序幕 悪意と火刑台
幻影の炎が燃えている。
炎は、何も無い、虚空から生まれたものだった。
グラニットの街の人々が、阿鼻叫喚の渦の中に放り込まれていた。
その中で、一人、笑っている女がいた。
炎の渦の中央には、メアリーが佇んでいた。
彼女は漆黒のマントを身に纏い、その下には純白のローブを身に着けていた。
いつものような、メイド服の姿じゃない。
薄っすらと、彼女は笑っている。
スフィアは思考停止する。
一体、何が起こっているのか分からない。
何が、起こっているのだろうか? 頭の中で、処理仕切れずにいる。
人々の皮膚が、肉が、焦げて、崩れていく。
みな、泣き叫んでいる。
焼き殺されるというのは、想像を絶する苦しみなのだろう。
死ぬまでの時間、全身を、苦痛が過ぎっていく。それは、悪夢のような感覚なのだろう。
視界が明滅していく。
今、一体、何が起こっているのか理解が出来ない。ただ、記憶が今にも、消えていきそうな感じがした。
頭の中で、理解していくのが怖い。
「何で……?」
思わず、スフィアは訊ねていた。
「仕方の無い事なんだと思う」
女は、冷たく微笑する。
「どうしようもない事なんてものはある。そうでしょう?」
冷気が、辺りを舞っている。
幻影の炎が、本物になって、人々の肌を、肉を、顔を焼いていく。
人々は、口々に、悲鳴を上げていた。
助けて、苦しい、死にたくない。
それぞれの言葉は、唱和しながら、みな、踊り狂っている。
その光景を眺めながら、メアリーはただただ、嘲笑っていた。
「それにしても、とっても美味しそうな匂いがするわね。オーブンで、パイを焼いた時のようね? とっても、素敵ね」
肉の焼ける臭いが続いていく。
人々の皮膚が、肉が、骨が、炭化していく。
どろり、と。頭蓋骨が崩れて、脳がはみ出している者もいた。
メアリーは、くるくる、と剣を取り出して振り回しながら、更に、苦しむ人々の追い討ちを掛けていた。
「貴方は二度と、私を忘れられなくなればいい。ずっと、この光景を目に焼き付けて生きる事ね?」
彼女はずっと、微笑していた。
「ふふふふふふっ、全ての者よ。呪われろっ!」
彼女の哄笑は続いていく。
まるで、ずっと、この時を。この瞬間を待っていたかのように。
「貴方の全ての未来も希望も消えればいい。そうする事によって、私は救われる。私は生きられる。スフィア、私は貴方が心の底から、大嫌いだ。生きながらにして、死ねばいい」
「何で?」
再び、問い掛ける。
スフィアは、両目から涙が零れ落ちる。
「まあ、そのね。貴方の事が妬ましくて、顔を見るだけで不快で。思い出す度に、怒りを感じていたから。どうしようもなかった。貴方がいつも幸せな顔をしているのを見る度に、それを歪める事ばかりを願っていた」
少しだけ、ほんの少しだけ。
思い出が、断片的に、流れては消えていくかのようだった。
どうにも、ならない現実に抗う事なんて出来はしないのだろう。
強く信じていたものが崩れてしまっていく感覚がする。
大切な友情が、離れていくかのよう。
何故、彼女をこんな風にしてしまったのだろう?
スフィアは、自分自身が崩れ落ちていく感覚を確かに感じていた。
「ねえ、スフィア。私は心の底から、貴方を殺してやりたいからこそ、貴方を殺さない。出来る限り、生きて苦しんで欲しい。それが、私にとっての救いになる」
スフィアは、地面にへたり込んだ。
涙が、止まらない。
スフィアをずっと、育ててくれたガルドおじさん。友人のディファナ、コレット、ティート、みんな焼け死んでいってしまった。
彼らの黒い炭のようになった骨が、雪原に埋もれていく。
全てが、凍り付いていくかのようだった。…………。
余談ですが、プロ作家さんに読んで貰って高い評価を得た作品です。
好きな人は好きだと思うので是非。
登場人物紹介一覧。↓
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