一通り言い争ったけど雇われることになりました
予備校は毎日が苦しいの巻
「かけたまえ。」
「失礼します。」
こんなことをしたのは、入社試験の面接以来か。緊張で胸がつまる。ソファの柔らかさなんて、この空間には邪魔だ。気を緩めたら負ける。
「ふぅ…。派手にやってくれたねぇ…。窓の外が、昨日まであんなに活気に溢れていたのに。」
壊れた建物、天高く昇る黒煙。これは全て、俺の隣に座るケモミミ尻尾少女、もといフェンリルの仕業である。
今考えても、信じられないことだらけだ。自分が転生したことなんて、もうどうでもよくなっていた。隣の銀色の耳と尻尾を備えた少女が、怪獣のごとく町を破壊したこと。窓の外を物憂げに眺める女性に、これでもかというほどの緊張を強いられていること。そして、二人とも俺好みの顔と肉体であること。
「落ち着くには、紅茶の香りが一番。君も飲むかい?」
マイカップに手慣れた様子で紅茶を注ぐファナ。
「いえ…結構です。」
「毒なんか入っていないよ。」
微笑みながら香りを楽しむファナ。その目は、口元とは裏腹に少しも笑っていなかった。
「あいにく、そのような高貴な楽しみは持ち合わせていませんから。」
「マスターを差し置いて、物をいただくわけには参りません。私も、遠慮しておきます。」
「ふうん。残念だね。まあいいさ。本題に入ろうか?」
「ええ。」
会話とは、武器を使わない戦争である。己の知識と先を読む力のみを信じて、騙し騙され、相手を思うがままに誘導する。そして、自分の要望を呑み込ませたとき、戦争は終結する。単純ながら複雑な、この世で最もたぎる遊戯だ。
「君の名は?」
「あ、こむ…ん?」
待てよ?小室 剣というのは、日本人丸出しの名前だよな?この西洋風の街並みを見るに、そんな名前では浮いてしまうのではなかろうか。となると偽名だが、どうする、かっこいいのがいいよな。
「どうしたんだい?何か、事情でも?」
マズイ!このままでは疑われてしまう。適当でいいや!
「ツルギ・セラーといいます。」
「ふむ。先程から気になっていたのだがね、君の服はどこの民族衣装かな?」
今の俺の姿はサラリーマンのテンプレ、スーツに身を包んでいる。これまた、時代にそぐわないどころか、この世界に存在するかも怪しい。
「かなりの田舎の出でして。東の方の。」
「ほう?東の方で、そのような服は見たことがない。国境を越えたとて、魔族の住む谷や、人が立ち入るのすら覚悟を要するダンジョン密集領域、通称、禁断領域しかないのだが。君はいったいどこからきたのかなぁ?」
チッ…。しくじった!この世界の地理なんざ分かるわけがねえ!突っ込まれたら終わりだ。
「嘘はよくないなぁ。今ので、-100ポイントかな?まあ、もとから君たちの評価はマイナススタートだったからね。気にしなくていいんじゃないかな?ハッハッハ!」
「…そんなに低いですか。俺たちの、評価。」
ファナは一瞬で真顔に戻り、顔をギリギリまで俺に近づけた。
「低いことが不満か…!?私をなめるなよ?小僧めが!」
「マスター!」
牙を剥いてとっさに戦闘態勢に入るフェンリル。俺はそれを制して、
「黙ってろ!大丈夫だ。殺意はない…と思う。」
能面のごときファナの表情が、少し溶ける。
「よく分かったね。そこだけは誉めてあげよう。お察しの通り、殺す気はないさ。今のは、あまりにもムカついたものでね。」
「殺すなら、俺たちはこの部屋に入った時点で殺されてるはずだ。もてなす価値は俺たちにはない。」
「そこまで分かっていて、よく私をこんなにイライラさせることができるね?君はあれだろう、論理的に考えることは得意でも、自分の考えから外れたものは、もう対処できない人間だ。違うかな?」
ぐうの音もでない。俺はいわゆる理系人間なんだろう。数値化できないものは、俺の専門外だ。国語の問題と違って、それっぽい答えを書けばいいんじゃない。無限の選択肢から、あるかどうかもわからない正解を探す、地獄のマラソンなのだ。走りきるスタミナなんか、あるわけない。
「分からないなら、教えてあげよう。私が、誰だか知っているか?ここネムルのギルドマスター、ファナ・ファオルペルツだ!ギルドは、民の平和を守り、冒険者の自由を守るためにある!その長たる私には大いなる責任があるんだ!それなのに私は、あろうことかモンスターの侵入を許し、民を危険にさらした!」
体をブルブルと怒りに震わせるファナ。自らの責務を果たしきれなかった悔しさが、彼女を苦しめているのだ。
