街。大きな城もあって、最近、蜃気楼のようにいきなり出来たんですけれども」
「不思議? 何故?」
「人の“生体反応”が感じられないんです。だから、貴方の力で“食卓”に変える事が出来ないかも……」
「ふうん?」
ローザは、それを聞いて、首を傾げていた。
†
自分の存在理由は何なのかと、デス・ウィングは考えていた。
他人の人生を眺め続ける事なのだろうか。
足音が聞こえて、目を覚ます。
廃墟の窓から、外を見た。
すると、一人の少女が此方に向かってきていた。
スフィアだ。
「おや? 決断は出来たのか?」
「う、うん」
彼女は、強い眼差しを浮かべていた。
彼女は、自分の意思が薄弱なのだろう。けれども、此れから積み上げていかなければいかないのだろう。
彼女は、強くなろうと考えているのだろうか。
デス・ウィングは、心の中で嘲笑う。
少しだけ、彼女がより、壊れていく様を眺めたくなった。
「さて、お供するぞ? 行こうか、仇討ちに」
「……仇討ちじゃないよ」
「そうなのか」
「うん。話し合い。それが一番、いいんだと思う」
デス・ウィングは、廃墟の外に出る。
そして、大きめの鞄を肩に背負っていた。
「じゃあ、行きましょうか。占いによれば、西に向かうのがいいと出ている。きっと、そこに彼女はいるのでしょう。おそらく、魔女の方も」
デス・ウィングは、とてつもなく、楽しい気分になる。
この少女は、一体、どうなるのだろうか。
「ねえ、水月さん」
「何だ?」
「私、前の生活を取り戻せるかな?」
「さあ? メアリーとかいうのは、自由を欲したんだろうな。きっと、お前とは根底から、価値観が違っていたのだろう。まあ、どんなに仲が良いように思えても、何もお互いを分かっていなかった。それだけの事なのだろうな」
感情のズレを直さなければならないと思った。
何処で、間違えてしまったのか知らなければならない。
だから、対決というよりも、対話なのだろう。
スフィアは、もう既に、メアリーの行った事を赦していた。
ただ、メアリーに対して、強い罪悪感があった。
けれども、ふと思うのは。
メアリーを赦せなくなる日が来るのだろうか。
彼女を憎んで、殺してやりたくなる瞬間が訪れるのだろうか。
そうやって、憎しみの連鎖の渦の中に、自分も放り込まれるのだろうか。
それが酷く、怖かったりする。
†
アンクゥは思う。
復讐に生きない人生があってもいいんじゃないのかと。
彼は、十九年生きている。もうすぐ二十歳を向かえる。
ローザの能力は、二十歳前後の男に効果があるというのが有力な説だ。
自分は攻撃を受けなかった。
そして、街から抜け出す事が出来た。
ディーバの街へと辿り着いた。
街には、巨大な塔のようなものが聳え立っている。
その塔の何処かに、背徳者・魔女ローザは潜んでいるのだ。
自分の『ソリッド・ヴァルガー』はどれだけ有力なのだろうか。
分からない、試してみる価値はある。
大体のイメージはしてある。
どうすれば、ローザを倒せるかをだ。
それは、暗殺だった。
ディーバは遠目には見えている。
しかし、渦を描くように、何故だか、そこには辿り着けない。
まるで、蜃気楼を見ているかのように思えた。
実際、そうなのかもしれない。
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