「私個人の、ネムル市民の1人としてのファナは、君のことを許せないよ。殺したいとすら思ってる。でもね、裁判を行わないままに君を殺すのは、力あるものの暴虐だ。その一線だけは踏み越えちゃいけない。」
権力を持つがゆえに、自らの感情を押し込めておかなくてはならない。上に立つものの鑑のような存在だ。しかし、我慢には限界があることも、また然りである。
「君が清々しいほどの悪人であったなら、即刻処刑できたのにね。姿は奇天烈、話す言葉に信憑性はまるでない。でも、悪人の気配は感じられない!心地いいほどのグレーだ!生まれたときからグレーだったんだろう、そうでなきゃ説明がつかない!答えてみろ!何で街を壊したんだ!ツルギ!」
…ん?んん?いやいや、待てよ待てよ?こいつ、盛大な勘違いをしているのでは?あつーく語られてますが、根本的に違うんだよな。
「何を笑っているか!私の話を聞いていなかったのか?」
「いや、聞いてたよ?聞いてたけど、ちょっと違うんだなぁ、これが。この街を壊したのは俺じゃない。」
「この期に及んでかい?もちろん実行犯は彼女だろう。でも、君の命令があってのことじゃないのか?」
「何でそんなことすんだよ。大体、こいつが勝手に俺を慕ってるだけだ。そんなんで疑われちゃ、正直迷惑だよ!」
ビシッとポーズを決めながら宣言する。言うべきときには言わなきゃな。
「そう…なのか?」
「はい。今のところ、私からマスターへの一方的な片想いです。でもご安心ください!いつか必ず両思いにして見せますよ!」
「あー、はいはい。寝言は寝て言おーねー。」
「マスター、冷たいですよ!」
「え…、じゃあ何か?私の勘違いということか…?」
「うん。」
みるみる顔が真っ赤になっていくファナ。耳まで真っ赤に、まるでゆでダコになっちまったかのようだ。
「じゃあ、もういいか?さっきまでの話はなかったことにしとくし、勘違いだったとか誰にも言わねえから。」
「待て!」
出ていこうとする俺を呼び止めるファナ。まだなんかあるのかよ。
「とにかく、ツルギが関係あるかないかは別として、街が壊されているのは事実なんだ。その分は弁償してもらわなくてはならない。」
「あー、それならコイツに払わせてくれよ。俺は一文無しなんだ。」
フェンリルを指差しながら告げる。俺には、何の関係もないことだ。押し付けたって訳でもない。
「え?私も人間の金なんか持ってませんけど?」
「じゃあ、体で払えば?巨大化できるんだし、需要あるでしょ。」
「ひどい!これでも私は、まだ子供なんですよ!人道に反します!」
「お前、人間じゃないじゃん、フェンリルじゃん。」
「あ、そうでした。てへへー。」
「夫婦漫才はもういい!とにかく、二人とも金がないというわけだな?」
「ああ。」
そりゃあ、日本円はあるけどな。財布の中に、結構色々入ってる。でも、この世界じゃ使えないからな。
「だったら、このまま帰すわけにはいかないな。」
ファナは、ニヤリとしながらこちらを見る。だんだん落ち着いてきたのか、頬が赤からピンク色になってきた。
「君たちには、私のもとで働いてもらう。衣食住は保障する代わりに、汚れ仕事でも何でもやってもらおう。悪くない話ではないかな?」
「それじゃあ奴隷じゃねえか!」
「どちらにしても、そこのフェンリルには、賠償責任がある。勘違いの詫びに命は助けてやるんだ、感謝してほしいものだよ。」
「そんな無茶苦茶な。」
「何も一生という訳じゃないぞ。ある程度経てば解放するし、ギルド内での立場も…そうだ、冒険者にならないか?」
唐突な話が、更に二転三転する。自分の過ちを記憶から消し去ろうと、無茶苦茶しだしたな。
「頼む。正直、私も自分が何をいってるのか、よくわかってないんだ。ここは、私の顔を立ててはくれまいか?」
懇願という言葉が似合いそうなほど、俺に深々と頭を下げるファナ。どうするかなぁ。このまま街へ出ても、追い出されるのが目に見えてる。その先のあてもない。ここは、乗っかるのが得策か。いざとなったら、逃げればいいさ。
「わーったよ。頭上げてくれ。冒険者になってやるよ。そんで、あんたの部下になる。フェンリルもいいよな?」
「私は、マスターの意思に従うだけですから。」
「本当か!?」
「ただし!最初に言っておく。俺は、飼い主の手だって、平気で噛み千切る男だ。」
俺の宣戦布告を聞いたファナは、噛み殺したような笑いを楽しんだあと、こう宣った。
「じゃあ、私も最初に言っておく。私は、自分のペットだろうと、敵となれば殺す女だ。」
ファナの思わぬ意趣返しに、俺も、なぜかファナも思わず、
「「ハハハハハッ!」」
二人の笑い声は、ギルド中を駆け巡ったという。